第二十話、名の精霊と、呼びかけの儀
誰かに名を呼ばれるとき、人は、そして精霊は、本当に「わたし」になる。
静かな儀式のなかで、ヒューラと奏の絆が問われます。
どうぞ、奏の心の旅路を見守ってください。
アラウィン魔法学舎の塔の最上階──そこに、千の名が刻まれた「精霊の回廊」があった。
すべての精霊の名が記録されたその空間は、名の魔法の根幹とされ、通常は上級の魔法使い以外の立ち入りが許されない。
だが、奏は例外だった。
未登記の精霊を伴い、独自に名の魔法を行使した者として、特例的に“呼びかけの儀”を受けることになったのだ。
その日、夜の帳が落ちた頃、奏は一人、塔へと案内された。
扉の向こうには静謐な空間が広がっていた。
丸い石造りの広間の中央に、一本の大樹のような魔法装置が聳え、その幹には何百という精霊の真名が光る文字で刻まれていた。
「──名を呼び、応じる声を聞け。それが君の“名の魔法”だ」
儀式監の魔法士がそう言い残し、奏をひとり残して立ち去る。
空間には、風の気配すらない。
けれど、奏の心には確かに、風の存在があった。
──ヒューラ。
声にはならない呼びかけに、わずかに空気が動いた。
回廊の奥、名の刻まれた幹の根元に、淡く揺らめく光が現れた。
それは、ヒューラだった。
「奏……」
少年の姿をした風の精霊は、どこか迷いのある眼差しで彼を見つめていた。
「僕、ここにいていいのかな」
その声には、恐れが滲んでいた。名が力になる国で、名を与えられた存在としての不安。
奏はゆっくりと近づき、問いかける。
「ヒューラ。君は、自分の名をどう思ってる?」
ヒューラは少し黙って、それから小さく息を吐いた。
「……嬉しかったよ。でも、ここに来てから、周りの精霊たちに言われた。名は制約だ、って。君は本当にそれを分かってるのかって」
「僕も、分かってなかったかもしれない」
奏は目を伏せた。
「でも、今は少し違う。君の名を呼ぶたびに、風が応えてくれる。その感覚が、間違いじゃないって教えてくれるんだ」
ヒューラが、ふっと表情を緩める。
「……僕は君の声が好きだよ。呼ばれると、ちゃんと“僕”になれる」
奏は、静かに微笑んだ。
回廊の魔法樹が、柔らかな風を纏ってざわめいた。名の刻印が、ひとつ新たに輝きを放つ。
その名は──『ヒューラ』。
正式に認められたその瞬間、風が回廊全体を駆け抜けた。
精霊たちの名が、風に共鳴して微かに震える。
奏とヒューラは、確かにそこにいた。
“名を与え、応じる精霊”として。アラウィンの大地に、初めてその名を刻んだ者として。
──だがその静けさは、長くは続かなかった。
翌朝、学舎に封じられていた精霊の一柱が、突然暴走を始めたのだ。
暴走の中心にいたのは、かつて“名を奪われた”精霊だった。
「名の魔法は祝福ではなく、鎖だ」と叫ぶその精霊の力は、周囲の魔法士たちさえ圧倒するものだった。
危険な回廊に奏が飛び込もうとしたとき、ヒューラが叫ぶ。
「やめて!君まで“名”に呑まれたら──」
けれど奏は振り返らず、ただ言った。
「だからこそ、行くんだ。名を信じるって決めた。君を信じたように」
暴走する精霊との対話、そして名に込められた本当の意味を取り戻すための、ふたりの試練が始まろうとしていた。
ここまで読んでくださり、ありがとうございました。
少しでも奏の物語に風を感じていただけたなら嬉しいです。
次回、制度の外で生まれた名が、公式に認められるということ。
それは祝福か、波紋の始まりか──。お楽しみに!
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