第十九話、風が運んだ真名
名を呼ぶということは、相手の存在を認めること。
風に真の名が響いたとき、奏の旅はもう一段深みへと進みます。
どうぞ、奏の心の旅路を見守ってください。
霧の山を越えたその先に、石造りの高い城壁が立ちはだかっていた。
ここが、名の魔法によって築かれた魔法王国──アラウィン。
奏はヒューラとともに、ゆっくりと城門へと近づいた。朝霧の残る空気の中、門前の魔法士が目を細めて彼らを見つめる。
「名を持つ者か?」
門番の問いに、奏は一瞬ためらいながらも答えた。
「はい。わたしは奏、風の魔法使いです」
視線がヒューラへと移る。彼の姿は、今や透明な衣を纏った少年のかたちをしていた。
「その者は精霊か?」
「はい。彼は……わたしが名を与えた風の精霊、ヒューラです」
門番は頷き、記録を確認し始める。
「未登記精霊だな。登録と評価が必要だ。魔法使いと同行者、別々に手続きをとる」
そうして、奏とヒューラは一時的に引き離された。
ヒューラは不安そうに振り返ったが、奏は小さく笑って頷いた。
「大丈夫。きっとまた、すぐに会える」
そして奏は、王都の魔法学舎──新たな学びの地へと案内されていった。
アラウィンの魔法体系は、すべて“名”を中心に据えて構築されていた。
名は存在の証であり、力の根源。
名を知らぬ者には扉は開かれず、名を偽る者は存在を拒まれる。
奏にとって、その概念はあまりに重く、堅苦しかった。
けれど、ヒューラに名を与えたことで得た感覚が、彼を支えていた。
──名は、ただの枷ではない。
講義のなかで語られる教義の数々。
「名は力である。名とは契約であり、境界であり、呪いにもなり得る」
教師の言葉に、奏の胸がざわつく。
名は、本当にそんなにも危ういものなのだろうか。
ある日、寮の小さな部屋で、風がそっと揺れた。
窓も閉まっているのに、淡い風が頬を撫でる。
ヒューラだ、とすぐにわかった。
「奏」
淡い風の光が集まり、かたちをなす。ヒューラの姿は、不安定に揺れていた。
「ここは、重い。あちこちに“名”が詰まってて、呼吸がしづらいよ」
「無理して来たの?」
「ううん。でも……僕、自分の名が何なのか、わからなくなりそうだった」
奏はそっと手を伸ばす。
「君の名は、ヒューラだよ。わたしがそう呼びたくて、そう呼んだんだ」
ヒューラは目を閉じて、微笑んだ。
「うん。……ありがとう。もう少し、ここでがんばってみる」
その夜、奏は名について改めて考え続けた。
──与えるということ。
──信じるということ。
名を与えるとは、相手を“定義する”ことではなく、
“そうあってほしい”と願うことなのかもしれない。
そしてその願いを受け取った者が、自分のかたちを選び取っていくことができるなら。
名は、契約でも枷でもなく、祝福たりえるのだろう。
風が、静かに寄り添っていた。
ここまで読んでくださり、ありがとうございました。
少しでも奏の物語に風を感じていただけたなら嬉しいです。
次回は、名に呼ばれる精霊と、呼ぶ魔法使い。
その間に生まれる“関係”を描いていきたいです。お楽しみに!
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