第十話、風の通わぬ街角にて
※初めての大きな町。
奏にとっては、風が通いにくい場所でもあります。
自分の感覚が通じない環境に飛び込んだとき、どう向き合うのか。
小さな出会いが、奏をまた一歩、旅人として成長させてくれますように。
目の前に広がる街並みに、奏は言葉を失っていた。
村の三倍はあろうかという門。行き交う人々。荷車に、馬に、屋台に、見知らぬ言語の呼び声。
風はある。けれど、それは自然に吹く風ではなく、建物の狭間で迷い、押し返され、まるで出口を探して彷徨っているような風だった。
「すごい……」
だがその驚きと同時に、胸の奥がずしりと重くなる。
こんなに人がいて、こんなに建物があって、こんなに音が溢れているのに、
風の声が、うまく聞こえない。
(ここでは……風も、迷っているみたいだ)
それでも奏は歩き出した。旅人としての最初の町。どんなに戸惑っても、ここでの生活の足がかりを見つけなくてはならない。
「宿……安くて、一人でも泊まれて……ちゃんとしたところ……」
旅の途中で何度か宿屋に泊まったことはあるが、大きな町は勝手が違った。
どこも満室だったり、高すぎたり、「ひとりは信用できない」と断られたり。
疲労と焦りがじわじわと肩にのしかかってくる。
(こんな時こそ……落ち着いて……)
奏は深呼吸して、ふと顔を上げた。
そこに、看板も目立たず静かな佇まいの建物があった。
古びてはいるが清潔そうで、裏通りにひっそりとたたずんでいる。
「……聞くだけ、聞いてみよう」
扉を叩くと、年配の女性が顔を出した。
やや厳しそうな顔つきだが、目は疲れている。
「泊まり? 一人で?」
「はい。通りすがりの旅人で……あの……ご迷惑でなければ……」
女主人は奏を上から下まで見て、小さくため息をついた。
「今、掃除も終わってない部屋しかないよ。ほかに行った方が──」
その時だった。
廊下の奥から、何かが倒れる音と、子どもの泣き声がした。
「わ、わんちゃん、外に出ちゃった〜!」
奏が顔を向けると、小さな犬が玄関へ走ってきた。
(待って──!)
思わず、手を伸ばす。
でも、それでは間に合わないと分かった瞬間──
風が、動いた。
玄関の外から吹いた一筋の風が、犬の足元をなぞるように通り過ぎ、まるで空気の壁のように彼をふわりと後ろに戻した。
「わ、戻った!」
奥から現れた小さな女の子が、目を丸くして喜ぶ。
奏も驚いた。無意識だった。でも、確かにあの一瞬、
「お願い」と風に向けて心を放った。
女主人が、それを見ていた。
「……あんた、魔法使い?」
「……ちょっと、風の魔法が……使えます。まだ未熟ですけど」
「……あんた、変わってるね。でも、悪くない。こっちもちょうど手を焼いてたところだし……条件つきで、部屋、貸してあげる」
「はい! なんでもやります!」
女主人は苦笑しながらも、柔らかな目になった。
その夜、奏は簡素な部屋に腰を下ろしながら、そっと窓を開けた。
都会の空気はざわめきで満ちている。けれど──
風は、たしかにそこにいた。
「ありがとう……助けてくれて」
すると、頬を撫でるような小さな風が、ひとつ。
奏は、ほんの少し笑った。
翌朝。荷物をまとめて外に出たとき、奏は見覚えのある姿を見た。
長身。水色のストール。気怠げな笑み。
「……!」
「よう、生真面目さん。また困った顔してたな。宿、見つかった?」
「……なんで、知ってるんですか?」
「うーん。風がね、君の文句を吹き込んできたんだよ。“困ってる!”って」
「……信じません!」
流浪人は、声を立てて笑った。
「君も少し変わったね。顔に自信が出てきた」
「……あの、昨日……助けてくれて、ありがとうございました」
「昨日? 何の話?」
とぼけるように目をそらし、流浪人はひらひらと手を振った。
「さて、次はどんな風が君を試すのかね。楽しみにしてるよ」
そして、また人の波に紛れるように去っていった。
奏は、静かに風を感じた。
昨日よりも、少しだけ近くにいる風。
それは、迷わないための地図じゃない。けれど──
風が吹いているかぎり、自分は歩いていける。
「今日も……よろしくね」
そう呟いて、奏は市場の方へと足を向けた。
ここまで読んでくださり、ありがとうございました。
今回は「都市という風の通いにくい場所」で、奏が“風との絆”をあらためて確かめる回でした。
思わぬ再会や、ささやかな助け合いの中で見つける「風の声」。
次回は、同じく魔法を志す若者との出会いが、奏に新たな影響を与えていきます。
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