第一話、村の生活 ――外を知る者との対話
※この物語は、閉ざされた村に育った奏が、
ゆるやかに広がっていく世界と、自分自身を見つけていく旅の記録です。
派手な冒険や戦いはありませんが、
魔法や精霊、不思議な人々との出会いが、そっと描かれていきます。
もしよろしければ――
奏が最初の風を感じる瞬間を、いっしょに見届けてください。
奏には、幼い頃から――
誰にも説明できない違和感があった。
皆と同じように笑い、田畑を手伝い、行事にも顔を出す。
自分でも、別に「悪い子」ではないと思っていた。
けれど、どんなに笑っていても……
どこか、体の芯だけが冷えているような感覚が、消えなかった。
皆と同じように笑い、田畑を手伝い、行事には顔を出す。悪い子ではないと自分でも思っていた。けれど、どんなに笑っていても、どこか体の芯が冷えているような感覚が、ずっとあった。
理由はなかった。ただ「なにかが違う」と感じていた。
「なんだか、つまらなそうな顔してるなぁ」
夕食の席、母が食器を並べながら言った。
「最近、寝不足? それとも、誰かに何か言われた?」
「ううん。そうじゃないよ」
奏は匙を動かしながら答えた。魚の煮物の味は染みていたが、舌にはあまり残らなかった。
今度はやれやれと父が口を開いた。
「考えすぎるのがクセなんだ。村の暮らしは単純明快でいいじゃないか。空気もうまいし、余計なことも起きん」
「……うん」
そう言いながら、 奏は窓の外に視線を送った。
単純で、穏やかで、確かに安全。でもそれが、自分には何かを閉じ込める檻のように感じられていた。
そんなとき、旅人が現れた。
誰もが驚いたが、興味半分、不信半分の視線を向けながらも、村は一応のもてなしを用意した。
奏は、その人に強く引きつけられた。
軒下に腰掛けるその人は、どこか風と似ていた。止まらず、同じ場所にとどまらず、けれど通り過ぎると何かが残るような存在だった。
「……こんにちは」
話しかけたのは、勇気のいることだった。けれど、旅人はすぐに笑った。
「やあ。君も、風を見てるのかい?」
「え……?」
「風がどこへ行くのか、気になる顔をしてたから」
奏は驚いて、思わず口を開いた。
「……わかるんですか、そういうの」
「わかるよ。僕も昔、同じ顔をしてたから」
その一言に、胸がざわついた。誰にも言えなかったことを、初めて見た相手に言い当てられたような気がした。
数日後、再び旅人のそばに立ち寄った 奏は、話しかけられた。
「君、ここが退屈に思えることはあるかい?」
「……退屈っていうか、苦しいことがある。誰も悪くないんだけど、いてはいけない場所にいるような感じ」
旅人は静かにうなずいた。
「わかるよ。その苦しさは、名前がついてないんだよな。だから誰にも説明できない。だけど、確かにそこにある」
「うん……」
しばらく沈黙があった。風が軒先の草を揺らしていた。
「僕が村を出たのは、同じ気持ちだったからさ」
旅人は、地面を見つめるように話し始めた。
「外にはいろんな景色がある。どこまでもまっすぐな道とか、空を横切る鉄の鳥とか、海の向こうに浮かぶ島とか。全部、ここにはないものだった」
「怖くなかったですか?」
「怖かったよ。でも、残る方がもっと怖かった。自分が壊れてしまいそうでね」
そう言って、旅人は笑った。
「でも、旅をしてから、気づいたことがある。世界は広いけど、自分の居場所ってのは、世界のどこかにちゃんとあるんだ」
奏は、その言葉を心の奥で繰り返していた。
夜、母が布団を敷きながら言った。
「ねえ、奏。旅人さんの話、面白かった?」
「うん、すごく」
「でもね、ああいう人は、どこに根を下ろすでもない人だから。羨ましく思う必要はないのよ。ここで地に足をつけて暮らしていくのが一番」
母の声は優しかった。けれど、その優しさが、遠く感じられた。
「……お母さんは、村の外に出たいと思ったことない?」
「私はね……おばあちゃんが病気で寝込んでたし、家を出るなんて考えもしなかったわよ。でも、それが嫌だったことはないわ。あんたは……違うの?」
奏は答えられなかった。
違う、と言えば、母を否定するようで。
同じ、と言えば、自分を否定するようで。
旅人と最後に会ったとき、 奏は尋ねた。
「旅って、終わりはあるんですか?」
旅人は少しだけ考えてから、首を横に振った。
「旅に終わりがあるかどうかは、人による。でも、旅に“始まり”があるのは、確かだよ。心が動いたとき、それが始まりだ」
「……始まってしまったのかもしれません」
「うん。たぶん、君はもう知ってしまったんだよ。“外”というものを。目を閉じても、もう元には戻れない」
その言葉に、奏はうなずいた。
はっきりとはまだ決めていなかった。でも、風が吹いたら、歩き出してしまいそうな気がした。
最後まで読んでいただき、ありがとうございました。
まだまだ静かな旅の始まりですが、
奏の世界を少しでも感じていただけたなら嬉しいです。
次回は、奏が「旅をする意味」と向き合う場面をお届けできればと思います。
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