第7話 星降る夜の舞踏会
クローヴェル公爵領の城に、華やかな夜が訪れた。
リリエッタとアルヴァンの婚約を祝う舞踏会が、王都からの貴族や近隣の領主を招いて開催されることになり、広間は燭台の明かりに照らされ、シャンデリアが星屑のように輝いている。絹のカーテン、色とりどりの花飾り、奏でられる弦楽の調べ。贅を尽くし、全てがまるで絵本の中の光景のように輝いている。
リリエッタは自室で鏡の前に立っていた。淡い金髪はゆるやかに編み上げられ、青と金のオッドアイを引き立てるサファイアブルーのドレスを身にまとい。胸元には銀の刺繍が施され、裾はまるで夜空に舞う星のように煌めく。
「リリエッタ様、まるでお伽話の姫君です!」
侍女長のルーナが目を輝かせるが、リリエッタは不安げに首を振る。
「私、踊ったことないの……。このままではまたアルヴァン様に恥をかかせちゃうかも」
彼女の声は震えていた。ヴェルディ家では、舞踏会どころか部屋から出ることも許されなかった。彼女にとって舞踏会の知識は、絵本で出てくる場面を見た程度。
不安そうに俯くリリエッタに、ルーナは目線があうように屈みながら微笑み、そっと優しく手を握る。
「大丈夫ですよ。公爵様がリードしてくださいます」
「でも……」
「公爵様が大丈夫だからと舞踏会を開いてくれました。もし自分を信じれないなら、公爵様を信じてみてはいかがでしょうか?」
その言葉に、リリエッタは少しだけ勇気をもらった。
「うん……頑張ってみる! アルヴァン様のために!」
広間では、貴族たちが華やかな衣装で集まり、囁き合っていた。「冷血公爵がオッドアイの娘を娶るなんて」「不吉な女だ。クローヴェル家も終わりだな」そんな声が響く中、アルヴァンが姿を現す。
黒い燕尾服に公爵家の家紋で装飾された銀の紋章、鋭い灰色の瞳はいつも通り冷たく、場を凍りつかせるようだった。彼は人付き合いを避けたい気持ちを抑え、婚約者としてリリエッタを正式に紹介する義務を果たすためここにいた。
幸いなことに、アルヴァンに話しかける者は少ない。彼を恐れてか、それとも不吉の象徴であるオッドアイの娘を娶った事で今まで以上に関わりたくないからか、もしくはその両方か。
(ふん。あの娘を娶った事で、貴族共も距離を取るようになったか)
それはアルヴァンの目論見通りであった。普段から「冷血公爵」などと呼ばれ気味悪がられていたのを知っている。その上に不吉の象徴であるオッドアイの娘を妻にしたのだから、今宵を境に、煩わしい人付き合いが減るだろう。
遠巻きにこちらを見てはヒソヒソ話をしている貴族たちの存在を、今は心地よく思える。
「リリエッタ様の入場です!」
執事オルウィンが声を上げると、広間の視線が一斉に階段の上に集まった。
リリエッタがゆっくりと現れた瞬間、ざわめきが静まる。青と金の瞳は燭台の光を映し、まるで星と月が宿っているよう。彼女の可憐な姿は、まるで夜空に舞い降りた精霊のようで……だからこそ、おぞましいと。
緊張で足が震えるリリエッタが、アルヴァンの姿を見つけると笑顔を浮かべる。
「アルヴァン様……!」
「遅いぞ。皆が待っている」
アルヴァンは階段を上がり、リリエッタの手を取った。
彼の声はぶっきらぼうだったが、握る手は暖かく、そして壊れ物を扱うように丁寧にエスコートをしていく。
二人が広間の中央に立つと、楽団がワルツの調べを奏で始める。
「俺の動きに合わせろ。簡単だ」
アルヴァンはリリエッタの腰に手を回し、彼女の手を握る。
心の準備をする間もなく始まった演奏に、リリエッタは目を白黒させた。
「え、でも、私、ステップが……」
「いいから、俺を見ていろ」
アルヴァンの灰色の瞳が、初めて柔らかく彼女を捉えた。リリエッタは彼の瞳に吸い込まれるように頷き、ぎこちなく足を動かし始めた。そして彼女はすぐにステップを間違え、アルヴァンの靴を踏んでしまう。
「ご、ごめんなさっ」
「気にするな。続けろ!」
アルヴァンは冷静に言い、リリエッタをリードした。彼女のぎこちなさが目立つものの、アルヴァンの腕の中で懸命に踊った。燭台の光が彼女のドレスを照らし、青と金の瞳が輝く。彼女はふと笑顔を浮かべた。
「アルヴァン様、踊るのって楽しいですね! 絵本の王子様とお姫様になったみたいです!」
その無垢な言葉に、アルヴァンの口元がわずかに緩む。
「……お前は本当に騒がしいな」
その瞬間、彼の顔に初めての笑みが浮かんだ。冷血公爵と恐れられた男の、柔らかく温かい笑顔。広間の貴族たちが息を呑み、使用人たちも目を丸くする。
「アルヴァン様が笑った」
目を輝かせた彼女の声に、アルヴァンは顔を赤らめ、慌てて視線をそらす。
「黙れ、騒ぐな!」
だが、リリエッタの笑顔は止まらなかった。
「ねぇ、アルヴァン様、私もっとアルヴァン様と踊りたい!」
彼女の手が彼の袖を握り、子供のようにはしゃぐ。おおよそ淑女の振る舞いとは程遠いリリエッタだが、そんな事を気にする者も指摘する者もいない。あの冷血公爵を笑わせた。その事実の前では彼女の振る舞いやオッドアイなど霞んでしまう。
アルヴァンはリリエッタを宥めようとするが、彼女の要求にやがて折れ、ため息を吐くと再びリードし始めた。二人の舞踏はぎこちなかったが、まるで星降る夜に咲く花のように美しかった。
オッドアイの娘を娶る。人付き合いを避けたがる冷血伯爵の事だ、どうせ人避けの為の婚姻だろう。アルヴァンの思惑に貴族たちも薄々感づいていた。が、目の前の光景に考えを改める。
一部の令嬢たちは恍惚の表情でアルヴァンとリリエッタを見つめる。不吉の象徴と言われるオッドアイ、そんな少女をぎこちなくも愛でるように踊るアルヴァンは、吟遊詩人が語るような恋物語のそれである。
舞踏会の後、バルコニーでリリエッタは夜空を見上げていた。星々が輝き、彼女の瞳に映る。
「アルヴァン様、今夜も星が綺麗ですね。こんな素敵な夜を見れて、私、幸せです」
アルヴァンは彼女の隣に立ち、言葉を選んだ。
「……お前は、いつもこんなことで幸せになれるのか?」
彼の声には、どこか戸惑いが混じっていた。リリエッタは力強く頷く。
「はい! だって、アルヴァン様がそばにいてくれるから。今日、アルヴァン様が笑ってくれて……すっごく嬉しかった」
その言葉に、アルヴァンの胸が強く締め付けられた。彼は無意識にリリエッタの髪に触れ、淡い金髪を指で梳いた。
「……お前は、本当に不思議な娘だ」
彼の声は低く、しかし温かかった。リリエッタは顔を赤らめ、恥ずかしそうに笑う。
「私、アルヴァン様の笑顔、もっと見たい」
その瞬間、アルヴァンの心に新たな感情が芽生えた。冷血と呼ばれた彼の心に、リリエッタの笑顔が明かりを灯す。夜風が二人の間を優しく流れる。
一方、舞踏会の片隅で、ヴェルディ辺境伯夫妻が密かに会話を交わしていた。
「リリエッタが公爵を籠絡している。利用するなら今ね」
「あぁ。とはいえ、追い出した理由の口裏合わせが必要だな。まずは使者を送り、接触を図るべきだ」
目を細めるロドリックにエレノアは頷き、薄笑いを浮かべた。