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第6話 花の笑顔と変わる風

 朝日がクローヴェル公爵領の城を柔らかく照らしていた。

 リリエッタは窓辺に立ち、庭園を見下ろす。今日も色とりどりの花々が風に揺れ、遠くの丘では羊が草を食んでいる。


「本当に素敵なところ……こんな素敵な景色が毎日見れるだなんて」


 彼女の青と金のオッドアイが輝き、淡い金髪が朝風に揺れた。

 アルヴァンとの婚約が発表されて数日。リリエッタはまだ『夫婦』の意味をぼんやりとしか理解していなかったが、城での生活に慣れ始めていた。

 使用人たちは彼女のオッドアイに最初こそ怯えていたものの、彼女の無垢な笑顔に少しずつ心を解き始めている。


「リリエッタ様、朝食の準備が整いました」


 ノックの音と共に、ドアが開かれる。侍女のルーナが微笑みながら入室する。リリエッタは「ありがとう!」と弾んだ声で答えると、ルーナは一瞬だけ表情をこわばらせる。リリエッタのオッドアイに慣れてきた彼女だが、貴族の令嬢、ましてや公爵家に婚約する娘が使用人である自分に対し、友愛を示しながらお礼を言う事にはいまだになれないからだ。

 ルーナに着替えを手伝ってもらい、朝食の席につくと、既に広間にはアルヴァンが席につき書類に目を落としていた。黒い上着に銀の装飾、鋭い灰色の瞳は相変わらず冷たく見えた。「冷血公爵」の異名は、領民の耳にも轟き恐れられている。なので、人付き合いが苦手な彼は、自ら領民との交流は最小限にし、執事のオルウィンに任せきりで静観を決め込んでいた。だが、リリエッタの声がその静寂を破る。


「アルヴァン様、実は外に行ってみたいですのですが! 私、あの丘の羊さんや、村の人たちに会ってみたいです!」


 彼女の目は期待に輝いていた。アルヴァンは書類から顔を上げ、眉をひそめた。


「村だと? 貴族の令嬢がそんな場所に行く必要はない」


「でも、絵本で読んだんです! 領主様は領民と一緒に笑って、みんなで幸せになるって!」


 リリエッタの声は無垢で、まるで子供の夢物語。アルヴァンは言葉を失う。


「ふん、無駄なことを……」


 彼はそう呟いたが、リリエッタの笑顔に抗えず、ため息を吐く。


「オルウィン、馬車を用意しろ。だが、俺はついていかんぞ。面倒だ」


 彼の声はぶっきらぼうだったが、そんな態度を気にも留めず、リリエッタは笑顔で手を叩き「アルヴァン様、ありがとうございます」とお礼を言う。

 クローヴェル領の村は、城から馬車で半刻ほどの距離にあった。石畳の道に沿って木造の家々が並び、市場では農民たちが野菜や毛織物を販売し活気にあふれている。人が行きかう通りで馬車が止まり、馬車からリリエッタが降りると、村人たちはざわついた。


「あの瞳……オッドアイだ」「公爵様の婚約者だと?」


 不吉の噂が囁かれ、母親たちは子供を後ろに隠す。

 リリエッタはそんな視線に気づかず、市場の屋台に目を輝かせた。


「わあ! このトマト、絵本より赤いわ! ねぇ、これもトマトなの?」


 彼女は農婦に笑顔で尋ねた。農婦は一瞬怯んだが、ここで答えなければどんな仕打ちが待っているかわからない。震えた声で答える。


「……ただのトマトです」


「これがトマトなの!? 初めて見ました!」


 リリエッタが言うと、農婦は戸惑いながらもトマトを一つ手渡しす。リリエッタはそれを大切そうに受け取り、ぺこりと頭を下げた。


「ありがとう! 大切に食べるね!」


 その素直さに、農婦の顔が委縮から驚きへと変わり、そして緩んだ。

 リリエッタは市場を歩き回り、子供たちに話しかけ、パン屋の焼きたてのパンを褒め、羊飼いに羊の名前を尋ねる。彼女の笑顔は、まるで春の陽光のように村を照らした。最初は遠巻きに見ていた村人たちも、彼女の純粋さに引き込まれ、笑顔で応じる者が増えていく。

 子供たちが「リリエッタ様、こっちおいで!」と手を引くと、彼女は喜んでついていき、広場の花畑で花冠を作り始めた。


「これ、アルヴァン様にも作ってあげたいな!」


 リリエッタは白と紫の花で作った花冠を掲げ、笑った。子供たちは「公爵様に似合うかな?」と笑い合い、村に温かな空気が広がる。


 その頃、アルヴァンは城の執務室で報告を受けていた。


「リリエッタが村で花冠を作っている? ふん、子供じみたことを……」


 彼はそう言いながらも、窓から遠くの村を見やった。オルウィンが微笑む。


「村人たちが随分と楽しそうだと、護衛が申しておりました。リリエッタ様の笑顔が、皆の心を掴んでいるようです」


 アルヴァンは黙って書類を手に取る。


「……騒がしい娘だ」


 彼は冷たく呟くが、口元にはわずかな笑みが浮かんでいた。


 夕刻、リリエッタが馬車で城に戻ると、彼女はアルヴァンの執務室に飛び込んできた。


「アルヴァン様! 見て、これ!」


 彼女が差し出したのは、ぎこちなく編まれた花冠だった。


「村の子供たちと作ったの! アルヴァン様に似合うと思って!」


 彼女の青と金の瞳は、まるで夜空の星のように輝いていた。

 アルヴァンは一瞬固まり、顔をそむる。


「……俺にこんなものは似合わん」


 そんなアルヴァンの態度に、リリエッタはめげず、彼の頭に花冠をそっと乗せる。「ね、ルーナ、似合うよね?」侍女のルーナがくすくす笑い、「とてもお似合いです、旦那様」と答えた。


 アルヴァンは鏡をチラリと見る。花冠をかぶった自分は、どこか別人のようだった。冷血公爵と恐れられる自分が、こんな子供じみたものを……これではまるで、おとぎ話に出てくる領民から親しまれる領主みたいだと。


「……食事までの間だけだ」


 彼はぶっきらぼうに言うが、頬がわずかに赤らんだ。


 その夜、リリエッタは寝室で花冠を手に幸せそうに呟いた。


「村の皆もアルヴァン様も、笑ってくれてた。クローヴェル領に来て、本当に良かった。ずっとこのままでいれたら良いな」


 それを夢というにはあまりにも小さく当たり前の幸せ。そんな夢に彼女は瞳を輝かせる。



 一方、ヴェルディ辺境伯家では、暗い企みが進んでいた。ロドリックとエレノアは書斎で密談していた。


「公爵の婚約者は、本当にリリエッタだったようだな」


 ロドリックが笑う。エレノアは目を細めた。


「あの娘を使い。公爵を籠絡し、我々に利益をもたらす道具とするための計画を考えないといけないわね」


 密偵から送られてきた調査書の内容に目を向けるロドリックとエレノア。

 彼女たちの『リリエッタ』という名前に向ける目は、肉親としてではなく、ただの駒を見るだけ、いやそれ以下の汚らわしいものを見る目であった。

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