第5話 婚約と無垢な夜
リリエッタとアルヴァンの婚約が正式に発表され、クローヴェル公爵領の城は新たな活気に包まれた。広間には祝いの花が飾られ、使用人たちは準備に追われせわしなく歩きまわっている。
リリエッタは侍女ルーナに連れられ、鏡の前に立っていた。淡い金髪はゆるやかに編み上げられ、青と金のオッドアイが輝く。今日のドレスは柔らかなピンクで、胸元に白いレースがあしらわれていた。
「ルーナ、あなたに聞きたい事があるのですが」
「はい、なんでしょうか?」
「婚約って何? 私はアルヴァン様とどうすればいいの?」
彼女の声は無垢で、ルーナは一瞬だけ面食らう。アルヴァンから婚約の話をされた時、彼女は二つ返事で答えていた。だが、どうやら婚約の意味も分からず、ただ何かをして欲しいと求められた事が嬉しくて返事をしてしまったのだろう。
「婚約というのは、夫婦になるお約束ってことでございます」
「夫婦、私がアルヴァン様と!?」
「はい」
「アルヴァン様と、家族に……」
誰に言うでもなく、小さく呟くリリエッタ。
クローヴェル公爵領で暮らし始めてから、彼女は自分のおける立場を、日々なんとなくだが理解していた。オッドアイへの偏見、それに対する家族の態度。
だからこそ、余計にアルヴァンが何故自分に優しくしてくれるのかが分からなかった。なぜ婚約などと言い出したかは分からないが、アルヴァンが本当の家族になってくれる。彼女にとってそれは、今すぐにでも飛び跳ねたくなるくらい嬉しい事だった。
「ねぇ、婚約って、私何をすれば良いのかしら?」
「リリエッタ様。まずは食事の作法からでしょうか?」
侍女の一人が皮肉交じりに言うと、ルーナが厳しい目を向けて黙らせる。婚約をしたとはいえ、使用人の中にはいまだに彼女の偏見が消えないでいる。
そんな皮肉もリリエッタには通じない。彼女は目を輝かせ、「確かに! ルーナ、食事の作法を教えてください!」とせがむ。その真剣さに、ルーナは困惑した。
ルーナだけではちゃんとした作法を教える事は出来ない。なので教育係の者を連れ出し、まさに手取り足取りといった様子で、食事の作法をリリエッタに教えた。彼女は真剣にメモを取り、「アルヴァン様に恥をかかせないように頑張る!」と奮闘する。ヴェルディ家で閉じ込められた彼女にとって、誰かのために努力するのは初めての喜びだった。
その日の晩餐は、広間に豪華な食事が並んだ。ローストした鴨、クリームのスープ、果実のタルト。
テーブルに腰を掛けたアルヴァンが、リリエッタを見つめる。いつものように、おどおどした感じがなく、何か決意をしたような硬い表情。何かあったのだろうか、そう思い声をかけるべきか考えあぐねていると、リリエッタが真剣な目でアルヴァンを見つめ返し、口を開く。
「見ててください、アルヴァン様!」
アルヴァンは、灰色の瞳で静かに彼女を見る中、リリエッタはぎこちない手つきでフォークを握り始める。だが、食事の作法など一朝一夕で見に着くわけもなく、ナイフが皿に当たり音を鳴らし、スープをこぼし、タルトをボロボロとこぼしてしまう。練習した時はもっと上手く出来たのにと、リリエッタは顔を赤らめた目に涙を浮かべ始める。
「ご、ごめんなさい……」
執事オルウィンがアルヴァンの耳元で囁く。
「リリエッタ様は今日一日、旦那様に恥をかかせないようにと、作法を勉強していました。それはもう真剣に取り組んで」
「そうか……」
食事の作法を覚えたから、見て欲しいという子供みたいな自慢と思い、どこか冷ややかでいたアルヴァンだが、それは自分の為に彼女が努力していたと聞き、少しだけ考えを改める。
「まだ拙いが、気持ちは伝わった。精進しろ」
彼の声は穏やかで、リリエッタは満面の笑みを浮かべる。食事が再開され、相変わらずリリエッタはカチャカチャと食器を鳴らしてしまう。だが、以前と比べれば練習した成果は見える。
食事を終え、アルヴァンは自室で書類に目を通していたが、頭の中はリリエッタの笑顔でいっぱいだった。
「何故もっと気の利いた言葉を言えない……」
自分の為に努力してくれたのだから、もっとねぎらいの言葉があっても良かったのではないか。前に華を一輪渡した時もそうだが、何故自分は気の利いた事が出来ないのだ。だから冷血公爵などと呼ばれるのだろう。彼が自己嫌悪に陥っていると、ノックの音が響く。
「こんな夜更けに誰だ?」
扉を開けると、リリエッタが薄い寝間着で立っていた。淡い金髪が肩に流れ、青と金の瞳が無垢に輝いている。
「アルヴァン様。夫婦というものは夜を共に過ごすんですよね?」
彼女は無邪気に笑い、アルヴァンは言葉を失い、顔を赤らめる。
「……お前、何を……」
リリエッタは彼のベッドに飛び込み、枕を抱きしめる。
「アルヴァン様の部屋、あったかいですね! 一緒に寝るの、楽しみです!」
一緒に寝る。彼女の言葉に思わず息をのむ、だが、彼女は横になるとすぐに規則正しい寝息を立て始めた。中途半端な知識で教えられたために、彼女は「夫婦は共に寝る」の意味を、文字通り一緒に横になって寝ると捉えたのだ。
アルヴァンは軽くため息をつき、彼女の隣に腰を下ろした。ベッドではリリエッタが幸せそうに無垢な寝顔を無防備に見せている。
「綺麗だ」
無意識に呟いた言葉に、彼自身が驚いた。少しだけ戸惑いながら手を伸ばしリリエッタの金髪をそっと撫でると、彼女は幸せそうに微笑んだ。冷血伯爵と呼ばれた彼の心に、新たな感情が芽生え始める。
一方、ヴェルディ辺境伯家では、アルヴァンの婚約の知らせにロドリックとエレノアが目を光らせた。婚約相手の名は公表されていないが、噂では婚約相手は青の瞳と金の瞳を持つオッドアイ。
「ねぇアナタ、もしかして公爵の婚約者って」
「あぁ、リリエッタの可能性が高いな。どう取り入ったかは知らないが、これはチャンスだ」
ロドリックが笑う。エレノアは頷き、「あの愚かな娘を操れば、クローヴェル家は我々のものだ」と冷たく微笑んむ。
「これは公爵の財と権力を手に入れるチャンス。ガレスを死なせた償いとして、存分に役立ってくれよ」
彼らの策略は、静かに動き始めていた。