第2話 外の世界
馬車の揺れでリリエッタは目を覚ます。
森を抜け窓の外には、クローヴェル公爵領の広大な野原が広がっていた。
陽光が草花を照らし、遠くの丘には羊が草を食み、紫色のラベンダーが風に揺れる。
「わあ……!」
彼女は思わず声を上げ、身を乗り出し窓に顔を押し付けた。淡い金髪が揺れ、青と金のオッドアイが輝く。
絵本でしか知らなかった外の世界が、目の前に広がっている。色とりどりの鳥が飛び交い、道端の花はまるで彼女を迎えるように咲き乱れていた。
「あの鳥、なんて綺麗なの!」
隣に座るアルヴァン・クローヴェルは、書類から目を上げ、眉をひそめた。
「ただの野鳥だ。知らんのか?」
返事が返ってくるなど、想像もしていなかったのか、驚愕の表情を浮かべながらリリエッタが振り返る。
灰色の瞳を冷たくしリリエッタを見つめる一人の男。黒いマントに銀の紋章。外の世界について明るくない彼女でも、最低限の教育を受け、知識としては知っている。公爵家の紋章。
「あっ……公爵様、失礼しました」
非礼を詫びるが、身を乗り出したまま。礼儀作法など何一つ出来ていない。
無礼を通り越した態度を気にした様子もなく、アルヴァンが口を開く。
「それで、お前はなぜあんな場所で倒れていた?」
ぶっきらぼうな態度ではあるが、目を細め、射止めんばかりの殺意と疑惑を瞳に宿している。
もし少しでもおかしな点があれば、即刻首を跳ねかねないほどの。
「先日、ガレスお兄様が亡くなりました」
「そうか。それで?」
「それで、お父様とお母さまに、私の瞳が災いを起こしたと言われ、家を追い出されました」
「そうか。それで?」
「……? 以上です」
「……」
あまりに簡素な内容に、彼は絶句した。
だが、同時にそれが嘘ではないと納得する。もし嘘を吐くのならば、まだ理解のいく話を作るだろう。
それに、森を通ったのは、貴族からの厄介な見合い話に対し「急ぎの仕事がある」と噓をついて帰っただけ、先回りをして待ち伏せるなど不可能。
だから、本当に偶然なのだろう。不吉な瞳を持つ少女が、家を追い出され、たまたま自分がそこを通っただけ。
名前を聞けばリリエッタと答えた少女だが、自らの家名が分からないのは、あえて教えない事で家名を名乗らせないようにするためだろう。
(拾ったのも何かの縁だ。行く当てがないのなら、しばらく住まわせてやっても構わないだろう)
合点がいった事で、リリエッタに興味をなくしたアルヴァンが、再度書類に目を通し始める。
アルヴァンの態度を気にした様子もなく、リリエッタは窓に身を乗り出し、子供のようにはしゃぐ。自分の境遇など、完全に頭から抜け落ちている。
ヴェルディ家では、窓のない部屋に閉じ込められ、絵本だけが友達だった。だから、外の世界は、彼女にとって夢のような場所である。
「あの、アルヴァン様」
「なんだ?」
「あの紫の花は、なんという名前でしょうか?」
リリエッタの言葉に、アルヴァンが眉をしかめる。
クローヴェル公爵領に住む物なら、ラベンダーの名前を知らぬものはいない。
貴族の令嬢が無知を装い、気を引くために質問を繰り返す。大方そんな策略だろう。
「ラベンダーだ」
冷たい声でそう答える。過去、何人もの令嬢が媚びるために似たような質問をしてきた。「物知りですね!」そう言って、媚びを売るような目で自分を見てくる。想像するだけで吐き気を催すほどの不愉快な光景。
だが、彼の想像は裏切られる事となる。
「ラベンダー……」
胸に刻むように、小声で花の名前を口にする少女。窓から外を覗き込む少女の瞳には、アルヴァンの姿は映っていない。
「初めて見ました! あっ! あの鳥は何でしょう? 羽が赤と青で、絵本の鳥みたい!」
リリエッタの声は純粋な喜びに満ちていた。
彼女は馬車の窓に身を乗り出し、子供のようにはしゃぐ。
時折、気まぐれで草花や動物の名前を答えると、少女は先ほどと同じように小声で呟き、宝物を見つけたような笑みを浮かべる。
アルヴァンはその笑顔に言葉を失った。彼女の青と金の瞳には、打算や偽りの欠片もない。まるで、鳥かごから初めて飛び出した小鳥のようだった。
彼の視線は、ふと彼女のオッドアイに奪われた。
青は澄んだ湖のよう、金は夜空の星のよう。不吉とされるその瞳が、なぜか彼の胸をざわつかせる。
「……騒がしい娘だ」
彼は視線を外し、書類に目を戻したが、心は落ち着かなかった。
彼女がどんな人生を送ってきたのか、その瞳を見れば想像に想像に難くない。冷遇や孤独を想像すると、胸が締め付けられた。アルヴァンは無意識に拳を握り、その拍子に書類の端がくしゃりと潰れる。
馬車がクローヴェル公爵領の城に到着すると、リリエッタは降り立ち、目の前の光景に息を呑んだ。
灰色の石造りの城は威厳に満ち、庭園には、童話のような色取り取りの花が咲き乱れ、噴水が陽光にきらめいていた。
「……まるでお伽話の城みたい!」
彼女の声に、馬丁や使用人たちがちらりと視線を向ける。
その視線はすぐに彼女のオッドアイに気づき、ざわめきへと変わっていく。