第18話 変わりゆく不吉と冷血の評価
ヴェルディ家の傭兵襲撃が失敗に終わり、クローヴェル公爵領は徐々に平穏を取り戻し始めていた。
「奴らは諦めない。またリリエッタを狙ってくるだろう」
この程度で終わるわけがないと、アルヴァンは騎士団を強化し、国境周辺の警戒を強める。
その夜、執事オルウィンから報告が届いた。ヴェルディ家が王都の貴族に働きかけ、「アルヴァン伯爵が権力を利用し、ヴェルディ家の娘を攫った」という噂を広めていると。
アルヴァンにとって、貴族連中からの評判はさして気にするようなものではなかった。今までも悪評を流される事は度々あったが、そのどれも取るに足らないものばかりだったから。
その悪評のおかげで『冷血公爵』などと畏怖される事になった、だが、そのおかげで面倒な付き合いをしなくて済むと、捨て置いた。
今更新しい悪評が増えたところで、一時の噂になるだけで、すぐに立ち消えるだろう。それはアルヴァンだけでなく、オルウィンも同じように考えていたのだろう。
「放っておけ」
「かしこまりました」
アルヴァンの言葉に、異を唱える事無く、オルウィンは次の話題へと移す。
しかし、事態は思わぬ方向へと転がっていく。
クローヴェル家の当主、アルヴァン・クローヴェルが、ヴェルディ家の一人娘であるリリエッタを攫った噂は貴族たちの間で瞬く間に広がっていったのだ。もちろん、そこにロドリックやエレノアが策をめぐらせたのも理由の一つではあるが、広がったのはそれだけが理由ではない。
「攫ったですって? ご冗談を」
かつては『冷血公爵』の悪評を聞けば、誰もが頷き信じて疑う者は少なくなかった。しかし、今回の「アルヴァンがリリエッタを攫った」という噂を真っ向から反論する貴族が多かったからである。
舞踏会で誰も見た事のない冷血公爵の笑顔を引き出したリリエッタ。貴族で生まれたからには親の決めた婚約相手と結婚する。これは貴族にとっての常識。だからこそ、恋愛というものに憧れる者は多い。
幸せそうに笑い合う2人を見て、誰がそのような噂を信じるというか。
リリエッタはダンスも出来なければ、作法すらままならない。そして極めつけに青と金のオッドアイ。そもそも、ヴェルディ家にリリエッタという娘が居た事すら懇意の貴族ですら知らなかった。
そこから導き出される結論は一つ。ヴェルディ家からリリエッタをアルヴァンが救い出したというラブストーリーになる。
噂が噂を呼び、尾びれ背びれが付き、アルヴァンはまるでおとぎ話に出てくるお姫様を救う王子様のように語られる。たまたま道端でリリエッタを拾っただけなどと、誰も予想すらしていないだろう。
だが、当たっている部分もいくつかある。その多くが、ヴェルディ家が、リリエッタをオッドアイというだけで不当な扱いをしていたという内容だが。
クローヴェル領に行った事があるものは口にする。
「リリエッタ様は、領民に対し分け隔てなく接していた。ウチで売ってるトマトが気になっていたみたいだから、一つ渡したらわざわざ頭を下げてお礼を言って、その場で美味しいと言って食べてくれたんだ」
子供たちに花の冠の作り方を教えていた。困っている事がないか聞いて回っていたなど、出てくるのは幸せそうに笑顔を振りまくリリエッタの話ばかり。とても攫われた悲劇の令嬢には思えない。
アルヴァンも、決して悪政を敷いていたわけではない。なんならクローヴェル領の為に働きかけていた。ただ『冷血公爵』という悪評ゆえに、怖がられていただけで。
ヴェルディ家が噂を流したことにより、アルヴァンの評価が反転し、今では彼を悪く言う事が忌諱される風潮が出来上がっていた。
「ふざけるな!!」
ロドリックは、広間で花瓶を怒りのままに投げつけると、使用人に片づけを命じ、自らの債務室へと戻っていく。
クローヴェル領を孤立させようとした結果、自らが孤立し始めた事に苛立ちが隠し切れず、机に座ると頭を抱える。執務室に入ってきたエレノアが、そっと呟く。
「あなた、このままだと私達は」
「言うな。言わなくても分かっている!」
このまま何もしなければ、自分たちの立場が悪くなっていく一方なのは、ロドリックもエレノアも理解している。
「こうなったら、手段を選んでいる余裕はない」
ロドリックが濁りきった目で「リリエッタ、お前が悪いんだからな。不吉をもたらすオッドアイめ」と呟くと、すぐさまマルクスを呼び出す。クローヴェル領を侵略するための準備を進めるために。




