第10話 ヴェルディ家の使者と暗い影
クローヴェル公爵領の城は、朝霧に包まれていた。
静寂に包まれた城に馬車の音が響く。黒い馬車には、ヴェルディ辺境伯家の紋章が刻まれていた。城門の前で馬車が足を止めると、中から現れたのは、ヴェルディ家の執事マルクス、冷ややかな目をした中年の男性。彼はリリエッタの両親、ロドリックとエレノアの命を受け、クローヴェル領にやってきた。
突然の来訪者に、何事かと顔を出した執事のオルウィンに対し、一礼をしてから告げる。
「公爵閣下に謁見を」
連絡も無しに訪れ、アルヴァンとの謁見を求めるマルクス。平時であれば、追い返されてもおかしくないほどの無礼。お引き取りを願おうとするオルウィンに対し、口を開く。
「リリエッタ様の父上であるロドリック辺境伯より、伝言を承ってきました」
リリエッタの出自は分からないが、本当に親族であるなら、オルウィンが自分の判断で無下にする事は出来ない。
「少々お待ちくださいませ」
マルクスに頭を下げ、城へと向かい、しばらくしてマルクスに謁見の許可が下りた事を伝えられる。
広間で、アルヴァン・クローヴェルはマルクスを冷たく見据えた。黒い上着に銀の装飾、灰色の瞳は氷のように鋭い。
「ヴェルディ家からの使者だと? 用件は?」
彼の声は低く、広間に緊張が走った。リリエッタは侍女ルーナに連れられ、広間の隅で様子を見ていた。マルクスは慇懃に一礼すると微笑を浮かべ、口を開く。
「我が主、ロドリック辺境伯は、愛娘リリエッタ様の婚約を心より祝福しております。リリエッタ様とは誤解から諍いがあった事を心から反省し、もう一度家族として絆を深めたいと願っております」
マルクスの言葉にアルヴァンは不快を微塵も隠そうとせず、眉を吊り上げ目を細める。
「家族だと? リリエッタを追い出し、どの口で絆を語る?」
彼の声には、抑えきれない怒りが滲んでいた。リリエッタの過去、窓のない部屋に閉じ込められ、冷たい言葉を浴びせられた日々を知っている彼にとって、マルクスの言葉は白々しいにも程があった。
「お父様とお母様が私のことを……」
広間の隅でリリエッタは震えた声で小さく呟く。そこには希望と不安が混じっていた。リリエッタの青と金の瞳は揺れる。家族の愛を知らずに育った彼女は、それでもどこかで両親の温もりを、愛を信じたい気持ちがあった。マルクスは微笑みを崩さず、続ける。
「リリエッタ様はオッドアイゆえに誤解がありましたが、ロドリック様もエレノア様も心から悔いております。ぜひ、短期間でも故郷へお戻りいただき、家族の絆を取り戻していただきたいと思い」
その言葉に、アルヴァンの拳が握られた。
「リリエッタはクローヴェル家の婚約者だ。勝手に連れ戻すなど許さん」
今にでも取ってかかりそうな鋭い剣幕に、マルクスは一瞬たじろぐが、すぐに笑みを浮かべる。
「公爵閣下、誤解です。我々はただ、リリエッタ様の幸せを」
「黙れ!」
アルヴァンが一喝し、広間が静まり返った。
「ヴェルディ家の本心は、リリエッタを道具をして利用し、クローヴェル家の財と権力を欲しているだけであろう」
彼の灰色の瞳がマルクスを射抜き、使者は言葉を失った。
リリエッタは思わず前に出た。
「アルヴァン様、待ってください……! お父様たちはもしかしたら、本当に私のことを……」
彼女の声は震え、青と金の瞳には涙が浮かんでいた。アルヴァンは彼女を見て、胸が締め付けられる。彼女の純粋さが、こんな見え透いた嘘に騙されそうになっている。それが我慢ならなかった。
「リリエッタ、行ってもお前は傷つくだけだ。ここに居ろ。ここに居てくれ」
彼は静かに、しかし力強く言った。リリエッタは目を丸くし、ゆっくり頷いた。
「……はい、アルヴァン様」
彼女の笑顔は小さかったが、信頼に満ちていた。
その光景を見てマルクスは唇を噛む。所詮人避けの為のお飾り、適当に丸め込めば公爵も乗ってくると軽く考えていた。
「では、改めてご相談に参ります」
これ以上居ても無駄だと悟り、そう告げると、マルクスは退出した。だが、それは諦めからではない。計画の変更を雇い主であるロドリックに伝えるために。この程度でリリエッタを操り、クローヴェル家の力を奪う計画を諦めるわけがだろうないと。
レオン・ヴァルモンドは広間の隅でその光景を見ていた。
「おお、アルヴァン、熱くなったな! リリエッタ嬢のためなら、冷血公爵も火を吐きそうだ!」
彼の軽い口調に、アルヴァンは冷たく一瞥する。
「黙れ、レオン。お前もさっさと帰れ」
「はは、親友の嫉妬は見ていて楽しいぜ!」
レオンは笑いながら、リリエッタにウィンクした。
「リリエッタ嬢、アルヴァンがこんなに必死なの、初めて見たよ! 本当に見ていて飽きさせないな」
楽しそうにくすくす笑うレオンに、リリエッタが困ったように眉を下げ「レオン様、あまりアルヴァン様をからかわないでください」と答える。レオンの態度にアルヴァンが眉をピクリと動かすが、彼は何も言わず、リリエッタの手を握って広間を後にした。




