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七色の勇気 〜灰色の世界に光をもたらす物語〜

作者: 星空モチ

雨の音が窓を叩く。灰色の雲が東京の空を覆い尽くし、オフィスの景色をさらに暗く染め上げていた。


愛里は資料の山に埋もれたデスクで深いため息をついた。23歳。大学でグラフィックデザインを専攻し、憧れのデザイン会社に入社してわずか3ヶ月。夢と希望に満ちていたはずなのに、現実は想像していたものとはあまりにも違った。


「藤原さん、このデザイン案、もっと無難なものにできないの?クライアントは冒険したくないって」


上司の冷たい声が耳に残る。自分らしさを出そうとした提案は、いつも却下された。


「愛里ちゃんらしいよね、そういうの。でもさ、新人のうちは目立たない方がいいよ」


同期の言葉は優しげでいて、どこか刺があった。愛里は小さく頷くしかなかった。


大学時代、愛里は「色彩の魔術師」と呼ばれていた。彼女の作品は生き生きとした色彩で溢れ、見る者の心を揺さぶった。色は愛里にとって感情そのものだった。怒りは燃えるような赤、悲しみは深い青、喜びは明るい黄色…。


いつからだろう。自分の心から色が失われていったのは。


「波風立てないように」「みんなと同じでいれば安心」そんな思考が彼女の内側を蝕んでいった。着る服も、話す言葉も、表情さえも——無難なグレーに染まっていく。


愛里は生まれつき繊細な感性を持っていた。幼い頃から「感じすぎる子」と言われ、涙もろく、傷つきやすかった。それがデザインの才能となって花開いたのに、社会に出た途端、その感性が重荷になった。


「もう疲れた…」


金曜日の夕方、愛里はデスクに頭を預けた。周りの社員たちは飲み会の話で盛り上がっている。誘われはしたが、愛里は「体調が悪い」と嘘をついて断った。


オフィスを後にした愛里は、いつもと違う道を歩いた。家に帰りたくなかった。何もかもから逃げ出したかった。


雨は上がり、どこからともなく虹が見えた気がした。ふと目に入った小さな公園に足を踏み入れる。


それは、ほんの一瞬の出来事だった。


木々の間を舞う、七色に輝く蝶。


「こんな色、見たことない…」


愛里は思わず手を伸ばした。蝶は彼女から逃げるように舞い上がり、公園の奥へと消えていく。


「待って!」


愛里は蝶を追いかけた。茂みを掻き分け、小道を駆けていく。蝶はまるで彼女を誘うように、ふわりふわりと前方へ舞っていた。


そして——


突然、世界が霞んだ。


愛里の足元がふわりと浮いたような感覚。目の前が真っ白に染まり、次の瞬間、彼女は見知らぬ場所に立っていた。


「ここは…どこ?」


愛里の周りに広がるのは、色を失った世界だった。空も、木々も、道も、すべてがモノクロームの世界。風景画から色彩だけを抜き取ったような、無機質な光景。


唯一、彼女が追いかけてきた蝶だけが、かすかに七色に輝いていた。



挿絵(By みてみん)



蝶は愛里から少し離れた場所で舞い続け、やがて小さな広場へと彼女を導いた。そこには灰色の服を着た人々が行き交っていた。しかし彼らの表情はどこか虚ろで、まるで感情を持たないかのように見えた。


「すみません、ここはどこですか?」愛里は近くを歩く女性に声をかけた。


「モノトーン王国です」女性は淡々と答え、足を止めることなく去っていった。声音に抑揚がなく、目にも感情の色が見えない。


愛里は不安に襲われた。スマートフォンを取り出すと、画面は真っ黒で反応しない。この異世界では現実の道具は役に立たないらしい。


広場の向こうに巨大な城が見えた。その建物だけが他よりも濃い灰色で、威圧的な存在感を放っていた。「あそこに行けば何か分かるかも…」


途中、愛里は噴水のある小さな公園を通りかかった。水滴は空中で凍りついたように静止し、光の反射もなく、ただ灰色の彫刻のようだった。


「君、外の人?」


突然、低い声が聞こえた。振り向くと、噴水の陰から少年が覗いていた。他の住民と違い、彼の目には小さな光が宿っていた。


「そうよ。あなたは?」


「僕はヒカル。ここで生まれたけど、みんなとは違うんだ。感情があるから」


ヒカルは周囲を警戒するように辺りを見回した。「この国では感情を持つことは禁じられているんだ。特に『色』を見ることは」


愛里は混乱した。「どうして?感情や色を禁じるなんて…」


「かつてこの国は色彩に満ちていた。でも『色彩の災い』と呼ばれる出来事が起き、王は感情の泉を封印し、国から色を奪ったんだ」


ヒカルの話を聞きながら、愛里は自分の心の中の空虚さを思い出した。会社での日々、少しずつ失われていく自分らしさ、色あせていく情熱。この灰色の世界は、彼女自身の心を映し出しているようだった。


「感情の泉?それを見つければ、色を取り戻せるの?」


「かもしれない。でも、それを探すのは危険だよ。王の兵士たちは常に見張っている」


愛里は決意した。「私、その泉を探すわ。この世界も、自分自身も、色を取り戻したい」


蝶は再び彼女の前に現れ、新たな方向へと飛び立った。



挿絵(By みてみん)



愛里とヒカルは蝶の導きに従い、王国の外れにある「記憶の森」へと足を踏み入れた。森の木々は他の場所よりも少し濃い灰色で、風にそよぐ葉の音が微かに聞こえた。


「この森には王国の記憶が宿っているんだ」ヒカルが小声で説明した。「色彩が失われる前の記憶も」


森の中を進むうち、愛里は地面に刻まれた足跡に気づいた。それは七色に輝き、まるで誰かが虹色の絵の具を足に塗って歩いたかのようだった。


「これは…」


「色彩守りのアカリの痕跡だ」ヒカルは敬意を込めて言った。「彼女は最後まで色を守ろうとした伝説の人物。感情の泉の場所を知っていたけど、王に捕らえられたんだ」


足跡を辿りながら、二人は森の奥へと進んだ。途中、愛里は時折、木々の間から色彩の閃光を見た気がした。一瞬だけ緑の葉、赤い花、青い小鳥が見えるような…。


「見えた?」ヒカルが興奮気味に尋ねた。「君には色が見えるんだね。僕にはただのまぶしい光にしか見えないけど」


森の中央に、一本の巨大な灰色の樹があった。その幹には小さな窪みがあり、心臓の形に似ていた。


「ここで…手を当てて」ヒカルがささやいた。


愛里が恐る恐る手を当てると、突然、頭の中に映像が流れ込んできた。


かつての王国の姿——色鮮やかな建物、笑顔で歌う人々、感情を表現する芸術、そして王城の中心にある輝く泉。感情の泉だ。


その後、悲劇が訪れる。ある王子が恋に落ち、激しい感情に翻弄された末、悲しみのあまり自らの命を絶った。それを見た王は「感情は苦しみをもたらすだけ」と宣言し、泉を封印したのだ。


「王は今も生きているの?」愛里が尋ねた。


「ああ、色を失った後、彼は老いることをやめた。感情を捨てることで、時の流れからも解放されたんだ」


森を抜けた先には、かつての芸術家たちが住んでいた廃墟があった。愛里は本能的にその場所へ引き寄せられた。壊れかけた扉を開くと、そこには一人の老人が座っていた。


「よく来たな、外の世界の者よ」老人は白く濁った目で愛里を見つめた。「君が色を持つ者、予言の中の"彩りの使者"かもしれんな」


老人はかつて王の宮廷画家だった。王子の死後、彼は密かに感情を表現する絵を描き続け、罰として目を潰されたという。


「感情の泉は王城の地下深くにある。だが単に場所を知るだけでは足りぬ。泉を再び開くには、真実の感情が必要だ」



挿絵(By みてみん)



老人から感情の泉の場所を教えられた愛里とヒカルは、王城に向かった。蝶は彼らの前方を飛びながら、まるで道案内をするように城の裏手へと導いていく。


「実はね、僕この蝶を知っているんだ」ヒカルが小声で明かした。「アカリが捕らえられる前、彼女は自分の感情の一部を蝶に変えて逃がしたんだ。それがこの蝶なんだ」


愛里はハッとした。「それで私を導いたのね…」


蝶の導きで発見した秘密の通路から、二人は城の中へと侵入した。灰色の廊下を進みながら、愛里は職場での日々を思い出していた。色のない世界で生きる人々は、まるで彼女の会社の同僚たちのようだった。感情を殺し、波風を立てず、同調することだけを求められる世界。


「この先は私一人で行くわ」愛里は決意した。「あなたが捕まったら、この国に残された最後の希望が消えてしまう」


ヒカルは渋々同意し、愛里に小さな灰色の石を渡した。「何かあったらこれを握りしめて。僕に場所が伝わるから」


地下へ続く階段を降りていくと、愛里は広間に辿り着いた。そこには王が座っていた。年老いてはいるが、威厳に満ちた姿。彼の目は虚ろで、まるで魂のない人形のようだった。


「よく来たな、外の世界から来た者よ」王の声は冷たく響いた。「お前が我が国に色を持ち込もうとしていると聞いたが、それは許さん」


愛里は震える足で立ち上がった。「なぜ色を恐れるんですか?感情は傷つくこともあるけど、それが人を人たらしめるものじゃないですか」


「愚かな!」王は怒鳴った。「感情は混乱と苦しみをもたらすだけだ。我が息子はそれゆえに命を落とした!」


その瞬間、愛里の頭に閃きが走った。森で見た記憶、王子の死、そして老画家の言葉…全てが繋がった。


「あなたは息子さんの死を悲しむあまり、自分自身を感情から切り離した。でも、それは本当に息子さんが望んだことですか?」


王の表情が揺らいだ。


愛里は続けた。「私も怖かったんです。傷つくのが怖くて、感情を押し殺して生きてきた。でも、それじゃ本当の自分を失ってしまう」


「黙れ!」王は立ち上がり、杖を振りかざした。床が揺れ、愛里の足元が崩れ始めた。


彼女は咄嗟にヒカルの石を握りしめた。そして同時に、七色の蝶が王の前に舞い降りた。


「その蝶は…」王の声が震えた。


蝶は光を放ち、人の姿へと変わっていった。長い赤い髪を持つ女性――アカリだ。


「父上、もう十分です」彼女の声は優しかった。「私はずっとここにいました。あなたの傍で、色のない苦しみを見てきました」


王は震える手を伸ばした。「アカリ…お前は死んだはずだ…」


「死んでなどいません。ただ、色彩の一部として存在していただけです」


その時、部屋の中央の床が開き、封印された泉が姿を現した。しかしその水は濁り、動きもなかった。


「感情の泉を再び流れさせるには、真実の感情が必要です」アカリは愛里に向き直った。「あなたの心の中にある、抑圧された感情を解き放って」


愛里は泉の前に立ち、目を閉じた。会社での挫折、同僚との軋轢、押し殺してきた怒りや悲しみ、そして喜びや希望…全てを認め、受け入れる。


彼女の頬を伝う一筋の涙が泉に落ちた瞬間、水面に波紋が広がり、七色の光が放たれた。


王国全体が震え、色彩が戻り始めた。灰色の壁に青や赤が浮かび上がり、人々の顔に血色が戻る。


王は娘アカリを抱きしめ、長い年月を経てようやく涙を流した。「すまなかった…」


目を開けると、愛里は公園のベンチに座っていた。夕日が赤く空を染め、風が心地よく頬を撫でる。


「夢だったの…?」


だが彼女の手の中には、七色に輝く小さな蝶の形をした石があった。そして心には、新しい決意が芽生えていた。


月曜日、愛里は会社に出勤した。上司に呼び出された彼女は、自分のデザイン案について堂々と説明した。


「これが私の感じる色です。私らしさを表現したものです」


上司は驚いた表情を浮かべたが、やがて微笑んだ。「面白い視点だね。もう少し詳しく聞かせてくれないか?」


愛里の心に、モノトーン王国の記憶と、ヒカル、アカリ、そして老画家の言葉が蘇った。


「自分の色を大切にすること。それが私の学んだことです」



<終わり>

あとがき:新社会人の皆さんへ

---

こんにちは、春の風のように新鮮な気持ちで社会人生活をスタートされた皆さん! この物語「七色の勇気」を書き上げた今、不思議と自分の新社会人時代が懐かしく思い出されます。


実はこの物語、私自身の経験がベースになっています。新入社員として毎日必死だった日々、「空気を読む」ことに疲れ果て、自分の意見を言えなくなっていった自分。デザイナーの愛里のように、私も自分の色を少しずつ失っていきました。


「モノトーン王国」は、日本の企業文化の象徴でもあります。同調圧力、出る杭は打たれる風潮、波風立てない処世術...。皆さんも既に感じ始めているかもしれませんね。でも、その中で自分らしさを保つことがいかに大切か、愛里を通じて伝えたかったのです。


執筆中、一番苦労したのは「灰色の世界」をどう表現するかでした。色のない世界を色鮮やかに描写するというパラドックス! 何度も書き直し、言葉選びに悩んだ結果、感覚や音、触感などで補完することにしました。


また、ヒカルとアカリのキャラクターには特別な思い入れがあります。ヒカルは私の最初の上司をモデルにしています。厳しい会社の中で、ひそかに若手の個性を守ろうとしてくれた人でした。アカリは...実は私の中の「諦めなかった自分」の象徴なんです。


物語の途中でこっそり仕込んだ「七色の蝶」は、皆さんの中にある才能や個性の象徴です。時に見失っても、それは決して消えることはありません。どんなに灰色の日常に埋もれそうになっても、あなたの中の蝶は健在です。


新社会人の皆さんへ。社会のルールを学ぶことも大切ですが、それと引き換えに自分自身を失わないでください。時に周囲と調和しながらも、自分の色—考え方、感性、価値観—を大切にしてほしいと思います。


「感情の泉」は皆さんの中にもあります。自分の感情に正直になること、それが第一歩です。


この物語を通じて、少しでも皆さんの勇気になれば、作者としてこれ以上の喜びはありません。


最後に、執筆中に何度も詰まったとき、私を励ましてくれたのは「自分が新社会人だった頃、こんな物語に出会いたかった」という思いでした。だから、未来の自分へのエールのつもりで書き上げました。


皆さんの社会人生活が、モノトーンではなく七色の虹のように輝くものになりますように。


それでは、次の物語でお会いしましょう!


P.S. 実は物語の中で一番苦労したのは、「感情の泉」の描写です。何度書いても「温泉みたい」になってしまって...。締め切り直前まで悩みました。皆さんにはどう映りましたか?ぜひコメント欄で教えてくださいね!

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