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episode6 大観世音菩薩峠 その弐

「なんて女だ」

 フツーじゃねーぜ。

 らしくもなく、土方がこのままキミをぶっちぎりにすることを願った。が、土方もこれにはキレたらしい。キミをぶっちぎりはせず、何を思ったかペースを落とし、キミを並ばせた。と思ったら、さっきと同じようにキミに横からぶつけてくる。その肩と肩が、クランクケースとクランクケースが激しくぶつかった。

 しかしキミも百戦錬磨なのは同じ。力ではかなわないので、ぶつかったとなればすっと引いて土方を前に出す。しかし土方は逃がさない、ペースをキミに合わせ再度アタックを敢行する。

「あはは、キレたキレた」

 キミも負けてはいない、土方を挑発に乗せたのは計画通りだ。今度は逃げず土方のアタックを受け止め、押し返そうとする。それでいてコーナーが来ればすっと離れてクリアし、コーナー間の直線部分でうまくぶつかり合っている。なかなか上手いものだ。

 しかし、もちろんそんなことをすればペースは落ちるし、ヒデも前でそんなことをされては、抜くに抜けない。

「バカヤロー! そんなことをしてたら……」

 しかしなんてラフファイトの好きな連中なことか。それだけガッツがあるってことだろう。はっ、とヒデは目からウロコの落ちる思いもしていた。

 まあしかし。

「所詮バイクは不良の乗り物ってことだな」

 なんだか悟った。なんというか、いー子ちゃんぶってんじゃねーぞ、と言われているようだ。バイクに危険はつきもの、その危険から逃げることはできない。ならいっそのことひきつけてゆこう。とミスチルの歌のフレーズの一節みたいな言葉が浮かんだ。

「オレも混ぜろ!」

 隙を見て、さっ、と土方とキミの間に割り込んだ。キミはヒデを睨み、

「一緒に遊んでほしいって、ボーヤ!? なら遊んであげるよ!!」

 と土方にしたようにぶつかってくる。ヒデは逃げず、アタックを受け止めた。で、コーナーが来れば離れてクリアし、また間の直線部分でぶつかる。

 肩と肩、クランクケースとカウルがぶつかる。ガチンコセメントバトル(なんのこっちゃ)だ。ヒデのスモークシールドのバイザー。中の目は見えないが、キミを激しく睨んでいる視線は感じた。

 びりっ!

 肩と肩が触れたとき、衝撃と一緒にキミの身体に電撃が走ったようだった。

(あぅっ!)

 視線を感じ、衝撃を感じ、身体も感じた……。

(ああぁ、こんな時にぃ……)

 一瞬力が抜け、やばそうになったのでヒデから逃げるように離れる。

「ふたりで遊んでな!」

 土方はこの隙に逃げる。が、しかし。

 ぶつかり合ってたヒデとキミと、逃げようとする土方を、影がふたつさっさっと抜き去ってゆく。

「近藤! 沖田!」

 土方の叫び。その通り、それは後ろのダンゴ(集団)からどうにか抜け出した近藤と沖田だった。

「トップはオレだ!」

 吼える近藤。

「近藤さん待ってくださいよー」

 と追いすがる沖田。前三人が余計な遊びにウツツを抜かしてくれたおかげで追いつき追い越せた。

 そこで折り返し。これで一往復。あと二往復。


 それぞれターンを決めコース復帰。

 トップ近藤、二番手沖田。以下土方、ヒデ、キミ。

 男四人はマジ走りをかますも、キミはなんだか身体が火照ってしょうがない。

(もう、こんなときに……、……コンナトキニ!)

 我ながら呆れるほどだ。

 キミは半ばヤケになって、火照りを闘志に転換しアクセルを開けた。

 しかし進路妨害をしてまで勝ちを狙ったのに、全然効果はなかった。効果はなかったどころか後ろに下がってしまい、墓穴を掘ってしまった。後で土方とヒデになにをされるかわかったもんじゃない。

「そんときゃそんときで三十六計逃げるにしかず!」

 と開き直る。

(もっともヒデなら身体で償ってあげる♪)

 などとも考える。

 そのヒデは、ひたすら土方をプッシュする。すさまじい突っ込み、ビュンッ! とバンクしてコーナーをクリアしたかと思うと、リアタイヤをスライドさせながらの激しい加速。その伏せたライディングフォームの身体の動きもマシンと一体化し、背中からオーラがほとばしっているようだ。

「す、すごい」

 ヒデの走りを見て、キミはますます火照りを覚えてくる。ここまで自分をその気にさせた男はいなかった。ばたつくジャケットの肩が当たる風の激しさを物語る。それが土方に迫る。だが土方も負けてはいない、前の沖田を激しく攻め、沖田はいっぱいいっぱいで逃げている。

 ついにはプレッシャーに根負けし、沖田は自ら道を譲った。

「やっぱり土方さんにはかなわないなあ」

 といいながら、ヒデとキミにも道を譲る。

 近藤は迫る土方のプレッシャーを感じ、沖田よりはふんばるも、やはり土方にはかなわなかった。

 ちょっとした隙を突かれ、インに並ばれ、そのままぶち抜かれ!

「ぬおおおぉぉー!」

 と叫ぶも、むなしくメットの中で響くのみ。叫んで集中力が途切れ、その隙にヒデとキミにも抜かれてしまった。

「すごい、すごいよ」

 大きく吐息をつく。吐息はやけに熱がこもっていた。もうヒデの走りに熱中しまくりだ。

 沖田、近藤と続けてパスし、土方に迫るその背中。

「ぜったいモノにしてやるんだから!」

 ともかくもバトルのトップ争いはなんだかんだで土方とヒデ、キミの三人にしぼられた。介山先生と岡本はやんやと目の前を駆け抜けるマシンたちに声援をおくりギャラリーを楽しんでいた。


 バトルは順位はそのままだが激しい鍔迫り合いを繰り広げながら、二往復目も終わり、あと一往復となった。

 ヒデは土方を抜く隙をうかがうが、なかなかパスのタイミングを見極めきれない。

 キミも黙ってついてゆくような貞淑さはない。隙あらばヒデを抜いてやろうと虎視眈々と後ろにつく。

 景色は吹き飛ぶ。バトルの距離が残りが少なくなってゆく。

 くうを揺るがすマシンの叫び。全身で打ち砕いてゆく風。マシンの鼓動。

 すべてが血肉となって取り込まれてゆくようなリンク感。

 その中で閃くもの。

(もぎ取れ!)

 相手の隙をうかがって待つゆとりはない。残りは少ない、ここは自分でトップをもぎ取るしかない。ヒデは土方が早めのブレーキングをするたびにインにねじ込もうとする。だが土方もさるもの、自分のスタイルを十分に自覚し、気配を感じるやすかざす進路をふさぐ。

 だがヒデは動じず、不思議と頭が冴えてゆく。キーン、と神経がほどよく研ぎ澄まされてゆく。

 なんだか全てのものがスローモーションに見えてくる。

 今のヒデはまさに獲物を狙い済ませた狩人、いや野獣のようだった。

 背中から、肩からほとばしるオーラ。キミには見えた気がした。

 大きく息を吐き、吸い、また吐き。それでいて乱れず。大きく呼吸をすることで体内の気流を整えている。

 その間にも景色は吹き飛び、残りは少なくなってゆく。オドメーターが淡々と距離を刻んでゆく。

 スピードメーター、タコメーターの針は上下し、それに合わせて上下して吼えるマシンのサウンド。まるでマシンも大きく息をしているみたいだ。

 風がメットを、肩を叩く。

 ヒデの目は虎視眈々とチャンスをうかがい、脳裏にその走りが無意識にシミュレートされる。

 右中速コーナー、土方のカタナのブレーキランプが、ぱっ、と灯った。刹那、ヒデの目は見開かれ、瞬時にしてラインが描かれ、肩から飛び込むようにインに飛び込もうとする。

 土方は慌てずヒデがインに飛び込むに任せ、自分のラインをキープし、二台並んでコーナーに飛び込んでゆく。

 ビリッ!

 二人の間に電撃が走ったようにキミには見えた。

 お互い睨み合っていない、コーナー出口を見据えコーナー一番奥、クリッピングポイントに飛び込むと。すぅ、とヒデが引いた、土方が前に飛び出し、立ち上がり。カタナはCBR600RRを引きつれ加速する。マシンは吼える。

 いやしかし、土方のクリッピングポイントから立ち上がりまでのなんと鮮やかにして日本刀のような切れ味鋭いライン取りと加速だろうか。コーナーで有利なはずの600ccマシンでさえ抜きあぐねているようだった。

 次は左、さっきと同じく中速。ブレーキングでブレーキランプが、ぱっ、と灯る。と同時にCBR600RRのリアが左右にケツを振ったかと思うと、カタナのインに飛び込みざまリアタイヤがスライドし、路面にブラックマークが塗りたくられていった。

 だがここでも土方は鋭い立ち上がりでCBR600RRを引きつれ加速し次のコーナーに飛び込んでゆく。 

(くそっっったらあぁぁーー!)

 ヒデ渾身のアクセル全開。ウィリーし、フロントを持ち上げながら加速するCBR600RR。天空に向かって悔しさをぶちまけるように吼えているようだ。

 そしてウィリーをしたまま左から右への切り替えし、フロント着地するやまたもタイヤはスライドしながらコーナーに飛び込んでゆく。

 丁度そこは介山先生と岡本がいる待避所のコーナーだった。

 介山先生と岡本は遠くから聞こえるマシンサウンドにシビれてやんやとギャラリーと賭けを楽しんでいたが、来た! と思った瞬間にスライド=ドリフトしながらカタナのインに飛び込むCBR600RRの走りに、爆発したように、

「なんじゃこりゃぁぁーー!」

 と自分の年や職業を忘れ、大声を上げた。

 大声を上げたとともに、カタナとCBR600RRは並んだままコーナーを駆け抜けてゆく。残念ながら抜くには至らなかったが、次のコーナーでの突っ込みでリアを左右に振り、ドリフトしながらコーナーに飛び込んでゆくCBR600RRにすげーすげーを繰り返す。

「いやーすごいですねー介山先生! まるで何かの漫画の中に飛び込んだようだ!」

「そーっすねー。私もあの中に入りたい!」

「同感同感! でも介山先生が入ったら悲惨なことになるんじゃないですかねえ。セコハンに負けロータリーに負け、ハイテク四駆に負け、負け街道一直線で!」

「そうですねえ、あの漫画はGT-Rの扱いが悲惨だから、待遇のいいもう一つの漫画がいいなあ。悪魔と最高速競って、って、岡本さん一言多いですよ! ここが居酒屋なら机ひっくり返してあく……」

 ここまで言って、突然介山先生はくしゃみを一発。それから声を整えなおします。

「……たがわ龍之介のように世の儚さを嘆いているものですよ! あんな風になりたいですか」

「なりたい、なわけないですなあ。香港映画みたいにいい感じで『る~る~る~♪』と無間地獄まっしぐらで。おお怖。いやいやいや失敬失敬! 失言どうか目をつぶしてくださいな。がはは!」

「それを言うなら、目をつぶってください、でしょう~。も~」

 このふたり、なんだかんだで本当にやいのやいのと楽しそうです。

 さてキミは土方とヒデの後ろで貞淑そうに走っていますが、もちろん黙っているわけがありません。

「あたしも、あたしも、バトルの中に入りたい!」

 と、心を激しくメラメラと燃え立たせていました。

 

 結局ヒデは土方を抜けずじまいで折り返し、残り一本!

(なかなかしぶといじゃないか!)

 土方は執拗なヒデのアタックに感心しきりだが、感心しっぱなしではない。どうにか引き離そうとするも、なかなかペースを上げられない。それもそうだ、もう目いっぱい飛ばしているのだ。これ以上ペースを上げるのは至難の業だった。

 それに目一杯飛ばすものだからタイヤも限界だ。ワンミス一つですってんころりん! ともいきかねない。

 それはヒデとて同じこと。ついつい気合入れすぎてスライドさせてしまったものだから、タイヤが限界に達するのも早かった。こっちもワンミス一つですってんころりん! だ。が、狙い定めた目はいまだ野獣のごとし。常にチャンスをうかがっている。最後まであきらめない。勝利をもぎ取るために。

 キミは後ろでチャンスをうかがっていたので思ったほどタイヤのタレ(グリップ力が落ちること)は少ない。

 前二台の動きからタイヤのタレを察したキミは、

「チャーンス!」

 と一気にヒデにプレッシャーをかけてきた。

 気配を察したヒデは一瞬後ろを向いた。バイザー越しにキミと目が合い、火花を散らせた。

(あたしのモノにしてやるんだから!)

(てめーしつこいんだよ!)

 カタナに囲まれたCBR600RR・ヒデは前にプッシュし後ろをブロックし、とまことに忙しい。三つ巴の場合真ん中が一番大変だ。

 タイヤの影響を受け土方はさほどペースを上げられない。そうでなくてもいっぱいいっぱいだ、逃げ切れない。

(ちぇ、ヨソもん相手に……)

 シャクだがここはブロックに徹しようと、しきりと後ろのラインをつぶしに掛かり、早めにインに飛び込む。それを見たヒデ、インからのアタックは無理と踏んだ。

(押してダメなら引いてみろ! ってな)

 瞬時にシミュレートが浮かぶ。あのRX-8とR32GT-Rがギャラリーしている区間はいい感じで走れた、少々の無理も効くかも知れない。が、下手すりゃツーリング先でバイクをオシャカにして、電車に揺られてご帰宅なんてこともあるかもしれないが、イチかバチかやってみろ! だ。

 それはキミも考えているようで、CBR600RRの前、土方のインではなくアウト側をうかがっている。ヒデはどうもアウトから仕掛けそうな気配から、なら自分も一緒にアウトから土方を攻めるか、というところか。

 山々に響くマシンサウンドを耳に、介山先生と岡本は手に汗握ってバトルするバイクたちが駆け抜けるのを待っている。

 ふたりして、ごくりとつばを飲み込む。マシンサウンドの吼えようがさっきと違う、やけに甲高く吼え猛って、ぶつかりあっているのだ。こりゃ仕掛けるな、と彼らが現れるであろうコーナーを見据えていた。

 果たして、ふたりの見据える左中速コーナーに三台のマシンがやってきた。

 ヒデは土方のカタナのブレーキランプが、ぱっ、と灯ってバンクしようとする刹那、カタナと並ぶ。アウト側に並ぶ。

「なんだと!」

 最初走ったときと同じだ。

(こいつ学習能力がねーのか)

「馬鹿め! 山に突っ込んで死にやがれ!」

 アウト側の山肌には草木が生い茂り、風に吹かれてゆれている。それがまるで、おいでおいで、と誘っているようだ。

 カタナのブレーキランプが灯ってからワンテンポ遅れて、ぎっ、と歯を食いしばり、がつんっ! とフルブレーキ。

 ぱっ、と灯るCBR600RRのブレーキランプ。ぎゃ、ぎゃ、ぎゃっ、と右に左に揺れるケツ。ぴょんっ、と少し跳ねもする。

 視線鋭くラインを狙い、歯は食いしばり。もしその顔をキミが見たら、イッパツKOものの闘争心溢れる顔つきだ。

 全身の神経が無意識にキーン、と研ぎ澄まされてゆく。

 丁度ケツが右に振れるのを見計らい、ヒデは一気にマシンをバンクさせた。と同時にアクセルワークを駆使しながらスライドでコーナーを駆け抜けようとする。

 土方のアウト側で。まるで被さるように。

「なんだと!」 

 突如として視界に入り込むヒデのシルエット。まさかアウトから来るとは、サーキットならともかくここは公道だ。道幅も狭くエスケープゾーンもない、そこでそんなことをして無事に済むと思っているのか。

 だがヒデはそこまで考えが及ぶわけもなく、ただ獲物を狩る野獣の本能のままに走っていた。攻めていた。

 ヒデに続け! とキミもCBR600RRについてゆこうとする。

 ヒデは自分でもよくわからないまま、本能の命じるままにマシンをコントロールし、スライドしながらも土方のアウト側、カタナのリアタイヤとCBR600RRのフロントタイヤが並ぶ程度に並びコーナーをクリアしようとする。

「いける、いける……。いけるんだから!」

 キミもなんとかブレーキングを遅らせてヒデに続こうとする。

 これには介山先生も岡本も驚いた。一緒になって、

「まじかー!」

 とヒデに向かって叫んでいる。もうおチャラケも出ない。

 スライドするCBR600RRはアウトにずるずる膨らみながら、路面脇の排水溝に迫っている。だが目はしっかとコーナーの向こうを見据えている。

 土方もヒデには目もくれず、コーナーをクリアしようとし、クリッピングポイントを駆け抜け立ち上がり、加速する。

 だが、視界の隅っこにはしぶとくヒデのシルエット。なかなか視界から消せない。

「っけぇーー!!」

 気合イッパツ、野獣の叫び。視界ではラインが赤く排水溝なめるようにして走っている。いける。

 そしてその通り、ヒデはアクセルワークを駆使し、CBR600RRはスライドし、リアタイヤから煙を吐き出し黒々とブラックマークも残しながらも排水溝をなめるようにしてコーナーを駆け抜け、立ち上がる。

 間一髪、もしアクセルワークをしくじれば排水溝にCBR600RRをもぐりこませるところだった。

 CBR600RRのフロントタイヤはカタナのリアタイヤと並んでいる。

 それを見極め、立ち上がってコーナー間直線、フルスロットル。次は右。意表を突かれた土方はなすすべなく、今度はヒデがカタナのイン側に並んだ。

「すすす、げぇ~~!」

 あんぐり口をあける介山先生。しかし岡本は介山先生の肩をたたき、なにやら叫んでいる。

「すげえどころじゃないですよ。キミちゃんが、キミちゃんが!」

「ん、え? あ、ああ、やばい!」

 ヒデに続けとレイトブレーキングをかまし同じように土方にアウトから被せようとしたキミだったが、甘かった、どうにか減速してバンクはさせたものの、バンクしながら排水溝に迫っている。

「ああ、だめ!」

 自分の悲鳴がぐわんと響いたとともに、カタナは排水溝に飛び込んだ。瞬時にして視界は真っ黒になって、強い衝撃が全身を襲う。

 どんな風にしてカタナから放り出されて転がったかわからないまま、山肌に吸いつくように仰向けに倒れた。

 排水溝は幅広く深く、カタナはステップを折り曲げクランクケースを削りながら排水溝をしばらく滑走して、力なく止まった。

 フロントフォークはどこでどう打ったかぐにゃりと曲がり、ブレーキディスクも同じくひしゃげて、クランクケースはひび割れオイルを排水溝に垂れ流している。マフラーもべこべこだ。

「いかん、後ろから!」

 介山先生と岡本はとっさに飛び出し、後ろから来ている近藤や沖田に手を振って減速しろと合図を送る。

 ヒデと土方はいってしまい、そのサウンドは遠ざかってゆく。無論ヒデは土方を抜いて前だ。

 近藤と沖田は、介山先生と岡本の合図に早く気付けて、さっ、と左手を挙げて後方にも減速の指示を出す。おかげで大事に至らずにすんだものの、みんなキミを無視してそのまま通り過ぎてゆく。途中送られる冷ややかな視線。これがキミに対して何を意味するのか。介山先生と岡本は、たらりと冷や汗かきながら自業自得だと思いつつも、キミに同情した。

 いてて、とつぶやきながら起き上がったキミ。どうやら大怪我はしてないが、身体のどころどころに擦り傷を作ってしまい、あちこちがちくちく痛む。

 痛みに刺激されたか、ヘルメットを脱ぐや否や、

「もおぉーー、こんちくしょぉーー!」

 と髪を振り乱し、悔し紛れに叫んで山肌にヘルメットを叩き付けた。叩きつけられたヘルメットまで持ち主に冷ややかにするように、我関せずと言いたげにそっぽを向いて、ころりんと転がる。

 キミは、きっ、とヒデがいった方向を睨み据え、拳を握りしめる。髪が秋風に揺れる。草木も一緒に秋風に揺られる。

 介山先生と岡本は、まあまあとなだめながらカタナをどうにか排水溝から持ち上げようとするが、これがまた重くてなかなか持ち上がらなかった。

 

「やられた」

 土方のつぶやき。もう残りは少なく、前を突っつくうちにゴールを迎えた。

 ヒデは勝利を爆発させるでもなく、クールにバイクを止めて、メットを脱いだ。同じく土方もメットを脱ぎ、ひとり足りないことに気づいた。やったな、と思った。

 ヒデはさっきまで自分が攻めていたコースの方を向き、じっと遠くを眺める目つき。何かを待っているようだ。

 秋風がそよぐ。アイドリング音が静かに空気と秋風を揺らす。太陽は中天より傾き始めようとしていた。

(ふん、なんでい、キミが気になるのかよ)

 次々とカタナーズがゴールするのをよそに、土方はヒデの遠くを眺める横顔を見据える。ゴールしたカタナの中に、やっぱりキミはいなかった。

「ちょっと、いってくる。てゆーか、あばよ」

「なに?」

 ゴールして溜まったカタナーズを見向きもせず、土方に一言だけそういうとヒデはメットを被って走り出していた。

「ありゃあ。ねえねえ近藤さん、彼まさか」

「そうさなあ。そのまさかさ」

「いやいやスミに置けないっすねえ」

「てゆーか、結局オレらって、なんだったんだ」

「それは言わないで、オメデタを祝いましょう」

「そうだな、オメデタ祝いに、今夜はぱーっとやるか!」

 がはは! という近藤の笑い声。土方は負けた悔しさからか、押し黙ってヒデがいった方向を見据えているのみだった。

 

 どうにも重いカタナはやむなくそのままに、キミは待避所でガードレールにしゃがみこんでもたれてうなだれている。さすがにショックは大きい。

 介山先生と岡本はキミから遠ざかるように、そっぽを向いている。こういうときは静かにしておいた方がいい。

 そこへCBR600RRが来た。ヒデだった。

 あっ、と思う介山先生と岡本両名をよそに、ヒデはメットを脱ぎながらキミのもとまで歩み寄る。

 しゃがみこんでいたキミは頭上にヒデの姿を見止めて、自嘲気味にふっと笑った。

「ざまーないね。散々いきがってこの有様。笑いたけりゃ笑えばいいわ」

「笑いはしねーが……」

 何よ。きっ、とヒデを睨むキミ。ヒデはキミを見下ろしながら、すこし考え事をしたと思えば、

「悪友にタケシってやつがいる。そいつの言ってたことがわかったのさ」

 と、言った。バイクはハート。なるほど、ハートのなってない走りははからずもキミが教えてくれた。

「そのタケシくんとやらが何を言ったか知らないけど、だいたいはわかるわ。てゆーかさ」

「なんだよ」

「さっさと目の前から消えて! 目障りなんだよ!」

 途端にドアが閉まった音がしたと思ったら、エンジンの掛かる音もして、RX-8とR32GT-Rはどこかに行ってしまった。どうも気を使っているようだった。

 遠ざかるロータリーとRB26サウンドが秋風に乗せられて聞こえる。キミはじっとヒデを睨んだままだ。

「わかった。消える」

 そう言うとヒデはメットを被り、マシンにまたがった。その呆気ない態度に、キミは侮辱された思いだった。こらえきれず起き上がった。しかし何もいえなかった、負け犬の遠吠えなんぞほざいたところで、悔しさは増すばかり。そんな自分がいたたまれなかった。悔しすぎて涙も出やしない。

「じゃあな」

 というと、ヒデはアクセルを開け、ウィリーをかましながら大菩薩峠の峠道を駆け抜けてゆく。

 その背中が遠ざかって、見えなくなって。

 キミは、伏目がちに少しうつむいて、ため息をついた。それから、顔を上げ、天を仰いだ。

「ナンバーは覚えた、と」

 と、ぽそっとつぶやいた。目は異様に輝いていた。 

 

 もう帰ろう。ヒデは帰路につく。

 正直な話、ヒデには難しい話はよくわからないから、タケシの言ったことは半分もわかっているかどうか。

 ただ、自分の中に野獣のような闘争本能が潜んでいるようだということはわかった。

 それは遠出ではどうにもならないこともわかった。バトルでしか満たせないこともわかった。

 だから、帰ることにした。帰れば、満たしてくれるやつがいる。

 自分の中に潜むものがこれからどうなるかわからないが、まあそれは時間が解決してくれるだろう。

 で、今どうしているかというと。

 どこかの町で、コンビニで買った地図を片手に、人に道を尋ねているところだった。

「それならですねえ、この方向にいけば」

「ああ、すいません。ありがとうございます」

 とペコペコ頭を下げている。

 めったにしない遠出をして、しっかりと迷子になってしまった。

 カタナーズもかなわなかった野獣のような本能も、さすがにこの時ばかりは役に立たず。

「ウチはどこだ」

 と彷徨ってはまた人に道を尋ねるの繰り返しだった。

 そんなヒデに呆れるように、CBR600RRのサウンドは夕陽に向かって、たるそうな声で愚痴るようにさえずっていた。

 今のヒデに必要なのは、野獣のような本能ではなく、帰巣きそう本能だった。

 

episode6 大観世音菩薩峠 了

episode7 飛鷲青年伝 に続く


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