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episode6 大観世音菩薩峠

 最近クソむかつく!

 ヒデの胸にうごめく鬱っ気。

 前を走るYZF-R6がてんで近づかない。

 今日も黒沢峠を走ってて、タケシの後ろ。

 どんなに足掻いても足掻いても前に出られない。

 次々と迫りくるコーナーを右に左にバンクしてクリアしてゆく。

(チョーシこいてんじゃねーぞ!)

 大きく息を吐き出す。ややブレーキを遅らせ、YZF-R6に迫る。しかし、タケシの背中にも目があるように、CBR600RRに合わせるようなレイトブレーキング。

(くそっ!)

 これでは横に並べない。やむなく二台縦に並んでコーナーをクリア、加速。合唱するように吼えるYZF-R6とCBR600RRのマシンサウンド。サウンドも激しくぶつかり合い、びりりり! と、ハウリングを起こしているみたいだ。 

 ふと、ちらっと、タケシがミラーを覗くのが見えた。

 バトルの最中に後ろを見るたあなんとも余裕じゃないか。

 ヒデはアクセルをひねった、開けた。でも追いつけない。まるで磁石の同極同士をくっつけようとしているみたいに、近づけない。

 ぼぅ! と胸の中で激しい炎があがったようだった。

「くそったれがあー!」

 ヒデの一喝。

 CBR600RRも吼える。ヒデの悔しさを代弁するように吼えていた。

(ヒデのやつ……)

 走りながらタケシは後ろのヒデを気にしていた。


 しばらくしてふたりはようやく停まって、色々と雑談をしていたが。ヒデはむっつりとしてタケシの話を聞き流している。

 そのさまに眉をひそめ、タケシは言った。

「ヒデ、お前なんか最近アブないぞ。気をつけないと事故るぜ」

 さっきミラーで見たとき、得体の知れない激しさをヒデから感じた。でも、激しさはかえってヒデの足を引っ張っているようだった。と、文章に出来るようなことまでは思い至らなかったが、タケシは感覚的に、そう感じたのだった。

 だが、ヒデはダンマリ。

「バイクはテクだけじゃなくて、ハートで走らせるんだぜ。ハートがなけりゃ、ただの走る凶器だぞ」

(なんだよこいつオレに説教か)

 えらそーに。と、ぷいっとそっぽを向いて、無言でCBR600RRに乗って。そのまま帰ってゆくヒデ。

 口を真一文字に結んで、タケシはヒデの背中を見送った。その背中からは、やっぱりさっきのように、得体の知れない激しさが感じられていた。

 

「おにーちゃんおかえり!」  

 家に帰り着いたヒデを出迎えたのはイリアだった。が、はっと顔を曇らせる。ヒデの鬱っ気を感じ取ったのだ。

 実際にヒデは口を真一文字に閉めて、眉をひそめてなんとも暗い顔をしている。それなのに、妙に生気はあふれるように感じられた。

「ど、どーしたの、おにーちゃん」

 そのおそわれそうな雰囲気に、イリアは思わずたじろいでしまった。それを見て、

「あ、ああ、なんでもない。すこし疲れてるんだよ」

 と、つとめて優しげにふるまうものの、イリアにいまの自分の状態を見抜かれたのはいささかショックのようだった。


 養父である叔父夫婦の家から実家に遊びにきていたイリアだが、いつもと様子の違う兄にすこしビビっているようである。

(あっ)

 イリアはヒデの目を見て、どき、とする。

 その切れな長の目が男にしてはやけに色香がある。そのうえ、どこか虚ろだった。まるで魂が抜けたかのように。その魂が、何かを捜し求めている。何かを求める魂が、イリアをじっとなめるように眺め、また次に身体をまさぐっているような。

(うう、怖い)

 血のつながった兄に、と思いつつ、イリアの心はヒデの目のせいで千々に乱れそうだった。

 だが当の本人はそれに気付いている様子はなく、靴を脱ぎどかどかと家の中に入ってゆく。

「なんかねーか」

 といってキッチンの冷蔵庫を開けて、中から牛乳を取り出しコップにそそぐとごくごくと飲み干す。

 その後ろに続くように、姉の楓子が腰に片手を当て、片手で冷蔵庫を開けりんごをとりだし、かぶりと噛み付く。

 ヒデをちらっと見て。

「あんた溜まってるの?」

 などという。思わずずっこけそうになるヒデ。

「何がだよ」

「言わなくてもわかるでしょ」

「ってゆーか。突然なんだよ」

 途端に、ぴーんと張り詰めた糸のような緊張感がただよい。ヒデのあとをつけて来たイリアは金縛りにあったように動かない。

「あんたの目、チョーアブないよ。あたしに襲い掛からないでよね」

 その目を見て、からかってやろう、と茶々を入れた楓子だが、挑発を受けたヒデの目はいっそう不気味に光りだし、楓子の目を捉えた。 

 途端に、楓子の背筋にぞーっとするような悪寒が走った。まるで氷が背筋を滑り落ちているようだ。

 ふと、ヒデをアッシーに使ってたときに、その背中に自慢の豊かな胸を押し付けていやがらせをしていたことを思い出した。

(ああ、ひょっとしてあらぬ道に導いちゃったかしら……)

 イリアと同様、ヒデから抜け出した魂に身体をまさぐられているような寒気を感じた。が、魂は「違う」と言って離れてゆくように、ヒデは楓子から目をそらし、無言で自分の部屋へと引き篭もってしまった。

 後に残った楓子とイリアは互いに目を見合わせ、「何があったんだろう」と呆気にとられていた。未来は自室でパソコンと向き合いインターネットの動画サイトの動画を物色していたが、ばたん、と勢いよくドアを閉めた大きな音が自分の部屋にも響いて、

「きゃっ」

 と声を出して驚き、ヒデの部屋の方を睨みつけた。それから仕切りなおしと動画を物色すれば、昔の日本映画で、侍が振り返り様に、不気味に妖しくにぃと笑って、燃え盛る屋敷でひとりで新撰組を斬り殺しまくる。手傷を負ってもふらふらになりながらもひたすら新撰組を斬りまくる、時に不気味に笑う、叫ぶ、そんな白黒の動画にぶち当たった。

「ああ、なんかうちのアニキみたい」

 最近様子がおかしい、と思っていたが。その侍を見て、未来はぽそっとつぶやいた。それからまた動画を物色して、黒いR32GT-Rの出るアニメ動画に当たったが、

「お目当てはこれじゃないんだなあ」

 と、画面を切り替え、人の事言えないようなやらしい笑みを浮かべて、時に「うふふ~」とにやつき、白いRX-7とハチロクトレノがバトルしてるアニメ動画に見入っていた。


 翌朝、ヒデは突然いなくなっていた。バイクもない。キッチンのテーブルに、「ツーリングにいく」と殴り書きの書置きが残されていた。

 三姉妹は大騒ぎ。

「どーしよーどーしよー。おにーちゃん家出したー」

「家出なら書置きしないでしょ。それにしてもキタナイ字」

「どこかとゆーか、自分探しの旅じゃない?」

 と三姉妹は色々言うが、言ったところでラチがあくわけもなく。携帯電話をかけりゃ、ヒデの部屋からエヴァネッセンスの着うたが鳴る始末。

「子供じゃないんだから、2,3日すりゃ帰ってくるわよ」

 と長女の威厳たっぷりな楓子の言葉で、とりあえず2,3日待つことにした。

 そんな三姉妹など知らず、ヒデは風の向くまま気の向くまま、たまにコンビニで休みながらCBR600RRを走らせていた。

 まだ暗いうちから出て、夜空にまたたいていた星たちはいつの間にか朝日の光に飲み込まれゆき、空が白みはじめて。県境も越えて。

 オドメーターを見れば、家を出て250キロ走っていた。

 この間にいくつの街や山を抜けただろう。

 で、また、風の向くまま気の向くまま。行き先は決めていない。ちょっと風来坊になった気分だった。

(オレはなにしてるんだ)

 自分でもわからない。

 何か、内から沸き起ころうとしているみたいだが、それもよくわからない。何かを引っ掴んでぶんぶん振り回したくなるような気持ちに襲われる。

 それは色や食では満たせない。

 そうこうしているうちに、陽は中天に昇ろうとしていた。

 ふと、

「大観世音菩薩峠」

 と標識に書かれているのを見て、その方向へ行った。

 蛾が光に惹かれてゆくように、ヒデはふらふらと峠と名のつくところへとアクセルを開けた。

 

 その大観世音菩薩峠に入った。

 2車線の広々とした、走り屋好みのワインディングロードだ。

「よっしゃー!」

 気合イッパツ! 憂さ晴らしに思いっきり攻めた。

 マシンの叫び声、アクセルを開けて風を砕いてゆく。

 血が熱くなって身体の隅々まで激しく流れてゆくようで、内なる獣性が呼び起こされそうだった。

 走っていれば、それっぽいバイクや車とすれ違い、峠道のところどころに待避所があるのが見え、そこにそれっぽい車やバイクがちらほらと。どうもこの峠にも走り屋がいるようだった。

 その中の一台、黒いRX-8が、ヒデが走り去ったあとにコースに入った。

「見慣れないバイクだなあ。新人か」

 と、ドライバーはつぶやいた。ふとミラーを覗けば、黒いR32GT-Rもついてくる。

「ふ、先生も来るか」

 にっ、と笑った。

 ヒデはヒデで、ひたすらコースを攻めた。

 身体の中で血が燃え盛っているようだ。抑えることもせず、燃え盛るにまかせた。

 しばらく走れば待避所があり、そこからシルバーのカタナ(GSX1100S KATANA)がコースに出ようとしている。どうもそこが折り返しのようで、それに従いヒデも折り返す。

 しばらくカタナの後ろを走ったが、

「遅え」

 とぶち抜いた。あっという間にカタナはミラーの中でアリんこになり、消えた。

 ヒデに続いて折り返したRX-8とR32GT-Rはそれを見て、

「ああ、やった……」

 と冷や汗をかいていた。そうだ、そういえばあのCBR600RRは県外ナンバーだ。ということは、よそ者か。

(なんてことを、よそ者だから知らないんだな)

 何事もなければいいが、と前とペースを開けて流す。

 しかし、速い。あのCBR600RRは何者だ。そんな声が峠のあちこちでささやかれはじめた。

 突然姿を現し、疾風のように駆け抜けてゆく。みんなすげーと声を上げた。しかし、あとでカタナを抜いたことが広まったとき。

「こりゃやばいぞ」

 とみんな顔面蒼白で逃げ出した。あとに残ったのは、数台のカタナとそのライダーだった。

「えー、蟻道のやつ抜かれたってえ」

 女が素っ頓狂な声を上げた。

 と同時にCBR600RRがいい音をさせて駆け抜けてゆく。風が頬をなで、髪をなびかせた。

「ふふ、なるほど、いいウデじゃない」

 なびいて頬に張り付いた髪を手ではらいながら、CBR600RRの駆け抜けた方へと目をやる。

 いつの間にか知らないCBR600RRがいると思ったら、そいつがまた速いの何の。見てて胸がうきうきするのを覚えた。

 すると、

「お前、あいつのことを考えてるな」

 というドスのきいた声が飛んできた。面倒くさそうに、その声の方へ顔を向ければ、男が女を睨んでいる。

 女は黒のレザージャケットとパンツがフィットした身体をねじって回れ右して、顔を背けた。そのあからさまな態度に男は血を頭に上らせ、レザージャケットの背中をさらに睨んだ。

 そのレザージャケットには、二本の日本刀がXの字に交差し、その上に

 TEAM Newly Compiled

 と明朝斜体の赤字で鮮やかに書かれていた。

「てめえ、速いやつが来るたびに目移りしやがって」

 その背中に飛ぶ怒号、しかし女は涼しい顔で知らんプリ。

 そのまま愛機のカタナにまたがると、愛用の黒いヘルメットをかぶり、イグニッションをスタートさせる。ど、ど、ど、と図太いアイドリングの音が空気を揺らす。

「なら、あんたが速く走ればいいでしょ」

 とそっぽを向いたまま言って、走り出す。

「芹沢さん、いっちょやるか」

 声と同時に、またイグニッションをスタートさせる音がした。それは燃えるような真っ赤なファイアーパターンのカタナのライダーだった。

「土方、てめえオレに命令するか」

 芹沢と呼ばれた男は、ファイアーパターンのカタナの土方をぎろっと睨みつける。シャレなのか、ヘルメットはバイクと対照的に鮮やかなブルーの地に白い雪の結晶が舞い散る様が描かれていた。その開け放たれたバイザーの目は、冷たい光を放っていた。

「土方さん、燃えてますねえ」 

「沖田、マジん時の土方に茶々いれるもんじゃねえよ」

「ああ、すいません近藤さん、これ癖なんですよねえ」

「仕方のねえ奴だなあ」

「三つ子の魂百までというじゃないですか」

「おめえ、よくそんな難しい言葉知ってるなあ。それ、どういう意味だ?」

 と、近藤と沖田が他愛もない話をしているのをよそに、土方も走り出した。芹沢も慌てて仕度し、走り出す。

 

 ところで、ヒデの後ろにいたRX-8とR32GT-Rはいつの間にか待避所に止まり、ヒデの様子をうかがいながら。

介山すけやま先生、彼なかなか頑張りますねえ」

「岡本さん、その先生ってやめてもらえませんか……」

「いやあ、だって先生なんでしょ」

「そりゃ中学校で体育教えてますけど。それ以外のときは先生じゃないですよ」

「はは、黄色と黒のジャージがよく似合ってますよ」

「いやこれは個人的なシュミで……」

 と、こちらも他愛もない話をしています。RX-8の岡本はおかしそうに、R32GT-Rの先生こと介山をからかっている。からかわれている介山先生は、少しこまったように愛想笑いを浮かべました。

「国民の血税で走り屋ですか、良い趣味ですなあ」

 岡本は呵呵大笑する。もう、と思いつつもつられて介山も呵呵大笑。

 しかしその笑い声もカタナが数台駆け抜けると、ぴたっととまってしまいます。

「これは、おもしろ、いや大変なことになりそうですね」

「またまたー。岡本さん、素直に面白そうなことになりそうだ、って言いましょうよ」

「こりゃ一本とられた!」

 また呵呵大笑。

 このふたり、これからの成り行きを楽しみにしているようです。


「なんだこいつら!」

 野生本能のまま走っていたヒデだが、いつの間にカタナが数台自分の後ろについてきている。最初バラバラだったが、カタナどもも上手いもので、折り返しでヒデを待ち、その後ろについて走っているのだ。

(カタナばっか!)

 みんなカタナなのはこれいかに。折り返すたびに、なんだか様子が変だとは思ったが。

(カタナのワンメイクチームか)

 というか、そのカタナのワンメイクチームと自分だけがこの峠道を走っている。これは、おかしいんじゃないか。

 他の人たちはどこに行ったのだろう。

 いやまて、着かれている?

 ヒデとて自分のウデに多少の自信はある。それが、はじめてのコースとはいえ後ろをマークされているなど。

 これは、このカタナどもは結構なウデ前だってことか。さっきのカタナはそうでもなかったのに。

 またミラーをのぞいた。シルバーのカタナ、その後ろにファイアーパターンのカタナ。

「ぶっちぎっちゃる!」

 と意気込んだものの、走り込み量の違う地元ライダーをそう簡単にぶっちぎれるわけもない。それどころか、ファイアーパターンの方が前のカタナを抜きCBR600RRに迫ってくる。

 抜かれた方は腕を挙げてなにか怒鳴っているようだが、ファイアーパターンは知らぬ顔。

 ヒデも、その後ろの気配を感じた。

(上等じゃん!)

 瞬時に後ろを振り向き、来いよ! とばかりに人差し指をおったてる。

(面白え)

 土方もヒデの「誘い」を受けて立つ。

 こうなれば遠慮はしない、もとよりするつもりもなかった。おらおらと勢い良くヒデをプッシュする。だがヒデもさるもの、プッシュに動じない。バトルでプッシュするのは当たり前のことだからだ。

 徐々に徐々に、二台とふたりと、その後ろの距離が開いてゆく。芹沢など口ほどにもない。

 一番最初に飛び出したのに、いつの間にか最後尾で様子をうかがっていた女、浜松君子・通称キミは前二台が抜け出そうとするのを見て、

「ほらほらぁ! どいたどいた!」

 と次々と仲間のカタナを抜き去ってゆき。しまいには芹沢の後ろにぴったりとつく。

「そのキタねーケツをどけな!」

 一喝するや、ついには芹沢もパス。抜き様に、びしっ! と中指を立てる。

 芹沢、立場なし。あれよあれよとキミも芹沢を引き離してゆく。が、すでにCBR600RRと土方は遥か前で、もうその後姿は見えなくなっていた。


「おお、CBR600RR、頑張ってるなあ!」

「土方君相手に、よくもまあ。やるもんだ!」

 岡本と介山はいつしか始まったCBR600RRとカタナのバトルを見て興奮している。

「介山先生、どっちが勝つと思う?」

「うーん、やっぱり地の利で土方君ですかねえ」

 黄色と黒のジャージがなんだか様になっているR32GT-Rの介山はカタナに利ありと見た。なるほどとRX-8の岡本はうんうんと頷き。

「じゃ私はCBR600RRに賭けますかな」

 という。介山はえっと思い、

「ところで岡本さん」

 と聞く。

「なんだね」

「賭けるといっても、何を賭けるんですか」

「そうだねえ、負けたほうは一杯おごる! これでどうだ!」

「いいでしょう。負けたら税金を還元いたしましょう」

「こりゃまた一本とられた!」

「負けたら、ですよ」

「わかってるよ」

 ふたりは今のうちからどの店に行くかと、そのことばかり考える。

 そんな岡本と介山など知らず、ヒデと土方は後続を引き離し、ふたりっきりのランデブーに入ってしまった。

(こいつぁ驚いた)

 はじめてこの道を走るやつが地の利のあるカタナーズことTEAM Newly Compiledを置いてけぼりにしている。

 ついていけているのは土方ただ一人。その少し後ろでキミが三位単独走行をしているが、土方は知らない。

(すこし様子を見るか)

 土方は無理にしかけず、まずじっくりとヒデの後ろについてゆく。

 カタナとCBR600RRがそれぞれの叫びをケンケンガクガクとぶつけあい威嚇しあい、山々にその叫びがこだまする。

 後ろの様子を察したヒデはさせるがままに、アクセルを開ける。

 ふうー、と大きく息を吐き出し。

「やらしーねー、だけどクレバーだねー!」

 とも吐き捨てる。

 やっぱり地の利は向こうにある。こっちゃはじめての道で突っ込みも立ち上がりもままならない。後ろのカタナからすうー、と手が伸びて首根っこを引っ掴まれそうな雰囲気だった。

 ぎゅっ、とハンドルを握りしめる手が汗ばんできているようだ。それでも前は譲らない。

 そのままの状態でコースを二往復した。

 コースに出れば、カタナの集団がこっちを恨めしげに睨んでいるようだった。初めての奴にあしらわれたことが屈辱らしい。

 知ったことかとヒデは飛ばす。

 後ろに土方。離れない。

(どーやらこいつが峠の最速らしーな)

 成り行きでこのカタナーズと絡むことになってしまった。まーしかし、その方がツーリングの思い出を残せるってもんだ。

 その背中をじっくりと土方は観察する。なかなか速い、が、土方から見ればまだ攻め方が甘い。コーナー突っ込みも浅く、ターンも、立ち上がりも甘い。

(おりゃ甘党じゃねえんでな)

 辛いのが好きなのさ!

 と、さる左高速、甘甘のブレーキングを見抜いた土方は、ここだ! と言わんがばかりに仕掛け、ヒデのアウトから被せようとする。

 ぬぅ、と滑り込むように耳に飛び込むカタナのサウンド。

「おおっ!」

 耳から脳を、そして脊髄をどつくようなサウンドが飛び込んできて、ヒデは一瞬あせった。だからといって譲れるわけもなし、ちっ、と舌打ちしながらラインをキープし、パーシャルに開けているアクセルをさらに開けた。 

 リアがドリフト気味にスライドする。

「なあめんなよおぉー!」

 バイクに負けないくらい叫んだ。血がたぎる。次の右ヘアピンまで少し直線。土方のカタナはするするとヒデのCBR600RRに並ぶ。ということは、次の右ヘアピンはイン側だ。

 一瞬、横目でお互いにガンくれる。火花が散った。

 ヒデも負けない。カタナと並んでヘアピンに突っ込もうとする。

「来るか! いいだろう、そのまま突っ込んで死にやがれ!」 

 カタナに負けじと叫ぶ土方。アウト側が崖だ。突っ込めば間違いなく死ぬ。だがヒデはアクセルを緩めない。

 カタナのブレーキランプがともる。それに合わせてCBR600RRのブレーキランプもともる。

 カタナはキレイにラインをトレースして、ヘアピンを抜ける。だが、CBR600RRはというと……。

「くっ!」

 両輪がロックし、リアなんかは激しく右に左に振れて、まるで下手なフラダンスを踊っているようだ。 レイトブレーキングで強くブレーキを効かせすぎてしまった。そこへきて、バイクはバランスを崩して倒れようとする。

「糞ぉっ!」

 とっさに足を出した。止まった。

 この時点で、ヒデは負けた。

 

 三位単独のキミも左高速にやってくれば、ブラックマークが蛇が這ったように黒々と残っているのを見つけた。

「土方、はこんな下品なことしないから、あのCBRね」

 ブラックマークが残るほどのドリフトをするとは、あのCBR、下品だけどなかなかのウデだね。と左高速を抜け右ヘアピンにさしかかれば、そのCBR600RRは足を地面につけて止まっている。そばには土方。

「あーらら」

 こりゃ面白いことになるか。と期待に胸を膨らませながら、そばまで来て止まった。以下、芹沢やカタナーズの連中も止まって、ヒデを取り囲む。

 周囲の空気は硬化、ぴーんとピアノ線を張ったような緊張感。

 ヒデと土方は互いにバイクを降りてメットを脱ぎ、睨み合っている。

 お互い彫りが深い顔立ちを向けて、冷たい氷のような瞳に炎を浮かべている。キミはヒデの顔を見て、「ふーん」と思わず唸る。思ったより色男だ。特に目つき、視線で相手の心臓を突き刺しそうだ。

 うきうきしてくる。カタナを降りてふたりのもとまで行く。

 芹沢もカタナから降り、ヒデに突っかかろうとする。

「てめえ、どこのもんだ。よそモンがでけえツラしやがって」

 こってり、そんな言葉が似合いそうな太り気味の芹沢の顔を見て、ヒデはふっと笑みを浮かべる。

「うるせえ、でぶ!」

 自分でもわけがわからないような、獣性の目覚め。わざわざ事を起こそうとしている。

 カタナーズはヒデのその一言を聞き、キレた。

「やっちまえ!」

 もう話などすることはない。四の五の言わずぎったんぎったんにぶちのめしてやる!

 芹沢が音頭をとってメンバー一丸となってヒデをフクロにしようと飛び掛る。ヒデも身構え、待ち構える。

「やめろ!」

「やめな!」

 土方とキミが同時に叫んだ。その声は張りがあり、パーン! とハリセンで引っ叩かれるような威圧感があった。

 刹那、皆の動きがぴたっととまった。

「手を出すな、こいつはオレの獲物だ」

 土方もキミも、ヒデから何か得体の知れない激しさを感じていた。そしてそれになにか引き付けられるものを覚えた。特にこのヘアピンでの突っ込み。なかなか根性がなけりゃできることじゃない。

 土方に続き、ここぞとキミがきっと芹沢を見据え、吼える。

「そーよ、バイクで負けたんなら、バイクでケリつけなきゃ。ねえ芹沢さん。そんなに拳を効かせたかったら、ここは場違いってもんよ。とっとと峠から出てってちょうだい」

「なにい」

「あらあ、あたし間違ったこと言ったかしら?」

 ケタケタと愉快に笑うキミ。怒りで顔を真っ赤にする芹沢。

「ありゃあ、芹沢さんまるで鍋で煮込んだ鴨ネギのようですよ」

「沖田、このマジんときに馬鹿いっちゃいけねえよ」

「ああすんません近藤さん。これ癖なんですよねえ」

「三つ子の魂百までってやつか。ところで、どういう意味なんだこれ?」

 近藤と沖田はここでも他愛のない話をしている。

「……?」

 カタナーズはヒデを置いてけぼりにして、勝手な話をしている。土方はおかしそうにふっと笑い、ヒデに言った。

「まあ要するに、また改めてバトルしようぜ、って言いたいんだ、オレは」 

 ヒデは黙っているが、話は聞いているようだ。土方は続けた。

「お前がどこのもんかしらねーが、ここに来たばっかでコースよくしらねーんだろ。納得いくまで練習して、またやろーぜ」

 ヒデは周囲を見渡し、まだ黙っている。にわかに知り合ったばかりの土方を疑っているようだ。

「まだ疑ってるのか、しかたねーなあ」

 というと、土方は芹沢のもとまでつかつか歩くと突然、

 バキッ!

 と芹沢をぶん殴った。

 突然のことに、芹沢はもんどり打って倒れ、失神してしまった。

「……」

 唖然とする周囲。土方は周囲を見回して叫んだ。

「これからオレがリーダーだ。文句のあるやつはかかってこい!」

 眼光鋭く光らせる土方に圧倒され、誰も文句がいえなかった。

 TEAM Newly Compiledは芹沢がシュミではじめたカタナのワンメイクチームだったが、芹沢が芹沢なもんだから、いつの間にか峠に巣食う暴走集団に変わり果てていた。女性のカタナ乗りがこようものなら大変なもの。芹沢に迫られ、チームからほうほうの体で逃げ出す始末。

 もっとも、キミはそれを面白がって、芹沢を挑発していたが。

「あたしに勝ったら、やらせてやるよ」

 と、そんなことを言って。芹沢自身もまあそれなりの腕っぷしの持ち主だが。ただ派閥を作ってそこでリーダーごっこがしたいだけのチンピラでしかなかった。実力で言えば土方が上だった。

(オレが入りたかったチームはそんなんじゃねえ) 

 土方はそんな風になってしまったチームが気に入らなかった。硬派な走りのカタナのチームにしたかった。

 マジで速い土方がチームに入ったとき芹沢は喜んだが、芹沢をじっくりと見てがっかりした土方は、いつしかチームを変えたいと思っていた。今がまさにそのときだった。

 ヒデは失神した芹沢を一瞥すると、

「わかった。やろう」

 といった。

 

 目が覚めた芹沢はほうほうの体で逃げ出し、他に芹沢派のメンバーもあとを追って逃げ出した。かくして、本気走りのメンバーのみが残り、チームは本気走りのチームへと変革を遂げた。

 その記念すべきファーストバトル。相手はバトルにそなえ、みっちりと走り込みをしている。

 岡本と介山はというと、途中様子がおかしくなってどうしたんだろうと思ったら、次はCBR600RRが一台で走り込みをしているのを見て首をかしげる。

「先生先生、こりゃなにがあったんでしょ」

「そりゃ岡本さん、バトルじゃないですか。あのカタナーズ、相手に練習させるなんて粋だねえ」

「ほほー、そういうことですか。これはますます面白いことになりましたなあ。で、カタナーズから誰がでるんでしょ」

「そりゃあ、土方君でしょう。彼以外にあのCBR600RRの相手が出来る人はまずおらんでしょう」

「あの浜松、ってコも速いですが」

「そうそう、彼女も速いですねえ、もしかしたら、3Pならぬ3Bとか!」

「あれまあなんて下品な冗談を!」

「わはは、まあまあ」

 言った本人もやっぱり恥ずかしいのか、苦笑する。

「まーしかし、今夜は銀次郎でたっぷり飲みましょう!」

「銀次郎って岡本さんの行き着けの居酒屋じゃないですか。やっぱりここは私の行き着けのフォーエバーでたっぷり歌いたいもんですなあ」

「ええ、あそこのママさんはちょっと苦手だなあ」

 話はいつの間にかどっちが勝つかよりどこへ行くかに変わっていた。

 

 小一時間ほど走ってコースは覚えた。メンバーのいる待避所に飛び込み、さあバトルだ、といきたかったが。

 ぐぅ。

 とヒデの腹がなる。

 その音は大きくて、TEAM Newly Compiledのメンバーにも聞こえた。かすかに笑いをこらえる声も聞こえる。キミも同じように笑いをこらえている。

「腹へってんのか。ならメシ食ってこいよ、待ってやるから。ここからまた山の方へ行けば展望台駐車場があって、そこに食いモンもあるからよ」

 という土方。意外に親切な人だった。

「ああ、すまねえ」

 と展望台駐車場へとCBR600RRを飛ばすヒデ。

「ふふ」

 と、キミはほくそ笑んで、何を思ったかヒデについてゆく。

 それを見ながら、

「キミの悪い癖が出た」

 と沖田が言う。

「思えば、芹沢もキミの犠牲者だなあ」

「そうですねえ近藤さん。芹沢さんキミとやりたいばっかりに、力みすぎて、おかげで変な方向に」

「男なんて間抜けなもんさ」

「悲しい男の性ってやつですねえ」

 近藤と沖田、ふたりとも他愛もない会話をして、自分の性別を忘れて文学者ぶったように思案にふける。

 

 峠道にある展望台駐車場に行けば、ぱっと視界が広がり、ふもとが一望できる。なるほど展望台だ。

 向かいの山が、まるでお寺で見るような観音様が座しているように見える。

 昔、千年くらい前、ここから観音様がおがめる、大いにありがたい、ということで、この峠はいつしか大観世音菩薩峠と名づけられた。と駐車場の看板に書かれている。

 駐車場の奥には土方の言ったとおり屋台があり。そこでたこ焼き8コ入りを買って平らげた。しかし足りず、次はホットドッグを買って食ってようやく腹も収まった。

 食後の一服と、最後は缶コーヒーをすする。

「うーん」

 缶コーヒーを飲みながらヒデは唸った。

 空を見上げた。

 青空が広がり、うろこ雲が列をなして空を泳いでいる。秋のそよ風が涼しかった。しかしヒデの心は秋の風のように涼やかならず。

「うーん」

 また唸った。

 身体の中でなにかがうごめいているような気分はおさまらない。おかげで妙に火照っている気分だ。

(一体オレはなにを求めているんだ)

 だが考えてもわからない。

 そこへ、キミがのこのこと近づいてきた。

 やけに陽気で、ジャケットのジッパーをいくらかおろして、挑発的に胸の谷間を見せ付けている。

 それに気付いたヒデ。いぶかしげに、なんだろうとキミの様子をうかがっている。

「ねえねえもうすバトルだけど、今のご気分は?」

 まるでインタビュアーのようなことを聞く。ぽかんとするヒデ。それを見て、「あっ」と、

「そうそう、あたしの名前は浜松君子、みんなキミって呼んでるよ。君は?」

「キミ? F1ドライバーみたいだな。オレは左文字秀樹。ヒデって呼ばれてる」

 と名を名乗る。そういえば、聞こうと思ってたが、ごたごたがあったせいで、後へ後へと流れてしまった。

「ふーん。ヒデっていうんだ。ってか君も戦国武将みたいな十分おかしな名前だよ」

 少しカラダをかがめ、谷間がヒデの視界に入りやすいように妙にちょろちょろと動く。それから視線を外しながら、ヒデはいう。

「何の用だよ」

「何の用だよってご挨拶ね。応援してあげてるのに」

「頼んだ覚えはないぜ」

 つれないなあ、と思いつつも。

(そうやって頑張ってても、いつかはあたしのトリコ)

 と挑発をやめず、カラダをくねらせる。

「あたしは速い男が好きよ。君に期待してるんだ」

「ふーん……」

 やっぱりつれないヒデ。ちょっと、かちん、と来た。 

「あたしの胸はね、期待で膨らんでいるよ。こーんな風にね!」

 とキミはおもむろにジャケットのジッパーを降ろすと、ほーら、と言わんがばかりにジャケットを広げた。

 そこには、白い肌と、黒いブラジャーで覆われたたわわな胸が膨らんでいた。なるほど、たしかによく膨らんでいる。Cカップだろうか。


(またこんな女か……)

 まるで楓子がこの峠まで追いかけてきたような錯覚を覚えた。女きょうだいの中で育ったせいか、普通の男に比べて女性への免疫は高い方だった。

 だからキミの挑発に乗ることもなかった。

 そりゃ彼女はほしいが、素肌を見せられただけで悦ぶほど飢えてはいないし、キミが楓子みたいな女とわかった拍子に、彼女を女性だと思う気持ちは薄まった。

「あ、ああ、そう……」

 やや呆れて応えるヒデにキミは呆然としていた。

 結構自分のカラダには自信があったが……。

 素っ裸で吹雪の中に放り込まれるような、寒い思いをしながら目を点にして、キミはヒデに問う。

「なんで反応薄いの?」

「うーむ。オレ上に姉がひとりと下に妹がふたりと女だらけの環境で育ったせいか、他の男より免疫高いんだわ。わかる?」

「そ、そうなんだ……」

 がーん!

 と金槌で頭をぶっ叩かれた気分だった。

 自分が通用しない男が土方以外にいようとは。もっとも土方はカノジョがいる。ヘルメットのあの雪の結晶のペイントはそのカノジョの手によるものだという。

 その上にあの硬派だから、キミの気質にあわない。

 が、若い(といってもキミと同い年)ヒデなら、と期待したのだ、が。

 当てが外れた。まさか女の免疫が高いなんて、予想もしなかった。

 が、このとき、キミのCカップの胸の中で、炎がメラメラと燃え上がった。屈辱を感じ、その屈辱がチャレンジ精神へと変わる。

(ずぇったい、こいつを振り向かせてやる!)

 そのためには、さてどうすればいいだろうか。

「なあなあ」

「え、なに」

「いいかげん前閉めろよ」

 目を背けながらいうヒデ。その横顔。遠くを見つめるようなその眼差し。

(けっこーいいオトコだしぃ)

 わかってるわよ、といいながらふてくされるようにジッパーを閉める。だがジッパーの閉め方が悪かった。

 じー、という音がしたと思ったら。

「きゃっ」

 というかぼそげだが黄色い悲鳴。

 間抜けなことに、ブラから露出している「下ちち」を挟んでしまった。

 ずっこけそうなのをこらえ、ヒデは頭を抱える。

(かっこつけてブラ一丁でジャケットなんか着るから……)

 これはある意味、楓子以上かもしれない。まったく、とんでもない女に目をつけられてしまった。

「ああ、いたたぁ」

 かぼそい声。まるで柳の木の下から聞こえてきそう。

 ひゅう。

 ふきつける秋の風。なんだか涼しかった。

 缶コーヒーを飲み干し、ゴミ箱に放り込む。

 からん。

 と乾いた音がする。その間に、キミはジッパーをようやく閉め終える。

(きゃっ、か。まあこいつも女なんだな、一応……)

 そんなことを考えながら、CBRにまたがりイグニッションをスタートさせ、メットを被る。

「じゃオレは行くぜ」

 とシールドを閉めようとしたそのとき、キミは「きっ」とヒデを睨みつけて叫ぶ。それを聞いたヒデはキミの言葉が信じられず、

「なに!?」

 と聞き返せば。

 キミは、すう、と大きく息を吸い込み、血を吐くようなあらん限りの大声で叫んだ。

「バトルにあたしも入れて! で、あたしが勝ったら、あんたあたしのモノになりなよ!!」


 ぴき、っとこめかみの血管が音を立てたような気がした。

(なんだこの女)

 そーやって色気を振りまきゃ男はみんな悦んで迫ると思っていたら大間違いだ。

 響くCBR600RRのアイドリング音をBGMに、ヒデは一旦バイクから離れ、キミのもとまでつかつかと歩み寄る。

「な、なによ」

 ヒデの目、怒りに燃えて血走っている。どうやら怒らせてしまった、というのがよくわかり、一歩あとずさる。が、こっちだって負けるものかと、踏みとどまりヒデとにらみ合う。

 はたして、お互い接近したとき。ヒデはぎゅっ、と拳を握りしめたかと思いきや。

 ぶうん!

 と一陣の風が頬をなで髪を揺らした。

 気がつけば、ヒデの拳がキミの鼻先三寸手前でとまっていた。それから互いの間の空気をなぎ払うように、大きく右拳を横に振った。

 キミの全身を、どっと冷や汗が濡らす。かと思えば。

 ぶうん!

 ふたたび風がキミの頬をなでれば、ぱらぱらぱら、とまさかそんな音はしないが、キミは自分の中で何かが切り落とされぱらぱらぱらと落ちてゆくような錯覚を覚えた。

 それからヒデは無言のまま、肩をいからせ愛機に乗って土方のもとまでゆく。

 その後姿を見、ぼお~、としていたキミだが。はっ、として、こうしちゃいられないわとヒデを追う。

 

「お、来たか」

「土方さん、呼びましたか?」

 ヒデのCBR600RRが戻ってきているのを見た土方に、沖田がぼける。

「ばか。お、来たか、って言ったんだよ」

「ああ、すいません。いつものボケ癖が」

「こんなときに、何を言やがる」

 こっちゃマジなんだぜ。と鋭い眼光で沖田を見据える。沖田は怖くて頭をかきながら首を縮める。

 やれやれと思いながら、その鋭い眼光は次はCBR600RRに向ける。

(おっ?)

 なんだか、ライダーから得体の知れない湯気が立ち上っているように見えたのは気のせいか。霊感がないのでその類のことはわからないが、相手がマジになっているのがわかり、

「そうじゃなきゃあなあ」

 と、胸をときめかせる。

 しばらく後ろにキミのカタナ。ヒデを追いかけていった彼女だが、さて展望台駐車場でどういうやりとりがあったのだろう。

 他のメンバーはそっちの方が気になって仕方ない。

 だが開け放たれたバイザーからのぞく目は殺気に溢れ、キミの挑発には乗らなかったようだ、とメンバーは想像するがもちろん違う。

 キミの挑発にキレたのだ。

 はからずも、それが土方をうきうきさせることになったが。

 ヒデは待避所まで来ると開口一番。

「さあ、ちゃちゃっとおっぱじめようか」

 という。

「やる気マンマンじゃねえか」

「ふん、まあな」

 つっけんどうで喧嘩腰なものの言い方。まるで土方を怒らせようとしているようだ。

「てめえ、やってやろうか」

 というほど土方は子供ではなかったが、その態度には引っかかるものを覚えた。

(キミのやつ、こいつになにか言ったかしたな)

「あたしもバトルに入れて!」

 突然のキミの怒号。カタナも入ってきたと思った途端、キミはそんなことをいう。土方も沖田も近藤も、他のメンバーも、

「なにー!?」

 と驚く。キミはそれを言いにヒデを追いかけたのだろうか。

 これは不覚と土方も苦笑いをする。まさかキミからそんな言葉が出るとは。またてっきり芹沢にしたように変な挑発をしたのかと思った。(事実そうなのだが)

 ちっ、というヒデの忌々しげな舌打ち。

(じゃまくせーんだよ!)

 やっぱあのとき寸止めせずにマジで殴ってやればよかったか。とやや悔いる。

「なにを言やがる。これはオレとコイツのタイマン勝負だぜ」

「知らない! あたしも入れて! でなきゃ勝手に割り込んでやる!!」

 キミはいつの間にか怒髪天を突く勢いで土方に迫る。苦る土方。キミのワガママは知っていたが、まさかここまで聞き分けがないとは。

 こいつ、と拳を握りしめたとき。

「オレもオレも!」

 と叫ぶ近藤。なんだかうきうきしている。

「何を言ってるんだ近藤」

「いーじゃねーか土方。入れてやれよ。オレも入るからよ」

「なんでそうなるんだ。これは」

「美味しい獲物を独り占めなんてずるいと思いますよ、土方さん」

 とこれは沖田。彼もまたうきうきしている。バトルに入りたいらしい。

 おいおいと思ったとき、

「オレも!」

「オレも!」

「オレも!」

 と最初にぶち抜かれた蟻道をはじめとするメンバーも次々にバトル混入を名乗り出る。

「おめえら……」

 その様を見て土方は呆気にとられつつも、彼らの気持ちが痛いほどよくわかった。彼らは芹沢のように半端な腕っぷしでワルを気取るようなチンピラではなく、あくまで走るのが好きな「バイク乗り」なのだ。

 そのバイク乗りのハートに火がついた。

「ふふっ」

 可笑しげに笑うヒデ。下を向いてタンクをじーっと見てたと思うとおもむろに顔を上げ、

「いいぜ。まとめて相手してやるよ」

 と、挑発的に笑いながらいう。相手がいいというなら、土方もだめという理由も見つけられなかった。

「わかった。だが、後悔するなよ」


 コースの経験が少ない、ってことと最初は土方とのタイマンだということから、ヒデ・CBR600RRと土方・カタナが並んでスタートの構えを取る。その後ろにキミ・カタナ。

 そのキミの後ろに、メンバーのカタナがずらっとならぶ。

 スターターは、じゃんけんで決まってしまったメンバーがつとめる。

 道の端っこに立って、右腕を上げている。

「それじゃいくぞー! ご、よん、さん、にい、いち!」

 カウントが始まると同時に、マシンサウンドの大合唱。くうを揺らし、身体も揺らし、ハートも揺らす。

 そのとき、ふっと浮かぶもの。

「バイクはハートだぜ」

 という悪友タケシの言葉。

「ハートってなんだ?」

 ぽそっとつぶやいた。思えばここにいるのも、自分の中のハートを扱いかねているせいじゃないのか。

(いやいまはんなこたあいい)

 考えるのは後だ。

「GO!!!」

 という掛け声。瞬時に目は見開かれ、スタートする。

 大観世音菩薩峠にマシンの怒号が響きわたり、空までかち割りそうなほど空気はビリビリ震えている。

 スタートダッシュを決めたのは、キミ! しゅっ、とヒデと土方の間を駆け抜けた。意表を突かれてしまったタイマンするはずだったふたり。

「あ、あー!」

 と思わず叫ぶ。

「フライングか!」

「きたねー!」

 その通り、「GO!!!」 という掛け声の終わる少し前、キミは咄嗟にスタートダッシュをかました。もちろんわざとだ。

「ふん、勝負は勝てばいいのよ! バトルは前が勝ちなのよ!」

 引き締まったヒップを後ろに見せつけ、トップをひた走り。2番手は土方、3番手がヒデ。以下近藤、沖田と続く、といいたいが。

 近藤、沖田はスタートをミスって、ずるずる後ろに下がってゆく。

「あららー」

 とふたりは集団に飲み込まれ、そこからの脱出に四苦八苦。

 それはさておき。まるでキミに引っ張られてゆくような土方のダッシュ。なすすべもなく視界に紛れ込まれて、後ろに下げられてしまった。

 もしキミのフライングがなければ文句なくトップだった。

「さすが最速はってねーってか!」

 CBR600RRに負けじと叫ぶヒデ。ひたすら前を追う。全身でバイクにリンクし、アクセルを開け。右に左にバンクさせ。峠のワインディングロードをかっ飛ぶ。

 パワーのホンダらしい? パワーを生かした走り。鬼ブレーキングもといレイトブレーキングでコーナーに突っ込み、コーナー一番奥のクリッピングポイントをかすめて立ち上がりパワースライドをかましながら加速。下手なアクセルワークなし、パワーと加速の勢いのままアクセルを開ける。

 それは野性味溢れる弾丸のような、ファーストイン・ファーストアウトな走りだった。

「あのハチロク(マサアキ)が豆腐屋のステッカー貼ったらオレはゼッケン56をつけるぜ!」

 とマシンの勢いに乗って馬鹿な冗談を飛ばす。が、走り方はともかくすでに56番を貼っている世界ランカーがいるのも勢いで忘れている。

 そうそう筆者も言い忘れるところだったが、バトルはコース3往復。1往復およそ10キロなのでおよそ30キロのコースを走る。

 トップのキミも飛ばす。人柄と対照的にクールな走り。基本に忠実、アウト・イン・アウトのスローイン・ファーストアウト。

「ちぇ、走り方はまともかよ」

 その走りを見て、土方がつぶやく。つまらない走りだが、それが一番怖い。キミの走りは基本に忠実だけあって、一部の隙もない。


 しかし土方もキミに舌打ちしてばかりもいられない。後ろから怒涛の勢いで飛ばすヒデ・CBR600RRがいる。 

「フン!」

 先にされたように、一瞬後ろを向いて、

「来いよ!」

 と人差し指を立てる。

「はっは! おもしれー!」

 刺激されたヒデは土方のカタナをプッシュする。その前にキミ。さて土方を抜いてキミをどう料理するか。

 両拳に力をこめ、ハンドルを握りしめる。アクセルを開けて、風を打ち砕く。

 土方は突っ込みで無理をせず、早めのブレーキング。それからすぱっ! とまさに日本刀でなんぞ叩っ斬るような鋭いコーナーリング。ブレーキングと同時にラインを見極め、すぱっとマシンをバンクさせクリッピングポイントをかすめ、カタナのぶっとい音を響かせ立ち上がり加速。カタナは一昔前のバイクで設計も古く、タイヤも大きめなためどうしても新しいバイク相手に突っ込み競争は不利だ。そのため敢えて突っ込みは見切りをつけ、コーナー一番奥のクリッピングポイントから立ち上がり加速を重視した走り。

「ととっ!」

 思った以上に早いブレーキングをするので、かえってオカマほりゃしないかあせってヒデもブレーキをかけることがままあった。が、それからが鋭い。

 一球入魂ならぬ立ち上がり加速入魂。走りこみ量も多いだけに水を得た魚のようにすいすいと大観世音菩薩峠を駆け抜ける。

 キミはキミで土方から逃げるのに必死だ。走りは性格と違い、普通。とりわけ際立ったものはない。が、それだけに堅実な走り。こちらも走りこみ量が多いので水を得た魚のようにすいすいと。

 それだけにヒデの荒っぽい走りが際立った。

 後ろのカタナーズ。近藤と沖田は仲間たちをどうにかパスしてゆき、徐々に順位を上げてゆく。それらは一つの集団となって、岡本と介山先生の前を駆け抜けてゆく。

「おお、なんだあのCBRみんなを相手にしているのか!」

「でも介山先生、あのCBR3番手ですよ。なかなかやりますねー」

「いやいや岡本さん、あのカタナーズは土方君とキミちゃん以外は気持ちのほどはともかく走りはさほどでもないですよ」

「うーむ自分のことを棚にあげて……。まあその通りですなあ」

「一言多いっすよ」

「わははこりゃ失敬」

 そんなふたりにマシンたちが駆け抜けた風が吹きつける。それは熱風のように感じられた。

 峠道を上って下って、右に左に、ジェットコースターのように駆け抜けるマシンたち。遅い速いはともかくとして、加速、減速、コーナーリング。全ての動作動作でマシンを駆る喜びをぶちかまし、アクセルを開けていた。

「あーもう、フライングしても意味ないじゃんこれじゃ!」

 しぶとく食らいつく土方とヒデに毒づくキミ。カタナも同じように図太く吼え、風を切る。ふぅー、と大きく息を気を吐き、全身でマシンとリンクしアクセルを開ける。風が激しく肩をたたく。

 そうこうしているうちに折り返し。折り返しは華麗にターンをかましコース復帰。さあいくよ! とアクセルを開ける。後ろの土方とヒデもぴったりついてゆく。折り返しのときに強引に前に出ようと思えば出られるが、そんな折り返しで抜くようなせこい真似はしない。あと二往復半。

 キミ、ミラーをちらっと覗く。

「勝負は勝てばいいのよ、バトルは前が勝ちなのよっ!」

 きらーん、と目が光り。マシンの爆音の中、うふふと冷たい笑いがかすかに響く。さて土方はそんなことなど知らず、キミを抜く隙をうかがっている。ウォーミングアップは終わった。さあこれから仕掛け時。

 土方の鋭い眼光がキミを捕らえる。そのラインも捕らえる。そのラインから隙を割り出すのだ。

「基本に忠実はいいが。それでオレに勝てると思ったら大間違いだぜ」

 その鋭いクリッピングポイントからの立ち上がり加速。キミを捕らえている。捕らえて、そのままするすると並んでゆく。

「やるじゃねーか!」

 その鮮やかさにヒデは舌を巻く。

 次のコーナー、左、このまま並んでいけば、土方イン側、キミアウト側。キミのメットは土方を睨みつけているように傾いている。だが土方は知らずコーナーの奥を睨んでいる。

 そのとき、ヒデは信じられないものを見た。なにを思ったかキミは横合いから土方にぶつかったのだ。これには土方も驚き、

「なんだと!」

 と叫びながらも、そこは百戦錬磨、とっさに押し返す。押し返されたキミは「ちぇっ!」と舌打ちし、左コーナーで土方にインから抜かれるに任せるしかない。すぐ後ろに迫るヒデ。そのヒップを睨みつける。

 

その弐に続く


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