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episode5 バイクにゃバックギアはないんだぜ!

「いっけー、いけいけいけーーっ!」

 月あかる夜空に叩きつけられるマシンサウンドと、叫び声。

 赤いクルマが、白と青のバイクを先導するように、七人寺峠のワインディングロードをかっ飛ばしている。

 闇を切り開くヘッドライトからうねる道が突き出され、それをクリアしてゆく。

 赤いクルマ、それもオープンカーのイタリアンレッドのイタリアンマシン、アルファロメオスパイダーを駆る五十山田鈴イカイダ・リン・通称リンの上機嫌な叫びがアルファロメオスパイダーのマシンサウンドの中に溶け込んで、リン自身の中に染み渡ってゆき、さらにアドレナリンを噴出させるような興奮がふくらんだ胸の中ににじんでくる。

 コックピットに流れ込む風が頬を流れてゆき、長い黒髪をなびかせる。

 ちらっとミラーを覗く。

「うふふ」

 と笑う。

 うしろのバイクは、サソリマークのあるマフラーをつけたヤマハYZF-R6。

 マフラーのサソリが毒をたっぷり含んだ尻尾を突き出し威嚇の雄叫びを上げているように、ヤマハのリズミカルなサウンドが前のアルファロメオに叩きつけられてゆく。

「あん」

 感じちゃう。

 などと、背筋を走るパルスが心地いい。

 YZF-R6の鷲津武志ワシヅ・タケシ・通称タケシは、アルファロメオのケツを睨んで、愛機におっかぶさるようにして右に左に倒しながら、アクセルを開け、かっ飛ぶ。

 腹の下から叩きつけられるようなマシンサウンドが、脳内のアドレナリンを噴出させるみたいな興奮を弾き出す。

(はええぇ~)

 タケシは密かにリンの速さに舌を巻く。だが、それだけに気合も入る。男であれ女であれ、速いやつと本気マジで走ることほど楽しいことはなかった。

 コーナーの向こうから、ふっと、ヘッドライトの光りが闇を照らす。

 と思ったら、白黒パンダカラーのハチロクレビンがいい音をさせながらすれ違ってゆく。そのまた後ろに、白いシビックタイプRをはじめとするそれっぽい峠の走り屋仕様の車たちが数台数珠つなぎになってついてゆく。

 ハチロクレビンのドライバーにして金髪ヤンキーの三木眞明ミキ・マサアキ・通称マサアキはちらっとリンとタケシを睨んだだけで、何もないような顔つきでわが道を走る。

 それからしばらく後のタイミングで、

(アルファの魔女め)

 と心の中で吐き捨てる。

 それはハチロクレビンの4A-Gのサウンドに飲み込まれてしまった。

 後ろのシビックのやつが鬼の形相でハチロクレビンのケツを睨んでいるが、アウトオブ眼中とばかりにマサアキは前だけを見て走っていた。

 シビックはしきりとインをうかがっているが、後ろに目でもあるように、マサアキは巧にラインを封じる。

「くそっ!」

 シビックの都築国夫ツヅキ・クニオ・通称クニオはぎりぎり歯をくいしばりながら、思いっきりハンドルを握りしめながら、アクセルを踏む足も力強く、愛機を吼えさせる。

 が、届かない。ハチロクは悠々と走っているようだ。

 そうこうしてるうちに折り返し地点に着いた。クニオは勢いでコースに飛び出す、が、マサアキのハチロクレビンは止まったままだ。

「な、えっ?」

 思いっきり肩透かしをくらった。

 が、後ろがつかえている。下手にUターンができず、そのまま闇の中へと飛び込んでゆくしかなかった。

 マサアキは闇の中に消えてゆくクルマたちを見送って、ダッシュボードからタバコとライターを取り出し、一服としゃれこむ。

 うなる4A-Gのアイドリングサウンドが「早く出ろよ」とせかしているみたいだ。

「まあ待てよ」

 にっと笑って愛機に語りかけ、ふーっと煙を吐き出す。開けられた窓から煙がゆらゆらと浮かび上がって、闇の中に溶け込んでゆく。

 それをなんともなしにながめながら、夜風の涼しさにひたっていた。

(バイクは走りながらこの風を受けているのか)

 ふとそんなことを考えた。

 タバコが半分まで燃えたころ、耳に入り込んでくるサウンド。リンとタケシだ。

「来た来た」

 マサアキはタバコを灰皿に捨て、窓を閉め、四点ベルトを締めなおす。

(あら)

 折り返しにハチロクレビンがいる。が、リンとタケシはそのまま折り返してゆき、その後をハチロクレビンが追った。

「待ってたのか」

 前見た舞台でジュリエット楓子に鼻の下伸ばしていた金髪ヤンキー、とタケシは認識している。それを思い出し、

「スケベ」

 とくすくす笑い、後ろを向いて、

「おいでおいで」

 と招き猫よろしく手招きする。

「来い、ってか。もとよりそのつもりだ!」

 4A-Gがタケシの背中をどつくように吼える。YZF-R6もお返しと吼え。ハチロクレビンとYZF-R6の、ハウリングするヤマハサウンドがリンの背中を叩きつける。

(ヤマハの音はいいなあ。あたしのピアノ、ヤマハにしようかな)

 とか思いながら、愛機のアクセルを踏む。ヤマハは明治の昔、さる学校の校長先生がオルガンを修理したことからはじまっているだけに、音に対するこだわりは自動車メーカー中もっとも強い(?)。

「そうだ、ふふ」

 リンは何を思ったか、ハザードをつけ、後ろに下がった。

 それと同時にいい音、ヤマハサウンドをなびかせて、YZF-R6とハチロクレビンが追い越してゆく。

「後ろで様子見か」

 ふん、と鼻息荒いマサアキ。味な真似を、とアクセルを踏みつける。

 タケシはそこまで考えるに至らず、おめでたいことに、自分たちのペースにかなわず道を譲ったと思っていた。

「一番前だー! おっほーほおぉー!」

 愛機に負けじと吼える。

 目の前の闇をヘッドライトで切り開き、闇よりすくい出されるワインディングロードをかっ飛ばす。

 風を全身でぶつかり打ち砕いてゆく。

 さらに愛機は吼える。

 アドレナリン噴出もののしびれが全身を襲う。

 快感だった。


 快感のまま闇夜のワインディングロードをかっ飛ばす三台のマシン。

 タケシは目をギンギンに見開いて闇の向こうに目を凝らした。後ろからハチロクレビンが援護射撃のように前を灯してくれるので、さほど見えないということはなかった、が、それは真後ろにつかれているということだ。

 マサアキはタケシの背中を凝視し、パッシングのタイミングをうかがっている。

 どはいえ、なかなか速い。ついていくのがやっとだ。

(ちぇっ)

 思わず舌打ちする。

 シビックタイプRでさえ自分にはかなわなかったというのに、単コロ(バイク)にゃ苦戦を強いられている。

 軽四並みの排気量で、軽く10000rpm以上回るエンジンに100馬力オーバーのエンジン、百数十キロのウエイト。四輪じゃありえない話だ。

 タケシはそれを上手く乗りこなしている。

(こっちもハチロク乗りのプライドがあるからな……)

 漫画に影響されてハチロク乗ってるわけじゃないんでね。と、ぽそっとつぶやく。とかいいながら、同じ作者の漫画の主人公と同じゼッケンをつけたバイクレーサーがいるのは知っている。しっかり読んでいる。

 F1やWRCでも同じことをする(右サイドに豆腐屋さんのステッカーを貼った)ドライバーは現れるのだろか。

 それはさておき。

 過剰なスライドはなく、上手くラインに乗ったスムーズなドライビング。何も知らないやつがマサアキの走りを見て、何を期待していたのか「つまらない」といったことがあった。

 それもさておき。

 そのスムーズな走りで、しっかりとタケシの背中をとらえている。それをリンはにこにこしながら見ている。

 不覚にもマサアキはバックミラーをのぞいた。「アルファの魔女」とあだなするリンの行動が気になる。

 ふっと、向かいのガードレールが光ったと思ったら、シビックタイプRら数台とすれ違った。

 彼らは二輪のYZF-R6がこの四輪の走り屋の中に紛れ込んでいることをどう思っているだろうか。

 唸るマシンサウンドやヒス女のようなタイヤのスキール音につつまれながら、ライダー・ドライバーたちは無音の中にいると思うほど神経を研ぎ澄まし、自分自身をマシンの一部にしてアクセルを開けていた。

 

 しばらく後ろについて、タケシの突っ込みが甘いことに気付いた。二輪の突っ込みはどうしても四輪の突っ込みに比べて甘い。コーナー突っ込みのブレーキングで、腕一本で腕立て伏せをするか、二本で腕立て伏せをするか、その差はでかい。

(チャーンス!)

 ふっとマサアキの口元が緩んだ。それと対照的に。

(ピーンチ!)

 とタケシの背中に悪寒が走った。

 とその刹那、左コーナー。きつめのヘアピンになっている。そのコーナーでハチロクレビンのヘッドライトが左へスライドした、と思ったら、横っ面にハチロクレビンの4A-G(MADE by YAMAHA)の咆哮が叩きつけられる。

 すい、っとハチロクレビンがYZF-R6の横に並んだ。

(やられた!)

 顔をしかめるタケシ。もっと踏ん張ろうにも、フロントサスはフルボトムして沈みきっている。これ以上奥で減速できないというくらい、奥まで踏ん張ったが、四輪の突っ込みにはかなわなかったか。

「こなくそぉー!」

 と坂本竜馬暗殺でもするかのように叫んで、ままよとマシンをハングオンで倒し、ハチロクレビンのアウトからかぶせようとする。できるなら左足で蹴りを入れてやりたかった。

 が、クリッピングポイントをすぎ、立ち上がろうとするときにはハチロクの後輪とYZF-R6の前輪が並んでいた。

 リアタイヤが路面を掴んでいる。一気にフルスロットルをくれた。

「ああっ、すごい!」

 とリンが叫んでしまうほど重なりハウリングして、くうを揺るがすYZF-R6とハチロクレビンのマシンサウンド。

 電撃が流れたようにも思えたほど、二台のマシンは並んで叫んだ。走るのが好きなら、そのマシンの叫びにイってしまわないやつはいないだろう。

 次は右コーナー。ゆるい高速コーナーだ。タケシは身をひるがえし、コーナーの奥に突っ込んでゆく。YZF-R6は反撃の雄叫びをハチロクレビンに放った。

 がハチロクレビンも黙っちゃいない。4A-GサウンドをYZF-R6に叩きつけ、アウトからかぶせようとする。

 吹き飛ぶ景色の中で、風を打ち砕きながら、タケシはアクセルを開けた。引き千切らんがばかりに開けた。マシは叫んだ。風とともにマシンの叫びを全身で受け止めていた。

 風と音の嵐の中で神経が研ぎ澄まされてゆく、一種のトランス状態に近いような気になっていた。

 まるで、風になってゆくような……。

 などひたることもなく、ただ見開いた目を向こう側にむけて、ひたすら突っ走っていた。

 そのアウト側を、ハチロクレビンが駆け抜けてゆく。

「しゃーねーなあー!」

 と叫びながら、リアをスライドさせる。ドリフトだ。そのハイスピードにタイヤが泣きを入れてグリップしなくなって、しゃーないので、スライドさせてその状態でコントロールしている。そうでもしないとYZF-R6に並べなかった。

「そーこなっくちゃねえ!」

 アウトでかまされるドリフトにタケシはヤケの雄叫びをあげた。ハングオンしてマシンをバンクさせているそのアウト側でドリフトなんざかまされるとは、なかなかやるじゃないか。

 下手すりゃハチロクレビンに敷かれて潰されて、人間ミンチ!

 二輪VS.四輪のバトルは常にそのリスクをかかえている。

 と考えるまもなく、次の左。これも高速だ。で、タケシは身をひるがえしマシンを右から左にぱたぱた倒し、ハチロクレビンは右に左にケツを振る。

 やっぱり二台ならんで突っ走る。双方道を譲らない。

 二台のエンジンの奏でるヤマハサウンドが、夜空に叩きつけられ、星空を突き抜ける。  

 ハチロクレビンのケツはガードレールや山肌すれすれのところでスベり。タイヤが恐怖で泣き喚き。煙を噴き出す。

 煙は後ろのリンにもろにぶっかかる。オープンカーだから、まさに煙に巻かれるかっこうになってしまった。

「……!」

 ハチロクレビンの巻き上げる煙をもろぶっかけられたリンは。

「そんなシュミはないんだけどなあ!」

 と、キレた。フロントガラスに、ドリフトで千切れたタイヤカスが飛び散りびちびちとへばりつく。リンにまで飛び散る。そこで。

「あー、きたないー!」

 と、ますますキレた。

 余談ながら、ドリフトはタイヤに大きな負担がかかりそのうえタイヤかすが千切れて煙と一緒に後ろに飛んだりする。キレイ好きな人の前でのドリフトは控えたほうがよいかもしれない。

 さてアルファロメオスパイダーが怒りの雄叫びを上げ、ヤマハサウンドに割って入る。

「!」

 それに気付いたマサアキ。

(ついにアルファの魔女が目覚めた!)

 まさか自分が目覚めさせてしまったなど気付かない。

 ドリフトをやめるにも、ペースをキープするためにタイヤがスライドするのでどうにもやめられない。マサアキがこの世で恐れるものがあるとすればただ一つ。

 それは、「アルファの魔女」とあだ名してしまうほどの、キレたリンの走りだった。

 

「もう後ろはいや!」

 火が出るほど叫んで、鋭い目をハチロクレビンに向ける。

「おどきっ!」

 長い黒髪が逆立ち、リンの形相が一気に般若面にかわった。その般若面に、煙がぶっかかった。

 もし槍でももってれば、槍投げよろしくハチロクレビンに投げつけてやりたかった。

「くっ、来やがった!」

 ミラーに大写しになるヘッドライト。マサアキは背筋の悪寒を禁じえなかった。

 気がつけば、ハチロクレビンのうしろで並ぶようにアルファロメオスパイダーがドリフトしている。

「うわーなんだなんだ!」

 リンの様子に気付いたタケシも思わずミラーをのぞけば、赤いマシンがパンダマシンに襲い掛かるのが見えた。

(リンさんついに来るか!)

「面白え!」

 と叫んだ。三つ巴のバトルにうきうきする。

 ドリフトしながら、つまり斜めになりながらコーナーを抜けているアルファロメオスパイダーは、猛然と加速し、横っ腹はハチロクレビンの横っ腹に押し付けようとする。

 マサアキは言葉も出ず、そのリンのマシンコントロールに圧されてしまった。そのアルファロメオスパイダーは照準を今度はYZF-R6、タケシに向けた。

 そしてそのままフロントノーズをYZF-R6に突っ込ませようとする。つまり鼻の差ハチロクレビンの前に出た。

「ええい、魔女めっ!」

 マサアキは捨て台詞を吐きながら、やむなくアクセルをゆるめリンを前に出した。このまま粘っても粘りきれず、こっちがマシンコントロールを失って、どっかにすっ飛びそうだった。

 減速したハチロクレビンをすいっと抜いてゆくアルファロメオスパイダー。

「来たよ来たよっ!」

 タケシは叫びっぱなしだ。まるでたくさんの矢を一気に放たれてパニックになっているように。

 その矢のように、アルファロメオスパイダーが迫ってくる。その気迫、まるでスパイダーズウェブ(蜘蛛の巣)でも飛ばされて絡みつかれそうな気迫だった。

 後ろにさがったマサアキは柄にもなく。

「大丈夫か?」

 とタケシを心配していた。それほどまでに、リンはキレていた。

 見よ、アルファロメオスパイダーのフロントノーズはYZF-R6のテールに食いついて離そうとせず、そのまま体当たりでもくらわせそうな勢いで突っ走っている。

「あっはははは! チョーおもしれー!」

 愛機と一緒に叫ぶタケシ。

「ふふ、可愛いお尻」

 にや、とリンはYZF-R6のテールを見てほくそ笑んだ。ステアリングをにぎる手のオイルの染みのあとを見て、ますますほくそ笑む。それほど、このマシンとかかわり、愛してきた。

 そのマシンで、負けたくない。

 ハイスピードで泣きを入れたタイヤがスライドする。が、スライドが過ぎたか、アルファロメオスパイダーはクリッピングポイントの手前でかなーり斜めを向いて、斜めどころか縦にさえなろうとしている、要するに滑りすぎでスピンしそうになったのだ。

「やべえ」

 リンのクラッシュを予想し、マサアキはブレーキを踏んで退避姿勢をとった。と、その刹那、アルファロメオスパイダーのリアタイヤがロックした、と思ったらバックライトが光りリアタイヤが後ろに回り、そのままの体勢でラインに戻ってコーナーを抜けた。

「神岡ターン!」

 呆気に撮られるマサアキ。

「ありえねー!」

 と叫ぶ。

 普通ならギアが吹っ飛ぶと思うのだが、どうしているのだろう。それはさておき、神岡ターンとはラリースト神岡政夫選手が実際に使ってたウルトラC級超絶ドラテクである。こればっかりはほんとの話である(ここ参照→http://www.youtube.com/watch?v=2wrmrwlftMM)。

 それを、峠の走り屋ギャルが市販車でやった。

(やっぱりリンのやつは魔女だぜ)

 マサアキを唸らせるほどの速さを持ちながら、リンには誰も言い寄ってこなかった。おかげでマサアキはそのとばっちりを受けているのだが、どうしてそうなるのか、リンの神岡ターンを見てわかったような気がした。

 しぶとく喰らいつくリンに、タケシは。

「ガッデム!」

 と悔し紛れに叫んでいた。


 全身を針で刺されるような緊張感。全身の毛穴から汗が噴き出すような悪寒。

 魔女と化したリンは、タケシをおいつめる。

 容赦はなかった。フロントノーズでYZF-R6のケツをどつかんがばかりだった。

 その冷たくも鋭い視線が、タケシの背中に突き刺さる。

(くそぉー、負けるかぁー!)

 アクセルを引き千切りそうなほど開けた、YZF-R6もタケシと同じように、「負けるか!」と吼えた。

 後ろを振り向いたりミラーを覗いたりもしなかった。

 全身で風にぶつかり、打ち砕いていった。

 それを、リン・アルファロメオスパイダーが追いつめている。その様は、まるで魔女に魅入られたとでもいおうか。 

(よくやるぜ)

 マサアキは後ろで冷や汗ものだ。こうして二輪が四輪に追われているのを見るのは初めてだったが、改めて見ればかなーり危ないことをしているもんだと思った。

 そうこうしているうちに折り返しが来て、Uターンしてコース戻る。

 加速するYZF-R6。さすがに弾丸のような二輪の加速にアルファロメオスパイダーとハチロクレビンは置いていかれてしまう。が、徐々に、コーナーごとに差をつめていく。ここらへんは走り込み量の多い地元組が有利だ。

 タケシは我知らず大きく息を吐いた。

 肩に激しくぶつかる風を打ち砕いてゆく。

 それでいて、なにか、トンネルの中に入り込んだような錯覚を覚えていた。吹き飛ぶ景色が自分を包み込み、外と一切遮断され、その中でバイクを走らせている……。そんな錯覚。だが当の本人は意識していない。

 ただひたすら、後ろの四輪から逃げている。

 リンもケツを突っつきながら、タケシの速さというか、その意地に密かに舌を巻いた。これだけ後ろからアオっても、道を譲ろうとしない。普通なら一旦道を譲って後ろから追いかけたほうが楽なのに。

 タケシはそうしようとしない。

(タケシのやつも意地っ張りなもんだな)

 マサアキも密かに舌を巻く。

 まだ十九のガキのくせに、いや、まだ十九のガキだからか。

 バイクと一体になって右に左にバンクするタケシ。

 ひら、ひら、と舞うようだ。

(タケシ、君はマシンとダンスしてるんだね)

 いつの間にか、リンは走りながらタケシの走りに魅入られていた。若さに任せた我武者羅走りだけど、背中からほとばしるライダーのハートが風とともにリンに触れてきているようだった。

 それがさらにリンをキレさせた。キレた、といってもさっきみたいに怒ってキレた、というのと違う。タケシの走り、そしてその風を受けて、リンはますます目覚めるようにタケシを追った、追い求め、アクセルを踏んだ。

 タケシは、この七人寺峠で知り合った四輪の走り屋の男たちからは感じられないものを持っていた。それは新鮮にも感じられた。四輪の走り屋は比較的年齢も高く、一部を除き世事にも長け、どこか落ち着いた、割り切った走りをする。もっとも、それが峠を走る上で大切なことなのだけれど……。

(でも、それだけじゃないよね)

 男というものは。

 いつしかリンはタケシの後ろについて、その走りを見ることに専念していた。風を感じていた。マサアキも前の様子に気付き、そのまま後ろについたままコースを走り切り、折り返しに着いた。


 折り返しには、シビックタイプRの都築国夫ら仲間たちがとまって、折り返しに入ったタケシに手招きする。 

(なんだ?)

 と思ってそのほうへゆけば、

「オレとバトルしと」

 とクニオはいう。

「ばとるぅ!?」

 突然の言葉に驚くタケシ。リンとマサアキはクルマをとめたままその中で様子をうかがっている。

(こりゃ面白いことになるか)

 と、不謹慎にも、わくわくしていた。

「そうだ。オレとバトルしろ」

 と、なんとかの一つ覚えのように、そればかり繰り返す。タケシもタケシで、

「いいよ」

 よあっさりOKする。

(売られたバトルわ買わなきゃね)

 それがタケシの信条だった。

 話が決まれば話は早い。リンとマサアキはクルマを奥へと引っ込め降り立ってスタートを見送ろうとする。リンは腕を組んでにこにこしている。まるでタケシの勝ちを信じているようだった。

 マサアキも興味はあるが、どっちが勝つかにまでは興味がなさそうだった。いつの間にかガムをくちゃくちゃ噛んで、仲間たちとなにやら雑談している。

 スターター役のやつがYZF-R6とシビックタイプRをコースへと誘導し並べている。

 マサアキはふと仲間に問いかける。

「しかしなんでクニオのやついきなり」

「さてな、あの単車お前らとタメ張ってるから、クニオのケツに火がついたんだろうぜ」

「なるほど正論だ」

 それ以外にバトルの理由はないもんだ。

 クニオのやつも意地っ張りで速さにこだわっていた。マサアキに食って掛かったのも、そのせいだったが、負かされてしまった。そのマサアキとタメを張る単車を見て、バトルしたい気持ちが湧き上がったんだろう。

「そーいえば、お前名前なんていうんだ」

「オレか、オレの名前は、鷲津……、鷲津武志」

「ふーん、鷲頭、鷲津っていうんだなあ。オレの名前は都築国夫」

 スタートに並んで、互いに名前を名乗って。マシンサウンドの大合唱が夜空にこだまする。

「あ、まって!」

 スターターがさあカウントしようというとき、突然リンはさけんで、タケシのもとまでたったと駆け寄って、

「頑張ってね」

 と、突然ヘルメットの口元のあたりにキスをする。ヘルメットに、口紅がうっすらとついた。

「おおー!」

 と、その大胆な応援に歓声があがった。四輪の走り屋たちは手を叩いて喜んでのやんやの大喝采で、マサアキも「ぎゃはは!」と笑って面白がっている。

 タケシはぽかーんとする。

「勝ったら、ヘルメットなしでしてあげる♪」

 上機嫌のリン。声はひくめでひっそりと、そうタケシに耳打ちし。1番を示すように人差し指を立てて、ウィンクして、去ってゆく。

 それから、YZF-R6は激しいがなり声を轟かせ、ライダーの気持ちをそのサウンドで夜空にぶつけた。

(馬鹿馬鹿しい)

 クニオはぺっとつばを道に吐き捨てた。


「レディースエンドジェントルメン! スタートユアエンジン!」

 まるでアメリカンモータースポーツのようなことをさけんで、スターターが両手を挙げた。マシンサウンドが山々にこだまし、夜空に叩きつけられる。

「GO!!」

 挙げた両手が思いっきり振り下げられて、YZF-R6とシビックタイプRが勢いよくスタートする。

 二輪と四輪、ヤマハとホンダのYH戦争が、七人寺峠で繰り広げられる。

 かと思いきや、ケリはあっけなくついた。

 スタートダッシュでタケシが飛び出し、そのまま、クニオをぶっちぎり!


 ぼーぜんのクニオ。

 シビックから降り立ち、苦虫を噛み潰したような顔をタケシに向ける。

 YZF-R6はハチロクレビンとアルファロメオスパイダーのそばで、右側のミラーにヘルメットをひっかけて、うたたねするようにたたずんでいる。そのそばに、タケシが立ってクニオを見ている。

 みんなのいる折り返し地点でスタート&ゴールでもある待避所に、おもーい沈黙がたちこめていた。

「暑くないか。まあ冷たいコーヒーでも……」

 クニオのその様に気の毒に思った仲間が、缶コーヒーを差し出そうとする。クニオは缶コーヒーを受け取るや否やガードレールに缶を投げつけ。ダン! カン! と缶がガードレールに当たって路面に落ちる音が暗闇の中こだまし、再び沈黙がたちこめた。

(あらあら、クニオ君いじけちゃって)

 リンもクニオのいじけっぷりに言葉もない。マサアキも首を横に振るだけで、何も言わない。

「この、情けないざま」

 タケシがクニオに食って掛かるように言うと、たたた、と駆けて道路に落ちた缶を拾う。

「悔しかったらまたかかってくりゃいーじゃねーか。せっかく友達がくれたコーヒーを投げるなんて、最低だ」

 といいながら、クニオに缶コーヒーを渡した仲間に返す。仲間はタケシの言動にきょとんとしている。

「なんだと」

 タケシの言葉に挑発され、クニオは眉を上げて、きっ、とタケシを睨んだ。

(やるか)

 クニオの様子を見て、タケシは身を動かさずとも心で構える。

 が、クニオも思い直したか、しばらくしてため息をついて。

「そうだな、いつかリベンジかましてやるぜ」

 といってシビックタイプRに乗り込み、さっさと帰っていった。と同時に重い空気がほぐれ、あたりがほっと軽くなる。

「あんなのに乗られて、まったくクルマが気の毒だぜ」

 とマサアキ。それから、リンを見て、

「タケシのやつに約束したことがあったろう」

 と、にやにやしながら言った。小さな声でいったつもりだったが、しっかり聞こえていた。

 さすがにリンも顔を赤くする。タケシも同じく顔を赤くする。

 それから今さらにように「はっ」として、互いを見つめあう。するとリン覚悟を決めた顔つきで、タケシの腕をつかんで、

「いきましょ」

 という。どこへいこうというんだろう。

「おいおい逃げるのかあ」

 やんややんやと、からかいの野次が飛ぶが。

「いーだ!」

 と舌を出してアルファロメオスパイダーに乗り込んでイグニッションをスタートさせる。

「ほらほら、あなたも早くバイク乗りなさいよ」

「え、マジ?」

「なにいってるの、女に二言はないわよ」 

 と鋭い目で見据えてタケシにいう。

「あたし人に見られて悦ぶシュミはないの。人のいないところでしましょ」

「……」

 まるで鉄芯でも入ったかのように、タケシの身体が固くなる。いま自分はどんな顔をしてるんだろう。

 というか、どこに行くんだろう。タケシは言われるままにYZF-R6にまたがる、が、よろっとよろけて危うくバイクを倒しそうになった。

 周りから笑い声が飛ぶが、聞こえない。

 心臓がバクバクなっている。

 タケシは考えた。

(ファーストキス……)

 こんな成り行きでファーストキスを迎えられるのだろうか。兎にも角にも、リンの後をついていった。

 

 どこをどう走ったか覚えていない。

 タケシは人気の無い橋のたもとの公園で、リンとふたりっきり。

 市の端っこを流れる大きな川に掛かるアーチ状の橋のたもとに、その橋の記念公園がある。市で一番大きい橋で、おまけのような公園がたもとにつくられていた。公園の真ん中にはモニュメントが立てたれている。そのそばで、YZF-R6とアルファロメオスパイダーがよりそうようにたたずんでいる。

 公園は整備されてはいるが、なにぶん地方都市、しかも郊外のことなので、夜になれば人は寄り付かず、自販機とトイレが寂しそうにほそぼぞとした灯りを灯すに過ぎなかった。おかげで寂しいことこの上なく、なるほど税金の無駄遣いと陰口を叩かれているのがよくわかった。

 野外スポットなら、市の中心部にある中央公園の方がポピュラーで、そこにいけば人目をはばからないカップルがしっとりとふたりだけの世界に浸っている。しかしリンもタケシもそんなシュミはない。かといっていきなり自分の部屋につれこむわけにはいくまい。となるとなるほど、ここが一番いいだろう。

 タケシとリンはベンチに腰かけ、一緒に夜空を眺めながらじっと機会をうかがっている。

 夜空には雲が覆い、月を隠している。おかげでまっくらだ。

(どどど、どーしよー……)

 奥手で初心なボーヤ丸出しで、心も身体も震えている。まさかこんな成り行きになるなんて。リンはリンで、じらしてるのか黙って夜空を眺めているだけだった。

 ふと、背後でがさっと音がして。タケシはびくっと身体を引きつらせた。野良猫だった。かと思ったら、

「ま、まさあきさん?」

 と、震えた声で言う。

「え?」

 ふと、4A-Gのサウンドが聞こえたかと思うとハチロクが公園に入ってきた、がハチロクはハチロクでも、見れば赤黒の2ドアトレノで、マサアキの乗るパンダレビンと全然違う。ハチロク違いだ。

 ハチロク乗りはふたりに興味をしめさず、トイレに駆け込み、用を足してさっさと出て行った。タケシは人違いがわかってほっとしている。

 リンは思わずクックと笑ってしまった。これくらいのことも見分けがつかないのか。

(立派ねえ、さすがあたしたちとタメ張ってたバイク乗り)

 四輪相手に一歩も引かず、あれだけ速さを見せ付けたバイク乗りが、キスひとつでここまで変わるんだろうか。それを思うとおかしくて仕方がない。どーも、まだのようだ。でも、

(ファーストキスがそういう人で、よかったかな……)

 なんだか嬉しそうに、あいかわらず夜空を見上げていた。


(さて、そろそろ……)

 タケシのほうから来ることはなさそうだ。いつまでもこうしているわけにもいかない。人気が無いといっても、さっきみたいに、たまに人がくる事だってある。なら早めに済ませよう。

(っていうか、女からさせるんじゃねーよ、ってか)

 といってもまあ、今は男女同権の時代だし、約束だし。

 ちょっと、指先でタケシの手に触れた。びくっとしていた。

 もう可笑しくてしかたがない。さて今どんな顔をしてるか拝んでやろうと思ったとき、ずくっと胸の奥からこみあげるものがあった。

(こんなときに……)

 さっきまでの余裕から一転、首筋が冷たくなって、額から汗がにじむのがわかった。

「ごめん、ちょっと……」

「へ?」

 きょとんとするタケシを尻目に、リンはトイレに駆け込んだ。

 思わずリンの引き締まったヒップに目がいって、タケシはいかんいかんと頬を赤くしながら頭を振った。

 それから、ふと口に手を当てる。

(口臭大丈夫かな?)

 それが急に気になって、自販機でお茶を買い、口をゆすぎ「べっ」と排水溝に吐き出した。

(大丈夫、だと思う)

 と口臭を気にしつつも、ベンチに戻ってリンを待った。

 しかし、いつまで経ってもリンは出てこない。

 もう10分くらい経っただろうか。

 遅いなあ、とじれながら待っていると、また車がやってきた。今度は普通の乗用車だ。そこから女性が降り立って、トイレにゆく。かと思ったら、トイレの手前で何があったのだろうか、口に手を当てて、さっさと車に戻ってゆく。戻り様に、

「なにあれ、気持ち悪い」

 と言っていたのが聞こえた。

(気持ち悪い?)

 トイレの入り口にはなにがあるだろう、いうまでもない、まず手洗い場がある。そこになにがあったんだろう。というか、今女子トイレにはリンしかいないはず。

(まさかリンさんになにかあったのか!)

 乗用車が出てゆくと同時に、女子トイレに駆け込んだ。いささか抵抗もあるが、そんなこと言ってられない。リンの身になにかがあったら大変だ。

「……っ!」

 慌てて女子トイレに来てみれば、絶句。そこには、手洗い場で、必死になって手を洗うリンの姿があった。その顔は今にも泣き出しそうで、

「落ちない、落ちないよお」

 とつぶやいている。なにが落ちないのか。手にはなにもついてなさそうだが。

「リンさん!」

 とっさにタケシはリンのそばまで駆けて、大声で叫んだ。しかし、リンはタケシに気付かず、ひたすら手を洗い続けている。

「落ちない、オイルが落ちない。なんてしぶといオイルなんだろう」

 オイル? オイルはついていない。それなのに、リンは手にオイルがついていると思い込んで、手を洗っているのか。

(でも、またどうしてこんな)

 わけがわからないが、とにかくやめさせなければ。

「リンさん、リンさん!」

 呼んでも反応ない。このままじゃラチが明かない。

(ええい、ままよ)

 すうっと息を吸い込んで、がしっとその手を掴んで。

「リン!」

 と、腹の力をを振り絞って今まで以上に大声で叫んだ。

 そこでようやく、リンははっとして、手を洗うのをやめた。

 リンはタケシのほうを向いて、その目からぽろっと涙をひとつぶ落とした。


 ベンチでタケシは腕を組んで腰掛け、隣でリンはタケシに買ってもらったカフェオレを飲んで、力なく肩を落として腰掛けて。甘さがお腹を優しくなでてくれる。それに安堵して、ほっとため息をついた。

「ごめんね」

 と、ぽそっとつぶやいた。

 話は一通り聞いた。

 リンが高校生だったころ、好きな男子生徒がいた。

 が、しかし、リンはふられてしまった。ただふられただけじゃない。

 リンは子供のころから機械物が好きで、女子高生の身ながらよく機械いじりをしていた。そのためいつも手はオイルで真っ黒だった。

 そのことを知っていた男子生徒は、「ごめん」とリンにコクられたときには普通にふった。が、そのあとがよくなかった。

「あいつ機械いじりなんかして、オイルで手が真っ黒だろー。あんな女と付き合ったらチ○ポまで真っ黒にされまうぜ。そんな無骨な女やだよオレー」

「そーだなー、違うオイルならよかったのになー」

「まーなー、見た目はいいのになー、もったいねー」

 などと、げらげら笑いながらクラスメートと談笑していたのを、あろうことか、リンはたまたま聞いてしまった。

 下校時間、男子生徒がクラスメートと一緒にあるいているのを見かけ、、慌てて隠れてしまったが、そのときに、それが聞こえた。

 リンは、自分の手をじっと見つめた。

 その手には、オイルの沁みがあった。もちろん洗って落としてはいるんだが、すこしばかり残ってしまう。

(そんなに、女が機械いじりをするのがいけないの……)

 ショックだった。こうしてリンの初恋はずたずたに引き裂かれてしまった。

 あの時以来しっかりトラウマになって、突然手を洗いたくなる衝動にかれれて、さっきみたいに……。手をじっと見れば、オイルの染みがすこし残っている。よく見なければわからない程度だけど。

「走ってるときは緊張感あるからないんだけどさ、それ以外のときで突然、ね……」

 寂しそうなリン。あれから恋愛のれの字もない。ただひたすら、忘れたくて走った。そして自分で整備出来るところははしてきた。

 どうせ、こんな女好きになる男はいない。七人寺峠でも魔女だなんて呼ばれて、だれも自分をまっとうな女として見てくれない。

(おまけに神岡ターンなんかする走り屋ギャルなんて、フツーじゃないよね)

 でも出来てしまう。それを思うと、仕方がないかな、と思う。

 タケシはなんといっていいかわからない。黙っている。

 リンはタケシのほうを向いた。タケシもリンのほうを向いた。

 タケシは戸惑ったような顔をして、何も言わない。それを否定ととったリンは、

「ごめんね、こんな女で。あたしなんかと……」

 といおうとしたそのとき、タケシの顔つきが変わった。戸惑いから一変、何か意を決したような顔になって。リンの肩をつかんだと思ったら、互いの顔が近づいて。

 唇と唇が、触れた。


 最初はジョークのつもりだった。

 それがいつの間にか、マジになっちゃったみたいで。リンは腕をタケシの背中に回す。

 タケシは背中に回された腕の感触を感じながら、唇を離すとすこしお互いに見詰め合って。ぎゅっ、とリンを抱きしめた。

 リンはキスの余韻にひたりながら、タケシの腕の中で安らぎを覚えていた。

 力強い抱擁だった。このまま腕の中で溶けていきそうだった。

 ビンタ覚悟。衝動的なファーストキスだった。

 だけど、リンはタケシを受け入れてくれた。

 顔がとても熱く火照る。いまどんな顔をしているんだろうか。

「昔のことじゃないか」

「え?」

 リンはタケシが言おうとしていることがとっさにはわからないが、さっき話したことについて何か言おうとしているようだった。

「な、なまじっかバックギアのある車に乗ってっから、後ろ向きになるんだ」

「……」

「バイクにゃバックギアはないんだぜ。だから、バイク乗りは前向きでいられるんだ」

「……。ふふ、面白いこというね」

 妙な理屈だが、タケシの言いたいことはわかった。ようは、前向きになるんだ、と言っているのだ。

「そうだね。前向きでいなきゃね」

 リンはタケシの胸に顔をうずめた。艶のよい髪からいいにおいがする。

 胸に顔をうずめていて、いままでのことが、リンの胸の奥で溶けて消えているようで。

 心が軽やかに感じられた。

「ありがとう。君のような優しい人がファーストキスの相手だなんて、夢みたい」

(え、リンさんもはじめてだったのか)

 どきどきしながら、タケシも応える。

「オレも、初めてなんだ……」

「そうなんだ。お互いがファーストキスだったんだね」

「オレも、リンさんみたいなきれいな人がファーストキスの相手で、夢みたいだよ」

 うわーくせー、と思いながらも、それがなんだか心地よかった。

 胸に顔をうずめていたリンは、また顔を上げてタケシを見つめると。

「もう一度」

 と、軽くキスをした。

 ファーストキスに続いてセカンドキスも達成だ。

「これはきれいといってくれたご褒美」

 しばらく見つめ合って、すぅっと空気の流れにのるように離れて、隣同士ベンチに座って夜空を見上げる。

 夜空の月や星たちは、ふたりのファースト&セカンドキスを祝うかのように輝いていた。

 それからなにをするでもなく、ふたりは夜明け前まで公園のベンチに腰掛けて、余韻にひたっていた。


 それから数日後、七人寺峠。

 リンはその速さに磨きがかかり、もはやマサアキもかなわない。

 アルファロメオスパイダーのリアテールを睨みながらも、生気みなぎるその走りにマサアキは舌を巻くしかなかった。

(こりゃどういうこった!?)

 あの夜になにがあったんだろうか。キス以上のことをしたんだろうか。わからないが、野暮ったいことは聞くまいとリンには何も言わないでいる。

 しかし、気になる。ドライビングに集中できない。おかげでリンの前を走れないでいる。

 とかするうちに、いい音をさせてYZF-R6がやってきた。

「お、きたきたきたぁー!」

 リンはYZF-R6に標準を合わせると、狙い済ませた狩人のようにぴったりとYZF-R6を追いかける。

「うわ、はえーし!」

 とかいいながら、リンに前は譲らない。バイク乗りのプライドにかけて。

 吹き飛ぶ景色、夜空にぶつけられるサウンド。全身で風にぶつかり、打ち砕いてゆく。のだが、今夜のリンは絶好調!

 コーナー突っ込み、タケシのYZF-R6のブレーキランプが灯るとともに、その横に並んでぶち抜き!

「うわーやられたー!」

「おーっほほほ! まだまだ甘いわね」

 追う側と追われる側が入れ替わる。YZF-R6はアルファロメオスパイダーのテールにぴったり張り付く。

 その後ろでハチロクレビンのブレーキランプが灯り、スローダウン。

「……。はぁ。……」

 ため息、無言。

 なぜかマサアキはこのふたりについていってはいけないような気がしていた。

 そんなマサアキなど知らず、リンとタケシの追いかけっこ、バトルが繰り広げられる。ノリにノッたリンは調子こいてドリフトまでかます始末。

 アルファロメオスパイダーは軽やかにフラダンスを踊るように、リアを振る。それは、めちゃんこ上手かった。速かった。

「漫画かよ!」

 そんなドリフトで速いなんて、と思わず叫ぶ。外車のリンがこうだから、マサアキの方こそもっと頑張ってもらわないと。

 と思ったら、アルファロメオスパイダーはコーナーのかなり手前でケツをぶぅんと振って、スピンしそうになる。

「○×△▽□◇☆ー!」

 タケシの言葉にならない叫び。ファースト&セカンドキスの相手のやばそうな様子に、どっと冷や汗が全身を濡らす。

「なんのー!」

 リンの一喝。突然リアタイヤがロックしたかと思ったら、バックランプが灯る。

「で、ええええー。そんなのありかー!」

 スピンする、と思ったら。リアタイヤが反対方向に回りながら体勢を整え、コーナーを抜けた。リンの見事なまでの神岡ターンがキマった。

「どーお? バックギアで前向きよ!」

 というか、車は道に対しかなーり斜めを向いているから斜め向きといった方があっているか。いやそんな突っ込みはともかく。

 よっしゃー! と叫ぶようなマシンサウンド。まるでリンの勝ち誇った笑い声が聞こえてきそうだった。

 こればっかりは、いくら力んでもバイクでは出来ない。

 驚きのあまり、タケシのペースが落ちてゆく。そして、いつの間にかアルファロメオのテールが遠ざかっていった。

 今夜の一番は、間違いなくリンだった。胸のつっかえが取れたことが軽量化になったようだった。っていうか、これじゃタケシの立場がない。まあしかし、あの時は男女としてでも、いまは走り屋としているのだから、それはそれ、これはこれ、ということなんだろう。

 タケシは、数日前のロマンスなどとうに忘却の彼方に吹き飛んで、悔しさのあまり月に向かって吼えていた。

「バイクにゃバックギアはないんだぜ!」

 

episode5 バイクにゃバックギアはないんだぜ! 了

episode6 大観世音菩薩峠 に続く

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