episode4 ロミオと、ジュリエット?
「ああロミオ、あなたはどうしてロミオなの!」
舞台に響くジュリエットの声。
そのかたわらで。
「女の急所……」
という変な言葉も聞こえる。そうかと思えば。
「ああアチャラカアチャラカ!」
というさらに意味不明な言葉。
(もう、よそで練習しなさいよ)
雰囲気ぶち壊しでしょーが! と、サムソン役とマキューシオ役の人に怒ってやりたかった。
ここは街の商店街の中にある小劇場。明日より公演のはじまる演劇「ロミオとジュリエット」の練習にみんな余念がない。
劇場のあちこちで、それぞれが自分の台詞を覚えようと必死だった。
通しの練習は、まとめ役のリーダーが来てからだ。あと三十分で来るという。ちなみに、その人がロミオ役だ。
この劇場は、さる商店主の演劇鑑賞趣味が高じ、なんと小さいながらも自分で作ったものだった。
劇場、といってもファーストフード店だった空き店舗を改装し、奥ににわか作りの演題を置いただけの質素なものだったが、それをさらになんとタダであちこちのアマチュア劇団に使わせているから、ほぼ毎日何かの演劇が催されている。
タダと書いたが、条件がある。それは、商店主の大好きなシェイクスピアの演劇をすることだった。
なんでもなんかの戦国時代の映画がきっかけでシェイクスピアにはまったそうだが、若い人たちにはなんで戦国時代とシェイクスピアが関係あるのかよくわからなかった。
あるものは。
「生きるべきでござ候か、死ぬべきでござ候か」
と時代劇口調のハムレットを滑稽に演じて失笑を買っていた。
それはさておき。
「最近は中国映画も頑張ってるじゃないか。日本も頑張ってほしい!」
とかなんとか商店主のおっちゃんは言ってたそうだ。
「ええもちろんですわ。わたしにいわせれば、『あんなやつが』皇帝か、ときたもんですわ。チャンチャンの、チョイ! ですわ!」
それをいうなら、ちょちょいのちょいだ、という突っ込みはともかく、ジュリエット役の楓子は鼻息も荒く、役作りに精を出すのであった、が。いざその中国の映画を、ことに女優の入浴シーンを見たとき。
「背中、お尻……。負けた……」
と密かな敗北感と嫉妬をも覚えていた。
で、その鬱憤を、バイクで迎えに来させている弟のヒデにぶつけた。
「明日は絶対に観に来なさいよね!」
「わかってらあ、何度も言うな。この、馬鹿っ!」
「馬鹿、馬鹿ですって。このおー!」
とCBR600RRのリアシートから、自分の胸を押し付けた。
「だからそれやめろっていってるだろーがっ!」
ウィリーしておっことすぞ! と背中に柔らかな感触を感じながら、怒りを爆発させた。
「かわいくないわね。少しは照れたり戸惑ったりしなさいよっ」
「オレはあんたが読んでる『いちすな』とかいう何かの漫画の弟吸血鬼じゃねえ!」
「残念でした、それ読んでるの未来よ。あたしはちょっと借りて読んでるだけ。ってかあんたなんで知ってるのよ!」
「……」
沈黙。実は絵柄とカタカナ三文字の出版社の名前に惹かれて、「も、もしかしてエロシーンも♪」とよからぬ期待をして密かに読んでた。が、内容に戦慄し、途中でやめた。
姉に迫られるなんて、とても他人事とは思えない。
そういえば映画版は読んでる湾岸漫画のVシネマ版のと同じ監督だったなあ、とふと思った。
それはさておき、ひとついえるのは、あまりにも騒がしいその性格ゆえに、ふたりともその漫画に出て来そうにないキャラなのは確かだ。
「あーわかった。そういう風に迫ってほしいんだ♪ じゃ赤ワインを……」
「なんでそうなるんだ。あんたオレ困らせて楽しんでるのか」
「うん、そう」
即答。
「我慢できなくなったら、いつでもいらっしゃい。お姉さん(文字通りお姉さん)が教えて、あ・げ・る♪」
こんなやりとりをしながらもどうにか家に帰り着いて、ヒデは鬱勃とした気持ちを抑えきれず、楓子を降ろすなりそのまま走りに行ってしまった。
その背中を楓子は可笑しそうに見送って。
風呂に入ろうとして服を脱ぎ、それから自分の後姿を鏡に写して、見た。
「負けた……」
ぽそっとつぶやいた。
かと思うと、さぶーんと湯船に飛び込んで。
「ああーーん。くやしいぃーー!」
叫び声を風呂場にわんわんと響かせた。
その様は溶鉱炉に落ちた液体金属のロボットのようだ、と叫びに驚きこっそりと風呂を覗いた妹の未来は思った。
……いやいや筆者も筆が滑った。話の軌道修正をしよう。
楓子に散々挑発を喰らったヒデは夜の街をかっ飛ばしていた。
唸るマシン、全身で風にぶち当たり、砕く感触。
(マジむかつく!)
女日照りで彼女がいない。それであれだ。いやそれ以上に、姉の挑発でムラムラする自分がもっといやだった。
それを走って発散させようとする。
(ちぇっ)
CBR600RRは、ホームコースの黒沢峠でなく、七人寺峠へと向かう。
黒沢峠は夜ひとはいない。が、七人寺峠は四輪が夜走っている。で、その四輪と一緒にタケシが走っている。
今夜もいるかどうかわからないが、とりあえず行くことにした。
タケシはあの日以来、ハチロクレビンと赤いオープンの外車とつるんで走っていた。昼黒沢を走り夜は七人寺という感じだ。
「……。はあっ」
ため息をついた。さっきまでの威勢のよさがウソのようだ。やはり、楓子の身体が気になる……、ということはさすがになかったし。この小説はそういう小説ではないので、期待された方はどうかご容赦願うとともに、江戸川乱歩先生や冬目景先生など、他の諸先生方を当たっていただきたく……。
それはさておき。
スピードを下げた。なんか妙にローテンションで、こんなんで飛ばすのは危険だ。
夜風がヒデをなでる。涼しくて心地よい。
そうこう走っているうちに、七人寺についた。
街とは違い、山は闇夜の暗闇に覆われていた。
丁度なにか四輪が折り返してコースに入ったところだった。その四輪はいい音をさせて暗闇の中消えていった。
いつもなら後ろについてアオり倒すところだが、そういう気になれない。というか、ここは余計な真似はしないほうがいい。
コースの途中で自販機のある、休憩できる待避所がある。とりあえずそこに行けば、ハチロクレビンが停まっていた。
CBR600RRが待避所に入ったところへ、向こう側からぱっとヘッドライトの光が灯った。と思ったら、タケシのYZF-R6とリンのアルファロメオスパイダーがいい音をさせてかっ飛んでいった。
闇夜をヘッドライトの光で引き裂き、マシンのサウンドが静寂を打ち破っていく。
それを横目に金髪ヤンキー、三木眞明ことマサアキが愛機のそばで缶コーヒーで一服している。
待避所に入ってきたヒデを見て。
「よう」
と、軽く笑って缶コーヒーを持つ手を上げた。
あれから数日が経ち、何度か走っているうちにいくらか仲良くなった。
「劇は明日だな。観にいくからねーちゃんによろしくな」
と、にこにこしてヒデに言う。
「ああ、よろしく……」
苦笑いをまじえ、応えるヒデ。
そうなのだ、なんとヒデは楓子出演の「ロミオとジュリエット」の劇に、マサアキを誘っていたのだ。
(まったく、感謝せーよ)
と、夜空越しに楓子に念を送る。
「あんた、走り屋の知り合いがいるでしょ。その人たちに来てもらえるように誘いなさい!」
と有無を言わせず、ヒデに勧誘をさせた。
そのとき、一枚のブロマイドを手渡した。ドレスをまとって、ジュリエットになりきった楓子のブロマイドだ。
「これ見せりゃイッパツよ」
おほほ! と自信マンマンで言ったが果たして。
「お、美人だな! 行く行く」
と、マサアキはイッパツでかかった。
ヒデは信じられんと、口をあんぐり開けて呆けた。マサアキは、どうも女を見る目がないようだ。
ふと、またいい感じのマシンサウンドがした。悪友の鷲津武志ことタケシと、五十山田鈴ことリンだ。
走り終わったようで、二台そろって待避所に滑り込む。
で、リンはヒデとCBR600RRを見て、にっこりと笑って。
「明日観にいくよ」
と、なんとも友好的態度でヒデに言う。
「ああ、ありがとうございます」
と手を合わせ仏様でもおがむように頭を下げた。
リンは外車のオープンカーをころがすだけあって良家のお嬢様で、幼いころから読書に親しみ、もちろんシェイクスピアにも親しんできたという。
ちなみに一番好きなのはマクベスだそうだ。
で、ヒデが楓子の「ロミオとジュリエット」の話をしたとき、「いいよ」と快く返事をしてくれた。もちろんこれだから、ブロマイドは必要なかった。もし必要であったら、それはそれでちょっと怖くなったかもしれない。
それはさておき、会ったときは厭味な外車乗りと思っていたが、これイッパツで印象が逆転した。
で、タケシだが。
「劇明日だな。長崎ちゃんぽん忘れるなよ」
と、タケシらしく(?)買収を自ら要求してきたので、やむなく好物である長崎ちゃんぽんをおごることにした。
美人が出演といったって、それがヒデの姉となると興味はグンッ! と薄まるようで、最初「えーめんどくせー」と渋っていたもんだった。
さて、もうひとり、タケシとヒデの走り屋の先輩である五音龍太郎ことゴネリュウ。
ゴネリュウにも、劇のことは言った。
すると、何を思ったか「ひっひひひ」と薄ら笑みを浮かべて。
「わりぃ、その日はどーしても抜けられない用事があるんだ」
と言っていた。
ヒデにはそれが妙に気になったが、今は忘れて明日のことで頭が一杯だった。
そうそう、離岸二郎ことジロウと、その子分(?)黒井鉄雄ことテツには、さすがに楓子の命令(?)でも、言ってない。
嫌なやつらで、嫌いだから。
で、劇当日となった。
商店街にある小劇場には、ぽつぽつと、人が集まり。パイプ椅子が一列七脚とりあえずまっすぐ、それが五列に並んでいる。人々はそれにに腰を下ろし劇が始まるのをまっている。
壁には全て黒いカーテンがかけられて、劇場の一番奥、舞台が一段(ドラム缶くらいの高さ)と高くなっている。その舞台に赤い垂れ幕がかかっている。
これで電気を消せばあたりは真っ暗になる。こんな暗いつくりの部屋なのは、観客が舞台の劇に集中するようにするためだ。
舞台は固定した数本のドラム缶を柱の代わりにして板を布き、それに黒い布で覆い。それに赤い垂れ幕が垂れている。
さらに赤い垂れ幕の奥からがさごそとなにやら物音が聞こえてくる。劇団員が垂れ幕の奥で最終的なチェックや打ち合わせをしているのだろう。
最前列のパイプ椅子に、舞台から見て左から未来とイリアにヒデ、リンとタケシにマサアキの順で座っている。端の椅子には誰も座っていない。
後ろの方もぼちぼちと人がいて、まあまあの入りだ。おそらくほとんどが劇団員の家族や知り合いだろう。
ヒデと未来、タケシはあくびをこらえ。イリアとリン、マサアキはまだかまだかと開幕をまちこがれている。
やがて、劇場のオーナーのおっちゃんがにこにこと垂れ幕下がる舞台の前に来て。
「本日は当劇場にお越しくださいましてまことにありがとうございます……」
云々と挨拶をして引っ込んでゆくと、明かりが消えてあたりが暗くなって、幕が上がった。
演劇「ロミオとジュリエット」の開幕だ。
まず当たり前だが役者が出てきての芝居がはじまった。声が劇場ところ狭しと響き渡る。
イリアとリン、マサアキはわくわくしながら芝居を見ている。
(へ~、アマチュアといってもなかなか上手ねえ)
と、感心しきりのリン
(あのねーちゃんはいつ出るんだ?)
と、下心わくわくのマサアキ。
(ロミオ、ロミオ。いとしのロミオさま♪)
と、夢見る少女そのままのイリア。
ヒデとタケシ、未来は。
(あー、たりぃ)
と、あくびをこらえながら見ている。芝居や演劇に興味のない人間を無理に引っ張ってくるとこうなってしまうのは、仕方ないことなのか。
そうこうするうちに芝居は進んで、ついにロミオの登場。
そのとき、ヒデとタケシは、あくびをこらえていたのが一転、目を見開き仰天して、あやうく大声をあげてしまうところを、慌てて自分の口をふさいだ。
(ご、ご、ご、ごねりゅう、さん!)
「まだそんなに早いのかい?」
と、びしっと首もとのひきしまった、幕末時代劇で見るような古風で黒い軍服できめた走り屋の先輩、五音龍太郎ことゴネリュウが舞台上でロミオを演じているではないか。
しかもなんだか滅茶苦茶サマになっていて、格好が格好だけに、これで日本刀をもたせれば五稜郭の土方歳三のようだ。
中世ヨーロッパにはほど遠いが、時代考証云々はこの演劇では重要視されず、役者ひとりひとり好きな格好をさせているのだろう。ここらへんがアマチュア劇団の面白いところだ。
しかしついこの間、ゴネリュウの目の前で喧嘩をしでかし説教をされてしまったというのに。そのゴネリュウが土方歳三のような格好をして、ロミオとして舞台に上がるとは、これいかに。
(ああそういえば)
ヒデは「はっ」と誘ったときのことを思い出した。
用事があるといってたが、なるほど用事とはこのことだったのか! まさか演劇やってたなんて知らなかった。
しかも姉と同じ!
「僕は迷子なんだ。ここにいて、ここにいない……」
ヒデやタケシなどお構いなく、感傷たっぷりにロミオを演じているゴネリュウ。
しかし、峠最速の走り屋のもうひとつの趣味が演劇でロミオやるなんて、誰が想像しえただろう。だがかなりサマになっている。こないだふたりに「どーしたどーした十三歳」だなんていってたのが嘘みたいだ。
それをよそにイリアが、未来までもが。
「きゃ、かっこいい」
と、ぽそっとつぶやいていた。暗くてわからないが、顔は憧れで真っ赤。夢見る少女は、いままさに夢を見ている、というところか。
ロミオ役が走り屋してるなど知らないリンも。
(ほほ~、いい男じゃない)
と感心してる。マサアキは。
(ロミオはいーからジュリエットだせー)
と相変わらず下心発令中だ。が、もしあとで走り屋してることを知ったらどうなることやら。
それはさておき芝居はロミオが感傷たっぷりにグチグチいっているのを、親友マキューシオとベンヴォーリオに誘われて舞踏会にゆこうとするところから場面はかわり(役者まず全員引っ込み)、ついにジュリエット楓子登場。
同時に。
「はぁ~」
と客席からため息がもれる。
身にまとった中世ビクトリア朝のドレスは、楓子のスタイルのよさを緩やかなラインを描いて表現している、いうなれば「ばん、きゅっ、ばん」とでもいおうか。
その楓子は艶のよい黒髪をさっそうとなびかせて、堂々とジュリエットを演じている。
「どうしたの? 呼んだのは誰? (乳母役がお母上さまですという) 母上さま、わたくしはここに。何の御用でしょうか?」
その堂々とした演技は、母親役を圧倒してあまりあり、女王様の風格十分の演技であった。
宴がはじまる。出会いがある。そして一時の別れ。
劇は進む。
ジュリエット楓子はバルコニーに見立てられた脚立(横の幕で隠されて、上半身だけが舞台に出るよう身を乗り出す)の上に立ち、天井を見上げながら。
「ああロミオ、あなたはどうしてロミオなの!」
と、超有名な台詞を絶叫した。
「名前がなんだっていうの! 薔薇が薔薇という名でなくなっても、あの香りはかわらないわ……」
絶叫は続く。力強い声である。
その力強く張りのある声は、観客たちの心を打ちつけてあまりあった。
「……きれい」
とささやいたことに気づいて、リンは知らずに楓子に嫉妬していた。
このときばかりは、みんなその美しさと、気迫、に心を奪われていた。
(ヒデになりたい)
一瞬でもそう思ってしまったタケシは自分が自分で悔しかった。
マサアキはにこにこご満悦であった。
ふと、楓子と目が合った。さらにご満悦であった。
(うふふ。わたしって、罪な女)
楓子もご満悦であった。
そのとき、声を聞きつけた土方ならぬロミオのゴネリュウ。
「そのお言葉通りいただきましょう」
と颯爽と登場。
「誰なの!」
ぱんっ、と張りのある声。その声は、上から下へと叩き落すような、威圧感があった。
(ああふーちゃん、もっとおしとやかに)
ゴネリュウは演技をしながら心の中で楓子に向かってつぶやいた。しかし、それは通じてなくて、楓子は胸を張って堂々とジュリエットを演じるのであった。
「そのお声、ロミオ様、モンタギュー家のロミオ様じゃございません!?」
「いえ、貴方がお嫌いであるならばどちらでもありませぬ」
「でもどうしてここに? 何のためにお出でになられましたの?」
言葉遣いこそ丁寧だが、まるで尋問でもするかのような威圧的な問いかけで、余裕ある丁寧な言葉遣いがさらにその威圧感に拍車をかけているようだった。
(ありゃりゃ~。もうこうなりゃ仕方ない)
ゴネリュウはあとでしっかり弟に当たってやると思いつつ、そのまま演技を続けた。
「いったい誰の手引きによるもの? ここがわかったのは」
「恋です。恋の手引きでここがわかりました」
(くっさ~~)
ヒデとタケシは思わず頬を引きつらせた。あの走り屋の先輩から、恋だなんて。しかも後輩の姉を相手に。
演技とわかっていても、なまじ知ってるせいか、妙に劇に入り込めなかった。
だが、ゴネリュウを知らない四輪コンビと妹コンビは、まじまじと劇に見入っている。未来とイリアなどはもう目は釘付けで胸をときめかせまくりであった。
(ロミオ役の人、かっこいい~。あとでお話させてもらおっと♪)
「塀など恋の翼で軽くひとっ飛び。石垣ごときで、どうして恋をとじこめられましょう……」
「でも、もし見つかれば殺されてしまうわ」
「どうして剣など恐れましょう。剣などよりもあなたのその瞳がなにより恐ろしい」
(ほんとに怖い目してるし。もう……)
演技にのめりこむあまり、ゴネリュウを見つめる楓子の目は見開かれてぎんぎんに輝いて、今にも襲いかかってきそうだ。
背後からオーラが見えたようだった。
「ああ、朝だわ。帰ってくださらない? でも離したくない。まるであなたは子供の飼っている小鳥のよう。かわいがって、離して、紐で引き戻す。そんな小鳥」
「いっそその小鳥になりたい」
「でも、かわいがりすぎて殺してしまうかもしれませんことよ。それでもよろしくて」
ジュリエット楓子の目が光った。ように見えた。
ほんとに殺しそうな迫力ある『啖呵』だった。
(ジュリエット、つーか、マクベス夫人?)
その迫力に、リンは楓子をそう見た。
まるでロミオに悪だくみを迫っているよう。
だがそれも、楓子の美しさあってのこと。リンの嫉妬の炎をさらに燃え上がらせるのであった。
やがてジュリエットは乳母に呼ばれて、奥へと引っ込んでゆき、ロミオも奥へ引っ込んだ。
それからも、女王ジュリエット先行のロミオとジュリエットの劇は激しく進んでゆく。
なにせ出演者の中で一番声がでかいのだ。
本来ならハチャメチャな台詞で舞台をひっかきまわすはずのマキューシオや乳母が、完全にジュリエット楓子に圧されてその存在感は薄まる一方であった。
舞台は進む。
両家のいさかいからロミオの親友マキューシオは殺され、復讐にとロミオは仇を殺してしまい逃亡。
その剣撃アクションシーンはさまになったもので、相当練習したのであろう、ゴネリュウは剣をキ○ビルばりに自由自在にあやつって、相手をしとめるのであった。
悲嘆にくれたジュリエット、ふたりの仲を取り持っていた僧ロレンスに向かい。
「ロミオ様はどこ? どこにいるの!?」
と迫力満点で迫り、僧ロレンス役の人は完全に引いていた。
ヒデは僧ロレンス役の人に同情していた。
さらに舞台は進み、墓場で、例の仮死状態にする毒薬を、ぐいっ、と一気飲み。その飲みっぷりに。
「この一杯のために生きてるなあ」
という台詞が聞こえてきそうだった。
そしてクライマックス。
ロミオはジュリエットの死を本当の死と勘違いし、逃亡先で仕入れた毒薬を飲んで死ぬ。
「ロミオさま、ロミオさま、ああ、毒を飲んで死んでしまわれたのね。瓶には一滴も残ってないわ。ならば、あなたさまのその唇からいただきます……」
と、キスシーン。
どよめきがおこった。
(ほ、ほんとにキスしてるのか!)
どうも、そのようだった。
(まぢか!)
驚いたゴネリュウ。死んでいるのに飛び起きそうになってしまい、逆白雪姫のようになりかけた。
自分の唇に、楓子の唇が触れた。やわらかな感触と、あたたかな息遣い、ほのかなコロンの香りが、その身ならず心までなでてゆくようであった。
打ち合わせでは、顔を近づけるだけで、ほんとにはしないはずだった。
(あら、近づけすぎたわ。ま、いいか。五音さんならいくらでも♪)
少女のようなときめきを、楓子は知らずに覚えて、顔を離した。
満面の笑顔だった。
客席はほんとにキスをしたことに驚いていた。
走り屋連中に、妹コンビは、呆気にとられていた。特に肉親のキスを見るというのは気まずいもので、ヒデと未来にイリアはさりげに顔を背けていた。
なにより美男美女のキスシーン。さすがのリンも、嫉妬する気が失せてしまったほどだった。
最後、人が来たことに驚いたジュリエットはロミオの短剣を手に取った。
「さあ、お戻り。この胸が、お前の鞘よ」
と、短剣をその豊かな胸に突き立てた。
そのとき。
ばっしゅーーんっ!
と勢い良く血のりが噴出し、楓子の胸元を赤く濡らしたのみならず、ゴネリュウの顔に飛び散り。さらに後ろの暗幕にまで飛び散り、黒い暗幕の中に突然彼岸花が咲いたような、黒の中に鮮やかな赤を彩った。
「……」
客席はざわめきから一転、沈黙が重く立ち込めた。なんというか、今までのあまりの楓子の迫力ゆえに。
「こーの女狐めがあー!」
と、成敗をされたようにも思え。
黒の中に突然咲いた赤い花の、黒と赤の異様なコントラストに呆気にとられて、それが、沈黙を運んできた。
ばたっとゴネリュウの上にかぶさるようにたおれる楓子。あまりの血のりの飛び散りように驚いて、たおれる位置を確認せずに、豊かな胸をゴネリュウの顔におしつけてしまった。
(おいおいまたまぢかよ!)
また飛び起きそうになったゴネリュウ。息が詰まりそうだ。
(ああん。いけませんわ五音さん)
その苦しそうな息遣いが谷間に流れ込み、楓子も非常に困った。それ以上に。
(気持ち悪い……)
べっとりとする血のりの感触に、ふたりは身を硬くしてかろうじて死人を演じる羽目になった。
(いいなあ)
マサアキは、じっとそれを見ていた。
(ありゃりゃ、血のりの量多すぎたかなあ)
小道具係の人は舞台の奥で頭をかいていた。
あまりのことに、拍手はまばらな中で、幕は閉じられた。
それから、楓子はジュリエットの役を外された。
「気合が入っているのはわかるけどねえ……」
劇団の団長さんは、お客さんが帰って空になった小劇場で、ため息まじりにいった。
「入りすぎだよ……」
「はい……」
閉幕のときの、あのまばらな拍手が、すべてを物語っていた。が、
(次は、ちゃんと拍手も気合入れてせんかい、ってヒデにいわなきゃ)
と考えているあたりが、楓子らしいといえば楓子らしい。
「シュミでやってるアマチュアといっても、ちゃんと役を演じてもらわないと。怖いジュリエットじゃお客さんも喜ばないよ」
と、説教をクドクドクドクドと喰らうこと一時間。さすがの楓子もみるみるちぢんでゆく。団長さん、よほど腹に据えかねていたようだった。
「まあまあ、もういいじゃないですか。ふーちゃんも反省してることだし」
ゴネリュウだった。楓子に助け舟を出す。
(ご、五音さん)
思わず振り向けば、ゴネリュウはにっと笑う。美味しい思いありがとう、と言いたげにしている。なんだかんだで、まんざらでもなさそうだった。
(キスにおっぱい。ごちそうさま♪)
目はそういっているようだ。
周りは「おおー」と歓声をあげる。
こりゃ新カップルの誕生の予感、という風に。
「ん、うん。そうだな、ちょっとくどすぎたか」
空気を読み、団長さんは説教をやめた。で、次にロミオとジュリエットをするとき、誰がジュリエット役なのか、もう考えてたようで。
「ヒカルちゃん」
と、隅で様子を見ていたポニーテールの女の子を呼んで。
「次は君にジュリエット役を頼むよ。頑張ってね」
という。
ヒカルちゃんは、自分にジュリエット役が回ってきたことがよほど嬉しいようで。
「あ、ありがとうございます! 頑張ります!」
と身体を九十度曲げて、何度も頭を下げ、歓喜のままにポニーテールを揺らした。ジュリエットといえば、その名も知らぬものなしというほど有名な役だし、演劇をする女性が是非演じてみたい役のナンバーワンの役だ。
思わぬ形でそれが回ってきて、ヒカルちゃんはにこにこしている。
対照的なのが楓子で、ユーウツそうに、じゃ次はなにを演じるのだと思ってみれば。
「君は、そうだな、次からは『リア王』のゴネリルでもやってもらおうかな」
と団長さんはいうではないか。
「迫力満点の悪女。ぴったりだよ」
とまで団長さんはいう。
ゴネリルといえば、財産を譲った父リア王を裏切り追放した親不孝娘の代名詞的存在ではないか。それが、ぴったりとは、これいかに!?
(わたしはそーゆー風にみられてたのかー)
がーん! と頭の中で鐘がなる。だが、捨てる神あらば拾う神ありとはよくいったもので?
「夫コーンウォール卿は、五音君頼むよ。」
という。
さらに「おおー」という歓声があがった。
(これは、やばいかな)
ゴネリュウの背筋に悪寒が走った。
いやそこまでは楓子のことを思っているわけでなく、軽い気持ちでキスとおっぱいをいただけたという程度だったが。
(そうか、ふたりはそういう仲だったのか! もっと早く気付いてあげればよかった)
団長さんをはじめ、みんな、演劇を見てそう思っていた。そしてさっきの助け舟。どうも、何か勘違いをしているようだった。
楓子は、きゅんっ、と今度は胸が鳴るのを覚えた。ゴネリュウは当惑する。しかし団長さんは陽気に笑い。
「これにて一件落着。じゃあゆくすえに幸あらんことをと、一杯やるか! もちろん、わたしのおごりだよ!」
ゆくすえってなんだよ、と突っ込みたいのをこらえ、もうなにがなんだかで。ゴネリュウと楓子は、互いに顔を見合わせ、仕方なさそうに笑い、みんなと一杯やることにした。
楓子が珍しくヒデを使わず、タクシーで家に帰ってきたのは、朝の六時で。
眠たそうにあくびをしながら家に入ってきて、そのままベッドにたおれこんで、寝息を立てた。
「……」
(わたしは、聞いてはいけないものを聞いてしまった!)
朝食をとろうと部屋を出た未来が楓子の部屋の前を通りかかったとき、寝言なのか、ごねりゅうさ~ん、という姉の猫なで声を聞いてしまった。
それはとてもうっとりとしていて、まさに夢見心地な声だった。今まで楓子がそんな声を出すなど、ありえないことだった。
そして、朝帰りの理由も、直感でさとってしまったのであった。
episode4 ロミオと、ジュリエット? 了
episode5 バイクにゃバックギアはないんだぜ! に続く