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episode3 シスターズ

「ああロミオ、貴方はどうしてロミオなの!」

 華麗なドレスをまとったジュリエットを演じる女優が、どこかの小劇場の舞台でしきりにそう叫んでいる。

 左文字楓子サモンジ・フウコは観客のいない舞台で、ひとりしきりにジュリエットを演じていた。

 ロングヘアが照明に照らされ艶やかに光り輝いている。アマチュアとはいえ舞台に立つだけあって、目鼻顔立ちは整いスタイルもいい、なかなかの美人だ、が。

 野望燃え盛る、という感じで爛々と輝くその目はジュリエットというよりマクベス夫人のようだ。と同じ劇団員がいってるのは内緒だ。

 「ロミオとジュリエット」の公演を後日に控え、練習に余念がない。

 他の劇団員は練習を終えてほとんど帰ったのに、楓子だけはひとり練習していた。

 劇場の支配人がもう閉めるよといって、ようやく舞台の照明は消えた。

 気合の一息をつきながらドレスから普通の服に着替えた楓子、ヘルメットを手にして外に出れば、そこには赤いバイク、CBR600RRが待っていた。

「ねーちゃんおつかれー」

 と、弟の秀樹ことヒデ。

 楓子はヘルメットを被りさっさとリアシートに乗っかる。バイクは夜の街の中動き出す。

 胸が背中に当たる。

「もーちょっとはなれろよ」

 うっとうしい、とヒデが後ろに抗議すれば。

「ふふ」

 と妖しく笑い。

 腕に力を入れて、さらに寄りかかってくる。さらに胸が背中に当たる。

「うわ、よせ。あぶねーだろーが!」

「あぶないのはあんたでしょーが。実の姉相手になにコーフンしてるのよ!」

 ほほほ! と背中に笑い声をぶつける。

「なにいってやがる。まったく、電車賃もタクシー代もケチって弟にアッシーさせるようなせこい女が!」

「ほほう、いうじゃない。まだあたしの女の価値をわかってないみたいね」

「わけわかんねーよ」

「ふーん、じゃわからせてあげようか? あたしの、ぜーんぶを!」

 といって、びっ! とどこかを指差した。

「?」

 と思って指差す先を見れば、けばいネオンのラブホテル。

「あほか!」

「お金出してあげるわよ。そこまでせこくないっての」

「そういう問題か!」

 とかなんとかいいながら、CBR600RRはふらふらしながら夜の街を走っていた。


 家に帰り着けば。

「おかえりなさーい!」

 という元気な女の子の声。声と一緒にヒデに飛びつくツインテールの女の子。

「わっ」

 玄関を開け靴を脱いだ途端に抱きつかれ、危うくこけそうになった。

「あららー、あっついわねー、おふたりさん♪」

 楓子がにやにやしながらその様子を眺めている。

 ヒデは飛びついた女の子を支えて、こけそうなのをかろうじてこらえている。

「まあ、兄と妹で……」

 玄関の騒ぎを聞いて奥から出てきたおかっぱショートの、ヒデの妹で次女の未来が、口に手をやり呆れたように。

「はしたない……」

 とつぶやいた。

「ちょ、ちょっと、なんか話が変な方向に……」

 ヒデは抱きつく女の子の肩をつかんで、なんとか引き離す。

「イリア、頼むからもちっと」

「強く抱いて、って?」

 楓子がひひひと笑いながら勝手にヒデの言葉をつないだ。

「まあ」

 何を想像したのか、未来は顔を伏せ真っ赤になった頬に手を当てる。

 イリアと呼ばれた女の子、甲手衣璃亜コウデ・イリアも同じように、肩をつかまれたまま顔を真っ赤にしている。

「……」

 ヒデ無言。

 そっと、イリアの肩から手を離す。楓子は相変わらず可笑しそうだ。

「ひっひっひ、まあ仲良きことは美しきかな、って。イリア帰ってたんだ」

「うん、1ヶ月ぶりだから、興奮しちゃって」

「血がつながっているのに帰ってきたんだ、ってのもおかしいけど。甲手のおじさんとこに養子に行って、甲手衣璃亜になってるもんねえ」

 イリアは生まれて間もないころ、叔父夫婦の養子になって左文字家を離れていた。詳しい事情はまた後述しよう。

「それより腹減ったよ。なんかないの?」

 そういいながらキッチンに向かうヒデ、その後ろにイリアがとっさについて。

「そうだと思ってお食事作ってたんだ、一緒にたべよ♪」

 という。

 ちなみに両親はともにさる大企業の幹部でいま海外出張中だ。よって、この家にいは、ヒデと、その姉の楓子、妹の未来とイリアの四人しかいない。

「こりゃ今夜は耳栓がいるかもよー」

 ほほほ! と高笑いしながら、楓子はととと、と小走りにヒデを追い越し冷蔵庫を開けて中からバナナを取り出し皮をむき、ぱくりとくわえながら自室に篭りに行った。

「耳栓ってなんだよ……」

 呆れたようにテーブルの椅子に腰掛ければ、なるほどテーブルにはサランラップにつつまれたスパゲティがふた皿置かれていた。

 未来はとっくに自室に篭っている。

 キッチンには、ヒデとイリアのふたりっきりになった。


「そういえば……」

 ヒデはスパゲティをつるつるすすりながら、イリアに言った。

「いくつになったっけ」

「やだー、妹の年くらい覚えといてよ。十五だよ。来年高校受験」

「そうか、そんなになるのか」

「あたし、やっぱり他所の家のコ?」

「おいおい」

 なんだか寂しそうなイリア。どうも、叔父夫婦の養子になったことに負い目を感じているのだろうか。

「あたしちゃんとお兄ちゃんの年覚えてるよ。十九で来年成人式」

「そうか。よく覚えてるな」

「きょうだいじゃない」

「……」

 きょうだい、その言葉に、ヒデは笑ってごまかしながらスパゲティをすする。

「うん、美味い」

 とも言った。

 実際その通り美味かった。

(料理上手くなったなあ)

 なんだかそれが感慨深かった。

 イリアのつくってくれたスパゲティに舌鼓を打ち、それからゆっくり風呂入って寝ようか、と、ふとふとそんなことを考えていた。

「そうそう」

「ん、なんだ?」

「あたしもねえ」

「うん」

「バイク乗りたいんだ。お兄ちゃん、バイクのこと教えてよ」

「え……」

 あやうく口の中のスパゲティをこぼしそうになってしまった。イリア今なんて言った? バイク乗りたい、だって?

「お兄ちゃんがバイク楽しそうに乗ってるのをみてると、あたしもバイクに乗ってみたいなあ、って。いつか、お兄ちゃんと一緒に走ってみたいなあ」

 フォークでスパゲティを引っ掻き回しながら、なんだかもじもじしているみたいだ。

 これがほんとうに、兄と妹の雰囲気だろうか。


 しばしの沈黙が流れる。

 かちり、とフォークを皿に置く音。

「おじさんたちには言ったのか?」

 おじさんたち、すなわちイリアの養父母のことだ。

「え、何を?」

「バイクに乗りたい、って」

「言ったけど……」

 フォークを止めて、じっとスパゲティを見つめている。何か考えているようだ。

 言おうか、言うまいか。

 でも、言わないとはじまらない。

「バイクは不良の乗り物だから、ダメだって」

 ぽそ、とつぶやくイリア。

 視線を落として、どこか物憂げだ。ツインテールが揺れている。

 バイクは不良の乗り物。

 その言葉に、ヒデは口を真一文字に閉めて、フォークを取ってスパゲティをこねくり回している。

(やっぱりなあ)

 ヒデは時々叔父の家にバイクで行くことがあったが、叔父はバイクにいい顔をしなかった。

 バイクは危ない、なにより不良の乗り物だ。秀樹くん、バイクは慎みなさい。

 と言われたこともあった。

 バイク乗りは個性の強い者が多いせいか、どこか世間から浮いた存在になりがちだったし。なにより暴走族が乗り回しているイメージが強い。実際暴走族がよくバイクに乗っていたために、バイクは暴走族や不良の乗り物というレッテルを貼られてしまった。

 なにより趣味性が強く実用性があまりない。車がないと生活に不便でも、バイクがなくても困ることはない。

 たとえば、先日会ったハチロクで豆腐の配達はできても、CBR600RRでは豆腐の配達はできない。

 そういったことから、バイクにいい顔をしない大人たちがたくさんいる。叔父夫婦もまたそんな大人たちだった。

 それよりも。


 きーー、がっしゃーーん!

「いたいよー、お兄ちゃんいたいよおー」

 

 コケてケガをして泣いているイリアのことを考えた。

「だめだ」

「え、そんな」

 意外な兄の言葉に、イリアは顔を上げて戸惑っていた。

 ヒデなら「うん、いいよ」と快く言ってくれると思ったのに。

 さっきまでのいい雰囲気はどこへやら、空気は一瞬にして固まった。

「どうして」

「どうも、お前はバイクを甘く考えている」

「そんな。そんなことないよ。コケたら危ないことくらいわかってるし、安全第一で走るからさ」

「そうじゃない。反対されて、されっぱなしなところがだよ」

 する、とイリアの手からフォークが落ちて。かちゃり、と皿に当たった。

「それでオレに助けてくれ、ってか。でもな、そういうことはひとりでするもんだ。いざというとき、自分のことは自分でする。それがバイク乗りだ」

「それって」

「どうしても乗りたいってんなら、おじさんおばさんを口説きとおすんだな。オレだって、オヤジやオフクロを口説きとおして、やっと免許とったんだぜ」

 実際、叔父夫婦ほどではないが、両親はヒデがバイクに乗るのを最初は快く思っていなかった。それをどうにか、口説きとおしたものだった。

 が、これがヒデの言いたいことなんだろうか。ほんとは……。

 イリアはじっと口をつぐんでいた。目は涙目になっている。

「意地悪!」 

 突然のイリアの叫び。

「なにが意地悪だ。オレは当たり前のことを言ってるんだ」

「少しくらい、アドバイスくらいしてくれてもいいじゃない」

「そんな甘い根性でバイクに乗れるか。そんなんだったらやめちまえ」

「そこまで言うの?」

「言うさ」

「もういいよ」

 イリアはすっくと立ち上がり、キッチンを出てゆこうとする。その背中に向かって。

「なんだその態度は。お前みたいな聞き分けのないやつは妹じゃない!」

 というヒデの言葉。

 イリアはお返しにと、あっかんべー、をしてさっさと自分の部屋に篭りにいった。

 キッチンにはヒデひとり。

「なんだよ」

 ちっ、と舌打ちをして、残りのスパゲティをすすった。向かいのスパゲティは食べる者がなく、ただ冷めていくだけだった。

 もったいないので、それも食べた。

 後片付けもした。


(ああもう、違うことで耳栓のいることになっちゃって)

 小声でジュリエットの練習をしていた楓子だったが、キッチンでのケンカは二階にまで聞こえた。

 あれだけいい感じの雰囲気だったのに、一体ぜんたいどうしたっていうんだろうか。

「もう」

 未来は読書を邪魔されて呆れたようにため息をついた。

 今夜こそゴーリキーの「どん底」を読破してやろうと思ったのだが、その気もうせて、何かぱっと明るいもの、「用心棒」でもとDVDをプレイヤーにセットし、ヘッドフォンをつけて観た。 

 が、間違って「蜘蛛巣城」をセットしてしまい、おどろおどろしいオープニングの笛の音にげんなりして、やってられないわ、と寝た。

 どたどたどた、ばたん。という乱暴な音が聞こえた。

 布団をさらに深く被った。

 これで落ち着いて寝れると思いきや、すすり泣く声。

 そのすすり泣きのせいか、なぜか首を刎ねられる夢を見てしまった。


 朝。どたどたどた、どんどんどん。という乱暴な音にたたき起こされて。ヒデは目をこすりながらベッドから起き上がった。

「なんだようるせーな」

 とつぶやきながら、ドアを開ければ、そこには怖い顔をした楓子と未来。

「な、なんだよ」

 思わずたじろぐ。

 たじろぐヒデに詰め寄るふたり。

「大変よ、イリアがいないのよ!」

「兄さん、ゆうべ何かひどいこと言ったの?」

「なんだと!」

 姉と妹の言うことを聞いて、ヒデはたじろぎ一転驚いた。

 時計を見た。まだ朝の五時だ。それでいないってことは、それより早い時間に、そっと家を抜け出したってことか。

 女、どころか女子中学生の身で。

 楓子いわく。空腹で目が覚めてキッチンに行こうとしたとき、イリアの部屋のドアが開いているのに気付き中を覗いてみれば、もぬけの殻。ということだった。

「おじさんちに帰ろうとしてるのかも」

 思案げに未来が言えば。

「まだ駅にいるかな。早く行きなさいよ」

 とそわそわの楓子。まさか家出ではない、と思いたい。

 ヒデは、言われるまでもない、と姉妹がいるのもかまわず寝巻きを脱ぎ着替えようとする。

「きゃっ」

 と目を伏せる未来に対し、楓子は腕を組んでまじまじとヒデの着替えを見ている。が、構わない。

 着替えが終わりヘルメットを担いで部屋を出る。

 しばらくして、CBR600RRのエグゾースト。

 朝日昇る街中を、駅に向かってCBR600RRはかっ飛んだ。朝の冷たい空気を打ち砕いて走ってゆく。

 風の破片が首筋をなでてゆく。

 吹き飛ぶ街の景色。空は白みがかって、雲は悠々と浮かんでいる。それを朝日が下から照らす。

 街は吹き飛ばされているのに、空の雲、朝日だけは悠然とヒデの前に立ちはだかっている。走れども走れども、空には追いつけない。

 などと考えるゆとりもなく、ヒデはアクセルを開けた。

(イリア……)

 ふと、ゆうべのケンカのことを思い出した。

「悪かった。お前のことが心配だったんだよー!」

 空に向かって吼えた。マシンサウンド以上に吼えた。

 まさか、何も言わずに立ち去ってゆくなんて。

 駅に向かって、CBR600RRは一陣の風となって街を駆け巡った。バイパス路に出、道沿いのビルなどの建物を吹き飛ばしてゆく。

 後ろに謎の青いマシンがつけているとも気づかずに。

 ボディには黄色い555のロゴ。名は、SUBARU IMPREZA WRX。

 少し古い型で、今のぎょろっとしたようなヘッドライトではなく、少し落ち着いたような、のっぺりとしたような横長のヘッドライトの、GC8型のやつだ。

 リアスポをたっかだかと掲げて、風を切る。

 峠帰りで、まだ足りない。とでもいうのか、飛ばすヒデのCBR600RRを見つけるや否や、ロックオンよろしく、後ろからこっそりストーキングをする。

「ん、なんだ」

 気配を感じてミラーをのぞけば、その青いインプレッサが後ろからついてきているではないか。

「なんだやる気か!」

 とは、言わない。

 今はそれどころではない。

 しかし向こうはその気のようだ。それを察し、端によって、やりすごそうとする。

 が、そうは問屋が卸さない。

 CBR600RRが左のウィンカーを出して、それを追い抜いた、と思った途端。

 ぱっ。

 と灯るブレーキランプ。

「あぶねえ!」

(何考えてやがる!)

 慌ててよけて、一瞬横に並んだ。それから追い越すかたちになって、前に出た。

 追い越し様の後部の窓に、Piero Liattiピエロ・リアッティ という文字が見えた。そのマシンはゲーセンで見たことのあるラリーマシンのレプリカで。Pieroはドライバーの名前なのだ。

 が、ヒデはWRCを見てないので、ピエロ・リアッティを知らない。

 だから。

「ピエロ? マックかい!」

 と、のたまった。

 サーカス、といってもよさそうなところでこうとは、食い意地の張ったことだ。

 それはさておき。

 そのピエロは、ヒデと遊んでほしくて仕方ないらしい。並んだまま、コックピットからしきりに熱い視線を送っている。

 でも、それどころではない。

「ぶっちぎちゃる!」

 アクセル全開!

 目一杯の雄叫びを上げるCBR600RR。

 背中にぶつけられる水平対向サウンド。まるでボクサーがサンドバッグを打っているかのようだ。

 突如としてくうは揺れる。

 突如としてマック(とヒデは呼ぶ。ピエロ・インプレッサのこと)との戦いははじまった!


 加速はやはり二輪のCBR60RRに分があった。が、しかし、徐々に、徐々に追い詰められている。

 ヒデの脳裏に蜘蛛の巣のように張り巡らされた道路マップが浮かんだ。今自分がどこにいるか、どこを走ればいいのか。コンピューターに換算すれば何ギガバイトという処理能力で、瞬時に弾き出す。

 道はすいている。

(少々の赤信号は無視!)

 目の前の交差点の信号はまだ赤だ。が、かまわず突っ込み、左に曲がる。ピエロ・インプレッサもついてくる。

 コーナー手前で上下するマシンサウンド。ヒールアンドトーで上手くギアをあわせながらシフトダウン、ブレーキング。そして進入。

 軽妙にうたい、スライドするタイヤ。

 前から引っ張り後ろから押し出す加速。どんっ、とドライバーの胸倉を掴んで引っ張り背中をどつくような加速。

 ぐにょーんと右に左にうねる道路。路面にヴァーチャルラインが引かれ、そのライン沿いに走る。

 目を見開き、口は半開き。

 全身で風にぶつかり、打ち砕いてゆく。

 ミラーには、しぶとくピエロ・インプレッサ。

 右に左にうねった後に、直角右コーナー 臥せ気味の上半身を起こして踏ん張りブレーキング。

 その隙に。

 すい、とインから追い越すピエロ・インプレッサ。

「くそがっ!」

 やっぱり突っ込みは四輪が強いか。コーナー突っ込み、一本の腕で腕立て伏せをするか、二本の腕で腕立て伏せをするか、その差はでかい。

 そのままぶっちぎるか。と思ったら、また急ブレーキ!

「うわっ!」

 慌てて避けるヒデ。また前に出た。

「こいつ!」

 オレで遊んでいるのか。

 まったく、それどころじゃないってのに。こうなりゃどうしてもぶっちぎらないとダメか。

 コーナーを抜け、長い直線。向こうの交差点、信号が小さく見える。

 マシンサウンドで朝の静けさを引き裂き、全身で朝の冷たい空気にぶつかって、打ち砕いてゆく。風の破片が、ヘルメットを揺らす。その冷たい手で首筋をなでてゆく。

 右手はアクセルをひねりっぱなし。周りの景色は吹き飛んでゆく。

 交差点はぐんぐん迫ってくる。

 中央車線に寄った。右ウィンカーを出した、ブレーキング。右に曲がる。

 ピエロ・インプレッサも右に曲がる。

 数台の一般車がある。それを右に左にかわしてゆく。

 その中に覆面パトカーがいないことを祈る。

 さっ、と一瞬後ろを向いた。

 後ろはやる気マンマンでぴったりくっついている。

(さあどうすべえ)

 ぶっちぎる、とはいうものの、なかなか簡単には出来そうにない。

 なによりこっちは人探しをしている。ある意味時間との戦いだ。

 それでこんな道草食うわけにもいかない。

(頭を使え)

 理力とでもいおうか、気が張っているせいか、はっとひらめいた言葉。

 たしかに、必ずしもまともにやりあう必要はないのだ。

 なによりも、イリアを探すことが先決なのだから。


 そうこうしているうちに、交差点が来た。

 ヒデは右によって、右ウィンカーを出し、ブレーキング。右に曲がる。 

 ふりをして、交差点につくや否や身を翻して左に曲がった。

 ピエロ・インプレッサはまんまとだまされて、右に曲がってゆこうとして、慌ててスピンターンをしてCBR600RRを追いかける。

 それが、豆粒大の大きさでミラーで見えた。

「ふざけんなよ、ボケが!」

 さんざん遊ばれてトサカに来てたヒデは、後ろを向いて、勢い良く中指をおったてた。

(こっちゃイリア求めて三千里の思いでいるのに、それを知らずに弄びやがって)

 これであきらめてくれればいいのだが、向こうもスバリスト(スバル車乗り)の意地があるのだろう。しつこくヒデを追いかけてくる。

 このまま道なりに走れば駅だ。さてそれまでどうするか。

 道はビルの谷間を縫うように、さりげに右に左に曲がりくねっている。

 途中途中に交差点もあればわき道もある。そこから突然車が飛び出しはしないか冷や冷やもんだ。

 と思ったら、目の前のわき道から突然車が飛び出す。

「うぉお!」

 急ブレーキをかけながら、右にふくらみ車のフロントノーズをなめるようにしてとっさにかわす。

(あ、マックは?)

 かわして急に気になってミラーを覗いた。

 ピエロ・インプレッサも急な飛び出しに驚き、あろうことか前後不覚にも陥り、なんとか車はよけたものの、右に左にまるでフラダンスでも踊るかのようにケツを振っている。

「うわ、マックラッシュ!」

 マックがクラッシュする! と言いたかったが、舌が回らずそのまま続けてしまった。

 わき道から飛び出した車は、面倒ごとをいやがってか、我関せずとさっさと逃げてしまった。が、それでよかった。

 もしあの車にぶつかってしまえば、事態はさらに面倒どころか、怪我人さえ出しかねなかったのだから。

 そうならなくてよかった、と言うべきだろう。

 で、ピエロ・インプレッサはというと、道のど真ん中でぐるっと回って、立ち往生していた。タイヤからの煙が、うっすらとたちこめて、インプレッサを囲むようにぐるっと回りながら、空の中に消えていった。

 これも、朝早い時間だからよかったが、交通量の多い昼時だったらしゃれにならなかった。

 もっとも、朝早い時間だからヒデにちょっかいを出したのだろうが。

「ふぅ、あぶねえあぶねえ」

 インプレッサのドライバー、江戸川は大きく息を吐いて、外を見た。

 ちょっかいを出したバイクのやつと目が合った。といっても、向こうはヘルメットのスモークシールドを閉めているので、中はわからない。が、確かにこっちを見ているのはわかった。

 視線を痛いほど感じる。

 しばらくの間、ヒデもじぃっとピエロ・インプレッサを見ていた。

「わるかったな。オレの負けだ」

 江戸川はそう言うと、クラクションをぴっと鳴らして、何を思ったかサブロクターン(360度ターン)をかまして、水平対向の音を奏でながら、どこかへと消えていった。

「楽しかったぜ、か」

 ヒデはぽそっとつぶやいた。

「リターンマッチいつでも受け付けるぜ」

 インプレッサとは反対方向へと、CBR600RRは走り出した。


 駅が見えてきた。

 ここで。

「ふう」

 と大きく息を吐いた。まったく、駅まで行くのになんで大変な思いをしなきゃいけなかったんだか。

 かといって、駅にイリアがいるという確証はない。

 が、いくだけはいってみよう。それでいなかったら、おじさんちに連絡。

「あっ!」

 そうだ、こうして駅に行く前に、おじさんちに連絡しといた方がよかったんじゃないか。

 イリアは携帯電話を持っていない。養父が持たせていないのだ。

「えっ?」

 あ、そうだ。イリアはまだおじさんちには着いてない、か。電車の始発はまだ出ていない。歩くには遠い。

 というか。

「あああ、もうつべこべ考えるな考えるな。とにかく」

 駅へ行こう。

 駐輪場にCBR600RRをすべりこませ、駅構内に飛び込んでいった。 

「いた!」

 構内のベンチに腰掛けて、うつむいて電車を待っているツインテールの女の子。イリアだ。だっと駆け出した。

「イリア!」

「お兄ちゃん!」

 イリアもヒデが来たことに驚いて、さっと立ち上がった。その時。

「イリア、あっ!」

 もうすこし、というところで、ヒデは足をもつれさせて、転ぼうとしていた。さっきのバトルで思った以上に気力を使って、それが足腰に来たらしい。

「危ない!」

 とっさにヒデに駆け寄るイリア。しかし。

 どさ。

 と倒れるヒデの下敷きになってしまった。

 早朝とはいえ構内には人が何人かいる。みんなヒデとイリアをじろじろ見ている。

(こんな時間にこんなところで……。最近の若いもんは、はしたない)

 と呆れたように通り過ぎてゆく。

「あわわわわ……」

「いたた」

 慌てて立ち上がるヒデ。イリアは少し頭を押さえながら立ち上がった。

「だ、大丈夫か。頭打ったのか」

「え、うん。大丈夫だよ」

 イリアはにっこり笑い。

「これがクッションになってくれたんだ」

 と、ツインテールの右側を指差し笑った。

「そうか」

 どっと肩の力が抜けた。

 すると、電車が来たことを告げる構内放送が鳴った。

「来てくれたんだ」

「うん、まあな」

 楓子と未来に叩き起こされたときはびっくりしたもんだった。が、こうして会えて、ほっとしていた。

「電車いいのか」

「もういいよ。それより、ごめんね、お兄ちゃん」

「いや、オレも悪かった。お前のことが心配になってな、それで」

「そうだったんだ。あたしも」

 ヒデの気持ちを知ったイリアは、少し目を潤ませて、黙ってしまった。

 なんだか気まずい。

「そうだなあ」

 さてどうしよう。

 イリアが朝早く出たのは、いじけてと悲しさに駆られてのことで。急ぐ用事があったわけでもないし。今日は都合のよいことに日曜日。

 イリアはシャツにジーンズのルックス。

 と思ったとき。そうだ、と閃いた。

「ちょっと、バイク乗ってみるか」


 キーを挿す。回す。イグニッションをスタートさせる。

 きゅるる、ぼぼぼおおん。

 と唸る声を出すCBR600RR。

「きゃっ」

「あはは」

 つま先立ちでバイクにまたがり、こわごわとセルスターターを押したイリア。それを可笑しそうに、微笑ましそうに見るヒデ。

 こわごわしながらも、少しはにかんだ笑顔を見せ。イリアは意を決したように、アクセルをにぎり、少しひねった。

 ぶぉん!

 と元気の良く返事するように叫ぶCBR600RR。

 マシンのサウンドが体の隅々にまで伝わる。

 胸がわくわくする。 

 これがバイクなんだ、と。

 ヒデは白い歯を見せてにこにこしている。ご機嫌だった。

 そして昨夜のことを考えた。

 イリアは、養父母にバイクを反対されて悩んでいる。

 心配だという養父母の気持ちもわかるんだけど、頭ごなしに反対ばかりされているイリアも気の毒にも思えた。

 親子間だと、どうしてもお互いの気持ちをドッヂボールよろしく一方的にぶつけ合ってしまいがちになってしまう。

 そのため、真意が伝わらずにすれ違いや誤解を生んでしまいかねない。それこそ、昨夜のケンカでイリアはこっそりと家を抜け出してしまったではないか。

 よほど悩んでいたんだろうし。実家に帰ってきたのも、ヒデに相談するためだったんだろう。だけど、そのヒデだって、ドッヂボールになってしまった。

 イリアは今、多感な思春期である。ヘマをすれば今後に関わる重大事になりかねない。

 ここは、兄として上手くキャッチボールにもっていったほうがいいかな。四人で、ホームから一塁、二塁、三塁、そしてまたホームへと帰ってくるような。

 と考える。

(はあ、さてはて。どうするかな……)

 とつべこべ考えてもはじまらない。

 ここは、案ずるより産むが易し、ということで。

「よし、おじさんちにいくか」

「え?」

「おじさん、おばさんと、オレとお前で話し合うんだ」

「お兄ちゃん……」

 イリアはつま先立ちでCBR600RRにまたがったまま、じっとヒデを見つめている。

 マシンサウンドが、駐輪場に静かに響いている。


 おじさんちにいくか、というヒデの言葉。

 イリアは、それを頭の中で反芻し。

「ううん、もういいよ」

 と言う。

「なんで?」

 ヒデに助太刀を頼みたかったのではないか。それなのに、どうして。

「あたし、お兄ちゃんに甘えすぎていたね」

「イリア……」

「うちにはひとりで帰るよ。そこで、お義父さんお義母と話をしてみる。みんな、意地悪からじゃなくて、あたしを心配して、反対してくれたんだよね」

「……」

 ヒデ無言。

 イリアは、思ったより大人になっていた。

 次の電車の到着を告げる構内放送が聞こえた。

 イリアは急いでバイクから降りて、ホームに行こうとする。ヒデはエンジンを切って、その後につづく。

 後ろから見るツインテールが、そよ風に乗っているように、揺れていた。



 家に帰り着いたイリアは、我が家の門構えを見た。アーチ状の門には藤が巻かれている。

 古風とでも言おうか、養父の趣味なのだが、藤の巻き方がやや粗いので、明るい時間はともかく、暗い時間に見るとお化け屋敷みたいに感じられる。

 それを目にしながら、意を決したような大きな息をひとつ吐き門を開け中に入り、玄関のベルを押した。

 家の中に、ぴんぽーん、と呼び鈴が鳴った。

 その時、洗面所にて。

「すーいすいすーだらだった。すーいすーい♪」

 イリアの養父は、ご機嫌に鼻歌を歌いながらヒゲを剃っていた。

「はーいはいただいまー」

 丁度ヒゲ剃りも終わり。飛ぶようにして玄関のドアを開け来客を出迎えれば、そこにはイリアがいる。

「イリアじゃないか。お帰り、というか、またやけに早いじゃないか」

「お義父さん、話があるの」

 委細は言わず、イリアはずかすかと中に入り込んでゆく。

 奥から養母が顔を出し、養父を同じ反応を見せた。

 にわかに慌しくなる家族。

 居間でちゃぶ台を囲んで、家族会議が開かれる。 

「わかっちゃいるけど、やめられない。ということか」

 養父のため息交じりの言葉。

 養母も、ふうとため息をつく。

「バイクが危ないのはわかってるよ。安全第一で走るから、ね」

 無言の養父母。

 ややあって、養父は重い口を開いた。

「わかった、そこまで言うなら。でも」

「でも?」

 イリアの目に輝きが増した。

 それを見て養父母は、どれだけイリアが本気なのかをわかった。

「バイクがイッパツで廃車になるような事故を起こしたら、やめる。そう約束しなさい。それが条件だ」

「もちろん!」

 即答だった。

「そうそう、免許やバイクにかかるお金は、イリアが自分で働いて稼ぐんだぞ。いいな」

「もちろん!」

 これも即答だった。

 養母は、やれやれと言いたそうだった。女の子がバイクだなんて、と。

「でも、これをきっかけにして、働くことがどんなことかを覚えられたら、むしろ有意義なことね」

 と、イリアよりもむしろ自分に言い聞かせるように言った。

 実際、ヒデはそういう風にして働くことを体で覚えた、といっていた。

 

「うーん、むにゃむにゃ」

 イリアは電車の座席にもたれかかって、そんな夢を眠りの中で見ていた。

 窓を通して太陽の日差しがイリアを優しくなでて、さらなる夢の世界に誘ってくれる。

 夢の中で、青空が広がっている。

 その青空のもと、どこまでも続くワインディングロードを、ヒデのCBR600RRで走っていた。

 この道の向こうに、何があるんだろう。

 それが知りたくて、アクセルを開けていた。

 どこまでも、どこまでも、バイクで走っている。

 どこまでも、どこまでも、風を切って。

 風になって。

 風になって感じる、生の感触と、心の鼓動。

 どこまでも、どこまでも。

 電車は、イリアが降りる駅を過ぎていって。

 どこまでも、どこまでも……。


episode3 シスターズ 了

episode4 ロミオと、ジュリエット? に続く。


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