episode2 四っ輪の挑戦
それから翌々日、街の郊外にある広いバイパス路を青いYZF-R6が駆け抜けてゆく。それは仕事を終えたタケシの駆るYZF-R6だ。
今仕事を終えて帰宅している。通勤ももちろんバイクだ。
空と雲が夕日に赤く染められようとしているのが、ヘルメットのシールド越しに見える。
仕事疲れのサラリーマンの運転する車たちをすいすい追い越し追い抜きしながら、鼻歌もうたう。
「あーあ、今日も働いた働いた♪」
なんだか機嫌がいい。
「今日一日の労働でコイツ(YZF)との絆がまたつながった♪」
ということで機嫌がいい。機嫌のよさついでに、マシンの動きやサウンドを身体で感じて楽しみ、時折タンクをかるくこんこんたたく。
(働いて金稼がないとバイクで遊べないもんなあ。だからよう、これからもじゃんじゃん働くぜぃ)
理由はともかく、なかなかの労働意欲である。
ちかごろニートだのなんだので若者たちの労働意欲の減退が社会問題となっているが、タケシにはどこ吹く風のようだ。
好きなものがあるというのは強い。そのために、働くことを身体で覚えられた。
(てか、いっちょ……)
家に帰らずに、ちょっと遠回りしようかなあ、なんて考える。
いやどうも、バイクに乗っていると、そんな気分になる。
「じゃ、いっちょいくかあ!」
愛機に吼える。YZF-R6も一緒に叫ぶ。叫ばせている。
そうかと思えば。
ぐぅ、と腹がなった。
「ああ、その前にメシ食お」
郊外のバイパス路、通勤路の途中にある、だだっ広いショッピングモールの駐車場に滑り込む。そのショッピングモールの中にあるマクドで腹ごしらえだ。
駐車場に入ってふと見ると、駐車場の一角に、それっぽい車たちが駐車場にたむろしている。
それっぽい走り屋仕様の車たち、ハチロクレビンにシビックType-RにS14シルビア……。
(おうおう、おるわおるわ)
このごろ、この駐車場に集まっている四輪の走り屋たちだ。仕事を終えてからここに集まり、それからみんなで一緒に峠に走りに行っているみたいだ。
そして目を引いたのは、なんか外車の赤いオープンカーがいた。前々からちと気になっていた。
(なんだろう、あれは)
わからない。ただ、もっと目を引くものがあった。
赤いオープンカーのそばに、オーナーとおぼしきロングヘアの女。目が鋭くて、すこしきつめな印象があるが、なかなかな美人だ。年のころは、タケシより2,3上というところか。
車こそ赤だが、白いワイシャツにホワイトジーンズという白一色のいでたちで。紅白色でなんともめでたい。
「……」
YZF-R6のサウンドが彼らにも響いて、タケシが目の前を通るとじっとにらみをきかせてくる。
タケシも彼らを意識しているのだが、つとめて平静を装い素通りしてゆく。
やはり、いい音を聞かせるマシンが近づくと、お互いに意識しあってしまうもんだった。それは、車やバイクが好きなヤツらの習性だった。
ぐぅ。
腹がなった。
「ああ、もうしんぼうたまらん」
二輪専用スペースにYZF-R6を停め、大急ぎでヘルメットを脱ぎ、抱えて、店内に駆け込んでゆく。
その背中を、四輪の走り屋たちがじっとみつめていた。
「同着だったじゃないか」
駐車場でたむろしている四輪の走り屋の誰か、シビックType-Rのドライバーが、ハチロクレビンの、金髪ヤンキーっぽいドライバー、三木眞明にくってかかる。
「なあ、同着だったろう」
シビックのドライバーは、周囲に同意を求めている。昨日ホームコースの七人寺峠でハチロクとバトルをして、同着だった、ように見えた。
しかし、眞明は。
「いや、オレの勝ちだ」
と譲らない。
「なら、もう一回、もう一回バトルしようじゃないか」
「ああいいぜ。何度やっても同じことだろうけどな」
短めに刈り込んだ金髪の髪を指でさわりながら、気だるそうに応える。いやそれよりも、さっきからタケシのYZF-R6にばかり視線を向けているようだった。
鋭い眼光で、YZF-R6を貫き通さんがばかりに、じっと、見つめている。
(シビックなんざより、あっちの方が面白そうだな)
なんてことも考える。
(飢えてるねえ)
いたずらっぽく、外車のオープンカー、アルファロメオスパイダーの、五十山田鈴が、マサアキをみながら笑う。ただでさえ膨らんでいる胸を期待でさらに膨らませている、という感じだ。
「さっきから、ずっとあの青いバイクばっかり見てるじゃないか」
仲間からのその言葉に。
「ああ、あのバイク、なかなか面白そうだな、なんてな」
と応えるマサアキ。
「何言ってやがる。お前の相手はオレだぞ」
「あ、そう」
そっけない返事をしながら、おもむろにハチロクのドアを開けて、エンジンをかける。タケシが店内に入っておよそ15分経過している。
「あ、そう、だとお」
シビックのドライバーは、あからさまな侮辱の態度にキレて、マサアキの肩をつかもうとする。それに仲間たちはどきっとする。
「同着同着ってうるせえんだよ。オレのハチロクが鼻の差で先にゴールしたのがわかんねえのかよ」
「いいや、あれは同着だ」
という言葉が終わるか終わらないかで、シビックのドライバーの動きが止まった。と思ったら、よくよく見れば、眞明の拳が、シビックのドライバーの腹にめりこんでいる。
それから、ゆっくりと、シビックのドライバーは、ぶっ倒れて。身体をぴくぴくと痙攣させて、ねっころがっている。
「口で言ってもわかんねーヤツは、身体に言い聞かせるしかねえか」
ぽそっとつぶやくマサアキ。あたりには、ハチロクの4A-Gエンジンの唸り声が響き渡り、みんなの身体と心をゆさぶった。
が、リンだけは平然としている。そればかりか、マサアキのハチロクに続けとばかりにアルファロメオスパイダーのエンジンをかける。
「な、なあ、エンジンなんかかけて、まさか」
誰かがそういったところで、シビックのドライバーがやっと起き上がった。
「この借りは返すぜ」
とお決まりの文句をたれる。
「あっ」
とまた誰かが声を上げた。タケシが店から出てきた。
「来たか」
思わず声が弾むマサアキ、ハチロクに乗り込む。リンも続く。
それに気づかずに、タケシは。
「ああ、くったくった♪」
と、ご満悦でヘルメットをかぶり、YZF-R6のエンジンをかける。駐車場にいる四輪の走り屋たちのことなど、もう忘れているようだった。
「さていくか」
と意気揚々とショッピングモールを出て、バイパス路に出る。
東の空は青みが増し星のまたたきはじめ、西の空では陽は赤く焼けながら西の彼方へ沈もうとしていて。西と東とで、くっきりと明暗が分かれていた。
そんなことお構いなく、あたりが夜の帳につつまれるに任せてタケシは思い思いにYZF-R6を走らせていた。
「ひっひひひ、さいこー!」
と、ヘルメットの中で叫びながら……。
単純にバイクを楽しんでいた。そこにはただそれだけの十九歳の青年の姿があった。
その後ろを、ハチロクレビンがついていっているとも気づかずに。
前方の信号が黄色になった。それを見て、ブレーキをかける。すると、その横にハチロクレビンがついた。と思ったら、何を思ったかYZF-R6の横にぴったりとついて、同じペースで減速してゆく。
(なんだ?)
「あ、さっきの……」
と、ひとりごちる。こいつは、ショッピングモールの駐車場で見た四輪の走り屋連中の一人だ。
さらにその後ろには、赤い外車のオープンカー。タケシとYZF-R6に何の用だろうか?
なんだかこのハチロクレビン、なんだか良い音をさせているようだが。
「さすがヤマハ製エンジン、良い音させてるなあ」
と、音にひたる。ハチロクのエンジン、4A-Gはヤマハ製だ。トヨタのスポーツカー、レビン・トレノ、MR2にセリカ、スープラといったスポーツカーのエンジンは提携しているヤマハが手がけている。さらにいえば、往年の名車トヨタ2000GTのエンジンもヤマハ製だ。
それくらいはタケシも知っている。ヤマハが好きなタケシ(だから愛車はYZF)にとって、それはなんだか嬉しいことだった。ヤマハも伊達にF1出てない。
そうしているうちにハチロクレビンと一緒に停止線で止まった。道は平日の夕暮れ時にしては珍しく空いている。
マサアキはYZF-R6を横目に、ふっ、と笑った。アクセルを吹かし、ハチロクレビンは威嚇するように吼える。
タケシも同じように横目でハチロクレビンをじっと眺め。
「うんうん、良い音だあ」
とうなずいて。その音の上下するのを耳に。
「バトルのセールスだよ、おい」
ぽそっとつぶやいた。
(でも……)
ミラーをちらっとのぞいた。赤い外車のオープンカーは黙ってついてきている感じだ。前の二人の様子を探って、なんだかいやらしい感じもする。
(かんけーねーや)
「売られたバトルは買わなきゃねー」
と、ハチロクレビンと一緒になってエンジンを吹かす。レビンとYZFの合唱だ。
「やるか」
マサアキは頬をほころばせ喜んだ。胸のうちから昂ぶりを覚えてくる。
「見てろよ、リン」
ミラーをのぞき、後ろのアルファロメオスパイダーにそうつぶやく。さてそのリンの方はというと。
「……」
黙って二台のマシンのリアを眺めていた。と思ったら。
「かわいいお尻♪」
とタケシのヒップを見てからかうようにつぶやいた。
交差車線の信号が黄色に変わった。その向こう側には、星空。街を囲む山が、影絵のようだ。
すぅっと息を飲み込み、いよいよスクランブルモードに突入してゆく。その目の前を、タケシから見て右から左へとCBR600RRが通り過ぎようとしていたが、こっちを向くや否や、右折して端っこに止まった。
「ありゃ、ヒデだよ」
あれあれなんとまあ、と思いながら、CBR600RRのリアテールを睨みつける。この瞬間、タケシのライバルはハチロクレビンからCBR600RRへと変わった。
「こいつ」
その気配を察し、マサアキは穏やかでない。バトルを売って、買ってもらった、と思ったら、よそに客を取られてしまったのだから。
「うふふ」
目を細めて、リンは微笑んだ。この、スタート直前の展開がただ単純に面白い。
とかなんとかしているうちに、交差車線の信号が赤に変わった。一気に緊張の糸が張りつめられ、その糸に縛り付けられそうになる。
ぱっ、と信号が青になった。
刹那、YZF-R6とハチロクレビンはけたたましく吼えたて飛び出す。それに合わせ、CBR600RRのヒデ、アルファロメオスパイダーのリンも飛び出す。
「いくぜタケシ!」
タケシ同様仕事が終わって「遠回り」で帰っているとき、たまたまタケシを見つけた。おっ、と思って、いっちょやったるか、と思った。が、しかし。様子がおかしいような。
YZF-R6にどこかのハチロクレビンと何かの赤い外車のオープンカーが張り合っているようだ。
「四つ輪とやってんのか。オレも混ぜろ!」
と、叫んでYZF-R6と並ぶ。ハチロクレビンとアルファロメオスパイダーは後ろ、シグナルダッシュでの加速は二輪のYZF-R6が断然勝っていた。
それをミラーの中で、ハチロクレビンとアルファロメオスパイダーが豆粒のようになっている。
それを見たタケシ。
「尻でもくらえ!」
というやいなや、突然尻を上げたかと思うと、おしりぺんぺんをする。こんなハチロクがいるおかげで、先日みたいな勘違い硬派連中に悪口を言われるのだ、と。これはあくまでも鷲津武志の個人的見解。
それを横目にヒデは。
「アホかっ!」
と叫んでその前に出ようとする。
バイパスは車があふれ、アミダクジを引くようにそれを右に左に切り返しながら交わしてゆく。
「てめーは豊臣秀吉か!」
マサアキは怒るよりむしろ呆れる思いだった。その昔、豊臣秀吉は小牧長久手の戦において徳川家康をお尻ぺんぺんで挑発したわけだが、まさか自分がそんな感じで挑発されるとは思いもしなかった。
なかなか速そうだと思ってバトルを売ったのだが、まさかそんな幼稚な真似をするとは。速いヤツにはそれ相応の風格を持っていてもらいたいものだった。それがマサアキの理想とするところだった。が、どうもあの青いバイク乗りはいささか若すぎる。
(秀吉違いだ)
と心の中でぽそっとつぶやいた。
「あはは、ほんとかわいいお尻!」
リンはタケシのお尻ぺんぺんを見て大笑いしていた。あの青いバイクのライダーは、なかなか面白いキャラクターの持ち主のようだとリンは踏んだ。ついでにアクセルも踏んだ。
アルファロメオスパイダーはハチロクレビンに並ぼうとする。
「ほらほら、ぼやぼやしてると抜いちゃうよ♪」
とマサアキに笑いかける。マサアキは苦い顔をして、アルファロメオを睨みつける。
(まったく、アルファの魔女め)
すかさずアルファロメオスパイダーの進路をふさいだ。前を追いながら後ろに気を配り、真ん中は大変だ。
二台の二輪と四輪は右に左にバイパスをハイスピードで突っ走ってゆく。
空は西と東で明暗がわかれている。まだそんな時間だ。それでそんな走り方をするのは、ちとまずいか。ふとヒデはそんなことを考えた。
(うっとうしい)
他車をかわしながら、タケシと二台の四輪と張り合うのはなかなか骨が折れる。まだまだ車はあふれている。もっと時間が遅かったらよかったが、始めてしまった以上そうも言ってられない。なら自分なりに工夫する必要があった。
「タケシ、ついて来いよ!」
とこの集団の舵を取ろうとする。そのためには、なんとしてもタケシより速く走る必要があり、ヒデは無理を承知で多少の無茶をする。でもその甲斐あって一番前だ。
(あの赤いのなかなかやるじゃねーか)
突然割り込んできたCBR600RRはどうもあのYZF-R6の知り合いでライバルのようだ、でなければ突然割り込むこともしないだろう。しかしそれでいて一番前を走るとは、なかなかやる。
タケシはヒデの後ろが気に入らないで、ひたすらプッシュをしている。出来ることなら後ろからどついてこかしてやりたかった。
が、プッシュしながらふとあることに気がついた。
(あれ、このままいけば……)
この成り行き集団バトルは一番前、どのコースを走るのかはCBR600RRの判断に任せられている。もしCBR600RRの前にYZF-R6が出れば、その舵取り先はタケシの判断に任せられることになるわけだが。
そのことは、マサアキやリンが一番よくわかっていた。
このままいけば、七人寺峠だ。
「おれたちのホームコースに誘い出すのか。なかなか粋な真似を!」
YZF-R6の方はどうか知らないが、CBR600RRの方はどうもそのつもりのようだ。
バイパスから出て、峠へ峠へと進路をとっている。
(こんな時間にストリートレースをする馬鹿があるか)
こんな時間、平日の夕暮れ時である。そんな時間に走ったって、道にはまだまだたくさん車がいて走りづらいに決まっている。
(ってか、そー思ったら混ざらないで止めろよ)
結局、自分も同じ穴の狢だ。
一行はにぎやかなバイパスを抜け出て峠へと続く細い道路に入った、さすがにここでは無茶できない。
周りの景色が寂しくなってゆく。周りには民家やビルは少なくなり、取って代わるように夜の闇につつまれてゆく木々に囲まれてゆく。上り勾配のつく二車線の道が、峠へ入るのだという昂ぶりをおぼえて、胸がわくわく熱くなってゆく。
「七人寺だ」
ここで俄然調子を上げたのはマサアキだった。なんせホームコースである、そこへ来て自分が売ったバトルである。
負けられない。
その気配はタケシにも感じられて、ヘルメットの中で叫ぶ。
「ちっきしょー、きやがったきやがったぜー!」
背後に迫るハチロクレビンの気迫がいやでも感じられた。
きつい右コーナーをヒデとともに曲がった。立ち上がれば、西の空は茜色の夕陽が完全に下界に沈みきって、取って代わるように星たちが浮かび上がっていた。もう空の東西の明暗はなくなって、夜空が完全に空を覆っていた。
もうヘッドライトで照らす部分しか見えなくなってきていることに、今さらのように気づいた。
「やっぱ峠だよねえ」
最後尾でいやらしく前の様子を見るリンも、わくわくする。やっぱ峠でなきゃ、と。
夜の闇につつまれた峠道。ヘッドライトで闇を切り開いて、静寂をサウンドで引き裂いて、突っ走る。それは、何物にも変えがたい快感だった。そのために生きている、といっても良かった。
まあそんな感傷はおいといて。
とにもかくにも七人寺峠に入った。
四台のサウンドが闇夜に響いている。響かせている。
ハチロクとアルファロメオスパイダーが迫っている。しかしタケシは気になりそうになりながらも気にせず、ヒデのCBR600RRだけを睨みつけている。
闇夜からYZF-R6のヘッドライトですくい出すCBR600RR。それ以外は、ほとんど何にも見えなかった。バイクのヘッドライトは四輪に比べて小さい。CBR600RRの向こうに何があるかどうか全然わからん。
ましてあまり知らない道を走るのだから、なおさらだ。
「そんなこといいどころじゃねえ」
先頭のヒデは目を凝らし、ごくっとつばを飲み込み闇夜の向こうへと突っ走る。成り行きで四輪の走り屋と走ることになってしまった。まったくタケシのヤツ、オレというものがありながら四輪に喧嘩売ってるんじゃねえ、みたいな。
で、四輪なら確かこの近くに……。と思って七人寺に来たのだが、その読みは当たったようだ。
ただ当たったからといって、嬉しくもない。なんせ向こうのホームコース、こっちはアウェーなんだから。相手に有利なのだ。それで嬉しいわけもない。
「やったろーじゃん」
メラメラと燃えるヒデの闘志。やり甲斐がある。むしろ嬉しいかもしんない。
知らずに大きく息を吐いて、ひたすら闇の向こうへむかって突っ走る。相棒のCBR600RRは叫んでいる。叫ばせている。
で、ライバルのタケシはヒデにくっついてパスの機会をうかがっている。
七人寺峠も黒沢峠のようにアップダウンのあるテクニカルコースだ。タケシやヒデの住んでいるここらへんの地域の山道はだいたいそんな峠が多い。
闇夜から吐き出されるうねる峠道、道路に引かれたラインが、迫ってくる。それを、ばばば、とクリアしてゆく。
風が頭を、肩をたたく。ジャケットの肩の部分がばたばたとはためいて、風と一緒になって、肩を叩く。
手はしっかとハンドルグリップをにぎっている。
坂を下る。下りながら右に左に。前は真っ暗だ、奈落のそこへ向かって真っ逆さまに落ちているようだ。
(ずっと下っているわけじゃない)
と自分に言い聞かせる。
後ろのマサアキとリンは淡々と前二人についていっている。勝手知ったるこっちのホーム、無理をすることはない。
闇夜からうっすらと浮かび上がる山の木々や草花たち。まるで自分たちを掴もうとしてその身をを伸ばしているようにも見える。
前から後ろへと吹き飛ばされてゆく。
「……」
マサアキは無言。
じっとタケシのケツを、ヒデのケツを睨みすえている。
(本気だね)
リンは後ろで様子を見ている。割り込みなんて野暮な真似はすまい。
「女子供はすっこんでろ、ってか」
ぽそっとつぶやく。
ヘッドライトからすくい出される夜道がすぅっと上った。坂を下りきり、上りに入った。
上れば、やっぱり真っ暗だ。でも空は淡くてそれでいて濃い紺色で、明るい月やほのかに見える薄墨色の雲が風に流され泳いでいるのが見える。
上りを登ると、そんな空へと向かって飛び出そうとしているようだった。
ゆっくり走っていればそんなことも考えたろうが、今はそれどころじゃない。後ろから迫る四輪から逃げるのに必死だ。
(しかしなんでこんなことになってるんだ?)
タケシと一緒に四輪と張り合っている。
成り行きで途中参加のヒデはそれがちと不思議だった。が、まさかハチロクレビン(マサアキ)がタケシにバトルを売りつけたなど知る由もない。
「しかしまあ」
YZF-R6とCBR600RRを見て、リンはささやく。
「よくもまあ右に左にパタパタと倒れること」
四輪しか知らないリンは、二輪のコーナーでのバンク(傾き)が新鮮でもあり、面白おかしくもあった。
バイクにしがみつき、イン側にひざを突き出す。それこそ路面にひざを擦りそうだ。いやちゃんとしたレーシングスーツを着ていれば、ほんとにひざを擦るのだ。
通称ハングオン。ふたりはその走り方をしていた。
ちなみにハングオンは日本だけの言い方で実は誤りであり。本当はハングオフという。
その昔、3年連続でチャンピオンになり、キングと呼ばれたケニー・ロバーツというアメリカ人ライダーから始まった走り方という。
薀蓄はともかく。
後ろの四輪から見れば、前の二輪はまるで暗闇に向かって飛び込んでいるようだった。
その闇に突っ走っている二輪にハチロクレビンが迫る。ぐんぐん迫る。
それこそフロントマスクでケツをどつこうとしているみたいに。
ハチロクレビンのヘッドライトがタケシとヒデの背中を照らす。まるで警察に追われる犯罪者みたいだ。
(よく見えるのはいいけどよ)
バイクのヘッドライトは四輪に比べて小さいので夜はやや不便なのだが、迫るハチロクレビンが後ろからそれを補ってくれている。おかげで視野が広まっていいのだ、が。
それだけ迫られているということだ。
(これでこけたら人間ミンチ!)
などと縁起でもないことを考えるタケシ。真後ろにつかれているだけになおさらだ。
だけど、譲らない。意地がある。
ライダーとしての意地がある。
四っ輪に負けたくない! という意地で、アクセルを開けていた。
マサアキは虎視眈々と前を伺っている。走りながらパッシングポイントを想定して、そのシミュレーションでもしているかもしれない。
徐々に、徐々に、ハチロクレビンのリアタイヤがスライドしていっている。と同時に、リンのアルファロメオスパイダーのリアタイヤもスライドをしはじめている。
速度が上がれば自然とタイヤも慣性で滑り出す。それをコントロールする。
(いよいよマジだね)
ハチロクレビンの動きを見ながら、リンはぽそっと考えた。
上って下って、右に左に。七人寺峠の峠道をかっ飛ばす。
ヘッドライトは闇を切り開き、光にすくい出される景色は前から後ろへと吹き飛んでゆく。その中を逆流するよにして走るバイク。
マシンサウンドは静寂を引き裂き、天空を貫きそうなほど、高らかに叫んでいる。
タイヤもヒス女のように叫んでいる。
それらひとつひとつの音が、まるでオーケストラ演奏によって組み合わさりひとつの音楽になるように、ひとつのサウンドとなって、空を揺るがし。四人の走り屋の心も揺るがす。
それはハウリングを起こし、さらに揺れは増幅されてゆく。
月は、そんな四人を静かに見下ろしている。
コースには影絵のように闇から浮かび上がる木々の枝がその手を伸ばしている。それも、ばばば、と吹き飛ばされてゆくようにみえた。その中の一本が突然激しく揺らいだ、と思ったら、一羽の鷲らしき大きな鳥が羽根を羽ばたかせて、月に向かって飛び立つように、夜空へと上っていった。
木の枝で休んでいるときに、四台のマシンの爆音に驚いたのかもしれない。
(オレの名前、名前、そうだな、鷲津、鷲津武志……)
Hiになって頭がぼけているのか、夜空に飛び立つ鷲を見て、タケシはようやく自分の名前を思い出していた。
四台がハイスピードで走り去るたびに、闇夜の中で静かに眠る傍らの木々の枝たちや草花は互いに身を寄せ合い、迷惑そうにひそひそざわざわと何かを話し合っているようだった。
時折、ライダーの肘蹴りや四輪の頭突きをくらう不運な草花もあり、それらは悲鳴を上げるように、べしっ、と音を立ててぐらぐらと揺れていた。
とにかく、今気になっているのは、ハチロクレビンがいつ仕掛けるかということだった。ずっと後ろについているが、いつまでも後ろというわけじゃないだろう。
で、ふと、あることに気がついた。
(あれ、そういえば七人寺峠ってどこで折り返すんだ?)
峠を走るとき、峠の一から終わりまでずっと走るわけではなく、決められた区間をもうけてその端々で折り返して走ることが決められている。
もちろん、七人寺にも走る区間が決まってて折り返し地点はあるんだが、あろうことかタケシとヒデはそれがどこなのか知らない。
(やっぱり!)
マサアキは、してやったり! と言わんがばかりにハザードを灯した。ふっ、と広めの待避所が見えて、すかさずハチロクレビンをそこに滑り込ませる。リンのアルファロメオスパイダーも続く。
マサアキはタケシとヒデのふたりが七人寺峠の折り返しを知らないのをあらかじめ予測して、その時を待っていたのだろう。
二台の四輪が折り返しに入ったというのに、やっぱり、タケシとヒデは行き過ぎてしまった。
(ああ、しまった!)
YZF-R6とCBR600RRがなんとかくるっと回ったときには、ハチロクレビンとアルファロメオスパイダーはケツのテールランプをほのかに灯しながら、闇に消えようとしていた。
(あーあ、やっちゃったあ)
リンは哀れみをかけるように、ぽそっとミラーをのぞきながらつぶやいた。
「あああ~! ま、待てー!!」
くるっと回って、よーいどん! とスタート加速競争をしながら、タケシとヒデは四輪を追う。が、追いつけるかどうか。かなり距離はある。
加速競争はヒデが上手かったのかタケシの前にじわじわと出ている。
「パワーで負けるホンダかよ!」
と鼻息も荒い。
が、タケシも負けてはいない。加速でこそ負けたが。
「コーナーがあるわい!」
と、左コーナー突っ込み、ヒデのわずかな隙とインを突き、鼻先少し前に出る。コーナーリングでなら、ヤマハに分がある。
「ああ、くそ!」
タケシのケツに毒づくヒデ。抜き返してやる! と思ったが、それよりも四輪を追いかけないと。
(ちぇっ)
シャクだが、この際仕方ない。つまらない意地を張ってつまらないバトルをして遅れをとるなんて、馬鹿馬鹿しいだけだ。
タケシは無言だ。無言の本気モードだ。いつものおちゃらけはない。
バイクに不利な夜の峠道。目を、気を張ってひたすら走った。YZF-R6はひたすら吼えている。全身に風がぶち当たり、それを砕いていく。
吹き飛ばされてゆく景色を逆流して、四輪のテールランプが消えないように、いや、テールランプを捕まえてやろうというくらいの気合で走った。
身体で風を、マシンの動きを、サウンドを感じながら、意識していなくて。ただただひたすらテールランプを追いかけた。
タケシにとって、ヒデにとって、それだけが全てだった。
(え?)
リンはミラーの中で徐々に徐々に大きくなってゆく光に驚き。
「うふふ」
と笑った。転んでもタダでは起きぬ、か。むしろこれによって本領発揮というところか。ぱしぱしっ、とリンがパッシングをすれば。それに気づいたマサアキ。
「まさか、追いついているのか?」
しかし、言われてみればミラーの中にあるふたつの光は前より大きくなっているような。
(こっちだって限界走行だぜ)
事実、ハチロクレビンの4A-Gはそれはもう目一杯に叫んでいる。なんせ古い車だ、単純なスペックならタケシのYZF-R6とヒデのCBR600RRに負けているかもしれないのだ。
ほんの一瞬だって気が抜けない。だが。
(嬉しいよなあ、それでこそバトルが楽しくなるってもんだ!)
この事態がむしろ嬉しかった。求めていた敵を、今求め得たことを知った。知らず知らずのうちに顔がほころんでゆく。それでいて目はらんらんと輝いて鋭く闇の向こうを睨みつけていた。
「来ている?」
ちらっとミラーをのぞくリン。ヘッドライトを背中で感じられるようになってきた。
「ええい、もっと飛ばせ!」
またパッシングをした。それを受けたマサアキ。
「なんだなんだ、もっと飛ばせってか!」
キレた。
言われなくても飛ばしている。それなのに「もっと」などといわれたら腹が立つものだ。
しかし、そう言うということは……。
(あいつら、来てるのか)
ごくっとつばを飲み込んだ。
なかなかやるじゃねーか。心の中でぽそっとつぶやいた。そして驚いた。
向こうがそんなことになっているとは知らず、ただただひたすら突っ走るタケシとヒデ。YZF-R6とCBR600RRはうなりにうなる。
(いけえー!)
と我と我が身、マシンをけしかけていた。
アクセルを開けて、風を砕いていった。
闇の中手を伸ばす木の枝や雑草たちが風圧でなぎ倒されそうに揺れた。全身の血が沸騰しそうなほど熱くなっているようだった。全身で風を受けているというのに。
もはやタケシとヒデには、風すら熱かった。
(もうすこし、あとすこし)
ヒデはタケシの背中にけしかけるように心でうなっていた。そんなに悪いペースじゃない。なら、シャクだがこのままタケシに引っ張られた方がいい。しかし、ライバルの背中を眺めて走るというのは、やっぱりムカつくものだ。いっそ抜いてやりたかった。
だがそれは、四輪を片付けてからの楽しみに取っておこう。
(すごい、やるじゃん)
リンは迫り来る背後の光に、感心しきりだった。特に、青い方、YZF-R6のタケシの方に。
最初ヘルメットを担いでいそいそとショッピングモールの店内に駆け込んだ、まだあどけなさの残る若いヤツ、ひょっとしたら自分より年下かもしれない、そんなヤツが。
最初の印象がどこかおちゃらけていただけに、その走りっぷりには肝に来そうだった。
(うふふ、来てよ来てよ。もっともっと、もっと……!)
気がつけば、前のハチロクレビンよりも後ろの二輪がすごく気になって、しきりにミラーをのぞいていた。
(あの赤いの)
タケシの目にも、アルファロメオスパイダーのテールが見える。ヘッドライトがそれを闇から映し出していた。
そこまで来たのだ。
峠道を上って下って右に左に、ひたすら突っ走った。突っ走った。
(いけいけいけー!)
ただそればっかりだ。
そんなタケシの気迫が伝わったか。リンはミラーをのぞく回数も増えて、ついには。
後ろを振り向いた。
オープンカーならでは、邪魔者もなく後ろをじかに見ることが出来た。そうすれば。
タケシと目が合った。
すぐに前に向き直った。
「……」
どういうわけか。タケシもリンも、胸にずぅんと来るような重量感を感じた。
胸に響く、ずぅん、という重低音を感じながらタケシとリンは愛機をかっ飛ばし。
マサアキとヒデはそれに気づくはずもなく。
四台は七人寺峠をかっ飛ばす。が、タケシとリンの息遣いは心なしかいささか荒くなっていた。
(なに、これ……)
(なんだこりゃあ……)
わからない。
そのとき、対向車のヘッドライト。数台いる。
「あっ」
マサアキが声を上げた。七人寺峠の仲間たちだ。中にはあのシビックもいた。
と思ったら、シビックをのぞいてみんな、ぱぱっ、とパッシングをするではないか。
(おまわりか!)
峠にパトカーが来たとき、パッシングをして知らせている。峠に集まる走り屋たちを散らしに来たのだろう。
パッシングを受けてハチロクレビンとアルファロメオスパイダーが減速し、後ろのYZF-R6とCBR600RRも同じく減速する。
タケシとヒデは何があったか知らないが、前二台の減速の様子に何かしらのことを気づいたようだ。そしたら、いつの間に来たのか道の脇にパトカーがとまっている。
すでに減速している四台はそのままパトカーをやりすごし、そのままショッピングモールまで戻っていった。
戻って、四台一緒に止まって、それぞれ愛機から降りた。
しらけていた。勝負はあっさりとお流れになってしまった。
「あーあ」
と声を漏らしながらヘルメットを脱ぐタケシとヒデ。
ばたん、とドアを開け閉めする音がすれば、目の前には、男と女が二人の目の前に現れた。
しらけたのは向こうも同じようで、金髪ヤンキーの方は眉をしかめ眉間にしわを寄せている。女の方は、穏やかな顔をしているが、やれやれ、といいたそうにしているようにも見える。
まあ、違法行為をしている以上、警察の取締りがあるのは仕方ない。こういうときは、素直に引き下がる。
それはともかくとして、金髪ヤンキーはタケシとヒデを交互に見据え、睨みつけている。
(このオレが……)
マジになった。
マサアキは、しらけたはずの胸のうちに、こみ上げるものを覚えていた。
同じ四っ輪じゃなくて、二輪にマジになるとは。いや、二輪だの四輪だの、そんなものどうでもいい。
要は、速いやつと巡り合えた! ってことだ。
「……」
沈黙が流れる。タケシとリンは、その沈黙の流れに身を任せるように、妙に見つめ合っている。
それに気づかず、ヒデとマサアキはにらみ合っている。
流れる空気が、ショッピングモールを行き来する車や人々の雑音が四人の肌をなでてゆく。
口を真一文字に、タケシは視線をリンからマサアキにうつし。
「この続きはいつだ?」
といった。
挨拶など野暮ったい。こうして顔を合わせているのは、バトルのためではないか。そもそもケンカを売ってきたのはハチロクレビンのマサアキの方だ。
それで、これでおしまい、とはいわせない。
流れる空気が硬化したようだった。リンはくすっと笑った。
(かわいい)
粋がっているところが。
(あたしって、ひょっとして年下好み?)
なんだかタケシがかわいく感じる。というか、相手の年を知らないのに、年下好みと決め付けるのはどうかと。思ったが、やっぱりタケシは年下っぽく感じる。
それはさておき。
「なかなか速いね。君は最速を取れるよ」
とタケシにいった。
「はっ?」
突然のリンの言葉に、タケシは呆気に取られてしまった。
「いきなりなにを」
「あたしら目一杯走ってたけど、追いついていたからねえ」
「おいちょっとまてよリン、じゃおれはどうなんだ」
「むっ」としているマサアキがリンに問い詰める。どうもリンのやつ、何を考えているかわからない。
「あなたは車買い替えなさいよ」
正論だった。マサアキは拳を振るわせわなわなと震えていた。
で、なんだか無視されているようなヒデ。しかも、この女タケシにだけそんなことを言いやがった。てことは、ヒデは最速取れないということか。なんかむかつく。
「ええい、んなこたあどーでもいい。次はいつだ」
オレも話しに混ぜやがれ、とばかりに割ってはいる。
「そうだな、じゃ次はお前らのホームコースだ。どこだ」
「黒沢峠!」
間髪入れないマサアキに、タケシとヒデ瞬時に同時に応える。
「じゃいきましょか」
三人を見てリンはすぐさまアルファロメオスパイダーに乗り込みイグニッションをスタートさせた。
その時点で会話は止まった。
そもそもがおしゃべりのために面つき合わせたんじゃない。
続いてYZF-R6、CBR600RR、ハチロクレビンがイグニッションをスタートさせて。四台はショッピングモールを出て、黒沢峠に向かった。
マシンサウンドが響きあった。それが、互いにけしかけ語り合っているようだった。
言葉など必要ない。
走り屋である彼らにとって、マシンサウンドこそが声であり、言葉だった。
episode2 了
episode3 に続く