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Last episode RUN!

 暮れなずむ七人寺峠。

 シビックタイプRの都筑国夫ことクニオは、仲間たちとともに峠の駐車場で、眼前に居並ぶバイク乗りたちに鋭い眼光を送ってやまない。

 ゴネリュウの変事から勢いを増したジロウら一派だ。

 ヤツらは勢いに乗ってホームの黒沢峠のみならず、他の走り屋スポットにも出没しては地元の走り屋たちにちょっかいを出しながら、その速さを見せつけは、ぶっちぎって威圧し、峠を占領していったが。

 二輪だけでは飽き足らず、ついに四輪の走り屋にまでちょっかいを出し始めたのだ。 

 まず手を出したのは、この七人寺峠。

 これに驚き呆れ、憤りを感じながらも、当初マサアキやリンたちは無視を決め込み相手をしないようにしていた。

「こんな連中、相手にするだけ無駄だ」

 と、ジロウたちが来ても知らん顔をし、やりすごしていた。

 ゴネリュウの一件はもちろん知っている。だからこそ、馬鹿な連中を相手にせず、無益ないさかいを避けてきた。

 しかし、ジロウたちはそこにつけこみ、峠でやりたい放題。夜、後ろからハイビームで前の四輪をあおり倒したり。わざと対向車線に飛び込んで、すれ違う四輪を驚かせたり。駐車場でバーンナウトをかまし、地元の走り屋たちに煙をお見舞いしたり、駐車場で酒をたらふくかっくらって馬鹿騒ぎを起こしたり……。

 目的が地元の連中に嫌な思いをさせるというだけに、やることが下らなくも悪辣極まりない。

 幸い事故は起きていないものの、これにキレない者が出ないわけがない。

 マサアキもリンも、やるしかないか、と思いかけたところへ、

「オレにやらせてくれ!」

 と、クニオがまず名乗りを上げた。クニオは以前、マサアキとバトルして敗れ、またタケシにも敗れたが。それからふとふと今までのことを思い直して、やたらめったら速さにこだわり突っ走りすぎた己を省み、心を入れ替え純粋に「走り」を追求する走り屋へと変わろうとしていた。

 タケシに負けたとき、気の毒に思った仲間が缶コーヒーをくれようとした、しかしいじけるあまり、それを放り投げてしまった。

 それをタケシは拾い上げて、「悔しかったらまたかかってくりゃいーじゃねーか。せっかく友達がくれたコーヒーを投げるなんて、最低だ」と言った。

 そのときの、タケシの目の輝き。

 オレもあんな風になりたい。と、心を入れ替えた。

 ちなみに、マサアキに殴られたことは忘れていないが、それこそ走りでたっぷり利子をつけて返してやるつもりだった。

 クニオの変わりようを見て、マサアキは以前のことを少しは悔いているのか、どこか気まずそうにしていた。意外に繊細だ。

 さてジロウらとのことである。

 やはり戦いは避けられないか、とマサアキはクニオの意を酌み、ジロウと当たらせることにした。

 紅に燃える夕陽が空を染ながら、山に沈んでゆき。かわって弓なりに曲がった三日月が、星星とともに空に浮かぶ。

 駐車場をスタートとして、峠を往復するバトル。シビックタイプRと並ぶ、テツのZX-9R。

 初っ端からジロウは走らず、まずはナンバー2から。というところか。

(なめやがって)

 クニオは横目でテツを睨み、テツもシールド越しにクニオを睨み。ガン飛ばしあいの火花を散らせている。

 挑発するように、テツはアクセルを吹かして愛機を吼えさせる。クニオも負けじとアクセルを踏み、愛機を吼えさせた。

 空には宵の明星が浮かぶ。

 ZX-9RとシビックタイプRの咆哮が、宵の明星に向かって叫び声を響かせられる。

 スターターは緊張の面持ちで二台を前にして、上に挙げていた手を、思いっきり振り降ろせば。シビックタイプRとZX-9Rは勢いよくスタートする。

 スタートダッシュはやはり二輪有利、テツはシビックタイプRを後ろに従え、峠をかっ飛ばす。しかしクニオも負けていない、徐々に徐々に、コーナーごとに差をつめてゆく。

(アイツは、知り合いがヤツらにクラッシュさせられて、相当ショックを覚えたって聞いたが……。待ってろよ、今オレがカタキを討ってやるぜ!)

 アイツとは、タケシのことだ。クニオはクニオなりに、武侠小説の剣客ばりに義憤を感じ、自分が勝つことだけでなく、嫌な思いをさせられた走り屋たちの敵討ちの気持ち持っていた。

 その敵討ちの思いも乗せて、シビックタイプRは、テツのZX-9Rを追った。


 シビックタイプRのヘッドライトに照らされるZX-9Rのテール。それを鋭く見据えるクニオ。

 ヘッドライトが闇より救い出す景色が、吹き飛ばされてゆくように流れてゆく。

 ステアを握りしめ、深呼吸。腹に響くマシンサウンドを感じて、アクセルを踏んだ。

(ふんっ)

 ちらっとミラーを覗くテツ。

(やるじゃないか)

 にやりとする。

 コーナー突っ込みで差が縮まる。腕一本の腕立てと二本の腕立てでは、どうしても分が悪い。しかし、立ち上がり加速はパワーウェイトレシオ(重量とパワーの関係)で、縮まった差を取り戻す。一進一退の戦い。

 ZX-9Rは右に左に倒れながらも、まるでタイヤに根でも生えているかのようにしっかりと路面を掴んで突っ走っている。

 甲高いZX-9RのサウンドがシビックタイプRにぶつけられ、跳ね返すように、VTECのサウンドががなり立てる。

「こいつ……」

 差はスタートのときよりも縮めたものの、それからがなかなか……。

(そーいや、メンバーが馬鹿やっててもコイツとあの赤黒ジロウは真面目に走ってたな)

 ぎっと歯を食いしばる。伊達に一派の上に立ってはいないってことか。

 コーナーのたびにGがかかり、肩に四点式ベルトが食い込む。

 フロントタイヤが路面を蹴って加速し、前から引っ張られる感覚を覚えながら、ひたすらZX-9Rを追いかける。

 全身に針でつつかれたような緊張感が身体を駆け巡る。それに対しテツは余裕で流しているようにも見えた。

(オレじゃダメなのか……)

 悔しさが込み上げてくる。気がつけば折り返し、ターンをしてコースに戻り駐車場に向かってラストパート、というところで突然、

 くわっ!

 と、テツの背中からオーラがほとばしり出たように見えた。

 それから、ZX-9Rはペースを上げ、シビックタイプRを引き離し、そのまま闇の中に姿を消してしまった。

「くそっ!」

 負けてたまるか! 気を取り直しアクセルを開ける。しかし、走っても走っても、ZX-9Rは見えず。コーナーをクリアするごとに、いるか、という期待は裏切られた。

 コースも残り少ない。それでも最後まで全力で走った。

 オレじゃダメだったか、という無念さが募る。シビックタイプRは、ドライバーの無念さを代弁するかのように、夜空に向かってVTECサウンドを響かせる。

「すまねえ、カタキは討てなかったぜ……」

 ステアを握り潰しそうなほど、力を込めて握った。胸が悔しさと無念さで張り裂けそうだった。

 そして、ゴール。

 すでにメットを脱いで余裕しゃくしゃくのテツ。そのそばに、オレがイチバンだと言いたげに、腕組みして立って、威圧するようにクニオを見据えるジロウ。

 覚悟を決め、下車するクニオに放たれる言葉。

「噛ませ犬の役目、ごくろーさん」

 ジロウだ。ずどーん、と突き落とされそうな気持ちだった。しかしどうにか堪えて、きっと相手を睨み据え、

「のぼせ上がるな。まだまだ速いヤツはいるぜ」

 と気持ちを吐き出すように言った。それを小馬鹿にするように、笑い返すジロウ。テツは何も言わないで、黙っている。まさかクニオに同情はしていないものの、硬派な性分なので余計なことは言わない。がジロウはそうではなく、いってろばーか、と呆れたように、

「ほーこりゃ面白い。誰だ誰だ?」

 と問う。

「YZFの、鷲津だ!」

「おお、鷲津、鷲津がなあ~」

 ちゃんちゃら可笑しいとばかりに笑ってかえすジロウ。しかし、テツはすこし眉を動かした。気になったようだ。

「今のうちにせいぜい笑っていろ」

 やりきれないか、捨て台詞を吐き、クニオはシビックタイプRに乗ってさっさと帰ってしまった。

 帰りながら、

「すまねえ」

 と繰り返しつぶやいていた。


 七人寺にてクニオ敗れるの報せはタケシとヒデの耳にも入った。入れたのはマサアキとリンだ。

(あのときのシビックが……)

 最初はいけすかないヤツだ、と思っていたけど、案外いい人だったとは。思わず考え込んでしまう。まさかゴネリュウや他に嫌な思いをさせられた走り屋たちの敵討ちに燃えていたとは。

 結果は残念なことになってしまったが、その男気には感心せずにはいられない。

 ともあれ、ジロウ一派の連中は最近変に勢いづいて、うかつに峠で一人で来ようものならどんなちょっかいを出されるかわかったもんじゃない。

 先日、何も知らない通りすがりのツーリングライダーが被害にあったそうだ。それ以来、危険を避けて峠には行かずに、集まるときはショッピングモールのマクドで顔を合わせるようにしている。

 タケシとリンが隣同士にすわり、向かいには、ヒデと、キミ。

 で少し離れたカウンター席にマサアキ。ちょっと、寂しそうだ。

(いいさ、いいさ、ふんだ、オレにはこっこがいるもんね!)

 なんて思ってるなど微塵も出さず、ハンバーガーにぱくついている。

 で、キミはヒデに預けたカタナを引き取りに来たときに、たまたまこの集まりがあるということで、ヒデと一緒に来た。

 預かっている間に、イリアがカタナでゲーセンのバイク虚体よろしく擬似プレイしてたことは内緒だ。

(いるんだなあ、そういう馬鹿がどこにでも)

 かつて「そういう馬鹿」を色仕掛けでからかっていたことは棚に置いといて。ジロウ一派をどうするかの話し合いがなされているのを聞いている。

 リンは、やっぱり無視しておこう、と言う。

「どーせ不良の一時のお遊びだし。むきになることもないよ」

 と心配そうにタケシを見ながら言う。

 せっかく立ち直ったというのに、あんな連中を相手にして無益ないさかいは起こしてほしくなかった。

 それに対しキミは、なに言ってんのよ、と徹底抗戦を唱える。

「なめられたままで終わるの。マジで? やられたらやりかえさなきゃ。それに一時ったって、いつ終わるのかわかんないし。それどころか仕返しがないのをいいことに、ますます付け上がって、かえってタチが悪くなるかもよ」

 さすが場数を踏んできているだけあって、キミの言うことは説得力があった。リンはそれを聞いて、じゃあどうすればいいの? と戸惑いの色を浮かべる。

 ヒデは何も言わない。じーっとタケシを見据えている。

 そこへキミがヒデの肩に手をかけ。

「やるよね。やるんだよね」

 とせっつかせることを言う。

(なんだよ、人任せかい)

 少し苦笑しながら、肩が揺らされるに任せる。まあこれもヒデを男として買っているからだろうけれど。

 そのときヒデの顔見知りのバイク乗りがひょっこりとやってきて、ヒデを見つけると注文をするのを忘れ、なんだか興奮したように駆けつけてきた。

 なんだこいつ? と皆がいぶかしそうに見ていると、その彼は、ヒデのそばまで来ると。

「ヒデ、ヒデ」

 と低いくぐもった、泣きそうな声でヒデの名を呼ぶ。ヒデはヒデで、呆気にとられてその彼を見ている。よく見れば、左の頬に青あざがうっすらと浮かんでいるではないか。

「どうしたんだよ、いったい。何があったんだ」

「どうもこうもねえ、あの、ジロウのやつらが……」

「ジロウ……」

 ジロウの名前が出て、周囲の空気が一気に引き締まり。だいたいの予測がついた。

「もうやりたい放題さ。街ですれ違っただけで、いきなりUターンしてオレを追いかけて、メンバーで囲んでいきなりぶん殴りやがった」

「なんだと……」

 まさかそこまでとは、その横暴っぷりにみんなは息を呑み、荒事に慣れていないリンは顔を真っ青にして、話を聞いているだけで気持ち悪そうにしている。そのやりたい放題は想像以上にひどくなっているようだ。

「峠の中にいても、外にいても、バイクに乗ってるっていうだけで。目も当てられねえ。……地獄の沙汰だよ」

 しーん、と静まり返る。その一般離れした状況に、周りは変なものを見るような視線を送る。しかしそれも気にならないほど、走り屋たちは考え込んでいた。

 特にタケシは考えた。 

 ふぅ、とタケシは腕を組んで思わせぶりにため息をつき。そのため息を合図に、みんな一斉にタケシに注目する。

(もうアイツらなんかほっといて、オレはオレの行きたいところに行こうと思ってたけど、こりゃそうは問屋が卸させてくれねえかなあ)

 おもむろにシェイクを手にとって、ちょっとすすり、手にもったまま考える。

(ゴネリュウさんのこともあるし、あの都築って人のシビック乗りのこともあるし、黙って見過ごすことも出来ないよなあ)

 となると、結局……、

「やるか」

 と言った。言うしかなかったが、言った。よく言った! とヒデが力強くうなずく。

 すると、おおー、という歓声があがった。

「そうだよ、それでこそ男だよ。ヒデに飽きたらあんたに走るよ」

 などと嬉しそうに、キミはそんなとんでもないことを平気で口走る。

「いやあの、オレに走らなくてもいいよ……」

 困ったようにキミに応えて、それから無言。でいながら、リンの視線を痛いほど感じる。心配しなくても、浮気なんかしないのに、とちょっと困った。

 兎にも角にも、タケシの「やるか」の一言ですべてが決まり。それ以上の言葉は必要なかった。バトルの売りつけは、もちろんタケシとヒデのふたりでいく。

 みんなジロウらとのバトルで今から頭がいっぱいだ。さあどうしてくれよう、と。

 しかし、そんな中で、タケシひとりが、ちがうことを頭に思い浮かべていた。脳裏には、どこまでも広がる青空と草原と、草原を縫うようにして走るワインディングロードがあった。


 思い立ったが吉日。マクドで食うもん食って総出で早速黒沢峠に出向けば、そこにジロウらがたむろしていた。

 なんだ、とジロウらは突然やって来たタケシとヒデにリン、キミとマサアキたちを怪訝そうにながめている。

 その目は、やけに輝いているように見えた。まさか、と思えば案の定。

「オレたちとバトルしろ!」

 ときたもんだ。

「なにい?」

 ついこの間までうじうじいじけていた、というのは聞いていたが。今はまったく逆で活き活きしている。

(なにがあったんだ?)

 まさか後ろで控えている女にいい思いでもさせてもらったのか、と考えるのはジロウ。テツは理由こそわからないが、タケシが前よりも熱くなっていることを感じていた。

 まあしかし、立ち直った理由などどうでもいい。刃向かってきたのなら、返り討ちにするまで。

「いいだろう」

 とジロウはふてぶてしく笑いながら応える。

 子分どもは飛んで火にいる夏の虫と、小馬鹿にしたように薄ら笑いを浮かべているが、テツのようにタケシの熱さを感じているのは誰もいなかった。

 それを察し、テツは内心ため息をつく思いだった。

 よくもまあ馬鹿ばっかり集まったもんだ、と。いい加減暑苦しいったらありゃしなかったが、タケシとヒデが風通しをよくしてくれそうだ、と期待していた。

 バトルはこの黒沢峠でやるのか、と誰もが思っていた。しかしジロウは違った。いいだろう、という返事を受けて鼻息も荒くなったタケシとヒデに釘を刺すように言った。

「ひとつ提案があるんだが、聞けよ」

 聞けよ、と物言いにむっとしながらも、なんだよ、と聞き返せば。

「バトルは、この黒沢峠からスタートして、バイパスを通って七人寺でゴール。ってのはどうだ? いつもいつも同じようなバトルじゃつまんねーだろ」

 と言うジロウ。

 さすがに意表を突かれ、すこし呆気に取られてしまったタケシとヒデ。まさかそんなことを言うとは思ってもいなかった。

(黒沢からスタートして、七人寺、ってことは)

 言うまでもない、市街地も通る。マジか、と思っているところへまたジロウ。

「時間は次の日曜、朝四時」

 と言う。

 朝四時とはまた早い時間だが、早朝のその時間帯なら交通量も少なくバトルも出来るだろう。

「まさか早起きが苦手とかいわねーよなあ。まあそれならそれでいいぜ。試合放棄ってことで」

 くくく、と馬鹿にしたような笑い。

 なめんな! とふたりは意気込み。

「いいぜ、それでやろう」

 と言った。知らぬ道でもなし、やったろうじゃん、とふたりは闘魂をメラメラと燃え上がらせていた。

 それからは言葉は交えず。しばらくじっと睨みあいの後、解散。

 

 バトルが決まってから、タケシとヒデのふたりは黒沢から七人寺のコースをみっちりと練習した。

 その間はやりたい放題なジロウら一派も手出しはしなかった。やれらるのがわかってるのに、わざわざ手を出すまでもない。無駄な努力だ、と眺めて面白がっていた。

 リンはタケシのことが心配でならない。勝ち負けなどどうでもいい。どうか無事であってほしい、と。

 このバトルはジロウら一派の連中によって言いふらされて、ありこちに知れ渡った。ジロウの差し金だ。刃向かうヤツがどうなるのか、よく見ておけよ。とのメッセージをこめて。

「やるのか」

 病室でゴネリュウがぽそっとつぶやいた。バトルのことはゴネリュウにも知れ渡っていた。

 まったく馬鹿なことを。と思いつつも、そうだからこそのタケシとヒデなのだろう。

 そばでは楓子がじっと彼氏を見ている。バイクのことはよくわからないが、バトルのことを知ってリン同様はらはらして落ち着かない。

 いくら小にくったらしい弟とはいえ、ならず者たちとバイクで競争だなんて。普通に考えれば、正気の沙汰ではない。しかしどこかで喝采を送って、ギャフン! と言わせちゃいなさい! と大声で弟に大喝したい気持ちもあった。

 それと、もうひとつ。胸のうちである決意が生まれていたが、それはまだ秘密。

 ふと、ゴネリュウと目が合った。

 楓子はにこっと笑って、彼氏に微笑み返した。

 

 そしてついに迎えた日曜日。

 タケシとヒデは前の晩から興奮のあまり寝付けず、ろくに眠れなかった。しかし闘志は燃え盛り、時計が三時を指すとともにがばっと布団から飛び起きさっさと着替えて、メットをむんずと掴んで部屋を出た。

 タケシは近所迷惑にならぬよう、いつもバイクをアパートからしばらく押してからエンジンをかけている。

 空も周囲もまだほの暗い。空気も秋の涼しさもあって、いささか冷たい。もうすぐ冬になる。冬になれば寒くてバイクに乗るのはやっぱり辛い。だから冬は好きになれなかった。

 今年もバイクで走りまくれるのは、あとわずか、というのを、YZF-R6を押しながら感じていた。

 だが、冬来たりなば春遠からじ。

 もう今から来年の春が来るのが待ち遠しく、それを思うと自然と胸がわくわくしていた。

 ヒデはというと、さあ行こうかとドアを開けCBR600RRのもとまでゆけば、そこには真新しいヘルメットをもったイリアが待ち受けていた。

 この深夜、ヒデより早く起きて、来るのを待っていたようだ。

「え、イリア。なにやってんだよ」

「いやあの、お兄ちゃんバトルするっていうから、一緒に連れてってほしいと思って」

「ええ? マジで言ってるのか?」

「うん」

 バトルのことがあちこちに知れ渡っているのはわかってたけど、まさかイリアまで知っていたとは。

 バトルのことは、ゴネリュウの見舞いにいった楓子から聞いたのだが。それを聞いてからいてもたってもいられなくなっていた。

 ちなみに未来は関係ないとそ知らぬ顔だ。兄としてはその方が助かるのだが、イリアはそうではなかった。これでは養父母の心配は募るばかり、バイクを反対するのも、よくわかるというものだった。

 しかし手に持っているヘルメットは初めて見る。白と青のカラーリングがうまく調和され鮮やかな印象のヘルメットだ。

 どうしたんだよそれ、と聴くと。

「前から貯めてたお小遣いで買ったの」

 と言う。いつ出そうか、使おうか、と楽しく悩んでいたそうだが。このバトルを聞くにおよんで、今回こそヘルメットの初陣を飾るに相応しいと思ったようだ。

 ヒデはきちんとお小遣いを貯めてたイリアに感心しつつも、やれやれとため息をつき、首を横に振る。

「悪いけど、今回ばかりは遊びに行くんじゃないんだ。だから連れてはいけないよ」

「そこをなんとか、ね」

 仏様を拝むように手を合わせて哀願するイリア。着いて行きたがっているのも、遊び心からではなく、ヒデが心配だからというのはわかるが。かりにも女子中学生をこのバトルに巻き込むのは、というよりこの早朝に連れ出すのは、気が引けた。

 楓子も未来も、ぐっすりと眠っているというのに。

 そこへ、バイクの排気音が聞こえたと思ったら、キミのカタナ。

 一旦家に来て、それからヒデと一緒に黒沢峠に行く段取りだった。が、まずいところを見られたような気まずさを、ヒデは感じた。

「あら、お取り込み中だったのかしら?」

 という、案の定な皮肉。

「違う。こいつバトルを見たいらしいんだ」

「あらそう」

 じーっと、開かれたシールド越しにイリアを見るキミ。以前家に泊めてもらった時に顔は合わせたが、これといって話をするでもなかった。

 イリアは擬似プレイをしてたカタナの乗り手が来て、すこしぎくっとしているようだった。もちろんヒデはこのことは言ってないので、キミは知らないのだが、それでもぎくっとするものはするものだ。

(別にまあいっか)

 妹相手に変な遠慮も嫉妬もすることもない。

「行きたいってんなら、あたしの後ろに乗ればいいわ」

 とリアシートを指差す。

「あたしの他に、あの赤いオープンカーのひとも来るんでしょ。なら峠についてから、その人の横に乗せてもらえばいいわ」

 なるほどそれは名案だ。ほんとは連れて行きたくないが、ダメといってもチャリンコをこいででも、無理矢理来てしまいかねない。それなら信頼出来る人につければいい。

「やったー!」

 イリアは嬉しさのあまり大声で叫び、

「お、おい、何時だと思ってるんだよ」

 と慌てたヒデにたしなめられ、ごめん、とぺろっと舌を出してヘルメットを被ってカタナの後ろに乗った。

 それを見届け、ヒデもヘルメットを被ってまず家の外にCBR600RRを出して、またがり、マシンを目覚めさせる。

 きゅるるる……、ぶぉん!

 と威勢のいいマシンの声。よし、とうなずき。「行くぜ」と前を指差し発進。早朝なので控えめにゆるゆると進み。後にカタナも続き。

 大通りに出てさあ飛ばそうか、と思ったが。カタナの後ろにイリアが乗っていることを思って、住宅地のときと同じように控えめのペースで峠に向かった。

 キミもそれは心得て、ゆっくりとCBR600RRについていった。

 しかし初ダンデムのイリアには、それでもハイペースに感じられて。落ちないように、キミに必死にしがみついていた。

 

 黒沢峠の駐車場。

 そこにはジロウら一派がすでに到着し、佐々木小次郎よろしく武蔵はまだかと、相手を待ち焦がれていた。

 ゴール地点の七人寺にも子分をやっている。それをもって、証人にするのだ。人選はテツがした。硬派な性分のテツが選ぶだけあって、ジロウ一派の中でもわりかしの硬派さはもっている。人選ははテツ自らが言い出したものだ。ジロウに人選をさせれば、どんな馬鹿なヤツを選ぶかわかったもんじゃない。例えば、途中で相手の妨害のために割り込むとか。

 ジロウはテツがでしゃばったのが気に食わないようだ。親分としてしめしがつかない、と。

(それなら走りでしめしやがれ)

 とテツは内心舌を出す。オレたちゃロクデナシであっても、バイク乗りだろうが、と。

 空には曙光が射しはじめ、影絵のように暗い空の中で姿を浮かび上がらせていた山々が光りを帯びはじめてくる。

 その陽の昇りに合わせるように、マシンサウンドが黒沢峠の山々に響きわたった。

 タケシたちだ。

 YZF-R6を先頭にハチロクレビンにアルファロメオスパイダー、ヒデのCBR600RRにカタナ。

 来たな、とジロウとテツは腕を組みながらタケシたちを出迎えれば。駐車場に滑り込むYZF-R6らのグループはジロウらと離れたところに停まり、ヘルメットを脱がずマシンにまたがったままジロウらに睨みを効かせる。

 ちなみにイリアは峠に入る手前で、峠入り口で控えてタケシたちを待っていたリンのアルファロメオスパイダーの助手席に乗っている。

 ジロウらと対峙する兄の背中を心配そうに眺めている。相手はガラの悪い連中だと聞いていたが、実際に見てみれば想像以上のその目つきの悪さに背筋も凍る思いだ。それはリンも一緒だった。

 負ければどんなひどい目に遭うのやら。

 無事でいて、それだけでいい。とタケシの背中に心で語りかける。

 マサアキはすぐに飛び出せるよう、シートベルトを外してドアノブに手をかけている。暴走したヤツが、突然何をしだすかわからないからだ。実際目を血走らせてこちらにガン飛ばしているヤツもがいて、今にも襲い掛かってきそうだ。

 それなりに不良というものを知っているマサアキなだけに、そんな連中の中には後先考えない、心の後退した人間がいることをよく知っていた。

(あの芹沢よりあったま悪そう)

 とキミは眉をしかめながら、ジロウらから目をそらしてヒデの背中を見つめている。その背中に、負けるわけないよね、と心で語りかける。

 睨み合いの間、言葉を交わすことはなかった。言葉を交わすために集まっているのではない。

 ジロウは不適にふっふと笑ってヘルメットを被り、マシンを目覚めさせる。テツもそれに続く。

 峠にマシンのさえずりが低く響きたる。それをBGMに、誰に指図されるわけでもなく、おのずと四台は駐車場を左に出て、ゆっくり走りながら道路に並ぶ。

 と同時に、スタート。

 さえずりは一斉に爆音へと変わって、曙光射す空に叩きつけられ。四台は一気に速度を増し、あっという間に駐車場から見えなくなった。


 それに合わせて咄嗟にマサアキとリンは視線を交え、どんっとアクセルを踏んで、ホイールスピンをかましながら駐車場を飛び出す。キミのカタナも続く。

 まさかバトルに割り込むことはしないが、後ろからマーシャルカー代わりについてゆくのだ。もし誰かが転倒して痛がっていたなら、すぐに手当てなり必要とあらば救急車を呼んでやらないと。無論無事バトルが終わった場合は、勝敗の証人となるのだ。

 それに構わず、四台は黒沢峠を突っ走る。

 先頭はジロウ・CBR900RR、以下テツ・ZX-9R、タケシ・YZF-R6、ヒデ・CBR600RRと続く。

 さすが覇道を突き進むだけあり、ジロウのスタートダッシュは申し分のないもので、タケシとヒデは密かに舌を巻いた。なるほど伊達にゴネリュウと張り合ってはいない。

 しかしこっちだって負けちゃいられない。

 曙光によって闇夜からすくい出される道を、ヘッドライトで照らす。コーナーが次々と突き出され、四台のマシンは右に左にひらひらと舞うように峠道を駆け抜けた。

 アクセルを開ければ、マシンは吼え。それぞれの叫びがぶつかり合いながらも、ひとつの調和音となって峠の山々に、曙光射す空に響きわたる。

 タケシは大きく息を吐いた。身体中に電流が駆け巡っているように、全身がしびれ。神経は研ぎ澄まされてゆく。ヒデは無言のマジモード。目は見開かれ、タケシの背中を射止めるように見据えて。

 マシンと一体になって風とぶつかり、風を打ち砕いてゆく。

 いつもならタケシを抜こうとするのだが、今回ばかりはおとなしく着いて行っている。ペースは悪くない。ここで無理なバトルをすれば、いたずらにペースを下げジロウとテツに離されてしまう。そこでタケシにテツへのプッシュを託すしかなかった。無論自分がそれをしたいのは言うまでもないが、ここはガマンだ。

「頼むぜ」

 とぽそっとつぶやいた。

 言われるまでもなく、タケシはテツのZX-9Rに必死に食らいつく。しかしテツもさるもの。決して隙は見せず、巧みにタケシの走行ラインをつぶす。まるで後ろに目があるかのようだ。

 先頭のジロウはテツの援護があってか、余裕しゃくしゃくで走っているようだ。なかなかの連携プレイを見せている。

 相手がそうなのだから、タケシとヒデはなおさらだった。このバトル、ふたりのコンビネーションが勝敗を決するかもしれない。

 そこまで考えいたってはいないものの、いつも張り合っているふたりが今思っていることは。

「ゴネリュウさんや、今まで散々いじめられてきた走り屋たちの、カタキ討ちだ!」

 だった。

 それが今ふたりをつないでいた。

 そのおかげか、いつもと違い息の合った編隊走行が出来ていて。同じペースで走れて、ふたりの距離もつかず離れず。もしタケシに何かあっても、すぐにヒデが取って代われる。

 なによりYZF-R6とCBR600RRが同じ動きをしていて、そのサウンドも見事に調和がとれていて。まるで二つの楽器で合奏をしているようで。いうなれば、ドンピシャとはまっている。

「……」

 走りながらミラーを覗いたテツは、後ろの様子を察し今回は一筋縄ではいかないことをさとった。

 今までどこかなめていたタケシとヒデのふたりだが、息の合った編隊走行でぴったりとついてきている。前のジロウもいいペースで走れているのだが、それは、相手にいいペースでついていかれているということでもある。

 上ったり下ったり、右に左にしているうちに、ほの暗い峠のワインディングロードに光りが射し始めてきて。変わりにヘッドライトの光りがうっすらとほのかに消えるように、太陽の光りの中に溶けこんでいって。

 上り坂の上に、蒼い空と白い雲が見えるようになってきて。

 タケシとヒデのふたりは、坂の上の雲に向かって飛び立つように、アクセルを開けた。


 先頭のジロウは空が明るくなってゆくのを感じながら、悠々と走っていた。後ろはテツがブロックしている。最初からそういう手はずだった。

 が、ジロウの背中を見るその目はやけにぎらついていて。ぴったりとジロウのCBR900RRに張り付いている。

 アクセルを開けマシンを吼えさえ、風を打ち砕いてゆく中で、タケシはテツのブロックに舌打ちし、てこずっているようだ。

(なんてえ、えげつない) 

 こういったことはプロのレースでもされていることだが、されてみるとこれほどえげつないものはない。某F1チームはこれをやりすぎ、ひどくヒンシュクを買ったことさえある。

 が、逆に言えばこれほど有効なものもない。逆の立場なら、同じことをするだろう。

 ヒデのヤツが後ろでおとなしくついている。これが何を意味するのか。

 しかし……。

(やりたいほーだいすることしか考えてない腐れ不良のことだ、きっとどこかで破綻があるはずだ)

 と、なぜか頭が冴えそう考える。黒沢峠では、譲ってやろう。と、テツから離されないことだけ考えて走る。それなら幾分楽だ。

(ここは譲るか。その方が賢明だな)

 ヒデもタケシの心中を察したらしく、無理にペースを上げようとせず、離されないことだけに専念する。

 ゴールはまだ序盤。相手の様子をじっくりうかがうのもいいだろう。

 とヒデが考えたとき、テツが一瞬後ろを向いた。

 後ろ二台の気配を察したようだ。

(まんざら馬鹿でもねえってわけか)

 若いふたりのこと、やたらめったら仕掛けてくるかと思いきや、さにあらず。落ち着いてついてくるではないか。これは予想外だった。

 仕掛けるふたりをブロックし、苛立たせてペースを引っ掻き回すつもりだったが、当てが外れた。

(さてどーするか)

 ブロックしつつペースを下げるか。いや下手にペースを下げて抜かれないとも限らない。ここは落ち着いて、自分の走りに専念するのがよさそうだ。

 で、ジロウはミラーで後ろの様子を覗き、ふたりがさほど離れていないことに舌打ちする。ゴネリュウをハイサイドに追い込んだ自分が、若造相手にてこずるなど面子が潰れるではないか。

(テツめ、なにやってんだ)

 と相棒に心で愚痴る。

 さて四台の後方、マサアキのハチロクレビンにリンのアルファロメオスパイダーにキミのカタナ。ハイペースで飛ばすも、遅れたタイミングで出たせいでなかなか追いつけない。

 飛ばしながらもコーナーのたびに、こけたタケシとヒデが脳裏に浮かびアクセルも踏み込めない。今回はマーシャルカーに割り切ってるとはいえ、あまりいい気分ではない。リンとキミはゴネリュウがクラッシュしたことを思い出し、おのずと気が引き締まる。

「わ、きゃあ、わわわ……」

 本音を言えば、バトルに着いてきたのは好奇心が強かったからだが、そのおかげで、飛ばすリンの横で必死に踏ん張りながら唸る。心も身体も樽の中に押し込まれ、シェイクされているみたいだ。

「大丈夫? ペース下げるよ」

「だ、大丈夫です。飛ばしてください!」

(おやおや)

 さすがはヒデの妹。横に乗せるときは突然のことにびっくりしたし、こうして走ってて車酔いしたらどうしようと思ったが、意外に頑張る。

(将来見込みありだわね)

 それをいいことに、リンも遠慮はしなかった。ペースを下げてタケシから離れたくはなかった。それはキミも同じ。カタナを唸らせ、リンのアルファロメオスパイダーを今にも抜きそうな勢いだ。

 うかうかしてられないマサアキ。マーシャルカーなのに、なぜか三台で半ばバトル状態になっている。踏み込めないってのに、これはつらい。と思いつつ。

「なめんなよ」

 とぽそっとつぶやけば、ハチロクレビンは軽くケツを流す。そういう走りとペースになっているということだ。

「すごーい!」

 ハチロクレビンのリアスライドを見て興奮するイリア。苦笑いのリン。まったく元気なものだ。

(若いっていいなあ)

 と、ふと思った。

 

 峠は下りばっかりに差し掛かり、もうすぐ黒沢峠を出て禁断の市街地コースに入る。

(ほんとはいけないんだけどなあ)

 いくらマン島の動画見て心動いたとはいえ、市街地を峠のように走ることにはやはり抵抗を感じる。タケシは、早くこんなバトル終わらせて、行きたいところへ行きたいと強く思った。

 なんなら途中で抜けてやろうか、なんてさえ思った。

 そのとき、ふっとヒデのCBR600RRが視界に飛び込む。ヒデが抜いた、のではない、知らないうちに自分のペースが落ちたのだ。

「なにやってんだよ!」

 と怒鳴りながらテツを追うヒデ。タケシが急にペースを落としてしまったため、やむなく抜いた。

 あ、しまった。と思っても後悔先に立たず。やむなしとヒデに着いていくしかない。おかげでテツとの差はひらいてしまって、その背中が前より小さく感じる。

(やべえ)

 この、集中しないといけないときに、よそ事を考えてライディングのリズムが乱れてしまったのだった。こりゃいかん、とタケシは気を取り直し、ライディングに集中する。

 はあ、と大きく息を吐いた。気の流れが身体を駆け巡ったようだった。

 そうこうしているうちに、峠のふもとに降り民家やコンビニの店舗といった建物が目に付くようになってきて。ふと目の前に信号が見えてきた。早い時間なので、赤の点滅だ。

 来ないでくれ! と祈りながらその信号の交差点を抜けた。前の二台は平気そうだが、やはり後ろの二台は冷や冷やものだ。

 この調子で行けば大通りの、四六時中機能している信号も無視していかないといけなさそうだ。

(馬鹿げたバトルだ)

 練習をしているときは律儀に守っていたが、内心、本番となれば無視していくんだろうな、とは思っていた。まさにその通りのことだった。

 もう峠からは出て、市街地に入った。早朝とはいえ一般車が皆無ということはなく、少ないながらも走っていた。それらを追い越し追い抜きながら四台は七人寺向かって飛ばす。

 民家や店舗、ビルなどの建物が、ばばば! と濁流のように吹き飛ばされてゆく視界の中、アクセルを開けマシンを吼えさせ、風を打ち砕く。

 抵抗を感じつつも、タケシとヒデはこの市街地コースこそチャンスと閃き思った。片側二車線の両側四車線と、道も広い。

(ここは心を鬼にして、ヤツらに勝つことに集中するんだ!)

 と言い聞かす。どう言い訳しようが、勝ちは勝ち、負けは負け。むしろヤツらはふたりの性格を考えた上で、このコースでバトルするつもりだったのだろう。せこい、と言えばそれまでだが、応じてしまったのはもっとそれまでだった。

 ぎっ、と歯を食いしばり、ふたりはアクセルを開ける。マシンは声高に吼える。市街地バトルだとてまったく経験がないわけではない。

 一瞬ジロウが後ろを向いた。タケシとヒデとの差を確認したかったのだろう、いくらか開いているのを見てほくそ笑んだ。

「勝ったな」

 ぽそっとつぶやいた。まったく口ほどにもない。 

 バイパスの大通りとてただまっすぐというわけでもなく、微妙な角度の高速コーナーが右に左にあれば直角のコーナーもあり。かと思えば交差点でかくっと右に左に曲がる。

 無論一般車を追い越し追い抜き、信号を無視して、だ。幸い交差点で一般車と遭遇することはなかった。

 集中しなおしペースを取り戻したタケシはヒデをプッシュする。もっとペース上げろ、と。

「にゃろ~、いい気になりやがって」

 なめんな、とタケシを引き離そうとするヒデ。ちらっとミラーを覗く、目の前には交差点。これを左に曲がる。やや長い直線の後、右の直角コーナーをクリア。

 広い片側二車線路だ。この道は工業団地の道で、周囲には無機質で実用的なスタイルの大きな建物が立ち並び、まるでコンクリートの谷底を這うような印象を受ける。

 民家もなく、日曜の早朝ということもあって一般車もない。市街地コースでの絶好のバトルポイントだ。

 無事工業団地まで来れてほっとひと息とともに、ここからが本番だとばかり、タケシはヒデへのプッシュをさらに強める。

「ちんたら走ってんじゃねーよ馬鹿!」

「てめーうっとうしいマネしやがってー!」 

 聞こえるわけもないのにお互いに怒鳴りあい、怒鳴りあいながら何故かペースもあがってゆく。ヒデとて意地がある、ジロウに勝つのはもとより、先頭でゴールするのは自分だ! と激しく意気込んでいる。それはタケシとて同じ。自分がトップでゴールするイメージが知らずに浮かび、そのシミュレートまでが弾き出されてゆく。


 前の二台、ジロウとテツもこの工業団地が絶好の「飛ばし」ポイントと心得ているので、ペースを上げる。交差点を左に曲がれば、左、右のS字が迫る。ひらっひらっと軽やかにマシンをバンクさせ、S字をクリア。すると、長い直線だ。四台は縦一列に並び、突き当たりの左直角コーナーまでフルスロットル。

 四台のマシンの咆哮が工業団地に響きわたり、それはさらに、団地の工場や倉庫などの建物に反射して、朝のまばゆい蒼い空にまで叩きつけられているように響く。

 打ち砕かれてゆく風。ヘルメットや肩を激しく叩く。

 やはり排気量の差で前二台がややリード。だが、

(ここは突っ込みだっ!)

 直線での不利は百も承知。だからコーナーにかける。

 目印となる工場の門の前を駆け抜けるとともにブレーキング。前二台のブレーキランプがぱっと灯る。それをしっかりと目に焼きつけ、タケシとヒデは突っ込みで勝負を仕掛ける、イン側に並ぼうとする。とそのとき、タケシの中で、

(アウトだ!)

 と、心の声がひらめく。

 後ろが仕掛けたのがわからぬテツではない。さっと自分のラインをよりイン側によせる。ラインをふさがれたヒデは、忌々しそうに舌打ちし、並べない。しかしタケシは、テツのアウト側のラインをなぞって、そのアウトラインから仕掛けようとする。

 YZF-R6の前輪がZX-9Rの後輪と並ぶ。それを察したテツはタケシの意表を突く走りに、

「マジかよ!」

 と唸り、咄嗟にラインを膨らませてタケシの走行ラインを塞ごうとする。となると、このままいけば、タケシのYZF-R6は、テツのZX-9Rの後輪によって前輪を蹴られてしまうことになる。

 とともに、イン側のラインが空くことになる。

「もらった!」

 ZX-9Rがアウトへ膨らんだのをこれ幸いと、ヒデは再度そのインへと突っ込めば。テツの視界にCBR600RRの前輪が飛び込んでくる。

(しまった!)

 すでにコーナーの一番奥、クリッピングポイントをかすめ、立ち上がり、加速。ヒデの突っ込みに驚かされたテツは下手に動けず、結局はタケシにも並ばれることとなり。YZF-R6とCBR600RRに挟まれるかたちとなった。三台並んでの加速競争、そして狂騒。

「いっけー!」

「っしゃー!」

 タケシとヒデ、アクセルを開け、絶叫。その絶叫の中に祈りと勝利への念をこめて。

 三台のサウンドがハウリングして、ライダーに叩きつけられる。すると、テツの身体に電流が流されたような衝撃が走った。

「はっはー、すっげー楽しいじゃねーか!」

 我知らず叫ぶ。心の奥底から、知らず知らずのうちに、バイクで走り始めたころの、純粋な楽しさが沸き起こって。身体中を激しくゆすぶる。

(そうだよ、オレが求めていたのはこれだったんだ!)

 あるときジロウとのバトルに敗れ、その傘下に収まることになって以来、ずっとその後塵を浴びることとなった。負ければ子分になる、という約束だったので破るわけにはいかなかった。が、いつかリベンジをかます機会をうかがっていた。それこそ、今こそその機会ではないか。

 このバトルの後でと後回しにしてたが、もうやめた。

 さすが立ち上がり加速は排気量差とパワー差でZX-9Rが有利、そこへうまくスリップストリームにつけられ、ぐんぐんとジロウのCBR900RRに迫る。すぐ後ろに惜しくも完全パスならなかったヒデのCBR600RR、やっぱり残念ながら抜けなかったタケシのYZF-R6。

「な、なんだ!」

 背後の気配を察し、ジロウは驚いて後ろを向いた。なんとテツが自分に迫ってきているではないか。なぜだ! と疑問と憤りを感じ、己のうかつさも呪った。走っている最中に後ろを振り向けば、どうしても上体を起こすのだが、そうすれば空力抵抗がひどくなる。となると自然スピードダウン。

「覚悟っ!」

 と叫ぶテツ。最後の「ごっ!」のところで、CBR900RRの右手に並んでしまった。

 並んだところで中速右コーナー。丁度インだ。テツは勢いに乗って、そのままジロウを抜き去ってしまった。無論タケシとヒデはこの展開に驚く。てっきり自分たちのブロックに専念すると思いきっていたのに、思わぬことになってしまった。

 が、好都合なのは言うまでもない。

「こ、このやろう」

 吐くようなつぶやき。西洋の心霊写真みたく、エクトプラズムでも吐き出されそうだ。まさかテツが突然裏切るとは思ってもいなかった。

(だいたいてめーは思い込みが激しいんだよ)

 テツは突きつけるように心で語る。自己信仰というかうぬぼれというか、そういった思い込みの気がジロウは高かったのだが、それだけに今回のバトルで「まさか」はありえない、テツのブロックで楽に勝てるという思い込みも強かった。

 まさに、そこを突かれてしまい、ジロウは驚きのあまりペースを乱すことになってしまった。ゴネリュウと互角に渡り合うテクニックを持ちながら、己を制することが出来なかったために、すわっ、という肝心な時に本領を発揮させられない。

 みるみるうちに、タケシとヒデにも迫られる始末。

「チャーンスっ!」

 前二台の展開で俄然やる気がはち切れんばかりに溢れ、まるで血にニトロでも混ざったかのようにペースが上げられ、ジロウを突っつきまわし。

 そのまま、気がつけば工業団地を抜け、七人寺へと入ってゆく。ジロウは後ろの二台を抑えるのが精一杯のようだ。

 

 後方のマサアキたちは砕かれたマシンや傷ついたライダーが現れないことに安堵しつつも、まだ油断は出来ないと思いつつ、ハイペースで飛ばす。それでも追いつけない。

 工業団地に入り、何事もなければ次は七人寺峠だ。

「まったく、たいしたヤツらだぜ」

 ぽそっとつぶやくマサアキ。年下ながら、ほんとにたいしたもんだ。それと、密かに二輪もいいなあ、と考えていたのは秘密だ。その後ろアルファロメオスパイダー、リンもイリアも無言のままだ。閉じられた幌の中、張り詰められた緊張感が心を重くして、口までも重くなる。その後ろのカタナのキミも同じだった。

 勝負はどうなってるだろうか。

 それは、ゴールまで行ってみないとわからない。


その弐に進む


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