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episode1 このやろう!

 青く澄みわたる空はどこまでも広がって。

 白い雲がその身を伸ばして浮かび、風に流され。地上にふりそそがれるような空からの風が、鷲津武志ワシヅ・タケシの頬をなでる。

 タケシは仲間たちといつも走っている黒沢峠こくたくとうげの道の脇の、小さな駐車場の片隅にある自販機のそばで、缶コーヒーの缶を手に愛機の青いYZF-R6をじっと眺めていた。

 サソリのマークのある社外製マフラーに、カウルに貼られたステッカーがレーシーでいかす、とタケシは思っている。

 このYZF-R6は走り屋仕様のYZF-R6だった。

 夏も終わりを告げようとしている時期で、どこからともなく早起きしたツクツクホーシの鳴き声が聞こえる。

 さっき昇った太陽が顔を出してくると同時に、汗ばむような陽気になってくる。

 あちぃ、と思いながらも、タケシは腹まで開けていた青いライダーズジャケットのチャックを胸元まで閉める。

 右のミラーには、白地に炸裂したかのような派手なブルーの模様の入った、自家塗装の、OGKのヘルメットが掛けられ、シートにはグローブがだらんと指を伸ばして置かれていた。

 愛機のかっこよさに浸り、手に持つ缶コーヒーの缶を口もとに持ってゆき、残りを一気に飲みほそう、とした時。

 待避所に滑り込むようにしてやってきた黒いワゴン車、アコードワゴン。中にはチャラい感じの男女が四人。どっかへドライブへいくところ、というところか。

 四人とも車から降り、駐車場の自販機へと向いながら、タケシとYZF-R6を見て。

「おい走り屋だぜ」

「走り屋ぁ~? サーキットで勝負する度胸のないジコマンオナニー野郎のことか」

「いや~んださださ~」

「オレ知ってるぜ、ドリフトって速く走れないんだよ。ドリフトで速いなんて漫画だけの妄想なのに、走り屋ってそれをマジで信じてるんだよ」

「え~、走り屋って、妄想でオナニーしてんの……。げろげろ、きもわる!」

 と、言いたい放題だ。

 最近はなんか、漫画がきっかけになって走り屋がブームになっているが。でまあ、流行に噛み付くことが硬派だと勘違いしているヤツらの格好の悪口の標的になっている。

 だけどそりゃ四輪の話だ。

(あほか)

 と相手にせず、コーヒーの缶をゴミ箱に放り込み、YZF-R6にまたがり、セルスターターを回せば。マシンは目覚めの雄叫びをあげる。けっこう爆音で、山々にこだまする。

 サソリのマークのある社外製マフラーがびりびりしびれて、爆音を吐き出す、四人に叩き付ける。 

 あたりの空気までもが爆音にしびれているようで、それが肌で感じられて、程よく撫でられて、心地よい。 

 お目当てを買って車に戻った四人を無視し、駐車場を出て、本道に入る。何を思ったか、アコードワゴンもついてくる。

「……」

 それをバックミラーで見て、左腕を上げて、中指をおっ立ててやった。

「なんだあいつ、走り屋のくせに!」

 途端にアコードワゴンがパッシングをかまし、YZF-R6のテールにぴったりとくっついた。後ろから、おかまを掘らんかと言わんがばかりだ。

「いいぞいいぞやれやれー」

「轢き殺しちゃえ~」

 車内で馬鹿騒ぎが始まる。

 だがしかし。

「……、しゃ!」

 タケシの叫びがヘルメットの中で響いたかと思うと、YZF-R6はフロントを高々と持ち上げて、ウィリーをかます。

 いきり立った暴れ馬のようにフロントが高々と上がったYZF-R6。

 ウィリーかまして着地して。

 スロットルオープン!

 マフラーからアコードワゴンにぶつけんがばかりに激しい爆音が響く。

 くうが揺れたかと思うほどの、激しい爆音。耳のみならず、腹に図太い一発を食らい、心臓までをも貫きそうなそのサウンド。

 やれるもんならやってみやがれ!

 というメッセージもふんだんに込めて。

「ひっ!」

 慌てたアコードワゴンのドライバーは咄嗟にブレーキを踏む。他三人も、突然のことに体勢を崩し、呆然としている。

「な、なにやってんだよ、たかが走り屋相手に」

「そ、そんなこといったってよお……」

 だとか言っているうちに、その走り屋はもう見えなくなっていた。

「ちぇ、逃げ足だけは早いぜ」

 そんな負け惜しみを言っていると、何かがミラーの中で光った、かと思うと、何かが聞こえてくる。

 なんだと思う間もなく、それはあっという間に追いつき。

 ぐわん!

 と殴りつけられるような唸り声を放って抜き去っていった。それはバイクだった。黄色いバイクだった。

「わっ」

 と、声をあげたときには、コーナーの向こうに消え去っていた。

「おい、またやられたじゃねえかよ。たかが走り屋に」

「うるせえ! そんなにいうならやってやるよ!!」

 散々たかがたかがと馬鹿にした以上、引っ込むわけにはいかない。

 走り屋なんて、どうせサーキットで勝負する度胸もテクニックもなく、しかたなく峠道を走っているような、ジコマンオナニー野郎なんだ。おれたちでも勝てるさ。

 と自分に言い聞かせ、バイクを追いかけようとしたとき、またミラーに何か写った。それもバイクっぽかった。

(またきたよおい)

 舌打ちしながら、ミラーに写るバイクの進路妨害をすべく左右にハンドルを切りながらジグザグ運転をする。

「!!」

 アコードワゴンに追いついた黒いバイク、CBR900RRのライダーはアコードワゴンの動きを見て、咄嗟にフルブレーキング。タイヤがロックして、すこしそのまま滑って進む。

 CBR900RRは黒地に赤のラインが走って、そのライダーのアライのヘルメットは黒。ツナギ=ライディングスーツはバイクと同じように黒地に赤のラインが走った、妙に暗く、それでいて妙に目が痛くなりそうな色使いで。ミラーに広がる青空の中に、悪魔が一匹割り込んだような印象をアコードワゴンのドライバーに与えた。

「抜けるもんなら抜いてみやがれ!」

 キャーキャーという喚きとも悲鳴ともつかぬ声が車内に撒き散らされ、アコードワゴンのドライバーはひたすらハンドルを右に左に切ってばかり。たてつづけに『たかが』走り屋にしてやられたら、仲間たちからいい笑いものにされてしまう。だから必死だ。

「……」

 フルブレーキングから体勢を立て直したCBR900RRのライダーは『ふらつく』アコードワゴンを鬱陶しそうにスモークシールド越しに睨みつける。対向車を恐れてか、右側いっぱいへはいけなさそうで。その隙を見て、その右手に滑り込む。

(ああやられた!)

 苦々しそうにアコードワゴンのドライバーは右側に滑り込んだバイクを睨みつけた、ら、同じく向こうの黒いアライのヘルメットこっちを睨みつけていた。

(ぞく)

 と悪寒が走った、それから、ライダーの足が動いた。動いた足は、アコードワゴンのミラーを蹴った。

 蹴られたミラーは、べきっという音を立てて、宙に浮いた。


 宙に浮いたミラーが着地し、ころりと転がって、草むらの中に隠れてしまう。

「ひえ~~、にげろお~~~」

 と、急ブレーキを踏み、慌てて反転するアコードワゴン。

 このままここにいては何をされるかわかったもんじゃない。

 逃げながら、次から次へとバイクがやってきて、それとすれ違う。すれ違うたびに、恐怖は倍増してゆく。

 下手すりゃたくさんの走り屋に囲まれて、男たちはボコられ、女たちには口では言えないようなことでもされかねないと思い、恐怖して、逃げる。

 彼ら彼女らは、漫画の流行程度にしか走り屋というものを認識していなかったことを痛感していた。

 CBR900RRはというと、構わずいってしまっていた。

 そんなことがあったとは露知らず、タケシはYZF-R6をかっ飛ばしまくりだ。次々と迫りくるコーナーを、マシンを傾けハングオンでクリアしてゆく。

 バイクと一緒になって風を切る。いや、風を切るというより、風にぶつかり打ち砕いてゆく。

 アクセルを開けるたび、マシンは、YZF-R6は吼える。その咆哮は山々に響き、くうを揺るがす。揺るがして、天空まで響かせて。

 そうしてかっ飛ばしながら、コーナーの向こうからぱっとバイクが現れる。

(お、ヒデか)

 CBR600RRに乗る悪友、左文字秀樹サモンジ・ヒデキ、通称ヒデだ。

 ヒデもヒデで。

(お、タケシか)

 すれ違いざま、赤いカウルに黒い翼が描かれるCBR600RRの咆哮、マシンサウンドが、YZF-R6のサウンドとぶつかり、かち割りあって。

 一瞬だけ、ガンの飛ばしあい。  

 それは真剣を一瞬まじえて、火花が散ったようだった。

 そういえば、ヒデの白いヘルメットにも赤い火花が散っている。タケシのと妙に似通ったデザインのヘルメットに、互いに。

「パクりやがったな」

 と言い合ったのを思い出す。ライディングシューズにジーパンに、赤いライダーズジャケットというスタイル。これもタケシと似通って。互いにライダーズジャケットの肩のところがバタバタして、肩をたたく。

 どういうわけかふたりは、バイクは違えどスタイルやセンスが合っていた。

 すれ違いざまヒデは、がつん! とブレーキをかけ急停止し、急反転する。

(あいつくんのか)

 ヒデが反転するのをミラーでのぞいたタケシは減速してヒデを待った、そのついでに、さっきアコードワゴンにしたように左手を上げて。

 中指をおったてる。

「たぁっ! なめてんかあ!」

 タケシの中指に感情を刺激され闘志を燃やすヒデ。

アクセル全開をくれたCBR600RRは怒りの雄叫びを上げYZF-R6を追いかけ始める。

「あはは、鬼さんこちら手のなるほうへ♪」

 鼻歌を歌いながら、CBR600RRが迫ってくるのをミラーで見てから、こっちもフルスロットル!

 二台のステレオなマシンサウンドが一斉に叫ぶ。それはまるで、地面から突然音の噴泉が湧き出たかのようで。それは天にまでも昇りそうだった。

 前YZF-R6、後ろCBR600RR。

 同じラインをなぞり、同じようなハングオンのライディングフォーム。まるで一本の線でつながっているかのようなランデブー走行だ。このまま走ればひとつになりそうなほど、二台、いやふたりは、同じような走り方をしていた。

 それはふたりが一番良く感じていた。とくにヒデはタケシの後ろでその走りを見ているからなおさらだ。

「なんかきみわりいなあ」

 ぽそっとつぶやいた。

 まさか生き別れになった兄弟じゃねーだろーな、と思ったが。うるさい姉がひとりにうるさい妹が二人いる身としては、これ以上兄弟が増えるなどごめんだった。

 てか今はそれどころじゃない。女キョーダイのことは後回しにして、今はタケシを追うんだ。

 と自分にはっぱをかける。

 ハンドルを握る手の感触、ステップを踏む足の感触、とにかくマシンにふれる身体の部分を通じ、マシンとリンクして。マシンごと風を打ち砕く。

 打ち砕かれた風がヘルメットをどつき、たまに目がぶれる。肩もバンバンたたかれまくる。

 それでも、アクセルを開ける。開ければ、マシンは吼える。

 上がったり下がったりの、黒沢峠の曲がりくねった道をかっ飛んでいる。

 その加速、そのサウンド。とにかくすべてがぶつかってきて、景色が吹き飛ばされてゆく、すべてを打ち砕いてゆく。

 それが快感だった。


 折り返しまで来た。

 黒沢峠の出口に程近い待避所に滑り込み、今度は駐車場に向かって走り出す。そうすれば、峠に入った他のバイクたちとすれ違う。

 黄色いバイクだった。それはGSX-R1000だった。

 ふたりが同じタイミングで手を上げ挨拶すれば、むこうも同じように手を上げて挨拶をする。

 そしてしばらく走ってCBR900RRとすれ違った。が、CBR900RRには無反応だったし、向こうも無反応だった。

 ……、っと、いつまでもタケシの後ろにいるのがいやなヒデは、今度ばかりは同じラインを走らず、インから、アウトから、と絶えず隙をうかがっている。

(男のケツ見て喜ぶ趣味はねーんだよ)

 と、YZF-R6のリアテールをにらみつける。

 そうしているうちに次々と他のバイクたちとすれ違ってゆく。結構多い。今日は多めに来そうだ。

 たいしたもので、ふたりはバイクとすれ違うたび、手を上げ挨拶をしていた。

すれ違うバイクの中にグリーンのZX9Rもあったが、何を思ってかCBR900RR同様これは無視したし、向こうもこっちを無視した。

「おうおう、やっとるのう」

 とZX9Rのライダー、黒井鉄雄クロイ・テツオがそういったことはもちろん知らない。

 それはともかくとして、タケシはヒデをぶっちぎろうとし、ヒデはタケシをぶち抜こうとして。そのままのこう着状態が続く。かと思われたが。

 ヒデもさるもの。タケシのYZF-R6がすこしふらついたのを見逃さなかった。

 ちと下った左コーナーの突っ込み、ブレーキングをしくじってマシンをふらつかせてしまったタケシ。

「あうっ!」

 と、どうにかコケないようにコーナーをクリアした、しかし、突っ込みでふらついてしまい、そのためにスピードをロスしてしまった。

 コーナーをクリアすれば上り、なのだが、ミスったせいで立ち上がり加速が鈍い。

「もらった!」

 上手にコーナーを曲がったヒデはすかさずタケシのイン、左側に並んだ。次のコーナーはそのまま上ってのまた左。

 ということで、次はヒデがイン側だ。

 アクセルをあけ、ぶち抜いた歓喜の雄叫びをあげるCBR600RR。

「よっしゃー!」

 マシンと一緒に人間も吼える。吼えて前に出る。

「畜生!」

 マシンと一緒に悔しさを吼えるタケシ。

 CBR600RRのシートカウルから覘く(のぞく)マフラーがにくたらしい。そこに何ぞ詰め込んでやりたくなる。

 またもステレオなマシンサウンドが響き渡る。今度はヒデのCBR600RRが前でタケシのYZF-R6が後ろとなって、ガチンコマジバトルを繰り広げる。

 すれ違うライダーたちはテツ同様。

「やっとるなあ」

 とつぶやいた。

 ヒデはタケシをぶっちぎってやろうとひたすらCBR600RRをかっ飛ばした、でもそれはタケシとて同じだ。

 タケシだってヒデをぶち抜いてやろうと必死こいてYZF-R6をかっ飛ばしている。

 アクセルを引き千切らんばかりにひねってひねってひねりまくって、開けまくりで。マシンは吼えまくりだ。

 峠の山々に、マシンサウンドが響き渡る。響き渡って、それは空を駆け巡っているようで……。

 下手すりゃ空を飛ぶ鳥がそのサウンドにびびって落っこちてきそうだった。

 でも、鳥から見れば峠を走る走り屋たちはどう見えるんだろう。山間を縫う川をくだるカヌーのように見えるだろうか。

 カヌーといっても、かなり乱暴なカヌーだけれど。

 上り坂を上りきって、下り坂。その上り坂を上っているときに、空が見えた。まるでカタパルトから空へと発射してるみたいだ。けど、そんなわけもなく、上りきって、一瞬の無重力を感じて、下り坂を真っ逆さまに下る。

 漫画で下り坂勝負というのがよく描かれるが、さすがに二輪でそれは怖い。

「ごくっ」

 っと、ふたりしてつばを飲み込み、コーナーでブレーキングする。下りのコーナーでの突っ込みのブレーキングは、なんか、腕一本で腕立てをしているみたいだ。

 が、恐怖を押さえ込み、ラインを読んで、出口を見据えクリアしてゆく。灰色のアスファルトに向かって、落ちてゆくようだった。

 そうしてクリアすれば、また上り坂。再び空がふたりを出迎える。

 位置の関係か、青い空に浮かぶ白い雲が、どっしりと峠道に腰を下ろしている、ように見えた。 

 道のかたっぽは白いガードレールでその向こうは崖。もうかたっぽは雑草の緑。数十本の木の枝が道路の上まで伸びで、まるで緑のトンネルを思わせるところもあり。木漏れ日も数十本、路面に突き刺さっている。

 それを突き破る。

 アクセルを開けて。

 ふたりは、バイクに乗ってアクセルを開ければ、何でもできると思っている。そう信じている、十九の秋。

 それが、今だった。


 タケシとヒデの追いかけっこ。

 いつまでも続く。ひと通り走り終えて休んでいるバイク乗りたちを尻目に、良い音をさせてかっ飛んでゆく。

 CBR900RRの離岸二郎リガン・ジロウとZX9Rのテツはコース途中にある待避所で、数人の仲間たちと一緒になって、タケシとヒデか猛スピードで目の前を通り過ぎてゆくのを見送ってゆく。

「よーやるわ」

「まったくだ」

「若いねえ」

 などと話している。まったく、いつまで続ける気か。と思えば、黄色いGSX-R1000が反対方向へとすっ飛んでいった。

「ゴネリュウもようやるわ」

「ほんとほんと」

「年甲斐もねえ」

 などと話す。

 峠の山々にマシンサウンドの叫びがこだまする。それを耳にしながら。

「やっちゃえよ」

 と仲間たちからそんな声が上がった。それに続いて、次々と。

「やっちゃえよ」

「やっちまおうぜ」

「やろうやろう」

 と、そんな言葉が飛び交ってゆく。

 ジロウやテツと一緒にいる連中は皆ニタニタとにやけ面をしている。待避所の隅にタバコの吸殻の山が出来ていて、その隣に空き缶のピラミッドも出来ている。

 わりかし普通の人が多い駐車場に比べて、ここはどこか空気が違う。その空気中にタバコの煙が充満し、風に流されてゆく。

 一本吸い終わったタバコが吸殻の山に放り込まれる。

 どうにも、バイクに乗るよりも、もっとほかの事が得意そうな感じの連中だ。いうなれば、ガラが悪くて、ちょっとヤヴァげな不良連中というか、走り屋というより、暴走族というか……。

 タバコの煙の充満した空気の中で、「やっちゃえよ」という言葉が飛び交って、ジロウとテツの鼓膜を通じ、心をくすぐる。

「やるか」

 ジロウがぽそっとつぶやいた。口元はひどくゆがんでいた。

 テツはその言葉にうなずいていた。

 いったい何をやろうというのだろう。そんなことを言っているとも知らず、ゴネリュウは折り返しの駐車場まで来て、とまった。かといって、エンジンをとめるでもない。

 黄色いアライのヘルメットのおでこのところに黒い太陽が描かれている。そのアライのヘルメットのシールドを開けて、遠くを見つめる。

 レーシングスーツは黄色と黒のツートンカラーで、背中にはヘルメットと同じように太陽が描かれていた。

 何かを待っているようだ。

 バイク談義(たまに女談義)の花が咲く駐車場に、GSX-R1000のアイドリング音がさえずり、あたりの空気を振るわせる。

 他の連中は、何事かと、ごくっとつばを飲み込んだ。

(ゴネリュウさんが、タケシとヒデのふたりを待っている)

 誰かがそんなことを思う一方で。

(こりゃひょっとして、峠の最速をかけたバトルが始まるか……?)

 と、もう一人の誰かが思えば、その思いはその場にいる連中に伝播でもしたか。みんなかたまって、黄色いGSX-R1000を見守っていた。

 それから数分、ゴネリュウとGSX-R1000は動かない。マシンにまたがったまま腕を組み、じっと瞑想をしているようだ。

 耳を澄ませる。

 駐車場のざわめき、鳥のさえずり、虫の鳴き声、風の流れ。GSX-R1000のアイドリング音。

 それらを耳と肌で感じながら、ただじっとしていた。ゴネリュウこと五音龍太郎ゴネ・リュウタロウの脳裏に、タケシとヒデが激しくバトりながらこっちにやってきているのが見えるようだ。

 それと、水温計を見つめて。

(はよ来いよ~)

 と、やっべ~かな~、と冷や汗をかいているのは秘密だった。

 そのとき、はじかれるようにしてゴネリュウはヘルメットのシールドを閉めて、ゆっくりとGSX-R1000をスタートさせた。

 駐車場の連中はさらにざわめいた。YZF-R6とCBR600RRのサウンドが聞こえてきたのだ。

 みんな、来た! と思った。

 ゴネリュウがスタートしてひとつめのコーナーに入るとき、タケシとヒデとすれ違った。

「来いよ来いよ」

 と祈った。もし、今日はこれでお終いとふたりしてマシンのエンジンを止めたら、あそこでじっと待っていた意味がなくなるし、かっこつかないってもんだ。

 でもそれは杞憂に終わったようで、ちらっと二台のマシンがミラーに写った。

「よっしゃー!」

 待ってました! とばかりにゴネリュウはフルスロットルをくれた。

「ご冗談を!」

「おたわむれを!」

 タケシとヒデは、すれ違ったときのゴネリュウのGSX-R1000の様子を見て、まさかと思ったが。そのまさかのようで。

 目の前に現れた黒い太陽が、威圧感を放ちながら遠ざかってゆくのを感じていた。


 タケシとヒデは遠ざかる黒い太陽、ゴネリュウの背中を、大きく息を吐きながら追いかけた。

 アクセルを開ける。マシンは叫ぶ。

 目いっぱい叫ぶ。これでもかと叫ぶ。

 アクセルが引きちぎれるかと思うほど、アクセルをひねった、開けた。

 でも、追いつけない。遠ざかってゆく。

「あ、……」

 赤々と光るテールランプが、どうした、来いよ、と言っているようだ。でも、来いよという声に答えられない。

 息は止まっていた。そのことにすら気づけない。

 目はCSX-R1000を凝視していた。

 吹き飛ぶ景色の中を逆流するGSX-R1000の走り。ゴネリュウの走り。

 ヤマハとホンダのステレオサウンドは、置いてけぼりを食らっていた。

 風を砕いて走り、ライダーズジャケットが肩を叩き、熱風が足に吹き付けてくる。それでも、置いてけぼりを食らっていた。

「はえぇ」

 ふたりして、ぽそっとつぶやいた。

 手も足も出ない。コーナーのたびに、GSX-R1000が小さくなってゆく。

(おれとゴネリュウさんで、何が違うんだ)

 マシンか?

 確かに単純なマシンスペックは、タケシやヒデのYZF-R6、CBR600RRといった600ccバイクより、排気量と 馬力に優れるゴネリュウのGSX-R1000といった1000ccバイクの方が良いけど。

 でも、マシンの性能差といったって。

 その気になればNSR250でZX12Rについてゆくことも出来る。実際目にしたことがある。

 マシンの性能差はテクニックで埋めることが出来るんだ。

 それが峠の面白さなんだ、が……。

(テクか)

 結局、それに行き着いた。NSR250でZX12Rについてゆくだけのテクニックを、ゴネリュウは持っている。

 そのテクをもって、GSX-R1000を目いっぱい走らせられる。

 ゴネリュウはそういうライダーなのだ。

 だから、峠の最速を張っているんだ。

 だから、タケシとヒデは走りこんで腕を磨いて、ゴネリュウを追いかけているんだ。

(もうだめだ)

 いつの間にか、GSX-R1000が見えなくなってしまった。

 こんなにあっさりチギられるなんて。

「くっ、そたれえ!」

 悔しさのあまり、二人同時に左腕を思いっきり振り上げ、振り下ろした。

 なんでもいいから何かを鷲掴みにしてぶんぶん振り回してやりたい気分だった。

 だけど、そうしたって、何にもならない。

 それがわかるだけに、ふたりの悔しさはいよいよ増すばかりだった。

 前のタケシは腕を振るあまり、勢いあまって後ろに頭が行って、ヒデとヘルメットのシールド越しに目が合った。火花が散ったようだった。

「なにガン飛ばしてやがるんだ」

 オレが遅いからだ、とでも言いたそうなヒデの視線。マジムカつく。

 ゴネリュウに向けられた『気持ち』は、形を変えてヒデに向けられて。ヒデも同じように、ゴネリュウへの『気持ち』を、違う形でタケシに向けていた。

 折り返しの駐車場まで戻ると、黄色いGSX-R1000は止まってて。ゴネリュウは缶コーヒーを飲みながら空をのんびり眺めていた。

 それを目にしながらも、タケシとヒデは、お互いの気持ちをぶつけ合うのだった。


「てめえこのやろう!」

 という愛機にも負けない雄叫びを放ち、タケシとヒデは、激しくやりあった。胸倉を引っつかみ、右、もしくは左ストレートを相手の腹、顔面に見舞い。蹴りも飛び出す。

「・・・・・・」

 あまりの激しさに、周りはとめようともしない。

 ゴネリュウは愛機GSX-R1000と一緒にひなたぼっこで、ふたりに目もくれようとしない。愛機のそばで腰を下ろし、のんびり空を見上げてひとり物思いにふけっているようだ。

 だが放っておけばますますひどくなりそうなので、見かねてひとり止めに入ろうとする。

「止せよう」

 ゴネリュウだ。何を思ったか。

「それが速くなるためのトレーニングなんだろう」

 とあくびをしながらいったもんだから、周りは呆気にとられて何もいえなかった。

(ちっ)

 タケシとヒデにもゴネリュウのいうことが聞こえ、思わず舌打ちする。嫌味なことを言うもんだ。だが嫌味を言われる自分たちに対して、もっともっと腹が立ったらしく、喧嘩はエスカレートする一方だ。

 ついにふたりつかみ合って、ごろんごろんと転がりまわる始末だった。

 ふたりの愛機、YZF-R6とCBR600RRは乗り手の喧嘩を黙ってみているように、静かに隣同士で、これまたのんびりひなたぼっこをしているようにたたずんでいる。

「おお!」

 周りが騒いだ。ヒデがマウントポジションをとった。それから、タケシの顔面に拳の雨をたたきつける。

(こいつ)

 と思ったものの、されるがままだ。

「おい、このままじゃ殺しちまうんじゃねーか」

 もうさすがにやばいと思って、周りの連中はよってたかってふたりを引き離す。

「離せ、離せこのやろー!」

「ぶっ殺してやる!」

 周りから引き離されてもわめき散らすふたり。タケシなどは鼻血をたらしながら叫んでいる。いよいよ腹の虫が治まらないらしい。これじゃほんとに相手を殺しかねない。

「ローリング族。喧嘩で傷害致死」

 想像力豊かなやつが、そんな新聞の見出しを思い浮かべ。さすがにばかばかしくなって、そんなことを考えるのをやめたが、そうなりそうな雰囲気だった。

 余談ながら、ローリング族とは走り屋の別称である。警察はもちろん、新聞やテレビニュースなどマスコミが、あのゴッドファーザーをかなでる暴走族と同列で別系統な呼称としてよく使われる呼び方である。

 さらに昔、昭和の時代は、その排気音のうるささからカミナリ族という呼び方をしていたし。また別に太陽族だのタケノコ族などというものもあった。

 年寄りたちにとって理解の難しい「いまどき」の若者たちは、昔から、皆ひっくるめて「族」と呼ばれていた。

 そうしているうちに、数台のバイクのエグゾーストノートが聞こえてきたかと思うと、ジロウとテツらの一行がやってきて、駐車場の前で止まった。

 駐車場の様子を見たジロウは、鼻血をたらすタケシをみてくっくと笑った。

「あららー、なんだか楽しそうだなー」

「おい、馬鹿を相手にすると馬鹿がうつるぜ」

 とテツ。

「っんだとこらあぁ!」

 タケシは暴れジロウに突っかかろうとするが、さすがに数人に取り押さえられて身動きも取れない。

 ヒデも忌々しそうにジロウとテツを睨み付け。周りの連中も、ふたりを取り押さえながらも、不安そうにしている。

「へへっ、テツのいうとおり、かえるとすっかあ」

 というと、黒と赤ののCBR900RRはけたたましい雄叫びをあげ、山々にその叫びを響かせて、走り出してしまった。

 テツ以下の連中も、ジロウに続いた。

 ゴネリュウは、依然知らん顔のまんま。

 だったが、不意に。

「オレら、走り屋だよなあ」

 といった。

 その言葉を聞いたタケシとヒデは、取り押さえられたまま、黙るしかなかった。


「お前らが喧嘩屋も掛け持ちしてるとは知らなかったなあ。でもそれはよそでやってくれや。ここは喧嘩するところじゃねえぜ」

 ゴネリュウは空を見上げながら言った。

 タケシとヒデは黙るしかなかった。

 お互い身体のあちこちがヒリヒリするのを感じながら、ゴネリュウの次の言葉を待っていた。

 取り押さえていた連中は、もう喧嘩はないと思って、ふたりから手を離し。それぞれ適当な場所へと散ってゆく。

 黄色いカラーのツナギの背中にある黒く丸い太陽が、じっとふたりを見据えているようだった。

「……、てーか、まだ13歳だなお前ら」

「……」

 そんな皮肉をゴネリュウは真面目に言った。その言葉に、タケシとヒデは返す言葉がなかった。

 免許を取れる年齢はいつからだろう。おのずと考え、ますます沈黙する。

 周囲はそれを静かに見守っている。

 まるで飼い主にしつけられているペットの犬のようだ。それだけ、ゴネリュウの影響力は強いということだ。

「どーしたどーした13歳。なんか言えよ」

「すいませんでした」

「おれが聞きてえのはそんなんじゃねえよ」

「……」

 謝るふたりに返された言葉。じゃ何を言えばいいんだろう。

 タケシは、ふぅっとため息をついて。

「次は負けねえっすよ」

 といった。

 冷や冷やする周り。ドキドキしている。

(おいおい、なにいってるんだよ)

「何に負けねえって?」

「そりゃあ、バイクっすよ。次こそは、オレがゴネリュウさんの前を走るんだ」

 と、ヒデ。

(反省してねーのかよ)

 ますます冷や冷やな回り。心臓が口から飛び出そうだ。

 すると。

「はっはっは」

 と高笑いするゴネリュウ。

「そうだ。その意気だ。その言葉が聞きたかったんだよ」

 といいながら立ち上がり、GSX‐R1000のエンジンをかけ、ヘルメットをかぶり、言った。

「かかってこいや」

 マシンにまたがり、シールドを閉める。その鋭い目がスモークシールドに隠されて、表情が読めない。しかし全身からいやというほど気迫を感じた。

 まるで合戦にゆく戦国武将のようだ。

 ゆっくりとGSX-R1000が進みだし、駐車場を出た。出て、タケシとヒデに一回振り向いた。振り向いて、アクセルを激しくあおった。

 マシンの叫びがこだまする。あたりのくうがゆれたようだった。それこそバイクごと、「かかってこいや」と言っているようだった。

 タケシとヒデは何も言わない。ただじっとゴネリュウを見据えていた。

 今形だけ頭を下げても意味がないし、あとからあとから言葉を無理やり押し出しても意味がないし。

 次に会ったときに、走り屋として、バイク乗りとして、ゴネリュウに挑む。

 それが、ふたりに道を指し示してくれようとしている、ゴネリュウへの応えだった。

(次こそは)

 闘志を胸に秘め、ふたりは黙って、ゴネリュウの背中を見送っていた。


episode1 了

episode2 に続く

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