学問所2
(side 瀬戸 伊三郎)
学問所に来るようになって、ニヶ月が過ぎた。
まぁ来てみればここも悪くはなかった。
今日もいつものように大瀬と帰ろうとしたら、紅が教室に戻ってきた。
「どうした?」
「ん?兄さま達を待っているのだ」
そう言って手に持った本を見せてくる。
あぁ、本を借りに行ってきたのか。
長い髪を男のように高い位置で結び、兄のお下がりの袴を履いて学問所に現れた時は、普通に男みたいだと思った。
紅は俺が知ってる女子達とは違う。
はっきりものを言うし、笑う時はくしゃくしゃの顔して笑う。
「いつも一緒に帰っているのか」
「うん。うちは隣なんだけど、兄さまと大吾が待てと言うのだ。まあ、1人で帰っても暇だしな」
「大吾?」
「うん。兄さまのご学友じゃ」
紅の周りには人がたくさんいる。
比べて俺の周りに人は少ない。
「藩主の息子に失礼があっては」みたいなことを先生が言うからだ。
藩主の息子って思ってるのは、先生達くらいだぞ。
「いつも兄上が終わるのを待っているのか?」
「うん。実はな……」
いたずらする時のように紅の目が輝く。
「なんだよ」
「聞きたいか?」
「そこまで言ったら言えよ」
「家に帰ってからも勉強してるのじゃ」
「は?」
「あと剣術も教わっておる」
「誰に?」
「兄さまと大吾」
なんだと?
「俺も行きたい」
どうしようもなく行きたい。
「伊三郎はお城で勉強してないのか?」
させられてるに決まってんだろ。
だけど教えてくれるのは大人たちばかり。
「俺もおまえに教えてやる!待ってろ」
控えの間にいる大瀬に「今日は紅の家に行く」と言うと大瀬は驚いていた。
止められるかと思ったけど「少しお待ちください」と言われて大瀬はどこかに消えた。
教室に戻ってくると紅はもういなくなってて、庭を見ると既に兄上と大吾と歩いている。
しまった。
「待てっ」叫びながら3人のところに走った。
兄上と大吾は俺を見ると片膝をついて頭を下げた。
これがイヤなんだ。
「兄さま、大吾。私の友達じゃ。そんなことしなくても伊三郎は何も言わん」
紅が誇らしげに俺の腕を引っ張る。
「しかし……」
「構うな。俺も一緒に勉強したいだけだ」
「え?」
兄上が驚いているが、紅は
「伊三郎は私と一緒に生徒だからな」
と笑っている。
大吾が紅の笑顔を見て、硬い表情を崩した。
「さぁ、帰ろう」
紅に言われて歩き出した俺たち。
紅とくだらないことを話ながら歩く。
後ろの2人もなんか話してて……
一緒に歩くっていいな。
なのに、俺は大変なことをしたのかもしれない。
「どうして先に知らせないのですか!」
紅の母に怒られてしまった。
俺はどこに行っても藩主のご子息らしい。
ご子息がおいでになるのに、何も準備が出来てない!と、紅の母やばあやが怒っている。
俺のお付きの大瀬まで怒られてしまった。
奥からは何人もの足音が忙しそうに聞こえてくる。
「伊三郎。大丈夫か?」
「紅。すまん。迷惑かけた」
「迷惑ではない。伊三郎の気持ちは分かるぞ」
顔をあげた俺に紅は優しく肯いた。
「母上。伊三郎は私の学友じゃ。兄さまの学友の大吾はいつ来ても良いのに、私の学友はダメとはおかしいのではないですか?」
「ですが、失礼があっては……」
言いかけた紅の母に、俺は頭を下げた。
「突然すまなかった。ただ紅と一緒にもっと学びたかっただけなんじゃ。栗林の子息とも話してみたかったのだ。母上殿。俺も、大吾と同じようにこの家に出入りすることを許してはもらえぬだろうか」
紅の母上は何か言おうとしたけど、
「お城の許可がおりなければ、お戻りくださいね」
とだけ伝え、部屋を後にした。
「良かったな伊三郎」
「私の名は勝之進です」
栗林兄妹に笑いかけられた。
「こっちじゃ」
紅が俺の腕を引き立たせる。
「びっくりするな」
嬉しそうな紅に案内された部屋は
質素な造りの部屋なのに、棚には本がズラリと、並んでいて
「ここは?」
「私たちの部屋じゃ」
胸が高鳴る響きだ。
大吾が「どうぞ」と一組の文机と座布団を俺の方に移動した。
自分は板の間に直接座るつもりだ。
「いや、俺は新参者だから……」
「なら大吾は私の机を使って」
そしたら、紅が座布団なしになるだろ。
「使えるか」
大吾が答える。
「大吾が座布団を使って、私が大吾のお膝に座る。良い案じゃろ?」
は?
「お前な。お膝の上はダメだと言うただろ」
「良いではないか。今日は特別じゃ」
嬉しそうに大吾に甘える紅。
「俺は座布団はいらん」
大吾の方に戻した。
「ですが……」
「そうじゃ伊三郎。座っておけ」
「いらんのだ」
「はいはい。もう一組持ってきたから落ち着いて」
勝之進が部屋に戻ってきた。
つまらなそうにしてる紅。
その横で大吾と目が合った。
背が高くて見た目も良い男。
この男には、負けたくない。