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学問所1

(side 瀬戸 伊三郎)


「イヤだ!」

「ですがこれは殿のご命令でして」


父上が国元に帰ってくるとみんな手のひらを返して俺に優しくする。

分かってるんだ。みんな父上に気に入られたいんだろ?

だけどこんな時ばかり構わないでくれ。

俺は行きたくないとこには行きたくないんだ!


「大瀬。伊三郎様のこと、頼んだ」

「はっ」


そして最後はお付きの大瀬に頼む。


「伊三郎様。殿も行かれるということは、あなた様は殿の警護も兼ねていらっしゃるのですよ。あなたが行かれなくてどうするのですか」

「それはそうだが……」


大瀬は俺の扱いが上手い。

行けと言われれば行きたくないが、俺の使命ならば仕方ない。


……のだが、やっぱりここに来なければ良かった。


「では続きまして、低学年による漢詩の朗読です」


眠たい。

学問所はキュウクツだ。

俺と同じ年頃の者達が大勢で日頃の成果を藩主に見せる為、その為に練習してきましたっていうのがすぐに分かる。

だけど父上は嬉しそうにこの者達の出し物を見てる。

そしてズラリと並んだ家臣団を前に、緊張して声も出ない子供たち。

ある意味、お前たちも可哀そうだよな。


「続きまして、高学年による蒸気で動く船の研究でございます」


へ〜。これは少しだけおもしろかった。

あの男はこの前の婚礼で見かけたぞ。そうだ。新婦の弟だった。

新婦の妹はどうしてるだろう。

また会いたいと思ったやつはあいつだけだ。


「それではこれより剣術をご披露いたしまする」


その声を合図に全員が壁際に移動して、真ん中に空間が空いた。

初めは小さい者達の試合だが、中々に見応えがある。

そして高学年の試合。先程の新婦の弟と一緒に発表していた背の高いやつの動きがすごい。

上手い。

あいつやるなぁ。


ふと外に目をやると、庭のソテツの木の後ろに赤い色が見えた。

誰かいる。

赤い着物を着た小さいのが隠れている。

試合を応援するのに夢中になって、隠れているのも忘れてんだろ。

……あいつだ。

あの婚礼の日にいた紅だ。


「以上で全て終了でございまする」


やっと終わった。


「見事であったぞ」


父上は立ち上がり、真ん中まで行き、学生達の顔を一人一人見渡している。


「このまま切磋琢磨し、将来は藩のために尽くしてほしい」

「はっ」


よし終わった。

さぁ帰ろう。


「伊三郎。これへ」

「へ?」

俺?

呼ばれたから行かなきゃとは思うけど、イヤな予感がする。


「これは伊三郎と申す。明日より皆と一緒に学問所に世話になる」


は?聞いてないぞ。

何勝手なこと言ってんだよ。


「よろしく頼む」


父上の言葉に皆が頭を下げる。

待ってくれ。

「イヤでございます」

途端に空気が張り詰めた。


「なぜ私もここに来ねばならぬのです」

「学問は大事ぞ」

「これまで通り栗林や、大瀬が教えてくれれば良いではありませぬか!」

「そなたの為じゃ。競い合い、助けてくれる友がそなたには必要なのじゃ。そなたも友が欲しいじゃろうに」

「ほしくなどありませぬ」

「いずれ分かる」

「イヤだ。こんなところにいとうない」


父上の手を振り払おうとするけど中々離してくれない。

皆の視線を感じる。

ほんと、来るんじゃなかった。


「ならば、私が代わりにまいりましょう」

少女の声だった。


ソテツの木の後ろから飛び出してきて、ニコニコとしてその視線に応える紅がいる


次の瞬間、二人の学生が裸足のまま庭に飛び出し、紅の頭を押さえつけた。

新婦の弟と背の高いやつだ。


二人は、紅の草履を脱がせその場で正座をさせると、紅を庇うかのようにその前に正座した。


「申し訳ございません」


二人が揃って頭を下げるものだから、紅も倣って頭を下げている。


父上がゆっくりと庭近くまで歩いて行く。


「そのほうは?」

「はっ。わたくしの妹にござります」

弟が答えると、紅に向き直って、

「馬鹿者。殿だぞ」


小声で言いながら、更に紅の頭を地面にぐいぐい押さえつけている。


「ほう。では……」

父上が横を見ると、片膝立ちで控えている家老の栗林が答えた。

「はい。私の娘にございます」

余裕たっぷりにうなずく栗林。

なんだ?その余裕は。

父上も口の端を上げ、何かに気付いた顔をしている。


「紅。名を名乗りなさい」

栗林に言われ、紅は顔を上げた。


「家老、栗林義正が次女、紅にござりまする」


額に泥はついていたが、堂々とした態度、それに活き活きとした目をしている紅。

父上が笑顔で応えている。


「紅とやら、学問所に来たいのか?」

「はい。私もみんなと一緒に学びとうございます」

「そなたは女子(おなご)じゃろう。ここは男子しか入れんのじゃなかったかな?」

「そうなんです、殿様。どうして女子は学んだらいけないのですか?やる気がない者が学んでも身にならない。と、父はいつも申しております。ならば、女子でもやる気がある者が学んだ方が良いと思うのですが」


紅は可愛らしい唇を引き結んで、分からないという感じで首を傾げている。


カッときた。

負けた。

なんだよ。おまえがそんなこと言ったら……


「はっはっはっ」父上が大声で笑い始めた。

「まこと、紅の言う通りじゃな。やる気のない者はやっても無駄じゃ。なぁ伊三郎」


くそっ。


「伊三郎。紅に代わってもらうか?」


念を押すように聞いてくる父親をキッと見返した。


「女子になど代わってもらえませぬ。私が学んで、きっと父上のお役に立ちます!」


言ってしまった。

言わされたのかもしれない。

だとしても!

男に二言は無い!


父上の腕を振り払い、栗林を真似して片膝をついた。


俺は将来、父上と兄上の為に家臣団に入る決意をしていることを知ってもらいたかったんだ。


父上は嬉しそうに何度もうなずいていた。


「この伊三郎をワシの息子と思わず、生徒の一人として扱ってもらいたい」


なぜか拍手が沸き起こる。

やめてくれ。

そんなんじゃないんだ。


「殿様!」


上手くまとまり部屋を出ようとしていたら、庭先から紅が呼び止めた。


「私も学問所へ入れてください」

びっくりするぐらいの大声。


慌てたのはその前に正座している二人。


紅を背中に隠すように座り直す新婦の弟と、紅の頭を腕全体で包み下げさせている背の高い男がいた。


なんかイヤだ。

ちょっとだけ胸が痛い。


新婦の弟は紅の兄上なんだろう。

妹をかばうのも分かる。

だが、もう一人の紅に馴れ馴れしく触っている背の高い男は誰だ?


紅を挟むように地面の上に正座している二人。

守ってます。って感じだ。

何か特別な仕事をしているように思える。


「じゃがのう、紅。学問所はこれまで女子はおらんのだ」


父上に代わり栗林が答えた。

父上の方をチラリと見ながら。

父上もそれに気づき目を細める。


「父上!紅は蘭学(らんがく)とやらを学びたいのです。西洋の文化を学んでお役に立ちたいのです!」


紅。

おまえは誰よりもまっすぐに勉強したいんだな。

ここに来ることさえ嫌がってた自分が恥ずかしいよ。


勝手に体が動いていた。


紅の前の二人の男の更に前に出た。

バッと袴をさばいて正座をして、父上……いや、藩主へ頭を下げた。


「わたしもこの者と一緒に学んでみとうございます」


父上は栗林と何か話している。


「なかなか良い目をしておる。のう栗林」

「はい。見事な座り方。殿にそっくりでございますな」

「うむ。亡き父に反抗した時を思い出した」

「先代も殿の押しに負けて、学問所をお創りになられましたな」


目を閉じた父上と、何度も肯いている家老。

二人にしか分からない歴史を思い出すように。


「たぬきめ」


目を開けた父上が家老を見てつぶやくと、家老は策が成功したときの笑みを見せる。


「みなのもの。紅も仲間にしてやってくれぬか?」


紅の嬉しそうな叫び声が聞こえた。

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