栗林邸3
(side 大吾)
栗林勝之進と出会って俺の生活は変わった。
俺の家と違い過ぎる身分のご子息なのに、普通に話してくる。
始めの内こそ遠慮してたが、今ではその頃のことはむず痒くなる程近い仲になった。
そう親友と呼べるくらいに……
「こんにちは」
あの日、ご家老から紅の先生を頼まれてから、学校の帰りだけじゃなく、休みの日も栗林邸に行くようになった。
「あら大吾さん。勝之進様は紅様のお部屋ですよ。ご案内しますね」
栗林の家の人達とも仲良くなり、家の奥まで通されるようにもなった。
以前の俺には想像もできなかった生活だ。
「勝之進様、紅様、大吾さんがおみえですよ」
ん?いつもならすぐにパタパタと紅の足音がするのに、と思った瞬間、ドタドタと二人の足音が聞こえてきた。
「大吾ではないか」
「大吾~」
嬉々とした表情の紅と、眉尻を下げた勝之進が二人同時に障子から顔を出す。
「どうした?」
「兄さまがまたウソをつかれたんです」
「ウソじゃないだろ。ちょっと今日は忙しいと」
「ほら、そうやってまたウソをつく!」
「お前の遊びに付き合ってると俺の時間がなくなるんだよ」
「でも明日ならいいよって昨日おっしゃったじゃないですか」
「それはそうだけど……」
いつものケンカだ。
「勝之進。先に行ってるぞ」
勝之進はいろいろ下手なやつだ。
まぁ結局はいいやつで断りきれないんだろう。
「待て。大吾」
振り返ると勝之進が嬉しそうな顔をしている。
「なんだ?」
「そうだ。大吾がいる」
「は?」
「俺が菓子を頼んでこよう。その間、大吾が代わりをやってくれぬか?」
「おい!」
「紅。大吾はなんでも上手いぞ~。お前の遊びも完璧に付き合えるぞ」
「なんの遊びだ!」
「ということで頼んだ。俺が、そう菓子だったな。持ってくるからな」
「おい!」
言うが早いか勝之進はもう部屋から飛び出し走っていった。
視線を感じて隣を見ると、今にも袖を引こうとしている紅。
しまったはめられた。
自分が逃げたいからって俺を置いていきやがった。
ありえね〜。
「大吾。こっちじゃ」
紅が小さな手で腕を引く。
「紅。俺は本を読みたいんだが」
「一度だけじゃ。それ以上はワガママは言わん」
「ちょっとだけだぞ?」
「うん」
八重歯を見せて嬉しそうに笑う紅。
まぁ少しなら付き合ってやるか。
「大吾はこっちじゃ」
白い小さな屏風の前に座布団が二つ並べられ、真ん中には盆に乗せられた酒器が置いてある。
良く見ると屏風には下手な鳥の絵が描いてある。どう見ても子供が描いた絵。
「これはおまえが描いたのか?」
「うん。ばあやに見つかって、もう使えんと言うから、この部屋にもらったのだ」
「ふーん」
怒られたんだろ?
「本当は光り輝くような金色なのじゃ。今度、本物を大吾にも見せてやろう。その前で花嫁と花婿が酒を飲むのだ。これはヒヨクの鳥とレンリの枝が描かれているんじゃ」
紅の説明はよく分からなかったけど、紅に言われたまま座布団に座った。
「はい」
紅が真向いに座り、盃を渡してくるから素直に受け取ると、紅は持っていた銚子から本当に透明の液体を盃に注ぎ始めた。
「酒?」
匂いを嗅ぐと、
「水じゃ。酒はもらえなかった」
残念そうに言う紅。
当然だろう。
酒が飲みたかったのか?
盃に口をつけると、紅は隣の座布団の前に置いた盃にも水を注ぎ始めた。
真剣な顔。
水を注ぐことに全集中するなんて、本当この年頃の女の子がすることは分からん。
「三回で注ぐのじゃ。大吾は知ってたか?」
「いや。知らん」
「やっとこぼさずに注げるようになったのだ」
「ふーん。近々、婚礼があるのか?」
「先日、姉さまが嫁いで行かれた」
「先日?じゃあ、なぜ今頃練習するのだ?」
「伊三郎の方が上手かったのじゃ。わたしは緊張して手が震えてしまったから」
そんな機会などそうそうないだろ。
そうは思ったけど口にはしなかった。
悔しかったんだろ?
銚子を盆に置いた紅は俺にニコリと微笑みかけると、すかさず隣の座布団に並ぶように座った。
そうして自分で注いだ盃を両手を揃えて持ち上げ、口を付けた。
なんだか暖かい。
開け放たれた庭の光が紅を優しく照らしている。
鳥の鳴き声も心地よく聞こえて、幸せな時間とはこういうことなのかもしれないと思った。
ゆっくりと盃を置いた紅が俺を見る。
その頬がほんのりと赤い。
「どうした?」
からかい気味に聞くと、逃げるように視線を逸らした紅。
「これで夫婦じゃな」
俯き恥ずかしそうにつぶやいた。
照れてんのか?って言えなかった。
それは紅にドキリとしたからで……
でも、イヤではなかった。
むしろこそばゆいような、落ち着かないような。
こんな少女に心を動かされたなんて。
何か言わなければ、何か言って、この場の空気を変えなければ、
「……」
そう思うのに言葉にならない。
しばらくの沈黙の後、
「大吾。ありがとう。もう、あっちの部屋へ行くか?」
紅が立ち上がりかける。
「……っ」
思わず紅の腕を押さえ引きとめていた。
紅の視線を左頬に感じる。
「…も、もう少しなら、かまわん」
頬がじんわりと熱くなっていく。
「うん」
座り直した紅は何も言わなかった。
もう少しだけ、こうしていたい。
この穏やかな時間を、あと少しだけ……