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栗林邸2

(side 栗林 勝之進)


「大吾!」

「なんだよ」

「さっきから呼んでたんだぞ」

「悪い。気が付かなかった」


今日はずっと大吾の様子がおかしかった。

こんなこと珍しい。

普段は何でも出来て皆を引っ張っていくのに、


「帰るぞ」

「本当に行くのか?」

「当たり前だろ。お前だって紅と約束しただろ?」

「俺は、特に、約束とか…」


今日は歯切れが悪い。

どうしたんだ?

腹が痛いのか?

だけどブツブツ言いながらも一緒に歩いているから、具合が悪い訳ではないらしい。


「兄さま!ダイゴ!」


まだ門までたどり着いていないのに、紅が走ってきた。

大吾と俺の周りをぐるぐる回っているところを見ると、かなり待ち兼ねていたんだろう。


「早く早く!お二人に見せたいものがあるんです」


嬉しそうだな。

姉がいなくなって時々泣いていたのは知っている。

こんなに笑っている紅を見たのは久しぶりだ。


障子の前でこちらを振り返りもったいぶっている。

今度は何をして遊ぼうとしてるのか。


「どう?すごい」

紅が開けた障子の先に広がっていたのは


「なんだこの部屋は」


普段は使ってない板敷きの部屋。

そこに文机と座布団が3組用意されていて、更に圧巻なのは壁際一面にずらりとある棚に、本がぎっしりと並べられていた。

なんだこの本の量は!

大吾は吸い寄せられるように本棚に近づき、何冊かの本を手に取って見ている。


「見ろ、勝之進。蘭学の本だ」

蘭学だと?

西洋の本がこんなに並んでいるなんて、ここは我が家か?


「父さまがくれたのじゃ」


紅が嬉しそうに言うが、こんな高価な本を?しかもこんな大量に?


「はっはっはっ。紅にやったのではないぞ。自由に使えと言うただけじゃ」


父上。


「父さま!」

嬉しそうに父上に飛びつく紅。

「ご家老」

大吾は袴の裾をさばき正座をした。


どっしりとした歩き方で上座にあぐらをかいた父上。

その隣に紅がくっついて座ている。


「今日はゆっくりしようと思うておったのに、紅に付き合わされたわ」

「母さまがお忙しそうだったから、父さまにお願いしたの」


ちょっと前から気づいてた。

父上は紅を溺愛している。

仮にも平賀藩の家老ともある父上が、


「もうすぐ殿がお戻りになるから、父も忙しかったのじゃぞ」


いやその言い方!

嬉しそうに目尻が下がっている。

どうか大吾が気づきませんように……


「父上。紅の遊びに父上までもが付き合わなくとも」

「いやいや、違うのじゃ勝之進。紅が学問をしたいと言いだしての。少し算術を教えてみたら、これが驚くほど吞み込みが早くての」


それが甘いと言うんです!

が、次の瞬間その顔から優しさが一瞬で消えた。


「江戸に近い港に異国の黒船が現れた事、おまえも噂ぐらいは聞いてるな?」


先程の父上とは違う顔。

家老の顔だ。

「はい」

自然と前かがみになった。


「幕府は鎖国か開国かで割れておるようだ。これまでにはあり得なかったこと。時代が変わっていくのかもしれん」


空気が重たい。


「勝之進。これからは人じゃ。家柄が良いだけではもう政事(まつりごと)はやっていけん。有能な人間でなければ迫りくる問題を超えては行けん。おまえを助けてくれる有能な人間を見つけよ」


父上はそう言うと、大吾に目を向けた。

大吾は確かに優秀だ。でも……


「大吾とやら。おまえの噂は聞いておる」

「恐縮でございます」


頭を下げる大吾にニヤリと父上は笑った。


「おまえらの悪行も知っておるぞ。林先生が嘆いておられたからのう」


どれの件だ?

林先生にバレた悪事はそう多くはないはす。


「父上。何のことやら、私たちには身に覚えがありませぬ」

「ほう。では舟を勝手に漕ぎ出し一つ沈ませた話も、おまえらには記憶にない程 些末な話なのだな」


あ、その件か。

大吾と目が合う。

そうだな。謝るしかないな。


「大方、長崎に行こうとしたのじゃろう。そんな手を使わずとも知恵を使え。留学のためと言えば藩も許そうに」

「父上。ですが、大吾は……」


大吾は身分が低く、留学できるほどの後ろ盾もない。

普段は農家だが、戦があれば駆り出されるらしいが、今の世に戦なんてない。

大吾が優秀過ぎるから親戚や周りの大人たちがなんとかして大吾を学問所に行かせた。と聞いているが…


そんな俺より優秀な大吾を置いて俺だけ留学行くなんて、何かがおかしい。

だけど、それをコイツの前では言えない。


「大吾。歳はいくつになった?」

「十ニになりました」

「ほう。まだそんなに幼いのにもう立派な物腰じゃ。優秀な人間はその座り方だけで分かると言うたは、誰じゃったかのう」


父上が含み笑いをしている。

きっとそのだれじゃったかのだれを思い出しているに違いない。


「大吾。これからも勝之進の友として、二人で切磋琢磨していってほしい。これから必要になるのは知恵じゃ。知識ではない。知識は有って損はない。だがその知識を使いこなす知恵がなくてはならん。良いか。よく学び、考えるのじゃ。そうすればワシが悪いようにはせん」


「はっ」っと返事した大吾。

少しだけ父上を見直した。


「そこでじゃ、大吾に仕事を頼みたいんじゃが。なに、学問所からの帰りで良い。少しばかりうちに寄り、この紅に学問を教えてもらえんか。もちろん給金は出す」


「え?」

俺を見て、紅を見た大吾が一瞬ひるんだ。

紅が目をキラキラ輝かせて大吾を見ている。

うわ。大吾、期待されてるな。


「先程、紅に算術を教えながら考えたのじゃ、これからの時代は女性も学問を習っても良いのではないかと。知っておいて損はない。また嫁いでいった先の留守を任されることもあるだろう。な?そんな時に軽率な行動をしない為にも、その、あれだ。必要なのではないかと……」


歯切れの悪い時は何かを隠している時。


「母上は何と?」

「あれは反対しおった。必要ないと一刀両断じゃ」


やっぱりな。

家老でありながら妻には弱い父。


「そこでじゃ、ワシは実験してみようと思うた。紅に学問を教えて、それが上手くいけば女のための学問所もあり得るのではないかと。勝之進、大吾、おまえ達に紅の先生役を頼みたいのだが」


大吾は「はぁ」と答えてはいるが、困っているだろう。家老からの頼まれ事は断れないか。


「父上……」

「その代り、この部屋にある書物は好きなだけ読め。これからのおまえ達を必ず助けてくれよう」


「え」

このたくさんの本を?

大吾はもう今にも手を伸ばしそうな勢いで本棚を見ている。


「よろしく頼むな」


父上はそう言って部屋から出ていった。

ずるい。

俺たちはまだ引き受けるという決断はしていない。

でも断らないのも確か。

それを見越してこの部屋を作ったのか。


「よろしくお願いします。先生方」

紅も嬉しそうに父上の後をついていった。


「悪いな大吾。変な事に巻き込んで」

「いや。きっとご家老は俺のために言ってくださったんだ」

「紅のお守りは面倒だが、本は嬉しいな」

「いや、そうでもないさ」

「え?」

どっちが?


「しかしご家老は姫を溺愛されてるな」

「……」

「姫が笑った後のご家老の優しそうな顔」

大吾が笑っている。

「ハハ……」

そりゃ気づくよな。


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