栗林邸1
(side 栗林 紅)
あんなにかっこよくて、何でもできた姉さまが、別人のように大人しそうなフリをしてお嫁に行った。
今頃はきっと泣いていらっしゃるに違いない。
「紅。袖を離してくれぬか。もう学問所へ行かなければいけなくてね」
「きのうも行かれたではないですか」
「昨日行ったから今日行かなくていいという事じゃなくてね」
兄さまはいつも家にいない。
「勝之進様、ご学友がおみえです」
廊下からの呼びかけに嬉しそうな顔をする兄さま。
「兄さま!」
うっかり袖を離してしまったら、
「すまぬ紅。戻ったら付き合うから」
兄さまは転がるように玄関に向かってしまわれた。
昨日も1人で待ってたのに、今日もまた1人になってしまう。
なんとか兄さまを止めなければ。
「待たせたな」
「いや」
こっそりついていくと、兄さまより背が高くて見目も良いゴガクユウにすぐに見つかってしまった。
「大吾が早う来てくれたから助かった」
「何かあったのか?」
「ちょっとな。あいつの遊びに付き合うと終わりがないのだ。戻ったら付き合うと言うて出てきた」
「そうか。戻ったら付き合うんだな」
「でまかせじゃ。そうでも言わんと離してもらえなかった」
「それはいかん。男たるもの約束は守らんとな」
「それはそうじゃが……」
やっぱりそうなんだ。
兄さまも私を置いていくんだ。
「ところで勝之進。おまえの後ろにおる雛人形みたいな子が、おまえの約束の相手か?」
「えっ」
ようやく私に気がついた兄さまが慌てて近づいてくる。
「兄さまは、もう私とは遊んでくれんのじゃな」
「違う。そうは言うておらん。これは…何と言うか…言葉のアヤじゃ」
「そんな難しい言葉は紅には分かりません」
兄さまの嘘つき。
涙がポタリと落ちた。
「紅殿。兄上は俺が責任を持って連れて来よう。それまで兄上をお許しください」
ダイゴが言うてくれるけど、
「紅も学問所に行きたい」
姉さまも兄さまもいなくなるのは、いやじゃ。
「紅も学びたいのか?」
「うん」
「それならばちゃんと母上に相談して来い。お許しが出たなら、俺たちが戻ってきてから、おまえの先生になってやろう」
兄さま!
「待て。俺たち?俺もか?」
「当たり前だ。その方が俺たちの復習にもなるし」
兄さまのゴガクユウなら、私のゴガクユウじゃ!
「おししょうさま。お願いします」
「お、俺の名前は大吾だ。お師匠さまとかでは、ない……」
怒っているみたいだけど、イヤとは言ってない。
「分かった。ダイゴ。待っておるぞ」
早く母さまにお話してこよう!