陣取り合戦3
(side 大吾)
「俺が探しに行く」
伊三郎を投げ飛ばすように放すと、そのまま山へと足を向けた。
しかし、そこには家老・栗林が立っている。
「ご家老……」
「こやつらが紅を見捨てたと思うておるのか」
これまで感じた事がない程の威圧。
ほんの少し前、砲台からの帰り、遠くから慌てるように駆けてくる佐吉を見つけた。
元気がいいなぁ、なんてのんびり見ていたのに……
「紅が、まだ山から戻らぬ」
佐吉の言葉を聞いた途端、走り出した。
だから絶対一人で行動するなと言ったのに。
冷静な判断を、とあれほど教えたのに。
無事でいてくれ紅。
「ご家老。俺は探しに行きます」
「おまえも我を忘れておる」
「いいえ。紅に何かあれば俺も生きていられません!」
「大吾。ワシとて、紅に何かあれば、生きてはおられん苦しみだ。忘れたか。ワシは紅の父ぞ」
「ならば、ご家老。どうか俺に紅を探しに行かせてください」
「そうしておまえに何かあればどうする?」
「構いません。このまま紅が戻るのを待ってる程、俺は臆病じゃない!」
無理は承知!
「おぬし一人に何ができる。この闇の中突っ込んで行くとは、命を軽んじていること。大吾、おまえがそんな奴だったとは、残念でならん!」
家老が俺から視線を外した。
その瞬間悟った、俺は今この人の信頼を失った。
「よく聞け」
家老は俺ではなく後ろにいるだろう仲間達に向けて話し出した。
「これより先、この平賀国とて平和ではいられぬ。戦になるのだ。その時、誰がこの国を守ると思うておる。おまえらはまだ誰かに守ってもらうつもりか!」
家老の怒りが伝わってくる。
「これからの平賀を担っていくのはそなたたちじゃ。殿はそれを見越してこの学問所を作られた。大吾、おまえとて平賀には必要な男。もしおまえ達に何かあれば、学問所も閉鎖されるかもしれん。殿が苦心して作られたこの学問所を、おまえ達が守っていかないでどうする。与えられた御恩を仇で返すか!」
だけど、俺は、紅が……
「一人一人、よく考えて行動せよ」
「ぅあーっ……」
なんて俺は無力なんだ。
紅が1人で待っているというのに。
すぐ目の前の山の中にいると分かっているのに……
「くそっ……くそっ……」
叫びながら、地面を殴りつけた。
やり場のない悔しさが体を貫いている。
八重歯を見せて、嬉しそうに微笑む紅。
婚礼ごっこで「これで夫婦じゃな」と恥ずかしそうに言った紅。
「紅……」
誰かが俺の肩に手を置いた。
伊三郎だ。
「夜明けと共に、紅を助けに行く!
班に分かれて、それぞれの班で山に入り捜索する。大吾と陸は、あと数名を連れて紅と最後に別れた場所まで走れ。それ以外の者は担当の場所を決める」
迷いなく指示を出す伊三郎。
「だからそれまで全員、寺で休め。少しでも寝ろ。明日のために」
明日の夜明け。
待つしかない。
紅。無事でいろ。
横を見ると伊三郎がなんとも言えない顔をしていた。
ただ左手に持っている笠がそこだけ原型を留めない程に握り潰されている。
伊三郎が殿の息子だから、命令を聴く訳ではない。
伊三郎が歯を食いしばって耐えているのが分かるから、一緒に戦いたくなる。
立ち上がると伊三郎と目が合ったが、何も言わずに黙って寺へと向った。
寺に入っても横になることはできず、柱に持たれて山の入口にいる伊三郎を見ていた。
俺たちには休めと言っておきながら、伊三郎はまだ外で雨に打たれている。
明日、山に入っても、探せる体力は確実になくなるだろうに。
苦い想いを抱えたまま、少しだけ気を失うかのように、目を閉じた。
◇◇◇
ふと気が付くと、雨の音がしない。
外はまだ暗いが、さっきまで降り続いていた雨は、ようやく止んだらしい。
山の入口を見ると、まだ伊三郎は同じ姿勢で立っている。
音を立てないように外へ出たつもりだったが、その気配に気が付いた数人が一緒に外に出てきた。
黙って伊三郎に近づいた。
それに気付いた伊三郎は
「寝れたか?」
感情が全く読み取れない声で聞いてくる。
「あぁ」
陸が答えると、伊三郎は微かに微笑みうなずいた。
「間もなく夜が明ける。そろそろ起こしに行こうかと思っていたところだ」
伊三郎は少しだけ嬉しそうにそう言った。
「藤次郎、悪いがみんなを起こしてきてくれ」
藤次郎に続いて数名が寺に戻ると、伊三郎と陸とで並ぶように立ち、山を見ていた。
「大吾。これを……」
伊三郎が風呂敷包みを渡してきた。
「なんだ、これは?」
「紅の着替えだ。栗林から預かった」
「着替えを?俺に?」
「そうだ。かならず紅を見つけて連れ帰ってくれ」
「おまえは?」
「俺は、山には入らん。ここで……指揮をとる」
思わず伊三郎を見ると、その目には決して揺らがない意志が現れていて、
「川下の捜索にも人を割く。どこかで見つかれば真っ先にここに知らせてくれよう」
もう一度、俺に風呂敷包を押し付けた伊三郎。
「だから大吾。必ずおまえが見つけてくれ」
信じている。
言葉に出さなくても伊三郎の目がそう言っている。
本当は真っ先に山に入って、紅の無事を確かめたいだろうに。
『おまえらはまだ誰かに守ってもらうつもりか!』
家老の言葉が思い出された。
これが伊三郎が考えた己の役目。
ならば……
「分かった」
それだけ言い、風呂敷包みを抱え直した。