陣取り合戦
(side 栗林 紅)
最近の私の1番の悩みは、大吾が私のことをどう思っているか。
「よくできたな」そう言って頭を撫でてくれる時は、優しい笑顔で私だけを見てくれるけど、それは伊三郎にも同じ顔をしていて……
「はぁ〜」
私だけを見てほしいと思うのは贅沢な悩みなんだろうか。
出会ってもう5年も経つのに未だに妹扱いだ。
「おい!気合い入れろ!」
伊三郎は、今年の陣取り合戦に燃えている。
毎年秋に行われる学問所の生徒全員参加の戦い。
区切られた山の中にいかに多くの旗を挿してくるかで競われる。4人1組で班に分かれ、他の班の旗は抜いてきていい。
誰にも取られない遠くに挿してくる体力勝負の班か、見つからない場所に隠す知力勝負の班なのか、それぞれの班で作戦を立て、当日の駆け引きをする。そんな楽しい1日なのだが……
「我らは優勝候補ぞ!」
昨年まで勝ちを独占していた大吾達上級生が抜ける今年、伊三郎はどうしても優勝したいらしい。
「だから、それを言うなって恥ずかしい」
伊三郎が1番仲の良い陸と、
「でもありえますよね」
歳下の陽太。
そして私の4人が1つの班。
学問所の階段で作戦会議をしていると大吾と兄さまが歩いてくるのが見えた。
「大吾!今日は遅くなるから」
私は大吾に話しかけたのに、
「お前な、そういうことは、普通は俺に言うんだぞ」
兄さまが答える。
「俺が一緒に帰るから」
伊三郎が言うと、大吾が止まった。
私が話しかけた時は軽く頷くだけだったのに。
「陣取り合戦か?」
大吾が聞くと、
「あぁ。今年は俺たちが優勝だ!」
伊三郎が嬉しそうに答える。
「なら紅は連覇だな」
そう。私は昨年大吾と兄さまの班に入れてもらって優勝している。
「去年は大吾のおかげじゃ」
私はほとんど何もしていない。
「頑張れよ。伊三郎、紅のこと頼んだぞ」
それだけ言うと大吾はとっとと帰ってしまった。
「かっこいいですよね。男前な上に勉学も剣術も上手いなんて。大吾さん、ずるいですよね」
陽太が言う。
大吾を取り囲む女の人も増えた気がする。
私は彼女達に勝てるものが何もない。
せめて陣取り合戦は優勝して大吾に振り向いてほしい。
「優勝あるのみだな」
「お前もやっとやる気になったか」
伊三郎に喜ばれてしまった。
ところが陣取り合戦当日、伊三郎がお城の都合で来れなくなったらしい。
「あいつのことだ、今頃悔しさに泣いてるぞ」
陸はそうやって軽口をたたくけど、
「陸さんがさっき、くそ!って叫んでました」
と陽太から聞いている。実は熱い男だ。
「どうする?作戦を変更するか?」
伊三郎の担当分を3人で振り分けるのは難しい。
「俺が伊三郎が回るとこだった北側も行く」
陸が言う。
「しかし……」
「私も早めに終わらせて、陸さんの西側の一部を手伝います」
陽太まで。
「紅は自分の体力のことだけ考えてろ。日暮れまでに戻れなかったら失格だからな」
何も言い返せなかった。
少し前まで女子であることの差を感じなかった。剣術でもかけっこでも。
だけど最近は勝てることが少なくなった。
やっぱり「優勝しかないな」
陸が振り向いて驚いた顔をした。
「おまえがそう言うなら。目指すは優勝のみだ!」
無駄に円陣を組んでしまった。
「はい、ごめんな〜。こんな所で邪魔だなお前ら」
わざと円陣を崩して歩いていくのは、同じ歳の藤次郎。こっちも優勝候補だ。
「伊三郎が欠けてんのに無理だろ」
高笑いしている。
「あいつにだけは負けん」
陸の言葉に陽太と頷いた。
午前中は作戦通りに進んだと思う。
手分けして旗を隠す作戦を終えて、待ち合わせの場所に戻ってきたのは私が最初。
体力回復のため遠慮なく休んでおこう。
秋晴れの山の頂上。空が済んでいる。近くに鳶が舞うように飛んでいる。
女子でありながら、こんな経験をさせてもらえるのは、いろんな人達の助けがあったからだ。
なんだか世の中全てに感謝したい気分。
「紅、無事か?」
戻ってきたのは陸。
「うん。陽太は?」
「え?あいつまだなのか?俺より先に戻ってないとおかしいんだけど」
2人で陽太が行った方向を見る。
「紅はここにいろ。ちょっと探してくる」
「待て陸。手分けして探そう」
すぐに会えるだろうと思っていたのに、一向に陽太の姿は見えない。
不安になりながら、枝を掻き分け山の中を進むと、
「陽太!」
崖の下に陽太が倒れている。
足を押さえ、額には大粒の汗。
「陽太。大丈夫か?」
「すみません。あそこから滑り落ちてしまって」
陽太が指さした先には、湿った土が顔を出した崖。
「よそ見でもしてたか?陽太ともあろう者が珍しい」
「すみません」
「戻ろう。陸も探している」
「それが……」
陽太が辛そうに自分の足を見る。
「もしかして、歩けないのか?」
悔しそうにうつむく陽太。
「大丈夫だ。心配するな、陸を呼ぼう」
しばらくして陸が息を上げてやってきた。
陽太の怪我に驚いた陸だが、
「気にするな」
陽太の肩の下に自分の身体を入れると陽太を引き起こし、なんとか歩かせることができるようになった。
「お堂の方は諦めよう」
陸が言う。
「そうだな。岩場もお堂もと行ってたら日暮れに間に合わなくなってしまうな」
「すみません。俺のせいで」
陽太の目には悔し涙が見える。
少し目を閉じた陸が、
「みんなで岩場に行こう。紅はその道沿いで所々に旗を置いて回れ。その場所は陽太が指示してくれ」
陽太を支える陸。痛みをこらえ地形を読む陽太。
動けるのは私だけ。
なんとしても頑張らないと……
「今、誰か後ろにいたな」
陸が止まった。
「あれは藤次郎さんの班の佐吉です!」
「しまった。気付かれたか」
せっかく挿した旗を抜かれたら終わりだ。
「このままだと勝ち目はない」
「どうしましょうか」
「お堂の方へ行ってみるか」
陸が私を見る。体力は大丈夫かと聞いているんだろう。
任せろ。という顔で頷いた。
もうそれしか勝つ方法はない。
お堂の周りにはすでに他の班の旗が挿してあって、それを抜きながら、自分達の旗を指していく。
やっぱり来て良かった。
これで逆転できる。
陽太が空を見上げている。
「どうした?」
同じように空を見た。
「どうも雲行きが怪しい気がします。もしかしたら思ったよりも日暮れが早いのか。それとも夕立か……」
確かにさっきよりも薄暗くなっている気がする。
「あ、雨雲です。おそらく、しばらくしたらこっちにやってきます」
「いかん。急いで戻ろう」
戻る方向へと首を振った時、道の一段下に旗が見えた。
「紅」
陸がこっちへ来いと手招きする。
「あそこに旗がある」
指差すと2人とも旗を見つけた。
「あれは藤次郎さんの班の」
「この土手を降りたらすぐに取れそうだな」
「でも雨雲が……」
「そんなに時間はかからん」
「そうか。取れそうか?」
「うん。陸達は先に行ってくれ。私はあれだけ取ったらすぐに後を追う」
「すぐですよ。山の天気は思ったよりも早く変わるんですからね。グズグズしてたらすぐに真っ暗になって戻れなくなりますよ」
「いや。やはり、ここで紅を待ってから、3人で帰ろう」
「もうそこに見えてるのだから、すぐに戻れる」
いつも伊三郎にするように陸の片手を上げさせ、パチンと手を合わせた後、ギュッと握ってみせた。
「任せろ。我らは優勝候補だぞ」
近い距離に陸は驚いたのか
「わ、分かった。ならば先に行ってる。む、無理はするなよ。最悪は旗なんかどうでもよい。わかったか?行くぞ陽太!」
すぐに陽太を支え歩き出した。
そして私は1人で旗を取りに土手を降りたんだけど、
「しまった」
唇が悔しさに震える。
道の下に見えるか見えないかのギリギリに挿してあった藤次郎の班の旗。道を逸れて、急な斜面を下って、旗を取った時に気が付いた。
急な斜面を登ろうとしても、下がぬかるんでいて道に戻れない。
「やられた」
ワザとここに置かれていたんだ。
元の道に上がるなら、だいぶ戻らないといけない。
藤次郎は計算してここに置いたんだ。
それでも他の者がいれば紐で引き上げてもらえたのに、今は私一人。
「くっ」
急いで戻ると約束したのに……
「仕方ない」
遠回りでも戻るしかないのだ。
しかし不運は重なるもの。
ポツリ、頬に当たるものがある。
「雨?」
ようやく道に戻ったとき、ふと感じた違和感。草がさわさわと騒ぎ始めている。
「いけない。急がなきゃ」
早歩きを小走りに変え、道の先を見るが、陸や陽太はおろか誰の姿も見えない。
更に追い打ちをかけるように、急にさーっと音を立て雨が本格的に振り出した。
途端にみるみる辺りが暗くなる。
『山の天気は変わりやすいから』
陽太の声がよみがえる。
容赦なく身体を濡らしていく雨。
重くなった着物。
ぬかるむ足元。
辺りはもう色がなくなり、全てが紺色に染まろうとしている。
だが出口まではまだ遠い。
「陸ー!陽太ー!」
叫んでも、ザーザーという雨の音しか聞こえない。
そんな時、道の先からゴーという地響きのような音が聞えてきた。
沢沿いにある道。さっきよりも近いところに川がある。
雨によって増水した川が、今にも道を飲みこもうとしている。
ダメだ。
これ以上行けば、戻れなくなる……どころか、増水した川に落ちてしまうかもしれない。
「陸。陽太」
涙なのか雨なのか分からないものが顔を濡らしている。
「すまん」
これ以上進むのは無理だ。
3人で優勝しようと言ったのに…
日暮れまでに戻って来いと言った陸に、「任せておけ」などと強気で答えたのに…
二人が待っていると思うと、悔しくて、申し訳なくて……
だがすでに辺りは暗く、数歩先がやっと見える程度。
雨は更に激しくなって、重たくなった着物は体力を容赦なく奪っていく。
戻ることも、行くことも出来ずにこのまま闇に包まれてしまうのだろうか。
せめて雨を凌ぐところがあれば。
雨の降る中、このまま一人ぼっちで暗闇の山の中で過ごす……
ぞくりと体が震えた。
「伊三郎……」
呼んでも誰も返事を返してくれない。
もしかしたらここで命尽きてしまうのか……
がむしゃらに走って道を戻っても体を休める窪みさえ見つからない。
「だ、いご…」
歩みが止まり、その場に座り込んだ。
暗くなったと気付いてから、すぐのこと。
暗闇に雨の音だけしか聞こえない。