13:泣いていたのは(1)
リズベットとベアトリーチェの相性は、イアンが予想した通りに最悪で。
リズベットを妹の側につけたイアンの意図を知らないアイシャは、疲れ果てた彼女を見て心配になってきた。
「なんか、ごめんね?」
庭園を散策するベアトリーチェに日傘をさす役割を断固拒否して日陰で休憩するリズベットに、アイシャは冷たい紅茶を渡した。
リズベットはそれを一気に飲み干す。飲み方が男っぽいのは、やはり騎士団で生きてきたからだろうか。
「妹君は話が通じない人なの?」
「少し、思い込みの激しいところはあるかもしれないわ」
「少し?あれが?」
リズベットは苦笑した。彼女の感覚ではこの2日、あの妹君とまともに会話が成立した記憶がない。
自ら剣を取り、守る力を手に入れた女騎士に向かって『可哀想』と言う。
隊商が屋敷に入るのを見て、『領地が大変な時にお姉様ったら、お買い物なんて』と頬を膨らませる。
屋敷の外に出て、ほとんど復興を終えた街の中心部を見ては『復興が進んでいないのね』と涙を流す。
「いや、元々寂れてんだよ!元からこんなもんだよ!……って、思わずつっこんでしまったわ」
我慢できなかったリズベットは声を荒げてしまったらしい。
おかげで伯爵家の護衛に睨まれてしまい、喧嘩っ早いリズベットと一触即発の雰囲気になってしまったそうだ。
「別に喧嘩しても都会のひ弱な騎士相手なら余裕で勝てる自信ある。けど、それでも喧嘩しなかった。ちゃんと脳まで持っていった結果よ。だから褒めて欲しい」
散々言われたから、今回は我慢したらしい。リズベットは頭を下げて撫でるよう促した。
アイシャはそんなリズベットが可愛くもおかしくて、吹き出してしまった。
「はいはい。偉いわよ、リズ。ありがとう」
アイシャが頭を撫でてやると、リズベットは小さく「うむ」と頷いた。
何を納得したのかはわからないが、満足いただけたようだ。
アイシャは何だか大きな犬を飼い慣らしてしまったような気分になった。
「……苦労をかけてごめんね、本当に」
庭園で蝶々と戯れるベアトリーチェを見つめ、アイシャは本当に申し訳なさそうに呟いた。
彼女の不用意な発言は何も考えずに放たれたものだろうが、相手への配慮が全くなく失礼極まりない。
アイシャは身内の恥を晒したようで居た堪れなくなった。
「私、少しベアトリーチェと話すことがあるから、あなたはここで休憩していて?」
「大丈夫なの?」
「平気よ。妹だもの」
「妹だからこそ心配なんだけど」
妹だからこそ、アイシャは彼女にそう強くは出れない。
それが分かるからリズベットは不安げな顔をした。
だが、アイシャは二人で話がしたいからとリズベットの同行を拒んだ。
*
「ベアトリーチェ。もう一度言うけれど、離れには行かないで」
「どうしてですか?」
「どうしてって、説明したでしょう?あそこには戦争で親を亡くした子達がいるのよ」
ご機嫌に庭園を散策していたベアトリーチェは姉からのお叱りに、不服そうに口を尖らせた。
勝手に花を手折り、勝手に花束を作っていく彼女の後ろを追いかけ、アイシャは話を続ける。
「あの子たちは戦争で心に大きな傷を抱えているの。だから接し方には注意が必要なの。お願いだから理解して?」
「少し話したけれど、そんな風には見えませんでしたわ」
「心の傷は目で見てわかるような傷ではないのよ。目に見えないからこそ慎重にならねばいけないの」
「そんなことを言って、本当は子どもたちに親がいないのをいいことに、子どもたちをいいように使っているのでしょう?見損ないましたわ、お姉様」
くるりと振り返ったベアトリーチェは心の底から軽蔑しているような目をアイシャに向けた。
その目にアイシャは一瞬、怯んでしまった。
「子どもたちを働かせるなんて何を考えているのですか?それもあんな離れに押し込んで!」
「……い、田舎ではあのくらいの子どもが働くのは珍しいことじゃないし、お給金も出してる。搾取しているわけじゃないわ。それにあの離れに住んでいるのは理由があるの。お願いだから、わからないなら口を出さないで」
「そうやって私を突き放さないで。私は子どもたちのためを思って言っているのです!お姉様、子どもたちを保護するならちゃんと保護してあげなくてはダメですわ。幸せにしてあげなくちゃ!」
「…………幸せ?」
「そうです!辛い思いをしてきたのでしょう?だったら、あたたかいご飯とあたたかいお部屋と、たくさんのお菓子やおもちゃを与えてあげて。かわいそうにね、辛かったねって慰めてあげなくちゃ」
「……はは」
両手を広げ、自信満々にそう話すベアトリーチェにアイシャは思わず乾いた笑いをこぼしてしまった。
どこまでも上から目線。
「あなた、あの子たちを何だと思ってるの?」
全部与えてあげて、ただ可哀想がってあげればいい。あの子たちには見せかけだけの幸せで十分だと、ベアトリーチェはそう言っている。
こちらの苦労を知らずに、こちらの考えを知ろうともせずに勝手なことばかり。
アイシャはギリッと奥歯を噛み締めた。
「ベアトリーチェはあの子たちをペットのように扱えと言いたいわけ?」
「なっ!?誰もそんなこと……」
「言っているわよ。全部与えて、ただ可哀想に可哀想にってヨシヨシしてやればそれでいいって?そんなわけないでしょ!?」
「きゃあ!怒鳴らないで、怖い!」
「ベアトリーチェ、ちゃんと聞いて!あの子たちは親がいないから、頼れる家族がいないから、だからこそ一人で生きていく術を身につけないといけないの。働くことを覚えて、人と関わることを覚えて、読み書きや計算の仕方を勉強して、そうやって自分で幸せを掴む術を身につけるの!」
たったの4人だ。生涯面倒を見てやることは、やろうと思えばできるだろう。
ベアトリーチェの言うように、全部与えて、何もさせずに、ただただ可愛がってやることはできる。
たがそこに彼らの幸せがあるとは限らない。
幸せは自分の手で掴むものだ。他人に用意された幸せは所詮は幻に過ぎない。
「私はあの子たちを一人の人間として扱いたいの。ペットとして飼い慣らしたいわけじゃないわ。事情も知らない、知ろうとも知らないくせに勝手なことばかり言わないでちょうだい。あなたの目に見えていることだけが世界の全てではないわ」
体が弱いからとブランチェットの屋敷に引きこもっていたせいか、知識も価値観も偏っている。
あの両親に、屋敷の使用人たちに甘やかされて育ってきた影響だろうが、ベアトリーチェはいい加減大人になるべきだ。
「ベアトリーチェ……、あなたはもう少し、」
「ひどいです!お姉様のわからず屋!私はただ、あの子たちのためを思って言っているだけなのにっ!」
ベアトリーチェは何か言おうとした姉の言葉を遮り、彼女の横をすり抜けて行く。
艶やかな白銀の髪から香る花の香り。それはこの屋敷の花の香りで、アイシャは何故か心臓がドクンと跳ねた。
「あ、ちょっと待って!」
アイシャは話はまだ終わっていないと振り返る。
石畳の通路にはベアトリーチェが手折った花が散らばり、踏みつけられていて。
その花の先には、イアンにしがみついて泣くベアトリーチェがいた。