44:春まで待って(3)
「そんなに言わせたいの?」
「確かめたいのです。勘違いはしたくないので」
「俺の君への想いは多分、君が思っているよりもずっと重たいものだよ?それでも俺に言わせたい?」
「ど、どういう意味ですか?」
「そのままの意味だよ。だってこっちは君が俺を意識するよりも前からずっと、君だけを想ってきたんだから」
イアンはそう言うと、覚悟を決めたように大きく深呼吸をしてゆっくりと立ち上がった。
そしてアイシャの腰に手を回すと、グッと自分の方へと抱き寄せる。
いつもよりもずっと力強い抱擁に、アイシャの心臓はドクンと跳ねた。
「体がこわばってるけど、大丈夫?」
「あ、あの……」
アイシャが恐る恐る顔を上げると、イアンがジッとこちらを見下ろしていた。
いつもの甘さなどなく、ただ激しさだけを宿した鋭い視線。
アイシャはたまらず目を逸らせた。このまま見つめていては、きっと射抜かれてしまう。
だがしかし。イアンはそれを許さず、腰に回した手にさらに力を込めて抱きしめると、もう片方の手を彼女の頬に添えた。
「アイシャ……」
ゴツゴツとした男らしい分厚い手を頬から顎に滑らせ、強制的に顔を上げさせるイアン。
唇が触れてしまいそうな距離感と、いつもよりも男の部分を見せてくる彼にアイシャはもうどうしたら良いかわからなかった。
「ねえ、どうして俺が言葉にしないのかわかる?」
「わ、わかりません」
「怖いんだよ。言葉にすると歯止めが効かなくなりそうで」
片時も忘れたことはない、あの日からずっと心の支えとなっている女の子。
もはやイアンにとって神様にも近い存在にまでなっている彼女に、血にまみれた手で触れていいわけがない。
そう思うのに。
「どうしたって、汚したくなる。言葉にしてしまえば最後だ。全部暴いて、隅から隅まで、全身の至る所に俺を刻みつけてやりたいと思う。きっと優しくなんて出来ない。泣き叫んでもう許してくださいって言われても、多分止まれない。君の全部が欲しいし、俺の全部を受け入れて欲しいと思う」
「……なっ、何を言って……」
「でもね。そうやって肉を貪る獣みたいに、君の全部を奪い尽くしたとき、君が俺を見て怯えるんじゃないかと思うと怖い。俺のこの想いを受け止めきれなくて、ここから逃げ出したくなるんじゃないかと思うと怖いんだ。……だってきっと、俺は君がどれだけ怯えてももう離してやれない。一度手に入れてしまえば、手放すなんて絶対にできない。君が泣き叫んで、逃がして欲しいと懇願してきても、俺は君をここに縛りつけてしまう。君を傷つけたくはないのに、俺は君を傷つけてしまう。それが何よりも怖いんだ」
だから、自分を自分で制御できる自信がつくまでは、この想いを明確に言葉にしたくはない。
イアンは苦しそうに顔を歪め、そう言った。
アイシャはそんなイアンの姿がなんだか愛おしくて、思わず彼の頬に手を伸ばした。
柔らかな、傷一つない美しい手。イアンは彼女のその手に誘われるように頬ずりする。
「俺の言いたいこと、わかる?」
「す、少し?」
「だからまあ、俺に色々言わせたいのなら、それ相応の覚悟はしておいてもらわないと困るよってことだ」
「か、覚悟はできているつもりです!」
「たった一回、唇が触れるだけのキスをしただけで気絶してしまうのに?」
「それは、その慣れていないだけです!覚悟はできてます!」
「アイシャの覚悟はまだまだだよ。足りてない。だって想像も出来ないだろ?自分がどんな風に俺に喰われるのか」
「なっ!?」
「だから、悪いけどまだ何も言えないよ。まあ、もう殆ど言ったも同然なんだけど」
明言していないからまだ大丈夫、というよくわからない理屈をならべ、イアンはいつものように優しく甘く微笑んだ。
「ごめんな。でもちゃんと自制できるようになるから、それまで待って欲しい」
春までには必ずちゃんと言うから。そう言うイアンにアイシャは小さくため息をこぼした。
「イアン様は意外と面倒くさいのですね」
「君もだろう」
「まあ、自覚はあります」
言葉にしてくれないと不安で、言葉にすると不安。面倒臭い者同士、お似合いだとアイシャは笑った。
「でも、イアン様。別に自制しなくても良いと思います」
「え……?」
「さっきも言ったけれど、私はちゃんと覚悟できてます。本当に慣れていないだけだから、慣れたらきっと大丈夫だから……」
「だ、だから?」
「な、慣れるように、触ってください……」
イアンの胸元に顔を埋め、アイシャはつぶやいた。
耳まで真っ赤に染めているあたり、恥ずかしさでどうにかなりそうなのだろう。
「アイシャ、その発言はどうかと思うぞ。危険極まりない。男はみんな狼なんだぞ。わかってる?」
「うぅ……」
「別に、言葉にしたら箍が外れそうってだけで、割といつでも理性なんてぶっ飛びそうになるんだから気をつけてよ。本当に。最近は特にダメなんだから」
婚約者としてアイシャが再び目の前に現れてからは、長年募らせていた想いが加速するばかりだ。
積み重なって絡まって拗れた思いは、そのままぶつけて良いものではないのに、自分のため、或いは自分の大事なもののために奔走する姿はもう愛おしくてたまらない。
イアンはぎゅっと、力一杯両手で彼女を抱きしめた。