35:約束を交わす(1)
「情状酌量の余地などありませんからね」
連行される司祭の背中をじっと見つめるイアンに、テオドールは念のためと言って釘を刺した。
彼の身勝手で曖昧な心が多くの犠牲を出したのは紛れもない事実なのだから。
イアンはそんな当たり前のことを言うテオドールを不服そうに見下ろした。
「わかっている。馬鹿にするな」
「それは失礼いたしました」
「しかし、いっそのこと私腹を肥やすためとか、個人的な復讐のためとか言い切ってくれたほうが良かったな」
「そうですね」
「もっと抵抗して、下衆みたいなセリフでも吐いてくれれば良かったのに」
あんなにもしおらしくされては調子が狂う。あれだけ最低なことをしたのだから、最後まで悪役らしくしてほしいものだ。
そうすればこちらとしてもスッキリとした気持ちで終われたのに。
あっけない幕引きに、なんというか……
「なんともやり切れん」
司祭が自身のために横領しているわけではないことはわかっていた。彼の言う通り多少は自分に使ったのだろうが、横領した多くは彼の生まれ故郷の孤児院に寄付されていたから。
根っからの悪人ではないのだろう。ただ、死が身近にありすぎて頭がおかしくなってしまったのだ。
義務感だけでここに残りつづけたのだろうが、元々強くもない、むしろ感じやすく繊細な人間が、こんな場所に留まるべきではなかった。
「ははっ……。本当、情けないな」
もう十分頑張ったのだからと、さっさと暖かい南部に送ってやれば良かった。
もっと何でも話せるような関係を築く努力をすればよかった。
イアンは司祭の本質を見抜けなかった自分に苦笑するしかなかった。
見上げた空からは白く冷たい粒が降りてきていた。
「そう全部背負う必要はないでしょう」
テオドールは哀愁に浸るイアンを肘で小突いた。
「褒美なんて言って一方的に焼け野原となった土地を押し付けられて……。学もないただの平民がここまでよくやった方ですよ」
貴族となったことを驕らず、急に押し付けられた領主の仕事に文句も言わず、ただ愚直に民のためを思い働いてきたイアンを誰が責め立てるというのか。
彼はやれるだけのことをやってきた。その結果がこれだったというだけ。
他にも気遣うべき人はたくさんいて、やるべきことも守るべきものも、たくさんあった。
けれど手足は一対ずつしかなく。
全てをイアン一人のせいにするのは流石に酷というものだ。
テオドールの言葉に心が少し軽くなったイアンは首を左右に振ると、切り替えろと言い聞かせるように自分の頬を叩いた。
本番はむしろここからだ。
「さて、ここからは君たちにかかっているのだが」
「はい。頑張りますね!」
「頑張ってくれるのはありがたいのだが……なあ、本当にアイシャが行かねばならないのか?」
「はあ……。旦那様、何度も言いますが、この交渉に一番向いているのは奥様です。そして一番向いていないのが貴方」
いつまでもイアンがウジウジと言ってくるものだから、テオドールは大きなため息をこぼした。
イアンでなくアイシャが交渉に行くのは単純に、この場では女である彼女の方が相手の油断を誘いやすいという理由がある。
だがそれと同時に、魔族にとってのイアンは同胞を多数殺した敵であるという理由もある。
もう一度はじめから説明しなければならないのかと詰め寄られ、イアンは渋々アイシャが行くことを受け入れた。
「いいか、二人とも。基本、俺たちは後ろで見守るだけだ。たが常に矢を構えて待機しておく。テオ、もしお前が少しでも危険だと感じたら迷わず合図しろ。すぐに殺してやる」
「実力行使を前提に考えないでくださいよ」
「そうですよ」
「そうは言うが、俺たちは魔族の残虐性をよく知っているだろう?危険だと判断したらすぐに動かなければ、命がいくつあっても足りないぞ」
「それは、私だってわかっていますよ」
「なら、これもわかっていると思うが、くれぐれもテオの判断に従うこと。大丈夫がそうでないかを判断するのはアイシャじゃない。テオだ」
「わかってますってば」
「旦那様しつこい」
アイシャ以外の全員は嫌というほど知っている、魔族の残虐性。
一瞬の迷いが命取りになることを知っているイアンは、しつこいと言われようが何度も念を押した。
「いいか、アイシャ。魔族はな……」
「はいはい。では、行きましょうか。奥様」
「ええ」
「ちょっと待て。まだ話は終わってない。いいかアイシャ、くれぐれも……」
「大丈夫です。心配はいりませんわ、イアン様。任せて」
アイシャは不安げに見つめるイアンに対し、舌を出してウインクをして見せた。
「ぐぬぬ……」
まだ見たことのない彼女の悪戯っぽい笑みにイアンは悔しそうに眉根を寄せる。
心配しているだけなのに、そんな顔をされてはもう何も言えない。なんだか手のひらで踊らされている気分だ。
「行ってきますね、イアン様」
「……じゃあ、頼んだぞ」
「はいっ!」
満面の笑みで返すアイシャ。それを隣で見ていたテオドールはやれやれと肩をすくめた。
「扱いがお上手ですね」
「ん?なんの話?」
「……無自覚でしたか、恐ろしい」
キョトンとするアイシャにテオドールはある種の恐ろしさを感じた。
笑顔ひとつで領主を操れるとなれば、このアッシュフォードは実質的に彼女のものになったも同然だろう。
つくづく、アイシャが悪女じゃなくてよかったと思う。