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28:シスター・マリン(2)


(どうしよう……)


 マリンの直感が正しければ、アイシャはおそらくマリンの秘密を知っている。だからこんな話をするのだ。そしてその上で、明言を避ける。

 ……きっと自白を促そうとしているのだろう。


(多分、奥様ならちゃんと話を聞いてくれるだろうな)


 アイシャなら一方的に上から怒鳴りつけたりはしないだろう。マリンの話を、時に自己中心的だと思われるような話も含めて全て、うんうんと優しく頷きながら聞いてくれるはずだ。彼女がそういう人であることをマリンはもう気づいている。

 しかし、このまま心のままに素直に罪を吐いてしまっても良いのだろうか。そう思う気持ちがマリンの喉に蓋をする。

 罰を受けるのはさほど怖くはない。自分は罪を犯しているのだから、たとえ死を免れなくとも仕方がない。

 けれども、()に軽蔑されるのは、嫌われるのは、首を刎ねられるよりもひどく恐ろしい。


 すると、そんな彼女の迷いを察したのかアイシャは静かに口を開いた。


「マリンは昔、マリーと呼ばれていたの?」


 その名に、マリンの心臓はドクンと跳ねる。

 無意識に額に汗が滲む。

 とうとう彼女が一歩踏み込んできた。もう待てないのかもしれない。

 マリンは小さく深呼吸をして口を開いた。


「む、昔の話です。シスターになる前、両親や兄からそう呼ばれていました」

「そう。シスターはいつからシスターになったの?」

「14の、時です………。ここの司祭様に保護していただいて……」

「………保護?」


 アイシャは体を起こし、マリンの瞳を覗き込むように首を傾げる。

 過去を思い出し無意識に悲痛な顔をしていたのだろうか。彼女の群青の瞳が心配そうに見つめてくる。

 本当に、本当に心から心配しているような目をするものだからマリンはたまらず、吐き出した。

 誰にも秘密にしていた過去を。


「わ、……私の……両親と兄は商売をしていて、ヴィルヘルムの領主様と取引をしていました。でも……、その、あまりよくないお金の稼ぎ方をしていたようで、ヴィルヘルムの領主様が逮捕された時、一緒に逮捕されました」


 母は連行される前に自殺。兄と父は遠い地で強制労働。当時家業に加担していなかったマリンはお咎めこそなかったが、当然今までのように生活できるわけもなく、逃げるようにしてアッシュフォードに来たのだと言う。

 きっと、比較的裕福な家庭で育ったのだろう。それこそ貴族と同じような教育を受け、貴族と同じような服を着て、贅沢なご飯を食べてきたのだろう。

 それが一瞬にして崩れ落ちるところをマリンは目撃したのだ。今まで自分が本物だと信じていたものがただの虚像に過ぎぬことを知ったときの彼女の絶望は如何程のものだっただろうか。

 アイシャは過去の自分の行動を後悔はしていない。けれど周り巡ってマリンの家庭を壊していたことに、心を痛めた。悪事を暴いた正義の裏で、たしかに、一つの幸せな家庭を彼女は壊していたのだ。


「……それからアッシュフォードに来たはいいけれど、ここは貧しく仕事もない。そんな時に司祭様に保護していただいたんです。そして司祭様の勧めでシスターになりました」


 アッシュフォードでの生活は決して楽ではなかったものの、マリンは幸せだった。

 綺麗な服を着れなくても、具なしのスープと麦パンだけの食卓でも、娯楽がなくとも、間違いなく幸せだった。

 豪商の娘から何でもないただのマリンへとなり下がった自分にも、まるで実の娘のように惜しみない愛情を注いでくれる司祭がいたから。


 だから、魔族に襲撃されたあの日。逃げろと言う司祭の言葉をマリンは無視した。そして彼について負傷者を治療して回った。

 それはシスターとしての義務感なんかじゃなく、ただ単に彼のそばにいたかったからだ。


「私は、本当に。本当に司祭様を尊敬しているんです」

「……うん」

「司祭様はすごいんです。片足の自由を失ったのに、未だ身を粉にして人々のために尽力しているんです」

「うん……」

「本当なら首都の教会本部に戻って静養すべきなのに、残された子どもたちや負傷した兵たちの予後も心配だからとこの地に留まって下さってるんです」

「……そうだったの」

「なのに!街の人たちは司祭様は兵士ばかり診て、自分たちのことは診てくれないと文句ばかり言うし、子どもたちはあの通り大人の男が苦手だからって、わざわざここに孤児院を立てて下さった司祭様をも他の男と同一視して拒絶して!」

「うん……」

「本部は本部でここの悲惨な状況を知っているからこそ、もう手の施しようがないとか何とか言って人もお金も送ってくれないし……!そんな状態だから、どうしても安価で効き目のある薬草が必要だっただけなのに、初めは協力的だったはずの薬屋も、いつの間にか仕入れてやってるって大きな態度をとるようになるし」

「うん……」

「砦の人たちも、段々と司祭様に治療してもらうのが普通になって、治療の仕方に文句言うようになって……!」


 みんなみんな、司祭の優しさを当たり前に思うようになった。それが許せないのだとマリンはヒステリックに叫んだ。

 しかしすぐに、何かを悟ったようにピタリと叫ぶのをやめた。


「……わかっているんです。みんな、心に余裕がなかっただけだってことくらい」


 目の前に広がる荒廃した街。そこかしこに転がったままの遺体。それを当たり前に感じてしまう自分自身に抱く嫌悪感。

 目を閉じればまだ鮮明に覚えている、貧しくも楽しかったあの平和な日常。


 人々の心の余裕を奪ったのは戦争だ。悪いのは魔族であり、もしくはすぐに助けてくれなかった皇室。

 だが、戦争が終結した頃にはもう魔族の姿はそこにはなく、皇室のやつらがこんな所まで来ることもなく。土地を正常に戻すために尽力すべき前領主は戦争が始まってすぐに死んで……。

 誰に石を投げてやれば良いのかわからない状況で人々の鬱憤は溜まるばかりだったはずだ。

 きっと皆が皆、お互いにイライラしていて。暴言を吐かれた人だっておそらく司祭だけではなかったはず。

 むしろそんな過酷な中でも、暴言を吐く程度に留まっていたのだからアッシュフォードの民は理性を保っていた方だと思う。

 けれど、


「……二年前、今の領主様になってからは環境が改善されたけど、もう司祭様の心も私の心も限界が来ていたのかもしれません」


 マリンはポロポロと涙を流した。

 イアンが治療院の支援をし始めてしばらくした頃。

 今まで頑張ったのだから少しくらい良いじゃないかと、マリンが提案したらしい。

 司祭はイアンから受け取った支援金の一部を自分の懐に入れた。

 そこからは早かった。長年しまい込んでいた欲がどんどん溢れ出して、気がつけばもう取り返しのつかないところまで来てしまった。


「負傷者が増えればお金が増えるから」


 司祭は偶然迷い込んだ魔族の子どもを使って自爆させた。

 それが思いの外うまくいったものだから、魔族と秘密裏に取引をして、どんどん子どもを招きいれたのだと震える声でマリンは語った。

 

 アイシャはそんな彼女を強く抱きしめた。


「ごめんなさい……。ごめんなさい……!」


 だめだとわかっていながら、おかしくなっていく司祭を止められなかった。

 あいつは昔、横柄な態度をとったから、あいつは司祭の頼みを断ったから。だから天罰が下ったのだ。

 そう心の中で自分に言い聞かせながら、マリンはマリーナフカの自爆で負傷した人たちを治療していたらしい。

 アイシャの腕の中で静かに懺悔した。


 すると、心配そうに子どもたちが駆け寄ってくる。

 マリンがお腹が痛いのだと笑顔を作って誤魔化すと、子どもたちは家の中からありったけの毛布を持ってきては彼女に被せた。

 それは彼女が今まで彼らにしてきた事だろう。きっと今まで風邪を引いたと言えば甲斐甲斐しく世話を焼いてきたのだ。

 司祭を拒絶したことを怒りながらも、心の奥底では彼らを娘息子のように思ってきたのだ。


 マリンは子どもたちの優しさにまた涙を溢れさせた。


「マリン、一緒に男爵様のところへ行きませんか?あなたが慕う人だからこそ、あなたの手で罪を犯して墜ちていく彼を救って差し上げるべきだわ」


 アイシャがそう耳元で呟くとマリンは小さく頷いた。


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