24:テオドール(3)
魔族の特徴は褐色の肌と赤い瞳、長く伸びた鋭い爪。そして青い血液。姿形は似ていても外見的にわかりやすい特徴を持っているため、魔族が人間に紛れ込むのは難しい。
だが、儚く散っていったマリーナフカの肌の色は少し日に焼けた人間の肌の色に近かった。それこそ、アイシャが彼を孤児院の子どもだと勘違いするほどに。
「ここは国境に位置します。記録によれば、戦前にここを統治していた先代領主の時代は今のように国境警備が厳重ではなかったとか」
「……」
「そしてそのせいか、度々若い女性が行方不明になっていたそうね。当時は『隅々まで探しても見つからないということは、おそらく魔族領との境の森へ入ってしまったのだろう』、と判断され、ろくに捜索が行われていない。つまり彼女たちの生死は不明のままということ」
「そう、ですね」
「仮にもし、彼女たちが生きて魔族領に辿り着いたとしたならば、いても不思議ではないわよね?…………混血の子ども」
アイシャの口調はほぼ確信を持って話しているとわかるほど、ハッキリとしたものだった。
イアンはまだどうにか誤魔化そうと慌てふためいているが、もう逃げられないと思ったのかテオドールは観念したように両手を上げた。
「リズベットを厨房に置いて来たのはこの話をするためだったのですね」
「それだけじゃないけどね。彼女に対する皆の評価は『人懐っこくて嘘がつけない人』だから、私の分身としてお手伝いするのには最適なのよ」
「やっぱり策士だ」
テオドールはそう言って苦笑した。どうしてこの人が伯爵家で蔑ろにされていたのか、本当にわからない。
家門を思うなら、重宝すべきはこちらの娘だろうに。彼らはいずれ、アイシャを手放したことを後悔するだろう。
「テオ……!」
「大丈夫。旦那様は黙ってて」
「だが……」
「隠し通せるならそれが一番良いのですが、相手はあなたの隣に立つ人です。話しますよ」
イアンは心配そうな顔をして話に割り込もうとする。だが、もうどう足掻いても誤魔化しきれないからと、テオドールは彼を諌めた。
「……いつから気づいていたのですか?」
「確信を持ったのは魔族の体の構造の話をリズから聞いた時。でも今思うとずっと違和感はあったのかも」
「この瞳のせいでしょうか」
「それもあるわ。でも一番は男爵様の部下だった人たちは負傷した人を除いて、全員が騎士団に所属しているのに、あなたはそうではないから。あなたの剣の腕は悪くないのになぜだろうと、リズも不思議がっていたわ」
「裏切りの可能性を考えると、僕があちら側と接近することはよろしくないので。あと、下手に怪我できませんしね。こちらに寝返ってからは大変だったんですよ?怪我しないようにって」
「そうね。血を見られるわけにはいかないものね。だから砦に来るを嫌がってたのね」
「そうですよ。基本的に僕が許された自由は屋敷の中だけです。屋敷の外に出る時は、事情を知る騎士団長か、副団長と……、あとは旦那様がそばにいないといけません。そういう決まりで生かしてもらってます。だから今朝から盟約違反で殺されないかとヒヤヒヤしているのです」
なんて舌を出しておどけてみせるテオドール。殺す気なんてないイアンは首を大きく横に振った。本当にこれだからこの人は。
テオドールは俯き、大きく息を吐き出すと、胡散臭い作り笑いを貼り付けて顔を上げた。
「どうも。魔王軍を裏切り、今はアッシュフォードの民を欺いている半端者のテオドールです。どこから話せばいいですか?」
「そんな嫌味な言い方しなくてもいいじゃない」
「結構上手く擬態できている自信があったので悔しいのです。それで、どういうお話をご所望ですか?」
「……あなたが話せる範囲でいいから、あちら側の状況が知りたい」
「うーん、僕があちらにいたのは4、5年ほど前までですけど……、どうせなら少し昔話をしても良いですか?」
「ええ、ぜひ」
テオドールはパンッと手を叩くと、では遠慮なくと昔話を始めた。
*
テオドールの母親はアッシュフォードから逃れてきた人間の女だった。
無理やり領主の愛人にされそうになり、領主を殴って逃げてきたらしい。
戻っても死罪は確実で、居場所がなくなった彼女は未開の地を進んだ。
その先に悪魔とも呼ばれる未知なる生き物がいると知りながら、それでも生きる場所を探して。
「父は村の外れで行き倒れている母を見つけました。そして衰弱した母を家に迎えいれ、看病しました。それがきっかけでした」
言葉は通じなくとも、心は通じる。二人が恋に落ちるのは必然だった。
「その村には母の他にも何人か人間の女が住んでいて、皆同じような理由でアッシュフォードから逃れてきていたようです」
母のたどり着いた村は元々、魔王の政治に意を唱えて追放された罪人の村で、母と同じように行き場をなくした者たちの村だった。
母はそこで貧しいながらも幸せに暮らし、やがてテオドールが生まれた。
「あの頃は幸せでした。貧乏で、お腹いっぱいにご飯を食べたことなんてなかったけど、それでも優しい人たちに囲まれて、笑い合って生きていたんです」
けれど、6年前。魔族が奇襲攻撃を実行する1年ほど前の話だ。ある日突然、その幸せが奪われた。
村の存在が魔王にバレたのだ。
魔王は村を焼き、間者として人間の女を、間者を招き入れた罪人としてその村に住む魔族を殺した。
そして混血の子どもだけを城へ連れ去った。
「珍しかったんですって」
テオドールは呆れたようにフッと笑った。
混血の子どもなんて、魔族の国にはいなかった。
だから魔王は持ち帰り、おもちゃにしたのだと。
「連れ去られて一番初めに連れて行かれた玉座の間でのことです。豪奢な椅子に腰掛けた王が、『ナカがどうなっているのかを知りたい』と言ったんです」
ナカとはつまり、体の中のこと。
外見的な特徴が自分たちとは大きく異なる彼らが不思議だったのだろう。
子どもを一人、生きたまま解剖しようとして魔王が選んだのは、一番小さな女の子だった。
「彼女の兄は妹を守ろうと反抗し、あっさり殺されました。そして妹の代わりにナカを確認されました。僕たち混血児全員がその光景を目の当たりにしました」
それからの日々は地獄だった。
心を壊し、城のテラスから下の湖に身を投げた子もいれば、生きるために魔族に擦り寄り道化に徹した者もいた。
「僕は、生きるために知識を魔王に与えました」
それは人間だった母がその短い人生で手に入れた知識だった。
魔王の知らないような話をして、彼を楽しませた。
「僕たち混血児は魔力器官はあるのに魔力がほとんど作られていないから魔法を使えないんだそうです。魔力の強さがモノをいう国の中心部で、魔力がないというのはとても恐ろしいことでした」
魔王はいずれ、混血児に飽きる。その時に飽きたからと処分されないよう、テオドールは自分の有用性をアピールした。
「それが功を奏したのか、仲間たちがクソみたいな理由で殺されていく中、僕は生き残りました。でも、そんな僕を見た魔王は気づいたんです。自分たちにないモノを僕が持っているということに。何だかわかりますか?知識を活用する力です」
魔族は得た知識を有効に活用できない。魔法という強い力を持つが故なのかは知らないが、彼らはあまり頭が良くなかった。
「だから魔王はその人間の持つ知性を欲しがりました。そしてそのためにとった行動が、混血児の量産です」
馬鹿がいくら考えても、導き出される答えは馬鹿みたいなことで。
魔王はテオドールの賢さを混血であるが故だと考え、当時子どもが産める年齢になっていた混血の女たちを愛人にした。
「僕は彼女たちに母を重ねました。愛人になれと言われて逃げ出してきた母を」
だから母の死に際がふと脳裏に浮かんだテオドールは、思わず言ってしまった。
混血なら、相手は人間の女の方がいいと。
「結構前から、アッシュフォードへの侵略計画は出ていたんです。魔族の国は元々、恵まれた土地とは言えない上に、奪うことで大きくなっていった国でしたから。僕の発言は間違いなくその計画の後押しをしてしまいました」
それからすぐ、魔王はアッシュフォードに奇襲を仕掛けた。
「アッシュフォードはあっという間に破壊され、魔王軍は略奪の限りを尽くしました。けれど、魔族は馬鹿だから力の加減とかできなくて。奪うはずの女まで殺してしまって」
予定の数より手に入った女が少ないから、ヴィルヘルムへも進軍した。
しかし、その判断は大きな間違いだった。
「ヴィルヘルムにはイアン・ダドリーがいました」
イアンは魔王軍の行動からその目的を瞬時に理解し、女性を一箇所に集めて匿った。そしてヴィルヘルムの自警団には民の保護を要請し、自分は援軍を待たず、自身の傭兵団と子爵家の私兵を率いて応戦した。
その後は北部の他の領地から続々と集まる援軍を束ねたイアンはヴィルヘルムで魔王軍を止め、さらには押し返した。
「僕が旦那様に出会ったのはアッシュフォードの水源を取り返されたときです。お前の容姿は人間のようだから、様子を見てこいと言われました」
スパイとして、イアンに近づいたテオドールは人間側の情報を収集し、それを魔王軍の将軍に流した。
「でも、旦那様の方が何枚も上手でした。旦那様は僕に偽の情報を与え、混乱を招いて魔王軍の戦力を削ぎ、アッシュフォードの城を取り返しました」
そして、イアンはテオドールに選択を迫った。
内通者としてここで殺されるか、それともこちらに寝返るか。
後者を選択したテオドールは捉えられた女たちを解放してみせることでイアンの信頼を得た。
「僕は二重スパイとして暗躍し、旦那様は将軍の首を取ることで魔王軍の戦意を喪失させ、魔王軍は程なくして完全撤退した。その後は奥様も知る通り、停戦協定が結ばれ、一旦戦争は終わりました。僕は約束通り、旦那様に生かしてもらいました」
テオドールはもう一度手を叩くと、昔話は以上だと笑った。
多分、テオドールは話さなくて良いことまで話した。
それはアイシャの覚悟を見るためか、それともアイシャを認めているが故なのかわからない。
(胸が苦しい。痛い)
けれど、ここで俯くわけにはいかない。アイシャはしっかりと顔を上げ、彼を見据えた。




