15:マリーナフカ(3)
鮮やかな橙褐色の衣を着て可愛らしい声で春を告げる鳥、“マリーナフカ”。
侵入してきた魔族の子どもをその鳥と同じ名で呼ぶのは、彼らが着ている羽織がそれを連想させるからという理由らしい。
春を告げる鳥が死を持ち込むという矛盾。目の前で無残な死を遂げた彼の姿を思い出し、アイシャは口元を抑えた。油断すると色々と出てきそうだ。
「壁を超えて侵入してくるのは、いつも自爆目的の魔族の子どもだけ。彼らが現れた時は鐘が鳴ることが多くて、だからあたしたちは砦に突っ込んでくるのが陽動で、子どもを使った自爆が本命とも考えてる。でも、鐘とか関係なく現れる時もあるからその真偽は不確か。加えて何故子どもだけが壁を超えられるのかもまだわかってない。とりあえず、彼らは皆あの鮮やかな橙褐色の羽織を着ているから、それが手がかりになるかもと調査を進めてるところ」
自室に設置された浴室で湯浴みをするアイシャに、リズベットは淡々とそう説明する。
衝立があり表情が見えないことが有難いとアイシャは思った。きっとこんな、今にも泣きそうな顔を見せてしまっては彼女を苛立たせてしまうだろうから。
「今までどのくらいの子どもが……、その……」
アイシャは声が震えないよう注意しながら、リズベットに尋ねた。彼女の髪を洗うランは平常心を保とうとする主人を悲痛な表情で見つめる。
しかしリズベットはアイシャが今どんなことを考えていてどんな表情をしているのか想像できるのか、ふぅ、と小さくため息をこぼした。
「……2年で9、いや、10かな。今日のを入れてね」
「そう……」
「ちなみにその殆どが爆散して即死。たまに死にきれなかった子もいるけど、そういう場合はあたしたちがトドメを刺してやる事になってる」
「……っ!」
アイシャは余計な言葉を漏らさぬよう、唇を引き結んだ。
イアンはその10人のうちの何人を手にかけたのだろう。何人が彼の手によってあの世へと旅立ったのだろう。どうしてもそんな事を考えてしまう。
(考えてはだめ。だめよ……)
イアンは戦争の英雄なのだ。その手が血に染まっているのは当たり前のこと。アイシャたち帝国民の生活を守るために汚したその手を穢らしく感じるなど、あってはならない。
それこそ当時、何も知らず、何もしなかったアイシャにそんな事を言う権利はないし、思うことすら許されない。
けれど、あの時イアンの手により息絶えた彼の横顔が頭から離れない。彼の真紅の瞳がアイシャの心を曇らせる。
「そうするしか……、ないのよね……」
気がつくと、そんな事を口からこぼしていた。リズベットは不快そうに眉根を寄せる。
「……何が言いたいの?」
「助ける方法は、絶対にないのよね……」
「はあ……。言ったでしょ?魔族と人間は体の構造がまるで違うの。どうすることもできない」
苦しみながら痛い痛いと死を待つくらいならいっその事、早く楽にしてやった方が良いに決まっている。それは仲間がそうなった時だって同じだ。
だからイアンのしたことは優しさなのだとリズベットは言う。
アイシャだってそれは理解している。けれど、今日孤児院の様子を見たせいだろうか。やはり子どもが犠牲になるのは現実を受け入れたくはないと思ってしまう。
アイシャは大きく息を吸い込み、湯船から上がった。そしてランが用意したバスローブを羽織り、衝立の向こうへと顔を出す。
「……魔族はどうしてこんな事をするの?」
どうしてそんな非道なことができるのだろう。
子どもは宝だ。国の未来を担う大切な存在。それを何故捨て駒のように扱えるのだろう。
目尻に涙をため、けれど決して泣かぬよう歯を食いしばっているような顔をしてアイシャがそう聞くと、リズベットはフッと笑った。
「魔族はね、知性に欠ける単純な奴らなの」
「どういうこと?」
「過去の魔族との戦いにおいて、どうして人間は勝利を治めることができたのか、わかる?魔族の知能が人間に比べて著しく劣っていたからよ」
本来であれば、人間は圧倒的な力を持つ魔族には敵わない。現に、奇襲をかけられた旧アッシュフォード領は驚異的な速さで制圧され、そのまま進軍してきた奴らによってヴィルヘルムも甚大な被害を受けた。多くの人が死に、家は焼け、街が壊滅状態になった。
けれどイアンたちが魔族に立ち向かい始めると徐々に状況は好転した。
それは何故か。理由は簡単で魔族の攻撃は行き当たりばったりで戦略も何もなかったからだ。
魔族は単純な力押しの攻撃しかしてこない。そのため真正面から立ち向かえば勝機はないが、待ち伏せや囮など、対策を打てば勝てるのだとリズベットは言う。
「そして彼らは一度成功した作戦をずっと繰り返す。だからこのマリーナフカもそう。過去に子どもで油断させ、何人もの人間を殺すことに成功したから、懲りもせずにこちらに送り込むの」
「そんな……」
「まあ、今はもうみんな警戒してるし、マリーナフカの自爆によるこちら側の死者はほぼゼロになっているから、作戦としてはあまり効果はないんだけどね。でも奴らは次に有効的な策を見つけるまで子どもを使い続けるわ」
「やめるよう交渉することは……で、できないの?」
「理屈も言葉も通じない奴らと何を話し合うと言うのよ」
戦後、帝国と魔族側で行われた停戦交渉は、皇室お抱えの魔族研究者が活躍したから何とか合意に至ることができたが、彼のような人物がいないアッシュフォードでは魔族と交渉の場を設けることすらできない。
「あたしたちは魔族とのパイプを持たない。皇室がアッシュフォードで起きていることに目を向けて、魔族側と再度交渉してくれるなら、マリーナフカのこともどうにかできるでしょうけど。でもイアンがいくら進言してもここ以外に被害が出てないからと、皇室は動いてはくれない。北部の他の領地は物資は支援してくれるけど、人は出してくれない。足りない人員は志願した他領の傭兵団とエレノア子爵家の志願兵でどうにかまかなってる」
「……そんな、どうして」
「さあね。魔族が怖いんじゃない?知らないけど。……とにかく、あたしらは魔族が諦めるのを待つか、皇室が動くのを待つしかできない。そして、その待ってる間にこれ以上の被害を出さないよう頑張ることしかできないわけ」
だから、魔族の子どもの安全まで考えている余裕などこのアッシュフォードにはない。
リズベットはそう告げるとポンとアイシャの頭に手を置いた。濡れた髪が冷たく感じる。
「……別に受け入れろとは言わないわ。違う生き物だと言われても見た目は人間とほぼ同じなのだから、お嬢様のあんたが子供にトドメを刺したイアンを拒絶してしまう気持ちも理解はできる。でもね、あたし達は一方的に危害を加えられた被害者なの。たくさん死んで、たくさん壊されて、あたしたちは数えきれないほどにいろんな物を失った。だから、領主夫人がそんな風にマリーナフカに心を砕いている姿を領民に見せるのはやめてほしい。彼らにとってもあたし達にとっても、魔族は敵でありとても憎い相手なのだから。そしてそれは相手が子どもであろうときっと変わらない」
余所者が少し現実を見ただけで『子どもを手にかけるのは間違っている』なんて綺麗事をほざくのは、その地で苦しんできた者たちの心を乱すだけだ。
アッシュフォードが受けた被害を考えるならば、魔族の子どもに心を砕いていてはいけない。
「テオは、結婚してもあんただけ生活の拠点をアッシュフォードの外に移すこともできるって言ってたわ。ずっと首都にいて領地のことは管理人に全て任せてる貴族も多いって聞くし、あんたがそれをしても別に誰も責めない。何もしないのは心苦しいって言うなら、首都の社交界で人脈を作って人々の目をアッシュフォードに向けるとかしてよ。領地の外からアッシュフォードを救ってよ」
受け入れられないのならここにいるべきではない。リズベットはそう言っている。それはアイシャもわかっているのに、何故か頷けなかった。
「別に、ここを離れたい訳では……、ない。でも、少し時間が欲しい……」
「……そう、イアンに伝えておけばいいの?」
「うん……」
「わかった。とりあえず、今日はもう休みな」
ちゃんと髪を乾かせよ、とアイシャの頭を乱暴に撫でたリズベットは少し寂しそうに笑って部屋を出た。
アイシャは扉が閉まる音を聞いた瞬間、膝から崩れ落ちる。
「お、奥様!?」
「ごめんラン、大丈夫よ。少しつかれただけだから」
「……何か、軽いお食事をお持ちしましょうか?」
「ううん。食欲がないの。着替えたら横になるわ。あなたも疲れたでしょう?もう休んでもいいわよ」
「……でも」
「私は大丈夫だから、ね?」
「はい……」
心配するランをアイシャは柔らかく拒絶した。一人にしてほしいという主人の意図を汲んだのか、ランは着替えだけを手伝ってすぐに部屋を後にした。
ベッドに寝転がり、天井を見上げたアイシャは深くため息をつく。自然と涙が溢れてきた。
「自分が嫌になる……」
今日は自分の認識の甘さをいやというほど痛感した日だった。あれだけ、覚悟はできているなんて豪語しておきながら、いざ残酷な現実を目にした途端これだ。
情けないにも程がある。結局アイシャはただの箱入りのお嬢様に過ぎなかった。
「……私に、彼の隣に立つ資格なんてあるのかな」