14:マリーナフカ(2)
「それにしても、旦那様遅いですね?」
「そうねぇ。天気も悪いし、マリーナフカの棺についてはまた後日かしら」
先に行ってくれと言われてから20分ほど経ったのに、イアンはまだ戻って来ない。どんよりとした分厚い雲が近づいてきているため、ランは少し様子を見てこようかと馬車の扉を開けた。
すると、その瞬間。大きな鐘の音が1回だけ鳴った。護衛についていた騎士たちの空気が一瞬にして張り詰める。
アイシャはランと肩を寄せ合い、不安げにリズベットを呼んだ。
「リズ、これは何?」
「魔族の接近を知らせる合図よ。開戦の合図ではないけど、いつどうなるかわからない。あたしはイアンを呼んでくる。他の護衛を置いて行くけど、絶対に馬車の外には出ないで」
「わ、わかった……」
リズベットはいたって冷静に近くの部下に指示を出すと、すぐにイアンの元へと向かった。
アイシャは怯えるランを抱きしめ、大丈夫だと背中をさする。自身の手も恐怖で震えているが、危険を承知でここまで来たのだ。怖いなどと言ってはいられない。
「大丈夫……大丈夫よ……」
アイシャは念じるように繰り返し『大丈夫』と呟いた。
「し、静かね……」
「そうですね……」
アイシャにとっての非常事態を知らせる鐘の音は、ここでは普通のことなのかもしれない。馬車を取り囲むようにして剣を構える騎士達はとても落ち着いていた。焦った様子もなく、ただジッと辺りを警戒している。
しかし肌を刺すようなピリついた空気と、緊張感のある静けさがアイシャたちの不安を掻き立てた。
「奥様……。子どもが……」
「……え?」
不意に窓の外を見たランは、教会の敷地より少し離れた場所にある茂みの中に一人の少年を見つけた。
鮮やかな橙色と光沢のある灰色のコントラストが美しい不思議な羽織を着ているその少年は、長い白髪の前髪の隙間から不気味な真紅の瞳を覗かせ、ジッと馬車の方を見つめている。
「あんなところに隠れて、どうしたのかしら。外にいては危険だわ……」
「白髪……、もしかしてジェスターくんでしょうか?」
ランの一言にアイシャはハッとした。
そういえば、シュゼットはジェスターの特徴を可愛らしい白髪の男の子だと言っていた。
「ラン、彼を保護しましょう!」
「は、はい!」
アイシャはひとまず彼を馬車の中に呼び寄せようと、馬車の扉を開けた。
「お、奥様!?危険です!」
「安全が確認されるまでは馬車の中にいてください!」
突然出てきたアイシャに騎士達は声を荒げた。
だが、アイシャとて譲れない。
「あそこに子どもがいるの!保護しないと!」
「え!?子ども!?」
「くそっ!」
騎士達は一斉にアイシャが指す茂みの方へ視線を向ける。すると少年はニヤリと口角を上げ、何かを叫びながらこちらに向かって走り出した。
「伏せろ!!」
戻ってきたリズベットは少年の方に剣を放り投げ、彼を転ばせた。
彼女の声に反応した騎士の一人がアイシャを馬車の中に押し込み、扉を閉めた。
御者はすぐさま馬と馬車を切り離し、地面に飛び降りる。驚いた馬はどこかへ走り去った。
「きゃあ!?」
馬車に押し込まれたアイシャははずみで尻餅をついた。扉で視界を遮られた彼女には外で何が起きたのかわからない。
ただ、失明しそうなほどに明るい光と共に大きな爆発音がし、それと同時にランの悲鳴が聞こえた。
「ラン、どうしたの!?何があったの!?」
窓から外を覗いていたランは耳を塞いでその場に崩れ落ちた。アイシャはすぐに窓から外を確認した。
「ひっ……!?」
外に広がる光景を見たアイシャは、悲鳴を上げそうになる口元を抑えた。
そこに広がるのは弾けて散乱した小さな手足の残骸と、飛び散った青色の液体。
辺りには先ほどの爆発の衝撃で負傷したのか、数名の騎士が血を流して苦しんでいる。
一体何が起きたのだろう。アイシャはこの状況が何ひとつ理解できない。
「アイシャ!無事か!?」
血相をかいて駆け寄ってきたイアンが、馬車の扉を開ける。
辺りからは火薬の匂いと、血の匂いがした。
「だ、男爵様……。ジェスターが……」
「ジェスター?」
イアンはアイシャが指さす方向を見て、少し考えた後「ああ」と納得したような声を漏らした。
「大丈夫だ、アイシャ。あの子はジェスターじゃないよ。魔族だ」
「ま、まぞく?」
「ああ。褐色の肌と赤い瞳、青い血は魔族の特徴だからね」
これは子どもの魔族による自爆であり、あそこで死にかけているのはジェスターではないから安心していいと、イアンは笑った。
アイシャはその笑みに言い知れぬ恐怖を覚えた。
子どもが目の前で死んだのに。それが魔族だろうと何だろうと、死んだのは年端も行かぬ子どもがだというのに、何を安堵することがあるのだろう。
理解できない。アイシャはただただ困惑した。
すると、小さくうめき声が聞こえた。
今にも消え入りそうな声だが、その声は自爆した魔族の子どもから発せられていた。
「……生きてる!!」
アイシャは彼がまだ生きているとイアンに訴えた。
「リズ」
「わかった」
イアンは小さく頷くとリズベットにアイシャを任せ、魔族の少年に近づいた。
リズベットはアイシャに近づき、そっと彼女の目を覆う。しかし、わざとなのか、それとも偶然なのか。リズベットの指の隙間から微かに向こう側が見えた。
「……え?」
少年のそばに膝をついたイアンが剣をおき、そっと彼の首元に手を添える。一瞬だけイアンの腕に血管が浮き出て、少年のうめき声はスッと聞こえなくなった。
多分、今度こそ死んだのだろう。
てっきり応急処置をしようとしたのだと思っていたアイシャの口からは、震える声で『どうして?』という言葉が漏れた。
その疑問にリズベットは淡々と答えてやった。
「……どのみちあの子は助からない。魔族の治療なんて人間にはできないもの。姿形は似ていても、体の構造は微妙に違うからね。まあそもそも、たとえ人間だとしてもああなればもう助からないけど。だから楽にしてやっただけ」
「……そ、そう。そうなのね……」
「それと、もう一つ。あの子の自爆でこちらの人員が数名負傷していることを忘れないで」
「わかっているわ……。ごめんなさい……」
アイシャは忠告のようなリズベットの言葉に顔を伏せた。自分が今、何を思い、どんな言葉を口に出そうとしてしまったのかを見透かされた気がしたのだ。
それはこの場では決して声に出してはならない言葉であるため、アイシャは顔が上げられない。
(あの白髪の少年はジェスターではなくただの魔族で、あの魔族の子が自爆したことにより、味方の人間が負傷した。魔族は敵であり、悪であり、それを屠ることは当然のこと。でも……)
人殺しだと責めてしまいそうになった。
「アイシャ、大丈夫か?」
戻ってきたイアンが顔色の悪いアイシャに手を伸ばす。大きくて温かくて優しい、アイシャの大好きな手だ。
しかし、アイシャはその手を払い除けた。イアンは目も丸くする。
「……え?」
「あ、ち、ちが……。違うんです……。あの……」
アイシャのそれは無意識的な行動で、触られたくないと思ったからそうした訳ではない。そのことはイアンも理解していた。
だが、それはつまり本能で拒絶したということ。
イアンは少し悲しそうに微笑み、差し出した手を引っ込めた。
「……アイシャ。先に帰っていてくれないか?俺はここの処理をしないと。あちら側の様子も確認しないといけないし、今日は砦の方に泊まると思う」
「あ、あの!男爵様!」
「大丈夫、わかっているよ。怖い思いをさせたね。ごめん」
「ちが……っ!」
「リズ。頼んだ」
「了解……」
イアンはリズベットにアイシャを託すと、彼女たちに背を向けた。
アイシャは彼の背中に手を伸ばしたが、何と声をかければ良いのか分からなかった。
***
守るためには殺さねばならない。戦場では重いはずの命が羽のように軽くなる。
戦争とはそういうものであり、そして、ここは未だ魔族の襲撃のある戦場。戦争はまだ終わっていない----。
整備されていない道を出せる最大速度で駆け抜ける馬車の中。過去に自身の口から発せられた言葉が、アイシャの頭の中を反芻する。
それはアイシャが戦争というものを正しく理解しているが故の発言であり、その発言自体は多分間違ってはいないだろう。
だが、理解することと、受け入れることはまた別の問題だ。




