9:知りたい(5)
「……本当にいいのか?」
イアンは朝食の席で、何故かアイシャの背後にしれっと立つ騎士服姿のリズベットを見やり、顔を顰めた。正直なところ彼女をアイシャの護衛とするのは気がひけるのだが、昨日の執務室での件があるため彼はこれ以上何も言えない。
「いいのか、とはリズのことですか?」
「そうだ」
「リズが優秀な騎士であると言ったのは男爵様でしょう?」
「それはそうだが……。リズは君に無礼を働いた。君が優しい女性であることは理解しているが、だからって許してやる必要はないんだぞ?」
「別に優しさで護衛に指名したわけではありません。リズは信頼に値すると思ったから指名したのです。だってリズはどこかの誰かさんと違って私に隠し事はしませんし、忖度することなく率直な意見を私にくれます。信頼できる優秀な臣下だと思いますが?」
アイシャはニコッと微笑むもその口調には棘があり、なんだか纏う空気が冷たい。
未だに何が彼女の気に障ったのかをよく理解していないイアンは、どうしたものかとため息をこぼした。
「何をそんなに怒っているんだ?」
「わかりませんか?大事なことを隠されていたことに怒っています」
「魔族のこと?」
「ええ」
「別に隠し事をしたつもりはない。いずれは言おうと思っていた」
「いずれっていつですか?」
「それは……」
「私は貴方が私のことを思って、怖がらせないようにと隠していたことをわかっているつもりです」
「だったら……!」
「でも!やはり不愉快です。私は貴方に守られるためにここに来たのではありません。貴方の妻になりに来たのです。戦争の英雄の妻に、アッシュフォード男爵の妻に。ですからどうか、そういう風に扱っていただきたい」
ただ何も知らされず、民が、何よりも夫となる人が苦労している中で一人だけ優雅にティータイムを楽しんでいられるほどアイシャは図太くないし、自分だけが屋敷の中で大事に守られて美味しい食事とドレスを与えられて、たまに貴婦人としての仕事を与えられるだけの生活なんてそもそも望んでいない。アイシャは悲痛な表情でイアンの方を見た。
しかし彼は意図的に目を逸らせた。どうやら、まるで向き合う気がないらしい。
そちらがそういう態度を貫くのならば、もう知らない。
「アイシャ?」
「今日は教会に医療物資を運ぶそうですね?」
「あ、ああ」
「私もリズと一緒にお手伝いします」
「なっ!?ダメだ!」
「何故です?司祭様にはまだご挨拶もできていませんし、領主夫人となるならそういうことはきちんとしておかねばなりません」
「あ、あそこは街外れにあるし、治療院が併設されているし……」
「知っています」
「ふ、不衛生かもだし……。怪我人もいるかもだし……」
「治療院が不衛生ならすぐにでも改善しなければなりません。怪我人がいるのなら見舞いたいです。ちゃんと労いたいです」
「あ、危ないし……」
「リズは護衛に従っていればそこまでの危険はないと言っています」
「でも、マリーナフカが……」
「男爵様。私は民に、あなたの妻は何もしないなどと思われたくないのです。ですからどうか、連れて行ってください」
「………」
「支度をして待っています」
アイシャはそう言ってフォークを置くと、気まずそうにする料理長に『ごちそうさま、美味しかったわ』と挨拶をし、テオドールをきっと睨みつけてから食堂を出た。
ほぼ巻き込み事故のような気もするテオドールは、捨てられた子犬のようにしょんぼりとする主人を見て、やれやれと大きなため息をこぼす。
「あたしもこれで」
リズベットは面倒くさそうに頭を掻くと、しれっと退室しようとイアンに背を向けた。
だが当然ながら、このまま逃してもらえるわけもなく、リズベットは呼び止められた。
「おい、リズ。余計なことをするな」
「……余計なこと?行きたいと言う場所に連れて行こうとすることの何がいけないの?」
「わかるだろ?彼女は優しいからきっとショックを受けて……」
「だから何?」
「だから、もう少し日を見てからでないと……。まだここに来たばかりなのだから」
「……はあ。あのさあ、何でイアンがそんな風にあのお嬢様の心まで守ってやる必要あるの?見たいって言ってんだから、見せてやればいいの。知りたいって言ってんだから、教えてやればいいのよ」
「それで彼女が傷付いたらどうするつもりだよ」
「もし仮にそれで傷付いて故郷に帰りたいと思うのなら帰してやればいいだけでしょ?あたしは見たくないと思うようなこともたくさんあるだろうって伝えてる。それでも知りたいと言ったのは彼女の方よ。だったら全部見せてやればいいじゃない」
昨夜、アイシャはリズベットに対して覚悟を見せた。実際に現実を見たら手のひらを返すかもしれないが、あのそれでもあのか弱そうなお嬢様が見せた力強い眼差しを、誠実さをリズベットは信じてみたいと思う。
それでもし、やっぱり無理だと、怖いと怯えて逃げ出そうとするようならばさっさと帰してやればいい。確かに心底がっかりするだろうし、幻滅するだろうがそれは仕方がない。『この人は他の貴族とは違う』と勝手に信じた方が悪いのだから。
しかし、そう告げてもイアンはまだ納得しなかった。
リズベットはそんな彼に心底面倒臭そうに、わざとらしく『はぁー』と声に出してため息をついた。
「あたしさ、結局何かあった時に全部あんたに責任が押し付けられるのが目に見えているから、この結婚には反対だった。分不相応な女を娶ることは、お嬢様にとってもイアンにとってもよくないと思っていたから。でも、あのお嬢様は思っていたよりもずっと根性がありそうよ?」
「根性があるのは知っているよ。じゃなきゃ、あんな家でずっと努力し続けるなんてできるわけない」
「あんな家?」
「でも、だからこそ俺のそばにいる時くらいは楽をさせてやりたい。甘えさせてやりたい。好きなことだけをして、誰の顔色を窺うことなく自由に過ごして欲しいんだ」
「……ねえ、イアン。さもお嬢様のためみたいに言っているけど、あんたが過保護にするのは本当に彼女のため?」
「……え?」
「違うでしょ?本心では逃げられたくないからアッシュフォード……、いや、違うわね。自分の負の部分を見せたくないだけじゃない?」
「そ、そんなこと……っ!」
「そんなことあるでしょう。自由にさせてやりたいのなら、視察でも何でも連れて行ってやればいいじゃない。彼女がそう望んでいるのだから。あんたの言ってることは矛盾してるわよ」
「……うるせぇよ」
リズベットの正論が痛かったのか、イアンはテーブルの上に突っ伏してしまった。情けない。リズベットはもう相手にしていられないと、今度こそ食堂を出た。
テオドールはメイド達に食事の片付けをするよう指示を出すと、主人の元に行き、軽く頭を小突く。やはり主人を主人とは思っていないらしい。
「寝るならお部屋でどうぞ?メイドの邪魔です」
「正論が痛い」
「どうします?」
「……外は冷えるから暖かくするように言っておいてくれ」
「はいはい」
リズベットの言葉がようやっと響いたのか、イアンは大きなため息をこぼしながら席を立った。




