4:リズベット・マイヤー(2)
イアンが選んだドレスの上に彼と対で作られた濃い紫のマントを羽織ったアイシャは、申し訳程度に設けられた屋敷の広間にて、騎士団と顔を合わせた。
入り口から奥の壇上まで敷かれた赤絨毯を挟み、両サイドに本日非番の騎士が片膝をついて頭を垂れている。それを壇上から見下ろすアイシャは複雑な心境だった。
確かに、ブランチェット伯爵家でもこのように騎士団の前に顔を出すことはあった。けれど伯爵家の騎士は皆、伯爵夫妻に忠誠を誓っており、アイシャには忠誠を誓っているわけではない。加えてベアトリーチェと違ってアイシャには特定の護衛は付けられていなかったため、誰かに忠誠を誓われるという経験がないのだ。
それ故になんだか気恥ずかしい。
(それにしても、どうしてこんなにも好意的な目で見てくれるのかしら?)
壇上を見る騎士たちの目は、大半がアイシャを好意的に思っているように見える。どことなく屋敷のメイドたちと同じ目をしているように感じられるので、おそらく自惚れではないだろう。もちろん、一部には『主人と認めていない』と思っていることが丸わかりな目をしている者もいるが本当にごく少数だ。
もしや、予めイアンが根回ししてくれていたのだろうか。アイシャは横に立つイアンを見上げた。すると、その視線に気づいたイアンはフッと優しい笑みを返した。
「ん?どうした?」
「……いえ、な、何も」
あまりにも優しく、かつ愛情に溢れる微笑みと声色だったため、アイシャは頬を染めた。なんだか自分に恋をしているみたいだと錯覚をしてしまったのだ。
すると今度はアイシャのその反応に、広間の騎士たちがざわざわし始めた。
『片思いじゃないのか』とか『え、まさかの相思相愛か?』、『信じられない』などヒソヒソ話している声が聞こえる。意味がわからないアイシャは首を傾げた。
「……静粛に」
厳粛な雰囲気が台無しになりそうなところで、テオドールは威厳のある低い声で一言だけ発した。彼の一言が一瞬で騎士たちを黙らせたところを見ると、やはり怒らせると怖いタイプの人なのかもしれない。
テオドールが咳払いをしてイアンに視線を送ると、イアンは小さく頷き、アイシャに手を差し伸べた。アイシャはその手を取り、背筋を伸ばし、騎士たちを見下ろす。
高い位置にある窓から差し込む日の光が騎士たちの剣を照らしてキラキラと光る中、イアンは厳かな雰囲気を取り戻した広間の空気を大きく息を吸い込んだ。
「皆、彼女が俺の妻となるアイシャ・ブランチェット嬢だ。これから先、共にこの地を導いていくことになる彼女にも忠誠を誓ってほしい」
「アイシャ・ブランチェットです。アッシュフォード男爵夫人として、この地のために尽力したいと考えています。どうぞよろしくお願いいたします」
あ、声が少し震えてしまった。そう思ったアイシャは顔を伏せた。
騎士たちは慣例に従い、片膝を立てた状態のまま自身の剣を高く掲げてくれたが、きっと頼りない印象を与えてしまったことだろう。アイシャは後悔の念から、無意識に小さくため息をこぼす。
そんなアイシャの心に気づいたのか、イアンは彼女の肩をそっと抱き寄せた。そして騎士に向かって手を挙げる。その反動で彼のマントは大きく靡いた。
「皆はすでに知っているだろが、アイシャは我らが故郷、ヴィルヘルムを悪徳領主の手から解放するきっかけを作ってくれた女性だ。俺はアイシャをこの世で最も尊敬している。皆も最大限の敬意を持って接するように!!」
イアンの宣言は広間に響いた。彼の金色の瞳が鋭く光り、騎士たちを威嚇する。たったこれだけのことなのに、騎士たちの中にあった不安は消え去ったように見えた。
ただ一人を除いて。
*
「では次に、奥様の護衛騎士の選出を行います。リズベット・マイヤー、前へ」
「はっ!」
名を呼ばれた騎士、リズベット・マイヤーは短く返事をすると立ち上がり、赤絨毯の上を歩いた。
凛とのびた背筋、長い手足と女性にしては高い身長。切長の目元に光る琥珀色の瞳は騎士らしい強い意志を感じさせる。セミロングの赤髪の顔横の髪が右側だけ長いのは彼女のこだわりだろうか。その髪が彼女の顔に影を作り、どことなくミステリアスな雰囲気も感じさせる。
いずれにせよ、過去に皇宮で見かけたどの女性騎士よりも凛々しいリズベットの姿に、アイシャは呆然としてしまった。容姿と纏う雰囲気だけで言えば、ここにいる誰よりもかっこいいかもしれない。
(イノシシなんて、嘘じゃない)
心配そうにリズベットを見つめるイアンを見上げ、アイシャは頬を膨らませた。嘘つきだと。
「マイヤー卿。剣を奥様に渡してください」
テオドールにそう言われたリズベットはアイシャの前に跪く。そして腰から剣を抜くと、剣身とグリップを両手で支え、彼女に差し出した。
アイシャはリズベットから剣を受け取ろうと手を伸ばす。
しかし、リズベットは差し出していた剣を自分の方へと引き、グリップを握ると剣先をアイシャの方に向けた。
「……きゃっ!?」
「アイシャ!!」
カンッと金属がぶつかる音が広間に響いた。イアンが即座に剣を抜き、リズベットの剣を弾いたのだ。
咄嗟にイアンに抱き寄せられたアイシャは何が起きたのか理解できず、目を丸くした。
「何の真似だ、リズ」
怒りと困惑の眼差しを彼女に向けるイアン。リズベットはそんな彼を鼻で笑った。
「あたしは今、かなり大きなモーションで剣を突きつけた。それなのにお嬢様は何の反応も出来なかった。危険が多いこの地の領主夫人として、これはどうかと思うけど?」
非戦闘要員であるこの城のメイドでも、何らかの反応は示せたはずだとリズベットは言う。
「イアン。こんな自分の身も守れないようなお嬢様と本気で結婚するの?ずっと屋敷に閉じ込めておくならまだしも、そうじゃないなら足手まといよ」
「口を慎め、リズベット。何がしたいんだ」
さっき、大事な人だと言ったばかりだ。それなのにこの仕打ちはない。イアンはアイシャを抱く腕に力を入れた。
「あたしは認めないわ。あなたにふさわしいのは強い女よ」
「お前に認めてもらう必要はないはずだが?」
「何の訓練も受けていない箱入りお嬢様が、魔族の襲撃が絶えないこの地でどう生きていくっていうの。どうせすぐ逃げ出すわ。もしくはマリーナフカに惑わされて爆死ね」
「……え?」
「今なら閉ざされた門をもう一度開けることもできる。だからすぐにこの地を去りなさい。お嬢様」
「……お前は死にたいのか?ならば素直にそう言え。俺は優しいからな、苦しむ暇もなくあの世へ送ってやる」
「ちょ、旦那様!?」
一触即発の中、テオドールは急いで止めに入る。
皇宮でこんなことをすれば即首を刎ねらて終わりだが、ここではそうはいかない。
テオドールはひとまずリズベットを牢に入れるよう促した。
「…………護衛の騎士は選び直しだ。リズ、お前は地下で頭を冷やせ。沙汰は追って伝える。こんなことをしてただで済むと思うなよ」
イアンは内圧を下げるように息を吐き出すと、地を這うような低い声で命じた。
テオドールの目配せで、数名の騎士がリズベットを捕縛し、連行する。
去り際、怯えた様子のアイシャを見たリズベットが一瞬だけ満足げに笑みを浮かべたのは、きっと気のせいではないだろう。
理解が追いつかないアイシャは連行されるリズベットの背中をただ呆然と眺めていた。