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17:春の妖精(1)

 翌朝。早朝からアイシャの身支度をしに来たランは、クローゼットに並んだドレスの少なさに悲しくなった。

 持参したドレスはアイシャの持っていたものの中でも比較的質素で生地の分厚いもの。それはこれから本格的な冬を迎えるアッシュフォードの気候に合わせて持ってきたものだ。

 何の思い入れもない、ただのドレス。


-----思い出の詰まったドレスなんて、私は持っていないわ。


 伯爵家を出る前、そう言ったアイシャの横顔はとても寂しげだった。

 アイシャは過去の伯爵家での暮らしについて、あまり多くを語りたがらないが、まだ新人のランにさえわかるほどに、伯爵家での彼女の扱いは雑だった。

 冷遇されているわけでも、虐待されているわけでもない。けれど同時に、何かしてもらえるわけでもない。

 ただ衣食住を与えるだけで、誰もアイシャを気にかけない。それは、蝶よ花よと育てられる令嬢が多い首都の貴族の中ではかなり異質だった。


(苦労なさったのだろうな……)


 愛の反対は、憎悪ではなく無関心とは、よく言ったものだ。

 両親が自分に対して何の関心も示さないのは、いなくても良いと言われているのと同じ。

 ランは心の底から湧き上がる怒りの感情を鎮めるように大きく深呼吸し、ドレスを二着手に取った。

 

「お嬢様!本日のドレスはいかがいたしましょう?」


 ドレッサーの前でボーッと物思いに耽るアイシャに、ランは満面の笑みを張り付けて笑った。

 アイシャはランの手に取ったドレスを見て、クスッと笑う。


「ラン。それは選択肢が一つしかないと思うのだけれど?」

「へ?」

「右手のドレスは流石にもう着れないわ」


 ランが手元を見ると、右手には子ども用のタータンチェックのワンピースがあった。


「……あ」

「ふふっ。まだ寝ぼけているのかしら」

「へへっ。間違えちゃいました!」


 その隣にかけてあったドレスを手に取ったはずなのに。

 ランは慌ててワンピースをクローゼットにしまい、代わりに淡い水色のシンプルな首のつまったドレスを取った。


「すみませんでした。大事なドレスに触ってしまって」

「別に大事なものでもないわ。ただ何となく手放せないだけよ」

「そ、そうですか?」


 でも、大事なものではないという割にはよく手入れされている。


(やっぱり、大事なものなんじゃ……?)


 ここまで持ってくるということは、やはり大切な思い出でも詰まっているのだろう。だがアイシャはこのワンピースについて何も語らない。

 ランは彼女の雰囲気から聞かない方が良さそうだと判断し、この疑問を胸の内にしまった。




 結局、水色のドレスを選んだアイシャはそれに合わせて化粧をし、髪を結った。


「おさげなんて久しぶりだわ」


 年齢的に痛々しく見えないだろうか、と姿見の前で自分の姿をまじまじと確認するアイシャ。ランはそんな彼女に大丈夫と軽く言った。


「ただのおさげだと野暮ったく見えますが、花の髪飾りをこんな風に所々にあしらえば、春の妖精にしか見えませんから!」

「春の妖精?冬なのに?」

「冬にこそ会いたくなるのが春の妖精です。花の香りを纏った優しい妖精!」

「それってもしかして、『メリルと春の妖精』という絵本の話?ランってば、意外とお伽噺が好きなのね」

「お嬢様もご存知でしたか!?」

「ええ。私もよく……、おばさまに読んでもらったわ」

「素敵なお話ですよね!私、あの本が大好きなのです!」

「そうなの?」

「はい!ひとりぼっちの生活が長いせいで心が冷え切ってしまい、声を失った冬の国の守護者メリル。そんな彼女が春の妖精に出会い、その温かい優しさに触れて徐々に笑顔と声を取り戻していく……。その過程がとても感動的で、最後にメリルが唄を歌い、冬の国に春が訪れたシーンは何度読んでも必ず泣いてしまうんですよねー」


 ランは興奮気味にその絵本について語った。

 しかし、アイシャは『冬の国に春が来ては守護者としての役割を果たせていないも同然なのでは?』などと思ってしまう。

 だが子ども向けの絵本にそんな指摘は無粋というもの。アイシャはこれは口に出さないでおこうと、話題を変えた。


「それで?どうしてテーマを春の妖精にしたの?」

「だって、もうすぐ冬を迎えるこのアッシュフォードの地に春の妖精が姿を現したら誰だって好きになるでしょう?」

「……?もしかして男爵様のこと?この姿なら彼も私を気にいるだろうって?」

「はい!きっとメロメロになること間違いなしです!」

「メロメロ……」


 彼は妻の容姿に興味など持つだろうか。昨日の様子を思い出してみても、顔を見た瞬間に険しい顔をして視線を逸らすに違いない。

 しかしそう言うと、ランはフルフルと首を横に振った。


「こんな可愛らしいお嬢様を前にして胸をときめかせない男はいません」

「本当?」

「そもそも、こんなお嬢様を前にしてそれでもまだ無礼な態度を取るようならば、その時はこちらもそれなりの態度を取れば良いのです!」

「それなりの態度……」

「ええ、それなりの態度です。良いですか? お嬢様……、いいえ、奥様!私の死んだ祖母はこう言っていました。夫婦とは対等であるべきだと」

「対等……。たしかにその通りね」

「では今の奥様と旦那様は対等ですか?」

「どういうこと?」

「この結婚を望んでいないのは旦那様だけではないのでしょう?奥様だって自分で望んでこの地に来たわけではありませんよね?それなのに、距離を縮めようと努力するのが奥様の方だけというのは対等ではありません。対等であるのなら互いに努力すべきです。片方だけが、あからさまな嫌悪感をぶつけられるなどあってはならないのです」

「な、なるほど」

「よって、これからも旦那様が無礼な態度を改めないのなら、奥様だって同じような態度を取っても文句は言われません!」

「そうかしら?」

「そうですよ!それに、そもそも奥様を丁重に扱わなくて困るのは旦那様の方ですよね?」


 アイシャは皇帝の側近の娘だ。もし、この地で不当な扱いを受けたとブランチェット伯爵に報告でもすれば、それは皇帝にも伝わる。そしてきっと皇帝は『自分の好意を無下にした』と怒るだろう。  

 だから、突然現れた信用できない女も妻として扱う必要があるのだとランは言う。


「私、お父様に泣きつく気なんてないわよ?」

「本当に報告しなくても、そうできるということだけでも脅しになります」

「脅しって……」

「つまり、奥様はもっと強気に出ても良いということです!」


 ランは興奮気味に鼻を鳴らした。

 心配をかけているのだろう。イアンがアイシャを受け入れようが受け入れまいが、アイシャはここで生涯暮らすしかないから。


「ありがとう、ラン」


 アイシャはおさげに散りばめられた花の髪飾りを一つ取り、それをランの髪に挿した。

 そしてふんわりと、とても柔らかく笑う。


「一緒に来てくれたのがランで良かった」


 こんなにも自分を思ってくれた使用人が過去にいただろうか。アイシャはランに何もしてあげられていないのに。

 自分よりも年下の女の子に勇気づけられてしまったアイシャは嬉しさと恥ずかしさで頬を染めた。

 すると、ランはアイシャの手を取り、微笑みを返した。


「1年は頑張るのでしょう?」

「そうね。叔父様と約束したものね」

「では頑張りましょう!旦那様を朝食に誘い、その愛らしさで籠絡してやるのです!」

「ふふっ。頑張ってみるわ、色仕掛け」


 アイシャはランに手を引かれて部屋を出た。花のような笑顔を携えて。


 


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