20:願掛け
星が綺麗な夜。ランはベッドの中で恋人となった男を質問攻めしていた。
「歳は?」
「19か20か……もしかすると21かもしれないですね。でも19より下ということはないです」
「曖昧な答えはダメですよ。さっき、気になることは全部教えてくれるって言ったじゃないですか」
「そう言われても、年齢に関しては正確に覚えていないのですよ。あちらの国では誕生日を祝う習慣がないので。一年のはじめにみんな一つ歳をとるという考え方なんです」
「へぇー」
「そして一番最後に年明けを祝った時に自分が何歳だったのかをあまり覚えていないんですよね」
「なるほどねぇ。納得です。しかし、意外ですね。もう少し上だと思ってました」
「対外的には24ですよ。旦那様と同い歳の設定です」
「24……」
ランはテオドールの顔をジッと見つめた。
24と言われれば24にも見えるし、19と言われれば19にも見える。
年齢不詳なところは、彼らしいと言えばそうなのかもしれない。
「じゃあ、名前は?」
ランはそのままの流れでサラリと尋ねた。
しかしテオドールは目を丸くして驚く。
「…………本当に鋭いですね。これ、旦那様も気づかなかったのに」
「だって、『テオバルト』が亡くなってすぐに『テオドール』が現れるなんて不自然でしょ」
別に、よくある名前だから偶然と考えても不思議ではない。
しかし、当時のテオドールはスパイとして義勇軍に入ろうとしていた。
そしてテオドールはテオバルトの最期の瞬間を見ている。
彼が『テオ』と呼ばれていたことも、彼が部下思いの良い上官であったことも、その光景から読み取れたはずだ。
「……自分のことを『テオ』と呼ばせることで、みんなの心の隙間に入り込もうとしたんですね?」
「ははっ。正解。どうしてそんなに僕のことがわかるのさ」
ここまで正確に自分の思考を当てられたのは初めてかもしれない。テオドールは素直に驚いた。
「まあ、そう名乗ったことはすぐに後悔しましたけどね」
「リズさんがいたからですね」
「うん。罪悪感で死にたくなった」
悪いことは企むものじゃない。
結局、テオバルトを求め続けるリズベットを見ていると引くに引けなくなって、テオドール自身も周りの話を参考にしながらテオバルトの幻影を追いかけることになった。
その結果ここまで拗れた。
「もう今ではテオバルトさんの真似がすっかり定着してしまって、なかなか抜けませんね」
「なるほど。そういうことでしたか」
だから、ふとした瞬間に口調が崩れるのだ。敬語は本来の彼の話し方ではないから。
(この人は何も持っていないのか)
その人の人格を形成するために必要不可欠なものの多くを、この男は持たない。
生まれを誤魔化し、名前も年齢も、話し方まで全部を嘘で塗り固められた彼はきっと、本当の自分と作られた自分の狭間で揺れ動いたことだろう。
だからこそ、罪の意識を持ち続けることで自分自身を保っていたのかもしれない。
それだけが唯一、彼が彼であることを証明するものだから。だからあんなにも贖罪に執着していたのだ。
(どうりで歪んでるわけだ)
ランは本当の彼を探すように、ジッとその紅い瞳の奥を見つめた。
「それで?名前は?」
「本当の名前は……、これは秘密でもいいですか?」
とうに捨てた名だ。今更その名で呼ばれたいとも思わないし、ランに自分が一番嫌いな男の名前を呼ばせたいとも思わない。
テオドールはいつも通りの何かを隠した胡散臭い笑みを浮かべた。
ランはそんな彼を見て、仕方がないなと微笑む。
「別に、言いたくないことを無理に聞くつもりはありませんよ」
「ありがとう……」
「でも、代わりにもう一つ聞いてもいいですか?」
「どうぞ?」
ランはテオドールのオリーブブラウンの長い髪に手を伸ばした。
毛質はランの赤髪とよく似ている。細くて柔らかい。
「……髪は?いつから伸ばしてるんですか?」
「アッシュフォードの奪還に成功した時くらいからかなぁ」
「もしかして願掛けのつもりだったりします?」
「多分そうです。でも、何を願ったのか覚えていないんですよね」
「ふふっ。何それ、だめじゃん」
「そうなんですよ。だから切るタイミングを逃していて」
「ふーん」
「あ、もしかして、短い方が好きですか?」
「まあ、どちらかというと」
「じゃあ切ります」
「えぇ……。そんな簡単に決めてはだめでしょ……」
「いいんですよ、別に」
もう忘れてしまった願いより、目の前にいる彼女の方がずっと大切だ。
テオドールはランの後頭部に手を回すと、そっと自分の方に抱き寄せた。
「ラン。もう寝た方がいい」
「どうしてですか?」
「だって、明日は朝一番で屋敷に帰るでしょ?」
「そうですね?」
「そうすると、会う人会う人、全員に揶揄い倒される羽目になると思います」
「………」
「寝ていないと頭が回らなくて余計なことを口走ってしまいますよ?」
「…………寝よう。うん。寝よう。おやすみなさい」
「ははっ。おやすみ」
明日の自分の頭が冴えていることを祈りつつ、ランは瞼を閉じた。
けれど、心臓の音がうるさい。
この早鐘を打つ心臓は自分のものだろうか。それとも彼のものだろうか。
目を閉じたは良いものの、鼓動がうるさくて今夜はあまり眠れないかもしれない。
*
ようやくランの寝息が聞こえてきた頃、テオドールは腕の中にいる彼女の髪にそっと口付けた。
どうしてこの娘の匂いはこんなにも安心できるのだろう。不思議だ。
「ほんと、無駄に度胸あるよなぁ」
こんなにアッサリと自分を受け入れてもらえるなんて、テオドールは思っていなかった。
今ならまだ逃してやると言ったあの言葉は、別に嘘じゃなかったのに。
「ラン……。好きだよ。好き……」
ランには聞こえていないのに、テオドールは無意識につぶやく。
自分はこんなに素直に愛を語るタイプだっただろうか。
好きという気持ちが止められない。決壊したダムのように溢れ出る言葉を止めることができない。
「はああああ……」
テオドールはランをギュッと抱きしめて、大きなため息をこぼした。
周囲の信頼を得るため、今まで必死に背伸をびして、大人ぶって築き上げてきたテオドールという人物像が、今日醜態を晒しまくったせいで全部台無しになってしまった。最悪だ。
けれど、それよりももっと最悪なのが、そういうのを全部どうでもいいと思えるほどに開き直ってしまっている自分がいることだ。
「まずいな……」
今さら取り繕えるとも思っていないが、自分自身に取り繕う気さえないのは非常にまずい。
テオドールは目を閉じてしばらく考えた。
そして、ふと思い出した。
「あ、そうか。幸せを願ったんだ」
テオドールは髪を伸ばすと決めたあの日。欲張りな願掛けをした。
イアンが幸せになれますように。
アルヴィンに良い人が見つかりますように。
ニックが妻の死から立ち直れますように。
リズベットが彼の死と向き合えますように。
アッシュフォードに笑顔が溢れますように。
そしてあわよくば、テオドールとして生きると決めた人生の中で、少しでもいいから安らぎを得られますように。
そんな、欲張りな願いを込めて髪を伸ばし始めた。
「……全部叶ったのかな?」
アルヴィンはともかく、他の願いについては全部叶っている気がする。
「じゃあもういいか」
明日、髪を切ろう。テオドールはそう決めた。
叶っているのなら伸ばし続けてもあまり意味がない。
髪を切り、取り繕うのをやめて、新しい人生を歩もう。
贖罪のために生きるのはもうやめだ。
だって、誰もそんなことを望んでなどいないし、何より
自分の人生は自分のものだから。




