15:デート(2)
街の外れまで来ると、流石に静かだ。
祭りの喧騒もここまでは届かないらしい。
「……」
「……」
テオドールは前を歩くリズベットについていく。
デートだという割には会話がない。
「あ、やば……」
戦死者の墓地の入り口でリズベットは急に立ち止まり、顔を真っ青にして振り返った。
何があったのかとテオドールも少し焦る。が、しかし。
「お金忘れたぁ……」
「……はい?」
緊張しすぎて財布を忘れたらしい。心配して損をしたとテオドールは安堵のため息を漏らした。
対するリズベットは顔が真っ赤だ。恥ずかしさと情けなさでどうにかなりそうなのだろう。
テオドールはそんな彼女が可愛くて、クスッと笑ってしまった。
「デート代は男が払うものだと聞きましたので」
テオドールはそう言って、花売りの女性から白百合の花束を買い、それをリズベットに渡した。
リズベットは受け取った花束をギュッと抱きしめた。
「……ありがとう」
「どういたしまして」
「……じゃあ、行こっか」
「うん」
リズベットはテオドールに手を差し出した。
テオドールは躊躇することなくその手を取る。
だってこれは、デートだから。
二人は照りつける日差しの中、墓地の門をくぐり、丘の上を目指して石畳の道を歩く。
運動不足の非戦闘員には少々しんどく感じるくらいの速度で。
「リ、リズ……。ひとつだけ、聞いてもいいですか?」
「何?」
「せ、正装で来る必要ってありました……?」
「ないけど……。体力なさすぎじゃない?」
確かにわざわざ正装をする必要なんて一ミリもない。だがここまで体力がないとは思わなかった。
「一応、元義勇軍所属なのに」
「現役引退してどのくらい経つと思ってるんですか……」
「だから時々でいいから訓練に出ろって言ってるのに。サボるからよ」
息を切らせながら歩くテオドールとその手を引いて先を行くリズベット。
その様は知らない人から見たらデートではなく介護だ。
リズベットは仕方がないなと呆れたように笑い、少しだけ歩く速度を遅くした。
「あー、情けない情けない。ほんと、情けない男だよ。テオは」
「うるさいですよ。体力お化けの脳筋娘が」
「残念だけど、あたしはもうちゃーんと、頭で考えられるようになりましたー」
「頭で考えられるやつはお金忘れたりしませんー」
「はじめから奢ってもらうつもりで来たんですー。これも計算のうちですー」
「ははっ。何それ。めちゃくちゃ悪い女じゃないですか」
二人はそんな言い合いをして笑いながら、丘の上まで歩いた。
一面の芝と綺麗に並べられた墓石。そして丘の天辺にある巨大な十字架のモニュメント。
テオドールは手で庇を作り、モニュメントを見上げて苦笑した。
「サイズ感がおかしい」
やはりもう少し小さくするよう言うべきだったか。テオドールは、墓地についての全てをイアンに任せたのは間違いだった気がしてきた。
「あたしはあのくらい大きい方がいいと思うけどね」
その方が、自分たちの想いが故人に伝わる気がする。
リズベットは十字架に向かって敬礼すると、芝の上を歩きだした。
そして十字架から向かって右側、整列する墓石の手前から三列目の、端から二番目の墓。
そこに眠る彼の前に膝をつくと、持っていた白百合を捧げた。
テオドールもリズベットに倣い、膝をついて手を合わせる。
「隊長、久しぶり」
泣きそうな顔で、泣きそうな声でリズベットは彼に挨拶した。
もちろん返事はない。静寂があたりを包む。
けれどリズベットは言葉を続けた。
「ずっと会いに来れなくてごめん。ずっと向き合えなくてごめん。今日はね、色々話したいことがあってきたの。聞いてくれる?」
あの後、どうやってここまで生きてきたのか。
どんなことが出来るようになったのか。
誰と出会って、誰と別れたのか。
リズベットは彼がいなくなってからの自分の話を長々と報告した。
テオドールはリズベットの隣で、ただただ静かにその話を聞いていた。
「……隊長。ごめんね。あたし、好きな人ができた。その人ね、隊長によく似ているけど、隊長じゃないの」
リズベットはそう言うと目を閉じ、胸に手を当て、何度も深呼吸を繰り返す。
そしてゆっくりと目を開けると、隣に座るテオドールをジッと見つめた。
「テオ。聞いてくれる?」
「はい」
「あたしはあなたが好きよ。テオドールが好き」
潤んだ琥珀色の瞳がテオドールを捉える。
テオドールはその瞳に、一瞬だけ心が揺らいだ。
目の前にいる彼女は、たとえ贖罪のつもりだとしても、ずっと大事にしてきた女の子だ。
ずっと、殺してしまった彼の代わりに守らねばと思っていた。
今思うと、傲慢な考えだ。どうして彼の代わりになれるだなんて思っていたのだろう。
(泣かせたら呪われそうだな)
墓の下の男はリズベットを泣かせたヤツを許さないかもしれない。
テオドールだって、本当は泣かせたくない。傷つけたくない。
けれどもう、自分の心は誤魔化せそうもない。
だって、今でも考えないようにしているのに、脳裏にチラつくのは今朝、窓から見てしまった光景。
告白を受けているのに他の女のことが頭をよぎるだなんて、これほど不誠実なことはない。
だから彼は悲痛に顔を歪めながらも、ハッキリと言った。
「……ごめん、リズ。僕は好きな人がいる。でもその人は君じゃない」
「うん、知ってる」
「……ごめん。ごめんな、リズ」
「どうして振った方が泣くのよ。泣きたいのはこっちなんだけど」
リズベットは急にポロポロと涙を流すテオドールの額を、グーで小突いた。
泣きたいのはこちらの方なのに、先に泣かれては困る。
「ふぅ……。まあ、珍しいものが見れたから良いわ」
リズベットは仕方がないなとハンカチを渡した。
「ごめん。ごめん、リズ……。ごめん……」
テオドールはハンカチを受け取るとそれで涙を拭う。
「……もういいよ。泣かないでよ」
テオドールの言う『ごめん』の意味も、その涙も理由も、単に告白に応えられないからという単純なものではないのだろう。
テオドールは何かを隠している。リズベットはそれが何なのか聞かされていない。
でも長い間、ずっとそばでテオドールを見てきたから、彼の自分を見る目に贖罪の意味が込められていたことには何となく気づいている。
しかし世の中には知らない方が幸せなこともある。きっと知ってしまえば、感情をコントロールできなくなる。
だからリズベットは、何も言わない。何も聞かない。不意に湧き出てきた疑問を全部内にしまった。
もう大人だから、そのくらいは出来る。
アイシャの騎士だから、そのくらいは出来る。
「テオ。もう一つだけね、言っておかないといけないことがあるの」
「うん」
「ランはね、強くないよ」
「……うん」
「強くないの。ただ、強がりなだけ。強がりで意地っ張りで……、それから」
どうしようもなく、優しいだけ。
「だからあんまり甘えてばかりじゃ、テオよりももっと大人の男に取られちゃうかもよ?」
女は見切りをつけたら振り返らない。
リズベットは悪戯っぽい笑みを浮かべ、そう言ってやった。
テオドールはそれは大変だと、少し焦る。
「奥様に聞いたんだけどね、ランは今日、商店街のほうに行くらしいよ。走った方が良いんじゃない?そこを抜けた先にあるのが何なのか、あなたも知ってるでしょう?」
「商店街を抜けた先は……………….宿屋!?」
テオドールはそう叫ぶと、もう一度だけリズベットに深々と頭を下げ、彼女に背を向けて丘を下った。
リズベットはそんな彼をとても穏やかな表情で見送ってやった。
「ははっ。がんばれー!転けるなよー!!」
好きな男が他の女のところに行くのに、こんなに晴れやかな気持ちで見送ってやれるだなんて思わなかった。




