13:相談
「あ、あの……。相談が、あるんですけど……」
久しぶりに二人きりになった執務室で、テオドールは遠慮がちにイアンに話しかけた。
彼と話をしなければと思っていたイアンは、まさかの発言に目を丸くした。
個人的な相談をされることは初めてに近いかもしれない。
「お、おう。何でも言ってみろ」
「あの、ランのことなんですけど……」
「え、ラン?」
リズベットの話かと思っていたイアンは肩透かしを食らった気分だ。
しかし、あまりにも神妙な面持ちで話すものだから、イアンはとりあえず彼をソファに座らせた。そして自分も向かいに座る。
「ランがどうかしたのか?」
「ランが、その、笑ったんです」
「……ん?」
「僕を見て、笑ったんです……」
「お、おう……」
「みんなに向ける笑顔と同じ笑顔を、僕にも向けたんです。いつもはもっと、生ゴミを見るような目を向けてくるのに。今日は笑ったんです」
「………………えーっと?」
それのどこが悪いのか、イアンにはさっぱりわからない。
「良かったな?」
「良くない!!」
テオドールは急に声を荒げて立ち上がった。イアンはびっくりして体勢を崩し、背もたれにもたれかかる。
「き、急に大声出すなよ。びっくりすんだろ!?」
「……す、すみません」
怒られたテオドールはしおしおと再びソファに座る。
イアンは眉間を摘み、テオドールの言葉の意味をしばらく考えた。
そして一つだけ思い当たることがあり、まさかそんな事はないと思いつつも一応聞いてみた。
「あー……、何か?ランの中で自分がその他大勢と同じになってしまったのかと悩んでるわけか?」
「ま、まあ。そう、ですね。はい……」
まさかの正解だった。イアンは呆れて笑うしかない。
「はは……。歪んでんなぁ……」
普通は逆だろうに。好きな女に笑顔を向けられたことでここまで落ち込むバカは、世界中探しても他に見つからないだろう。
イアンは足を組み、体を前のめりにしてテオドールを見据えた。
「テーオ。そこだけ話してもわからんだろ?」
「はい……」
「初めから包み隠さずに全部話せ。ちゃんと聞くから」
「……いや、その……」
「何があった?」
「実は……その……」
テオドールは言葉を選びながら、ひとつひとつ話し始めた。
多分生まれて初めての人生相談だ。
イアンは彼の話をうんうんと、相槌を打ちながらも決して口は挟まずに最後まで聞いてやった。
*
話を聞き終えたイアンはソファの背もたれに体を預けて、深く息を吐いた。
「まあリズベットのことはともかく、ランのことに関してはお前が悪いわな」
「わかってますよ。だからどう謝ろうかと……」
それを相談したいのだと、テオドールは口を尖らせた。
「謝るって、お前……。今謝ったところで、ランは受け入れないと思うぞ」
リズベットのことを解決していないのに、ランがテオドールの話を素直に聞くわけがない。
相談したいことがあるのだと話しかけるのならまだしも、ただ謝るだけなら『別に気にしていませんよ』と鉄壁の笑顔で返されるに決まってる。
そしてテオドールは壁を作られたことでまた悩むのだ。キリがない。
「……じゃあどうしろと」
「夏祭りの初日、リズとデートなんだろ?とりあえずそこでケリをつけてこい」
「……何で知ってるんですか」
「リズが今朝、テオを借りたいと言ってきた」
「行動が早いな。僕は行くなんてひと言も言ってないのに」
「何でだよ。そこは行ってこいよ。ただのデートじゃないことくらいお前もわかってるだろ?」
「それは……、まあ、何となくは」
「なら行くべきだろう」
「でも……」
テオドールは気まずさからイアンから目を逸らせた。
昨夜、テオドールがリズベットの部屋に行ったとき、彼女は『もう一人でも眠れる』と言って彼を追い返している。
そしてその代わりに夏祭りの初日を一緒に過ごしたいと彼にお願いした。
リズベットの琥珀色の瞳がどことなく覚悟を決めたように強く光って見えて、テオドールは大体のことを察した。
多分、行けば確実に何かが終わる。
「リズと真正面から対峙するのは、その、まだ少し怖いと言いますか……」
「何が怖いんだよ」
「……せ、戦争は終わりました」
「そうだな」
「僕が担っていた屋敷の管理はもう、殆ど奥様にお任せしています」
「ああ」
「リズはもう一人でも眠れるそうです」
「うん」
「…………ぼ、僕の存在意義は、どこにあるのでしょう」
罪を背負うなと言うのなら、自分はどういう理由でここにいればいいのだろう。
リズベットやイアン、アッシュフォードに尽くして罪を償うことが、テオドールがここにいる理由になっていた。その理由を取り上げられてしまったら、存在意義を失う。
テオドールは泣きそうになりながら、イアンを見た。
すると、イアンは半眼でこちらを見ていた。
可哀想なものを見るような、愚か者を見るような生温かい目だ。
「は?何言ってんだ?俺がお前にどれだけの仕事を任せていると思っているんだよ。お前がいなくなったら仕事回らないだろ」
「いや、それはまあ、そうなんですけど……」
「そもそもの話だ。何で存在意義がどうのこうのって考え方になるんだよ。いらねーよ、そんなもん」
「えぇ……」
あまりにあっけらかんと言うものだから、テオドールは間の抜けた声を出してしまった。
しかし、イアンからしてみればテオドールのその考えは理解できない。
「テオ。ここにいる理由なんて、お前がここにいたいかどうかだけで十分だろ。存在意義とか贖罪とか、難しく考えるなよ」
「でも……」
「それとも何か?明確な理由がないとアッシュフォードにはいたくないのか?」
「そういうわけでは……」
「そういうわけじゃないなら、それでいいじゃないか。理由なんて」
「……そう、ですね」
まだどこか納得していないような返事をするテオドールに、イアンは「はあー」と声に出して大きなため息をついた。
「いいか、テオ。全部、お前がどうしたいかだ」
「……はい」
「例えば今回のことに関して言えば、リズの手を取るにしてもランの手を取るにしても、その選択の理由に贖罪云々の考えは必要ないし、テオバルトもリズもランも関係ないんだよ。重要なのはお前の心が何を望んでいるのかだ。それをよく考えろ」
「……」
「よく考えた上で出した答えなら、俺もアイシャも何も言わない」
「はい……」
人生の選択の理由に他人を使うと、いずれ歯車が噛み合わなくなる。
誰かのためではなく、自分のために決断すべきだ。
イアンは立ち上がると、テオドールに近づき乱暴に頭を撫でてやった。まるで子どもにするみたいに。
「お前の人生はお前のものだよ。テオドール」




