10:面倒くさいけど(1)
テオドールと言い争いになってから3日。
業務連絡以外で話しかけるなと言ったからか、彼は細々とした仕事を押し付けるてくるようになった。
話がしたいのなら素直にそう言えばいいのに。姑息な手段を使ってくるところが、やはり気に食わない。
ランは執務をするアイシャの横で書類を整理しながら、小さくため息をこぼした。
(もう、どうでもいいわ)
自らを犠牲にして罪を償おうとする自分に酔っているだけの男なんて、どうでもいい。
あの男の贖罪も彼女を苦しめる呪縛も全部、自分には関係のないことだ。
それに、そもそもの話。関係ないと線を引かれているのだから、首を突っ込むべきじゃない。
このままフェードアウトして、ただの執事とメイドに戻ればこれ以上イライラすることもない。
「………………わかってるのになぁ」
ランは誰にも聞こえないように呟いた。
頭ではそう強く思うのに、心は言うことを聞いてくれそうにない。
ああ、なんて面倒臭いのだろう。こんなに面倒なら、この感情には気づきたくなかった。
「ラン?」
アイシャは珍しくボーッとするランの顔を心配そうに覗き込んだ。
彼女の視線の先にはいつものようにくだらないことで騒ぐリズベットと、それを軽くあしらうテオドールがいる。
アイシャは何かを察したように、小さく「ああ、なるほど」とつぶやいた。
「気になるの?」
「奥様、私ね。テオ様のことを狡い人だと思ってるんです」
「そうね。間違いないわ」
「でも多分、狡いのはテオ様だけじゃない」
狡いのはリズベットもまた、同じ。
アルヴィンたちは何故わからないのだろう。あんなにもわかりやすいのに。
ランはまたため息をこぼした。
ため息をつくと幸せが逃げるというが、だったら多分、ランの幸せはもう殆ど残っていない。そのくらい最近はずっとため息をついている。
「……ラン。無理してない?」
「してますね。すごく無理してます」
「だったら、私はあなたに休んで欲しいのだけれど」
「いいえ。正直しんどいし面倒臭いし、この間からずーっとイライラしっ放しでいい加減にしてほしいって感じなんですけど。でもやっぱり…………、不本意だけど、放っては置けないので」
「ランは優しいわね」
「そういうのじゃないです」
「でも辛いなら、その役目は私がしても良いのよ?」
「いいえ、自分でなんとかします。あの人のことも、友人だとは思っているので」
視界の端にいる同じ毛色の女は、気に食わないことも多いけれど、それ以上に一緒にいれば楽しいことも多い。だから彼女がこのまま苦しみ続けるのは本意ではない。
あの男のためじゃない。そう思うと少しだけ気持ちが楽になる。
まだ大丈夫。まだもう少しだけ、頑張れる。
ランはリズベットのためにもう一度だけ、首を突っ込んでみることにした。
「奥様。私は余所者です」
「そうね」
「でもだからこそ、できることもある。見えるものもある。そうですよね……」
アイシャは余所者だ。でも余所者だから見えたものがあって、余所者だからできることがあった。
そんな彼女をそばで見てきたから、ランは頑張ろうと思える。
「よしっ!」
ランは頬を叩いて気合いを入れた。そして生気に満ちた目をして笑った。
「そんなわけで奥様。ちょっとばかし、リズさんと喧嘩しても良いですか?」
「仲直りできるのならいいわよ」
「…………それはあちら次第かと」
「なら大丈夫ね」
リズベットはランのことが大好きだから。アイシャはそう言った。
しかし、好かれている自覚はあまりないランは首を傾げた。
「好かれてはいないと思いますが……」
「あなたがそう思い込んでいるだけよ」
よく周りを見ている子だけれど、案外、自分のことは見えていないらしい。
アイシャはランを抱きしめ、頑張ってとエールを送った。