8:自分の幸せ(1)
ランとテオドールが冷戦状態に陥って3日目の昼下がり。
ランは宣言通り、テオドールとは業務連絡以外の会話をしていない。
テオドールもテオドールで、何とかしてランと話をしようと無駄に彼女に雑用を押し付けている。業務連絡以外話しかけるなと言われたからといって、そのやり方で話をしようとするのは明らかに悪手だ。バカとしか言いようがない。
アイシャはそんな彼の様子に呆れつつも、今のところは口を挟むつもりがないのか、今はこの事態を静観している。
二人とも仕事に支障は出していないものの、ニーナはやりづらいことこの上ないとニックに愚痴をこぼしていた。
そんな中、他にも考えることが山ほどあるせいか、二人の様子に全くもって気づかないイアンは騎士団の訓練場を訪れていた。
「どうでしょうか」
騎士団長アルヴィンは、訓練場の壁に寄りかかり腕を組むイアンにさりげなく尋ねた。
すると彼はひと言、「ダメだな」と呟いた。
何がダメなのかと言うと、リズベット・マイヤーの動きである。
アルヴィンはイアンの視線の先にいるリズベットに目を向けた。
「ですよねぇ……」
どう見ても動きが鈍い。この時期はいつも寝不足になるせいで動きが鈍るのだが、今年は特にひどい。
「……アレは和平が実現したから気が緩んでる……って感じでもなさそうっすよねー」
気が緩んでるやつは確かにいる。けれど、リズベットの様子はそんな感じではない。
むしろ追い詰められて焦るあまりに周りが見えていないような、そんな感じだ。
「チームプレーが出来ないやつはチームに入れられないぞ」
イアンは冷徹に言い放った。
明後日から開催される夏祭りの警備計画。アルヴィンに頼まれ、それの最終確認のためにここまで足を運んだが、その必要はなかったようだ。
イアンは当初の予定通り、リズベットは警備から外したままにしておくほうが良いだろうとの判断を下した。
「アルヴィンはリズの事となると判断が鈍るみたいだな。でも兄貴分として気にかけてやるのは良いが、誰かを評価する立場で身贔屓に目を曇らせるのはよくないぞ」
「曇らせているつもりはなかったんですが……」
「不調のリズベットを警備に加えるべきかと相談してくる時点で曇ってるんだよ。他のやつなら迷わず外すだろ?」
「……そうっすね。すみません」
「まあそもそも、今の今まであいつの不調に気づかなかった俺が一番悪いんだけどな」
なぜ気づかなかったのか。新婚という事で少し浮かれ過ぎていたようだ。
いつもならここまで仕事に影響を出さないのに、今年のリズベットは全然ダメだ。
イアンはしばらく休暇を与えたほうが良いかもしれないとすら考え始めていた。
「ただの片思いだと思ってたのになぁ……」
イアンはふと、思い出したように項垂れた。
「自分の鈍さが憎いよ」
つい先日、アルヴィンにテオドールとリズベットのことを相談されたイアンは、そこで初めて二人の歪な関係に気がついた。
イアンはこの時期のリズベットの不調を、ただ単に、彼女が今もテオバルトの死を引きずっているせいだと考えていた。彼の死を自分のせいだと思っているから、彼の命日が近づくと不調になるのだと。
イアンにとっては、テオドールとテオバルトは全くの別人で全然似ていない。だからリズベットも同じと思っていた。
それがまさか、テオドールにテオバルトを重ねていただなんて。
「変に囃し立てちまったじゃないか……」
自分にデリカシーがないことはよく理解しているが、過去の言動を振り返ると死にたくなる。イアンはああ、と唸った。
「ま、まあアイツらは何も言わないので。これは俺とニックと、あとニーナの憶測ですし」
「その憶測はだいたい当たってるだろ。というか、お前ももっと早く相談しろよ」
「すみません。今までは歪でも均衡が取れていた気がしていましたから、大丈夫だと思っていたんです……」
テオドールは贖罪の意味を込めてリズベットの心を守り、リズベットはテオドールに縋ることで彼をこの世に引き留めている。
歪で、正しくない関係でも、お互いがお互いの生きる理由になるのならそれでも良いのかもしれないと思っていた。
「でも最近は、その均衡が崩れかけてます。テオドールの方が抱えきれなくなってるのかと」
アルヴィンは自分の判断は間違いだったと顔を歪めた。
やはり早い段階で二人を引き離しておくべきだった。
テオドールはもう、自分の幸せを求め始めている。リズベットが幸せになる未来ではなく、自分が幸せになる未来を見始めている。
けれど、自分にはその資格がないのだと思い込んでいるために、行動を起こせないでいる。
「解放してやりたいんすよ……」
アルヴィンは両手で顔を覆い、声を震わせながら切実に訴える。
このままで良いわけない。もう見ていられない。
しかし、自分にできることは何もなくて。自分に言えることなんて何もなくて。
「あの時、泣き叫ぶリズベットを引きずってテオバルトの元を去った俺には何も言えないんです。俺はあいつが死ぬとわかっていながらあいつを見捨てたんですから」
「……」
「最近、あの時ああしていたら、こうしていたらって、考えても仕方のないことが頭に浮かんでくるんです。過去は変えられないのに、過去の自分の判断が正しかったのか自信が持てない」
アルヴィンは苦しそうに過去を思い出しながら語り出した。




