5:呪いと責任
「やっぱり主人がヘタレだと犬もヘタレなのね」
「まあ、犬は主人に似ると言うからなぁ」
結局、何も聞かされていないランの頭を撫でながら、ニーナは深くため息をついた。
頭を揺らされたせいで、手伝ったお礼にとニックが入れてくれた異国のお茶が溢れそうになる。
ランは慌てて古びたティーカップに口をつけた。
「別にもういいですよ。私の知った事ではありませんし」
「もういい、って顔してないけど?」
「……だって、あんな態度取られたら流石に気になるんだもん」
ランははしたないと分かりつつも、ズズズッと音を立てて紅茶を啜った。拗ねたように口を尖らせている姿は彼女の幼い容姿と相性が良い。
ニーナはまた豪快にランの頭を撫で回した。
「可哀想だから、ランには特別に教えてあげるわ。いいでしょう?ニック」
「ああ、ランなら構わないだろう」
「私は別に……」
「でも他言無用ね。あの人たちの複雑な関係に気づいている人ってあまり多くないから」
「無視しないでくださいよ、ニーナさん」
「みんな、リズの片思いには気づいてるんだけどなぁ」
「……アッシュフォードの人はみんな鈍いのですね」
「鈍くないと生きていけないからね」
「とはいえ、俺たちが話せるのは事実だけだ。テオもリズも何も話してくれんからな、奴らか何を考えているかまではわからん。それでもいいかい?」
ニックはそう言うと、ランの顔を覗き込んだ。
ランは少し迷ったものの、やはり気になるらしく、紅茶を飲み干すと大きく頷いた。
*
「……リズさんはね、あの日。すごく慕っていた人を亡くしたの」
ちょうどこの時期だったと、遠くの空を見上げてニーナは語り出した。
当時、衛生兵として義勇軍に参加していた彼女はその日の出来事をよく覚えている。
あれはヴィルヘルムの街を取り戻した後のことだ。
イアンはアッシュフォード奪還にあたり、集まった北部の戦士たちと自身が率いる傭兵団を混ぜて義勇軍を組織した。
その際、先陣を切っていた傭兵団の人員を分散させ、各隊の指揮官を任せたのだが、リズベットはそこでテオバルトという戦隊長の下についた。
テオバルト率いる部隊にはリズベットの他にも今の騎士団長であるアルヴィンや、ニックがいた。
「テオバルトさんの部隊の主な任務は前進基地の護衛でね。その日、彼らは哨戒中に敵を発見したの」
テオバルトの部隊は別部隊と協力し、応戦。何とか迎撃に成功した。
だがこちらの被害は甚大で、部隊の大半は死んだ。生き残った者は足を負傷したニックと彼を担ぐアルヴィン。そして無傷のリズベットとテオバルトだけ。
何とか基地に帰還しようとニックたちは先を急いでいた。
「そんな中、後退したはずの魔族が二人ほど、姿を現したんだ」
当時を思い出したのか、ニックはそう言って辛そうに笑った。
「多分、リズベットを狙っていたんだと思う……」
魔族は人間の女を欲しがっていた。
たとえ、その場にいたのが最前線までやって来て勇猛果敢に戦う騎士であっても、女は女。
何の戦果も得られずに撤退するよりかはマシだと思ったのだろう。
「本当は、ああいう場合は戦うべきじゃないんだ」
魔族は正面からぶつかって勝てる相手ではない。人間が彼らに勝つには策を練り、隙をついて一人一人確実に殺していくしかない。
だから少人数で魔族と相対してしまった場合は、とりあえず逃げることが命を守る上で最も重要だった。
「でも、テオバルトは戦うことを選んだ。俺なんか見捨て逃げてくれたら良かったのに。あいつはまだ生きている部下を置いては行けないと言ったんだ」
ニックは馬鹿だよな、と天を仰いだ。
「リズでは俺を担げない。だからアルヴィンが俺を担ぐしかない。そして魔族が人間の女を求めている以上、リズは魔族の前に出せない」
だから、テオバルトは言った。『お前たちは先に行け』と。
まるで小説の一幕のような台詞だ。
ランはその台詞を吐く奴がどうなるか知っている。
「……お約束通り、死んだんですね」
「ああ」
相打ちだったのだろう。回収された遺体の近くには、魔族が死んでいたらしい。
「リズさんはテオバルトさんの死を引きずってるんですか?」
「ああ。だからテオバルトの命日が近くなると眠れなくなる」
「もしかして、自分が女であるせいで、彼を死なせたと責任を感じてるとか?」
「いや?リズを前線に連れていく以上、あいつが狙われるのは計算のうちだ。何ならリズを囮に敵を誘き出したことさえある。だから、自分のせいだとは思っていないと思う。ただ、テオバルトは最期にタチの悪い台詞も残して行きやがったんだ」
ニックはそう言うと大きなため息をこぼした。
彼はあの時の光景を今でも鮮明に覚えている。
あの時、リズベットは自分は傷ひとつないから一緒に戦えると泣きながら訴えた。
けれど、テオバルトはそんな彼女の訴えには耳を傾けず、何故かそっと口付けた。
そして彼女の右側の髪に触れて、優しく微笑みながら言った。
『愛しています、リズベット・マイヤー。だからどうか、僕のいない世界で僕以外の誰かと幸せにならないでください』
と。
それは彼なりの、自分を忘れないで欲しいというささやかな願いだったのだろうが。
「……何それ。まるで呪いだ」
ランはつぶやいた。
テオバルトという男は、ただ忘れないでと願えば良いところを、あえてこんな呪いのような言葉を残すことで好きな女の記憶に永遠に残り続けようとした。
その代償として彼女が苦しむことになろうとも、自分の欲を優先した。
死んだやつに何を言っても届かないけど、もしあの世に手が届くのならそのことに関しては一発ぶん殴ってやりたいと、アルヴィンはよく言っているそうだ。
テオバルトのことはよく知らない。だが、ランはリズベットのことはよく知っている。
だから、少しだけ彼女に同情した。
「きっと、その願いを叶えようとしているのですね」
だからリズベットはテオドールに告白しないのだ。他の男と幸せになってはいけないから。
ニーナは難しい顔をするランの頭をまた、今度は優しく撫でた。
「まあ、そんな感じのことがあったの。あの一件からのリズさんは変わったわ。髪を短くして、甘えなんて一切なくなった。脊髄反射で動いてしまうという致命的な欠点があるにも関わらず、死んでいないのがその証拠よ。彼女はその欠点をカバーできるほどに強くなったの。そうしてテオバルトさんの死からひと月ほどが経とうとしていた頃。テオ様が義勇軍に志願してきたの」
新しく入ってきた彼に、リズベットはよく懐いたという。
背格好は全然似ていないけれど、声がテオバルトによく似ていたらしい。
「性格も、少し腹黒いところとか似てるし、何より名前がね…….。だから多分重ねてしまったのよ」
葬儀は行ったし、それにはリズベットと参加していた。だからテオバルトが死んだことを理解はしている。
けれど、心が追いついていないから、彼女は無意識にテオドールに彼を重ねているのだ。
「だからテオはリズベットに構うんだよ。なんだかんだで優しいやつだからな。ずっとテオバルトの代わりをしてやってる」
「そして、リズさんが本当に想っている人が自分じゃないとわかっているから、彼女の好意をあしらうの」
二人の関係はひどく歪な依存関係だ。あまりよくない。
けれど二人とも何も言わないから、どこまで踏み込むべきかわからず、ニーナもニックも見守るしかできていない。
「聞かなきゃ良かった」
ランはポツリとつぶやいた。
想像をしていたよりも、ずっと重たい話だった。
(責任……)
ーーー僕は彼女に対して責任があるから。
確かテオドールはそう言っていた。
責任があるということは、責任を取らねばならない事をしたということ。
旧魔族軍所属の彼が責任を取るようなことと言えば、決まってる。
(ああ、そうか。殺したのか、テオバルトを……)
察しの良いランは気づいてしまった。
おそらく、直接手を下したわけではないだろう。だがテオドールは間接的にテオバルトの死に関わっている。
(責任ねぇ……)
きっと、ニーナもニックもこの事は知らない。
だから彼らにとって、テオドールのしている事はただの優しさに見えている。
けれど知っているランにはわかってしまう。彼の心の内を察せてしまう。
「ほんと、めんどくさい」
その責任の取り方は決して優しさなんかじゃない。
ランは呆れたように天を仰いだ。