40:幸せ(1)
あれからひと月が経った。
ベアトリーチェは異端審問にかけられた結果、自分が異端であることを認めたため南海の孤島にある施設に入れられた。
拷問に耐えられなかったのだろう。早い段階で異端と認めたらしい。
これからは何もない孤島で人知れず、ただ神に許しを乞うだけの日々を送るそうだ。
ブランチェット伯爵は今も変わらず行方不明で、どこにいるのかわからない。
伯爵夫人は眼前で突然夫が消えたことにより、完全に壊れてしまい、今は精神病院に隔離されている。
伯爵家は嫡男のジェラルドが継いだ。ジェラルドは近衛騎士団をやめ、家門の信頼回復のために走り回っているらしい。
前途多難ではあるが、北部の貴族は彼を支援するつもりでいるのだとか。
そしてダニエル・ローレンスは王位継承権を剥奪された。
どん底に落とされた彼は何とか元の地位に戻りたくて、今もマリアンヌに土下座し続けているらしい。諦めの悪い男である。もうなりふり構っていられないようだ。
そのマリアンヌが近々、第二皇子と婚約することを聞いているアイシャは内心で『ザマアミロ』と嘲笑ってやったという。
*
「青田買い、なのですって」
すっかり春になり、少し動くと汗ばむ陽気の中。
婚礼衣装に着替えたアイシャは、ドレッサーの前に座ったままマリアンヌからの手紙を思い出してクスクスと笑った。
『青田買い』。それは最近、南部の令嬢の間で密かに流行っている言葉だ。
年下の婚約者を自分好みに育てることを言うらしい。
「マリアンヌ様は青田買いをなさったそうよ」
「マリアンヌ様、強いぃ……」
アイシャの髪を結うランは苦笑した。
あれからマリアンヌは色々あって、皇后に気に入られ、第二皇子との婚約が内定しているそうだ。
第二皇子マシューは8つも年上の婚約者を嫌がると思われたが、可愛らしさの中にも大人の色気があるマリアンヌに夢中らしい。
あれに惚れるのは第二皇子が被虐主義者なのか、それとも彼女が上手く擬態しているのか。
どちらにせよ、話を聞いていた男爵家のメイドたちは皆、マリアンヌ様最高!と思った。
「それにしても、まさかあんなに慰謝料もらえるとは思わなかったよねー」
宝飾品を持ってきたリズベットはドレッサーの横のテーブルにそれを置いた。
「ありがとうございます。リズさん」
「どういたしまして。他は?なんか手伝うことある?」
「あ、ちょっと櫛を取ってください」
「ほい、どうぞ」
「どうも。……確か、慰謝料と持参金でアッシュフォードの三年分の予算でしたっけ?」
「大儲けよねー」
「結婚祝いのプレゼントも山のように届いているし、南部の貴族のごますりがわかりやす過ぎて笑えてきますよね」
「わかる。あいつら、イアンが陞爵を断ってホッとしてるんじゃない?」
「ははっ。間違いない」
「それにしても、なんで断ったんだろ?素直に受け取っておけばいいのに」
「伯爵以上はいろいろとやらねばならないことが多いのですよ。首都に行くことも増えますし」
「なるほどねー。そりゃ、断るわけだわ。面倒くさそうだし」
「まあでも、いつまでも逃げ続けられないと思いますけどねー」
「どういう意味?」
「だって北の英雄王ですよ?奥様は和平実現の立役者でしょ?陰謀渦巻く南部の社交界がそんな人を放っておかないでしょ?」
「ああ、確かに」
リズとランはそう言って笑い合った、
今のイアンの地位は仮のものだ。きっと、いずれは大きな決断を迫られる時が来る。
たがその時、彼がどんな決断をしようとも一生ついていく覚悟はできている。
アイシャは2人の会話を聞きながら、窓から見える遠くの南の空を眺めた。
あの暖かい空の下から追い出され、ここまで来た。
(色々あったなぁ)
運命的な再会を果たした。
北の現実を知り、自分の無知と愚かさに打ちのめされて、けれども立ち上がり、奇跡的な縁を結んだ。
たくさん泣いてたくさん傷ついて、ようやく断ち切った血の呪い。
その先にはずっと望んでいた深い愛と、家族があった。
恋も愛も家族も仲間も、欲しかったものは全部ここにあった。
「うん、幸せだわ」
アイシャは小さく呟いた。幸せだ。
大好きな人たちに囲まれて、くだらない話で笑い合える日常が幸せ。
彼の隣に立つ自分を誇らしく思えることが幸せ。
彼に愛され、彼を愛することができて幸せ。
そんな風に思える日が来るなんて思わなかった。
アイシャの頭にティアラを乗せたランは、彼女が漏らした言葉に泣きそうになった。
リズはランの目に滲んだ涙を、ハンカチでそっと拭ってやる。
「まだ早いっての」
「すみません。へへっ」
リズとランは顔を見合わせて笑い合う。
そんな2人の姿にアイシャは首を傾げた。
「……随分と仲良くなったのね?」
いつの間にか、喧嘩をせずに普通に会話ができるようになっている。
アイシャは人とは成長するものだなと感心した。
しかし、二人は間髪入れずに「違う」と反論した。
「仲良くないですから!」
「同僚として、必要最低限の会話してるだけだし!そもそもコイツは恋敵だから!」
「はあ!?あなた方の歪な関係に私を巻き込まないでくださいよっ!」
「歪って何よ!」
「どう見たって歪でしょう!?」
「はいはい。そこまで」
聞いた自分が悪かった。アイシャは呆れたようにため息をこぼし、二人を宥めた。
しかし、この二人。テオドールがいなければそこそこ仲良くできるのではないだろうか、とも思う。
だからアイシャは、止むに止まれぬ事情があるのだと未だハッキリしない態度ばかり取る狡い男に、ちょっとした意地悪をしてやろうと企んだ。
「まあでも、テオのことは好きになっても苦労するだけよ?二人とも」
「別に好きじゃないんですけど」
「リズならわかるでしょ?テオの一番はご主人様だもの」
「あー、うん。わかる」
「……それなら私もわかります」
「結婚しても妻のことなんて二の次に決まっているわ。ランもリズも可愛いんだから、別の男を探すのもアリなんじゃない?」
アイシャがそう言うと、扉の外からガタッと大きな物音がした。
アイシャは口元を抑え、ウッシッシと悪い笑みを浮かべた。
「そこに誰かいるの?テオ?」
「……テオです。奥様にお客様です」
「お客様?」
「奥様、シュゼットです。レオたちも一緒なんですけど、入ってもいいですか?」
「シュゼット?ええ、どうぞ」
「失礼します」
許可をとったシュゼットはレオたちと共に部屋に入ってきた。
そして着飾ったアイシャを見て、わあ!と感嘆の息を漏らした。
「奥様、きれい……」
「素敵ー!」
「天使さまみたいだ!」
「ふふっ。ありがとう」
彼らは口々にアイシャを賞賛する。そんな中、3人の後ろに隠れていたジェスターがひょっこりと顔を出した。
手には小さな花束が握られている。
「ほら、ジェスター。渡すんだろ?」
レオはジェスターを自分より前に出した。
彼に促されたジェスターは花束をギュッと握りしめ、アイシャに渡した。
「おくさま。けっこん、おめでとう」
長年言葉を封じていたせいか、まだ発音が拙い。
だが、精一杯のお祝いの言葉にアイシャは頬が緩んだ。
「ありがとう、ジェスター。みんな。とても嬉しいわ」
花束を受け取ったアイシャはジェスターの前に膝をつき、彼を優しく抱きしめた。
すると、ジェスターはとても嬉しそうに笑った。
彼の笑顔をまだ一度も見たことがなかった男爵家の使用人たちは瞳を潤ませた。
こんな晴れやかな日に、彼の笑顔を見れるとは。
こんなに嬉しい事はない。




