35:来世に期待(1)
広間での宴は夕方にはお開きとなった。
というのも、アッシュフォードの夜はさすがにまだ寒いからだ。
皆テキパキと片付けを済ませるとそれぞれ家に帰り、帰れない酔っ払いどもは近所のおばちゃんたちが引きずっていき、広場から引き上げたイアン達もそのまま屋敷に帰った。そして
…………侯爵閣下はいつのまにか、屋敷の広間で二次会を開いていた。
「いや、うん。わかってたことだけどな?」
広間の中央に敷かれた赤絨毯の先の壇上に、一つだけ置かれた椅子。例の、アイシャが蹴り飛ばしたその嫌がらせのように豪華すぎる椅子に腰掛け、イアンはため息をこぼした。
閣下はいつ帰るんだろうか。呼び出した手前、こちらから強く出れないことをわかられている気がして腹立たしい。
本音を言うのなら、この間から来客が多すぎて疲れ果てているので空気を読んでもらいたい。
「……まともそうな奴はおらんのか」
そう思って無理やり注がれたワインを片手に上から広間を見渡すも、そこにいるのは
広間の床に雑に布を敷き、その上におつまみと酒を並べて酒盛りをする侯爵閣下とアッシュフォードの騎士達。
すでに酒瓶を抱えて潰れたコルベール伯爵と、酔っているのかいないのかわからないテンションで延々と同じ話をするエレノア子爵。
それから、いつものように酒に飲まれてウザ絡みするリズベット。
「ランんんん!こらぁ!ランんんんん!」
「ちょ、何ですか鬱陶しい」
「いつまでもマイヤー卿って呼ぶのやめろやぁ!リズさんと呼べー!ちょっと寂しいだろうが!」
「あーもう!ひっつくなぁ!」
「リズだよ、リーズー!」
「わかっ……わかりましたから、リズさん!」
「ていうか!テオは渡さないからなぁ!」
「別にいらないですってば!!何なのもう!」
イアンは、リズに絡らまれて心底嫌そうな顔をするランに手を合わせた。
尊い犠牲に感謝だ。
「まともな奴など、ここにはいなかったか」
「私がいますよ」
「アイシャ!」
王だの何だのと言って、ひとり即席の玉座に座らされていたイアンの元に来たのはアイシャだった。
正直なところ、少し寂しかったので素直に嬉しい。
「君は飲んでいないのか?」
「少しだけにしています。北部のお酒は私には強くて」
「ははっ。賢い選択だ」
慣れないうちは無理をしない方がいい。
イアンはそう言って、こちらを覗き込むアイシャの頬に手を伸ばした。
「でも、ほんのり顔が赤いな」
「そうですか?」
「うん。少しだけ」
「……イアン様の手、冷たくて気持ちいいですね」
アイシャは何を思ったか、伸ばされた大きな手に頬ずりをした。
「……っ!?」
酒を飲んでいるせいだろうか。いつもよりも纏う空気がフワフワしている気がする。
ほんのり赤く染まった頬が、濡れた唇が、潤んだ瞳が、襟ぐりの開いたドレスから見える胸元の白い肌と相まって、とても扇情的で。
イアンは生唾を飲み込んだ。こりゃあ、いかん。
「イアン様……?」
「……なあ、覚えてるか?」
「何がですか?」
「三日三晩」
「……へ?」
先日聞いたばかりのその言葉に、アイシャは一気に酔いが醒めた。
「な、何を急に!」
気がつくとイアンはあの夜の獰猛な獣の瞳をしている。
身の危険を感じたアイシャはイアンから離れようと半歩下がった。
だが、すぐに手首を掴まれ引き戻された。
体制を崩したアイシャは椅子の肘掛けに手をつき、倒れぬよう何とか体を支える。
そしてふと、顔を下に向けると、すぐそこにはイアンの頭があった。
イアンは動揺する彼女の腰に手を回し、逃げられないようにした。
「あ、危ないじゃないですかっ!」
「ごめん。でも、そのまま皆んなには背を向けていてほしい」
「どうして……」
「その顔、他の男には見せたくない」
そんな、男を誘うような顔。
イアンは堪らず、アイシャを抱き寄せ、胸元に顔を埋めた。
早すぎる彼女の鼓動に合わせるように、自分の胸の音も早くなる。
「……あの、流石にこの体勢は恥ずかしいのですが」
「うん」
「いや、『うん』ではなくてですね……って何して!」
「……吸った」
「すっ!?」
また吸われたらしい。彼の唇が触れたところがチクリと痛む。
アイシャはもう首元の詰まったドレスを選ぶべきだったと、心底後悔した。
「着替えてきた方が良いんじゃないか?」
「~~~~っ!!」
「それとも足りない?もう少し跡つけてやろうか?」
「き、着替えてきます!!」
アイシャは顔を真っ赤にして広間から逃げ出した。
イアンは髪をかき揚げ、ふーっと長く息を吐き出す。醜い独占欲を出してしまったと、少しだけ反省した。
そして、ふと気がつく。
こちらに向けられる生温かい視線を。
「は、はは……」
あたりを見渡したイアンは誤魔化すように笑った。
そんな彼に皆を代表してひと言、エレノア子爵が言う。
「男爵。あまりお義父さんの前でそういうことはするものじゃないよ?」
「…………はい。すみません」
場所は弁えた方がいい。ラホズ侯爵は「若いっていいな」と豪快に笑った。
***
「ちょっと、旦那様!テオ様どこですかっ!」
宴も終盤に差し掛かったころ。リズベットに抱きつかれたランが彼女を引きずったままイアンのところまでやってきた。
アイシャが部屋に帰ったまま戻ってこないから様子を見に行きたいのに、リズが離してくれないから行けないらしい。
「絡み酒の次は泣き上戸って、どうなってるんですか!めんどくさいんですけど!?」
「すまんな、ラン」
「すまんな、ではないのですよ!さっきから『テオ、テオ』っ泣いてばっかで、全然離れてくれないんだから!」
「いつもそうなんだ。酒飲むとダメなんだよなぁ」
「ダメなのわかってるなら飲ませないでくださいよ!もう!とりあえず、テオ様を呼んでください!飼い主でしょ!?」
「飼い主って…….。残念だが、テオはもう寝た。流石に疲れたらしい」
あれでもアッシュフォードを出たことがなかった男だから、余裕綽々に見えても色々と気疲れしたのだろう。
今日は許してやってくれとイアンは頭を下げた。
彼の功績について一応理解しているつもりのランは、不服そうに眉根を寄せつつも、それならば仕方がないですねと言ってテオドールは諦めてやった。
「しかしどうするのです?リズさん」
「優しく『大丈夫だ、ここにいる』って言って頭撫でてやれば、多分すぐに寝るよ。泣くのは寝落ち寸前の合図だから」
「……はっ。何それ」
飼い主様はいつもそんなことをしているのだろうか。
そう思うとランはほんの少しだけ、胸が締め付けられるような感覚を覚えた。
(さっさと応えてやればいいのに)
わからないフリをし続けるのは狡いと思う。
やはりあの男はいけ好かない。
「うう……、テオォ……」
「……はあ、めんどくさ」
ランは仕方なく、リズベットを膝の上に寝かせ、頭を撫でてやった。
「……どこかに良い男は転がっていないものか」




