㐧4話 フィクションマナーだったのかよ騙された!
挨拶はおろそかにできない。──同じく、返事もまたおろそかにはできない。こちらが名乗りの挨拶をしたにもかかわらず、挨拶を返さずつまり返事もせずなぐりかかるは、忍者の礼儀に反する行い。──汚いな! さすが忍者きたない! と、云われるはまだマシな領域である。下手をすれば忍びの名のみにとどまらず、主家の名までもが穢れにまみれる行いとなりかねぬ。
返事にもいろいろある。「相分かった」「宜候」「御意」「心得た」などの他、「応」と云う、空手つかいの間で用いられるものもある。──空手つかいと申せば、以前述べた挨拶である「押忍」は、返事にも用いることができるのであるから、これはもう便利な言葉であると云えよう。
そうした返事のひとつに、「了解」と云うものがある。──今現在、何故かこの言葉をめぐっておかしな波紋が広がっていると云うのだ。
「了解は、目上に対して使うのは失礼である!」と。
なにを莫迦な! どこの宇宙のルールだよそれは!──と、わしは思うものであるが、しかしそうと決めつけるは些か早計。自分がもしや間違っているのでは? と、いますこし踏み留まって確認するは大事である。確認! 確認は大事である! アイ・ニード・カンパネーション! ウォルター中将も云っている。
さていつもの通り、礼儀にきびしいところを参考にすべく資料をあたりにかかった次第であるが──まあ、出るわ出るわ。上官に対して「了解」と答えている例は陸軍省や海軍省後援、かつ検閲済の戦意高揚映画の中でいくらでも出てきた次第である。
変化球としては、海野十三の小説の中にも、上官に向けて「了解」を用いている例がみられた。──十三は丙種合格故に兵隊にとられてはいないが、逓信省の務めにて、官僚である。当時の官僚と云えばこれはもう相当にきびしいものであったと想像するに難くない。
おそらく当時ノーパンシャブシャブなるものが存在していれば、精神修養のために使っていたであろうと思われるほどには。もし、すこしでも女の子のほうを見たが最後、「貴様ァァ! 肉に集中せず女子の股を覗こうなどとは修練が足りん! 食事の際はすべてを食に集中するが官僚精神なるぞ! あやまれ! 肉を野菜をつくった百姓の人たちにあやまれ!」──などと、鬼の形相にて官僚精神を物理的に教え込んでくれたであろう。
まあ、仮にそうでなくても、十三は従軍作家として、帝国海軍が世界に誇る重巡洋艦『青葉』に乗艦してニューギニア攻防戦に関わった経験をもつ。これ以上なく信頼できる根拠としてよいであろう。
と、ここではやくも結論が出た次第にあるが、いったい何故、このようなおかしな論が今現在巷にてまことしやかに囁かれるようになったのであろうか。──このような嘘いつわりマナーを広めているのは、誰か?
それを探すため、我々はニューギニア攻略部隊の一員として、南方の密林の奥へと向かった──
そこで興味深い言説を眼にした。真偽は定かではないが、それによるとどうやら、航空業界の独自風習が一般社会に広まったものであるとのことらしい。
なるほど、航空業界に於いて「了解」を使ってはならない場合は存在する。これは聴き違えによる事故からの教訓によるものであるは事実なのである。
『テネリフェの慘劇』! 死者583名を出した、今現在の時点で過去最悪の航空事故である! 滑走路上にて2機の大型旅客機が衝突すると云う、にわかには信じ難い事故であるが、これは実際に起きた事実なのである。
事の次第は、こうである。オランダ航空会社KLM機が離陸準備のため滑走路を走行、続き、アメリカの航空会社パンナム機が滑走路を走行中にあった。対し、テネリフェはスペイン領である。──会話は英語で行われているがそれぞれオランダ訛り、アメリカ訛り、そしてスペイン訛りと云うわけで、うまく意志の疎通ができなかったという次第。
ここで悲劇が起きた。管制の発した『離陸スタンバイ』の指示をKLM機が『離陸許可』と誤認したのである。KLM機は離陸すべくエンジン全開で滑走路を走りはじめた。折しも、滑走路上は濃い霧に包まれており視界は悪く、管制からもそして滑走路上の2機の飛行機からも互いの姿は見えなかった。──そして滑走路上にはまだ移動中のパンナム機がいる!
有名な「あの莫迦来やがった!」の文句の後に2機は衝突した次第であったが、この大慘事に至った原因として、曖昧な言葉でのやりとりがそのひとつとして挙げられたわけであった。
「OK」や「Roger」といった、「了解」の意味を持つ言葉がうまく意志疎通できぬ状況にて誤認を産んだというわけである。これより、「Confirm(承認)」や、「Affirmative(肯定)」という言葉に、「了解」が置き換えられたと云う次第にあった。
テネリフェの事故は'77年に起きたわけであるが、あわやその再現となりかけたが、'08年に新千歳空港にて起きたニアミス事件である。霧と吹雪という違いはあれど視界が効かなかったは同じことである。日本航空502便が、滑走路を走行中の日本航空2503便に向けて離陸滑走をはじめたというものであった。
これは管制からの緊急停止の指示により「あの莫迦来やがった」の再現とはならなかったが、日本航空には大きな衝撃を与えたであろうことは想像に難くない。再発防止のためにテネリフェの教訓がなされたであろう。
その数年後、日本航空再編の人員整理である。──解雇された客室乗務員らがその経験を活かし、マナー講師としての再出発をした結果が、これだと云うのである。
くり返しになるが、真偽はわからぬ。だが航空会社を基軸として、過去の事故を当てはめて考えるに、奇妙なほどの符合をみせるも、また事実。
信じるか信じないかは、あなた次第──
しかし、まあ、いづれにせよ、「了解」は誰にでも用いて構わないというは、確かなことである。
だがそれでも咎められたとき──ここはやはり、もととなった航空会社の流儀に則り──
「おもいきり、なぐりましょう」
メーデー! メーデー!メーデー!