表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
1/5

㐧1話 スシ! サシミ! ワッサービ!

昨今は、他人とともに飯を喰うのも生命賭けである。──これはなにも、流行りの病気が伝染するであるとか、黒い外套(マント)の殺し屋に生命を狙われて毒殺の危機に瀕しているであるとか、世紀末ヒャッハーどもが食糧を奪いに襲撃してくる恐れがあると云ったものでは断じてない。


食事のマナーがどうであるとか、口やかましく云ってくる連中が、昨今増えたように感じるがためのことである。


先に断りを入れておくが、わしは別に超絶不作法な飯の喰いかたをしているわけでは断じてない。机の上にて人間橋を描きながら飯を喰った覚えはまるでなく、鼻からそばをすすっているわけでもない。また、糞犬のごとく皿をねぶり舐め倒しているわけでも断じてないことを、ここに述べておく。なお自慢ではないが、箸の持ち方はミスターパーフェクト・カート=ヘニング級の水準にある。


問題なのはそうした類のことではなく、もっと細かなみみっちい──例えるなら悪い姑がお嫁さんにつける難癖、重箱の隅をつつくどころか大型建設重機で掘り起こすがごときものについてのことである。


一例をしるすと──これは最近話題にもなったこと故に皆も知ってのことかもしれぬが、「わさびをしょうゆに溶くのはマナー違反である」などと、このような妄言が巷にては大手を振って歩いているとのことである。


なにを莫迦な、と。わさびなど溶こうが溶くまいが喰う者それぞれの自由であるだろう。──そのような世迷言を吐くのは、誰か? 頭がどうかしているのではないか? その者は義務教育を受けておらぬのか?──と、わしなどは速攻2秒で思った次第にあるが、どうやらそうではないらしい。


なんとも恐ろしいことに──「わさびをしょうゆに溶くのは寿司や刺身に限らず、和食全般にてあってはならぬマナー違反」だなどと、そう云う者がすくなくないではないか!


なんたること! いったいいつから──そんなことになっていたのだ? そのようなことをはじめに云いだしたのは誰なのかしら? 和食のメモリアルを解明しようではないか。



まず、云いぶんとしてはこうである。まずは、「わさびの効きが悪くなる」というもの。──もうすこし嚙み砕いて述べると、「わさびの辛味と、それと同時に香りまでもが飛んでしまう」と、云うものである。


「知るかボケ! 辛味や香りが苦手な人もおるんじゃがや死ねい!」と、そう思った人もいるかもしれぬが、まだ怒りを露わにする段階じゃない、落ち着きなされい。これを述べたは某老舗寿司屋にあるがため、一考の価値はあるように思えるやもしれぬ。


まあ、客の好みに合わせろやとは思うが。


次に、「わさびをしょうゆに溶かすと皿がよごれて見た目がきたなくなる」と云うもの。──これはもう、難癖以外のなにものでもない。いちいち、他人様のしょうゆ皿など眺める者がどこにおると云うのか。そもそも他人様の皿をじろじろと眺め凝視することが礼儀がなっていない。云わんやそれを見咎めるなど──これはもうわさびを溶く溶かぬ以前の問題である。親はなにを教えていたのか。


だいたい、よごれたら洗えばよいわけで、なに? その老舗寿司屋ではしょうゆ皿を洗う手間を惜しんでいるのか?──と、そのように思われても仕方ないところがあろう。



さて、溶くが正しいか溶かぬが正しいか?


結論を述べると、「溶いてはならぬなどと云う作法はこの宇宙のどこにも存在せぬ」のである。


この、「溶くのはマナー違反」と云う論の根拠は、かの美食家北大路魯山人の料理メモにある。


曰く、“ 刺身の上にのせて、しょうゆをつけて食べるとわさびは利く。しょうゆの中にわさびを入れてしまっては辛味はなくなる。しかししょうゆの味がよくなる。わさびは最も調子の高い味の素と心得てよい” と、じつはこの程度のことにすぎぬ。──魯山人は断じて、「わさびをしょうゆに溶くな」などと云う決めつけ押しつけなど申しておらぬのである。


だいいち魯山人は、洋食のソースが気に入らず自分で持参したわさびしょうゆに鴨肉を漬けて食したこともある。このような美食の道の探究者が、どうしてそんな尻の穴のちいさいことを云うとでも一瞬でも思ったか!──わさびをしょうゆに溶いてはならん論者は、今いち度反省すべきであろう。



このように、わさびは自由に、各々の好みにて溶く溶かぬを決めてよいのである。魯山人もそう云っている。著書にもそう書いてある。


なんなら溶く溶かぬに限らず、つけるつけぬもどちらでもよいのである。


──と、このようなことを申せば、次にはこう飛んでくるであろう。


「わさびがあってこその寿司」

「さび抜きなど寿司職人に失礼」

「さび抜きの寿司はうまさが半減」

「わさびの味は大人の味」

「さび抜きなんておこちゃま」


さて、これらの意見はどうであろうか?


これらの意見に、賛同する方──



「この非国民があああああ!」



皇室の料理番を務めた、渡辺誠と云う方の著書に、当時の礼宮親王つまり今現在の秋篠宮殿下が、さび抜きの寿司を頼まれたとの記述がある。──料理番はうっかりわさび入りを出してしまったという、やらかしエピソードの、ひとつである。


つまり、さび抜き派を莫迦にすると云うことはすなわち殿下を莫迦にしたと云うこと! 不敬であるぞ! 昔なら不敬罪で逮捕であるぞ! 謝れ! 親王殿下にあやまれ! 腹を切っておわびをせい!


──と、ここまでとは申さぬが、しかし皇室にて受け入れられているさび抜きを、我々下々の者がけしからんなどと云うはまことにあってはならぬことであり、また莫迦げていることと、知っておいてほしいものである。


これからはさび抜きだろうがわさびをしょうゆに溶こうがどうしようがまるで気にすることなく、気兼ねなく、自分の好みにあった食しかたをして、楽しく食事をしようではないか。




なおこのわし瑞鶴寺鉄心斎は、寿司にはわさびもしょうゆもつけずに食するものなり。


評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ