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世界で一番相性の悪い人  作者: 史音
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戦いの記憶

私が野上楓と再会したのは、それから数年後の高校受験の時だった。

ピアノをやめて勉強に熱中した私は成績も良く、このまま行けば地域で一番いい高校に行けると思っていた。


だけど私はまたも、彼に再会してしまった。


3年生の夏の模試の試験会場で、私は彼を見つけてしまった。

試験会場で彼はヘッドホンで音楽を聴いていて、机の上の鞄の中にピアノの楽譜が入っていた。

実は最初にピアノの楽譜が目に入った。こんなところにこんなものを持っている人がいると驚いて、その持ち主を見てすぐに彼だと気がついた。

思わず歩いていた足が止まってしまった。


こんなところで再会してしまうなんて。

小学生の時の苦い思い出が蘇りそうになって、私は慌てて首を左右に振った。

試験の前に過去の手痛い敗北の記憶なんて思い出したくなかった。


私は勉強では絶対に彼に負けない自信があった。

もうあの時の私とは違う。あの時以上にもっともっと頑張ったから、昔みたいに簡単に負けたりしない。

それにきっと彼はピアノの練習に追われて、勉強する時間はないはずだ。

だから今度こそ、大丈夫。負けたりしない。

そんな風に、私は自分に都合の良いように考えていた。


じっと彼を見ていたら、ふと彼が顔を上げて私の方へと視線を向けた。

私は咄嗟に顔を逸らせて、体を翻すと走ってそこから逃げ出した。


自分の席について、私は呼吸を整える。

今度こそ、大丈夫。私は彼に負けたりしない。

そう、何度も自分に言い聞かせた。


だけど、塾の廊下に張り出されたその模試の成績表の一番上に書かれていた名前は

野上 楓、だった。

私は8番だった。

それを見て悔しくて、私はしばらく成績表の前で強く唇を噛み締めた。


不思議なことに、野上楓は毎日の塾の授業には通わず、定期的な試験だけ受けていた。

だけど試験はいつも一番で、さらに塾の特待生だった。

授業を受けずに試験は一番なんて、本当に感じが悪い。


私は野上楓と同じ中学の子に、それとなく彼の事を聞いてみた。

「あいつ、ピアノもすごいらしくて、普段はそっちの練習が忙しいんだって」

塾に来る時間がないらしいよ、そう付け加えられた。

「え?じゃあ、あんまり勉強してないって事?」

そう聞いたら、その子はあっさりと頷いた。

彼はずっとピアノの練習の合間に一人で勉強して、それでも特待生になる程の成績を出しているってことだ。


そんなの、ありうる?本当にずるいと思う。


「野上って成績も良くて、ピアノでもコンクールで賞取ってて、あと、昔はバスケもやってたんだけど、それもすごいうまかった。バスケでも強いところから誘われてるんだって」

「バスケ?」

そうそう、とその子は続けた。

バスケも強豪校に誘われるくらいだったと。

「あいつなんでもできるから。ありえなくない?」

そう言って笑った。

「野上って天才」

私は唇を噛み締めた。


嫌いだと思った。

この人が嫌いだと強く思った。

この人のせいで、いつもうまくいかない。



神様は残酷だと思う。

この人にばかり、いろんなものを与えてしまう。



もし彼の持つ能力のどれか一つでも私にあったら、私はとても幸せになれる。

彼の持つ、たった一つ。

ピアノでも、勉強でも、どれか一つでもあれば、私はとても幸せだったはずだ。


なのにそれは全部、あの人のものだ。



私は負けず嫌いを発揮して、その次の模試は野上楓に勝つ事を目標に頑張ったが、ダメだった。

受験までにそれを何回か繰り返した。頑張って頑張って、だけど結局彼に勝つことはできなかった。

私の成績は彼の下ばかり。どうしても勝てない。


そうしたら急に心が暗く、空虚になった。頑張る事も、その気力もなくなってしまった。

結局頑張っても勝てないことがわかった私は、頑張ることをやめてしまった。


私は第一希望の学校を受験しないことにした。

そこは地域で一番偏差値の高い共学校で、順当に行けば野上楓もそこに行くと思った。

だから、きっと高校で野上楓と再会してしまう。

私は彼と同じ学校に行くことが怖かった。

高校でも私は頑張って、だけどきっと彼に負けるだろう。

これから頑張っても勝てる気がしないし、きっと勝てない。


小説や漫画では、ここで私ががむしゃらに頑張って、そうして二人はいい友人、いいライバル関係を築いて、なんならそこから恋人になってしまうこともある。

だけど、どうしても、私にはそんな未来を想像することができなかった。



そして、彼は受験が終わるまで、一番を定位置としてキープし続け、頑張ることをやめた私の成績は、転がるように下がっていった。


だけど、実は少し気持ちが楽になった。

頑張ったのに負けるのは、辛い。頑張った分だけ、負けた時が辛い。


私は逃げたのだ。

彼からも勝負からも。




それから彼には会っていない。だから私の生活は大きな波もなく、平和に過ぎた。


大学生の時に一度だけ彼の名前を見た。

それは全国の大学生を対象にした英語のスピーチコンテストで彼が優勝した、という記事だった。写真で見た彼はとても静かな顔でトロフィーを持っていた。その顔は以前と比べて細く精悍になっていたけれど、昔の面影が残っていた。


私は驚いて、それからほっとした。


私も大学で英語研究会に所属していて、その大会を目指したことがあった。

だけどなんだか嫌な予感がして、参加を見送った。

その自分の勘を、ほめてあげたい。

出ていたら、きっと私はまた、彼に負けただろう。

なんとなく想像はできるけど、野上楓は日本で一番いい大学に通っていた。すでに大学で負けていた。


彼のスピーチのタイトルは『輝かしい未来のためにできること』だった。

誰よりも輝かしい未来が待っている彼になら、こんなスピーチ簡単にできるだろうと思った。

もう、何から何まで違いすぎた。



だけど一度だけ、考えてみたことがある。

もし、私たちが普通に同級生として出会ったら、私たちの関係は違ったものになっただろうか、と。

意外と気が合って、趣味があって、同じ目標を持って…。

もしかしたら、私たちはとても仲良くなれたのかもしれない。


私はそんな考えを捨てるように首を横に振った。



昔のように嫌いとは思わない。だからと言って、好きではない。

彼と会うと、いいことがない。

私たちの相性はきっと世界で一番悪いのだと思う。

こんなに相性の悪い人とは、関わらないに限る。


でもそんなことを考えても意味がない。



だって、私たちはもう会うこともないのだから。


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