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世界で一番相性の悪い人  作者: 史音
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彼との出会い

相性って大事なものだと思う。

友達でも先生でも上司でも、相性のいいひとと組めば物事は驚くほど順調に進むし、反対に相性の悪い人と組んだら同じ仕事も驚くほどうまくいかなくなってしまう。


私にはとても相性の悪い人がいる。

その人とは会ったのは数回だけで、話したのも1回だけだ。

だけど私の人生の大切な場面に、いつも彼は現れる。

彼が現れると、それまでうまくいっていた全てがうまくいかなくなる。

順調だった事も、約束されていた成功も全部ダメになる。

そして私は必ず、辛い思いをする。


だから私は彼に対していい思い出がない。

大嫌い、ではない。嫌いとは言えない。そう言えるほど、その人のことを知っているわけではない。

だけど好きなのかと問われたら、即答できる。

好きではない。絶対に好きではない。

その人のせいで辛い思いをするのだから、好きなはずがない。


そんなことが1回でなく、何回か繰り返されて、私は悟った。

この人とは相性が悪い。

だから、この人に近寄るのはやめよう。

会ったら、よくないことが起きる。


彼は私にとって世界で一番相性の悪い人なのだ。




その彼と私が初めて会ったのは、小学5年生の夏だった。

それが、私たちの始まりだった。



私は小学校に入ると同時にピアノを習い始めた。それなりに才能があったのか、すぐに上級生を追い越すくらい上達した。きつい練習にも負けずに練習した結果、私は出場するコンクールで優勝するようになった。

同級生の中でも私は実力者として有名で、自分でも将来はピアニストになるのだと、自然に思っていた。


だけど、それは突然終わりを告げる。

終わりにしたのは、彼だった。



小学校5年生の夏に、私は大きなピアノコンクールの小学生の部の関東大会に出場した。

そこで弾く曲はかなり前から練習していて、先生からも褒められる出来で、自分でも自信があった。そして周りからも私は優勝候補の筆頭と思われていた。


コンクール当日、私は驚くほど緊張していなかった。目線がすでに全国大会に向いていたせいかもしれない。ドレスとかポニーテールに結ぶリボンの色で悩んでいて、ピアノよりもオシャレに気を取られていた。


控室で顔見知りの子と話していて、見かけたことのない一人の男の子がいるのに気がついた。

大体こういうコンクールに出てくる子は決まっている。

だけどその子は見たことがなかった。

その子は控室の端にひっそりと座っていた。体が細くて、背を丸めて、時折テーブルに置いたリュックの肩紐を手で弄びながら、不安げに俯いている。


初めて見る子だった。つい、じっと見ていたら、彼が顔を上げて私達の視線があった。

目があって、私は彼に向かって歩いて行った。なぜそんなことをしたのか覚えていない。たぶん気まぐれだったのだと思う。

彼の前に来ると私は彼に声をかけた。


「君、何番目?」

私の声に驚いたように彼は、顔を上げた。

長めの前髪が目を半分隠していたけれど、髪の毛の下の目はぱっちりしていた。着ているのがズボンにネクタイだったから男の子だとわかったけれど、顔だけ見たら女の子と間違えそうなくらい可愛らしかった。

彼が小さかったのと、顔が可愛かったから、私はつい年下だと思い込んでしまった。


彼は私から視線を動かして、またリュックを見ると小さな声で返事した。

「一番、最後」

私はへえ、と相槌を打つ。私の次だった。

「じゃあまだ待ち時間が長いね」

そう言ったら、彼は目を丸くして、それから目線をキョロキョロさせながら私を見て、小さく頷いた。

「何、弾くの?」

彼が答えた曲名に私は驚いた。

それは私と同じ曲だった。


今回は大きな大会だったから、私は先生と相談して、指定の課題曲の中で一番難しい有名な曲を選んだ。人と差をつけたくて、背伸びして決めた曲だから、まさか同じ曲を弾く人がいると思わなかった。


すると、彼が初めて自分から声を出した。

「僕、こう言う大会、初めてで、どうしていいかわからなくて」

そう言ってとても不安そうな顔で私を見上げる。


その顔を見て、私は最近飼い始めた我が家の犬を思い出した。

まだ子犬のゴールデンレトリバーで、その子犬はいつも私の後ろをついて歩いて、何かあると私を見上げて困った顔になる。

その顔がとても可愛い。それを見ると、つい抱きしめてしまう。


彼の顔はなんとなくその子犬を思い出させた。

だからつい、私は彼を守らないといけないと思ってしまった。



私は笑って彼に話しかけた。

「心配いらないよ」

不安そうな顔の彼を見て、励ますように大きく頷いた。

「大丈夫。きっと、うまくできるよ」

私は彼の目を見て笑った。

「私も頑張るから、君も頑張ろう」

困った顔の彼は、俯いてそれから小さく頷いた。

その顔が驚くほど真っ赤だった。


ちょうどそこに係員が来て、私にもうすぐ順番だと声を掛ける。なんとなく彼を一人にできなくて、私は彼の手を引いた。

「一緒に行く?」

私と目があって、彼は顔を赤くして頷くと立ち上がった。

廊下を歩きながら、私は彼にずっと話しかけた。緊張しているのか、小さな声で返事をする彼に、私は笑いかけた。

「緊張してる?」

頷いた彼に私は笑った。

「そう言う時は、目を閉じて深呼吸すると落ち着くよ」

自慢げに言った私に、彼はぎこちなく笑って頷いた。

「僕、がんばる」

私も釣られて笑顔になった。


舞台袖について、私は彼の手を離した。ゆっくり歩いたせいか、すぐに私の番だった。

「私、藤沢美波。あなたは?」

彼は視線を上げた。真っ黒な瞳で私を見た。

「野上楓」

「楓くん」

名前を呼んだら、彼が笑ってくれたから、それを見てほっとして私も笑った。

「じゃあ、お互い頑張ろうね」

「うん」

舞台に上がる直前、私は振り返って野上くんに手を振った。

「そうだ、終わったら一緒に写真撮ろう。友達になった記念に。」

野上くんは驚いたように目を見開いたまま、黙っていた。そんな彼に私は笑って、もう一度手を振って、舞台に上がった。


演奏はとても上手くできた。

練習以上に上手く、ミスなく弾き終えて舞台を後にする。

その出来は満足いくもので、きっといい成績を取れると思った。

今度は反対側の舞台袖に立って舞台に視線を戻すと、ちょうど野上くんが出てきた。

ぎこちなく歩いて舞台で挨拶をして椅子に座るまで、私はハラハラしながら見ていた。


だけど、彼がピアノを弾き始めた時、私の顔から笑顔が消えた。


彼はとても、とてもなんて言葉では足りないくらいうまかった。

強いて言うなら、子供の発表会に一人だけ本物のピアニストが混ざっているみたいだった。


みたい、じゃない。

彼はその時もうすでに、一人の立派なピアニストだった。

完成された、圧巻の演奏だった。


同じ曲を、すぐ後にこんなに上手に弾かれたら、勝てるはずがない。

たぶん、この先10年、私が必死になって練習しても、きっと彼のようには弾けないと思う。

私はこの人には絶対に勝てない。そう思った。



私はいつの間にか泣いていた。

泣きながら聞く彼のピアノは、それでもとても美しかった。


彼は演奏を終えると、静かに椅子から降りて頭を下げた。

そこで会場から割れるような拍手が起きた。

野上楓はそれに驚いた様に一度固まって、それからもう一度頭を下げると小走りで舞台を降りてきた。


その時、前を向いた彼が私を見た。

私たちの視線があって、その時彼は初めて満面の笑顔を見せた。

笑顔で私を見た。


だけど、私はそれに応えられなかった。


彼が舞台を降りる前に、私の前に来る前に、私は走ってそこから逃げ出した。

走って会場を飛び出した。笑って彼と話せるほど、私は大人ではなかった。

まだ子供だったのだ。

だけど一つだけ言えることは、私が努力してきたものは全部彼に壊されてしまって、

あんなにすごい演奏を聞いたら、もうピアノを弾けない気がした。



後で聞いたコンクールの結果は野上くんが優勝だった。

2位と3位はいなかった。彼は一人ずば抜けてうまかったから、当たり前の結果だと納得できた。

ついでに聞こえてきた情報では、野上楓はまだピアノを初めて2年にもなっていなかった。


つまり、私は凡人で野上楓は天才だったということだ。



その日、私はピアノを辞めた。



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