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暗雲の行方

作者: 森 千博

その日、私は起き上がる事に難儀していた。



目は覚めているのだが、覚めているというのか常に「夢か現か」の熟睡などには程遠い浅い眠りに晒されていながら「熟慮」しているという、どこかしらメンタルに故障のみられる、その入り口で立ち往生して何ヶ月あるいは何年、何十年のうちのひとつの当たり前の繰り返しの中の一日でしかないのですが。



昨日までの熱中症寸前の連続からの絶え間ない頭痛と、たぶん正解の気圧の変化からの頭痛の中を手探りしながら、なんとか身体をうち起こしてカーテンの隙間から覗いた空はやはり暗雲立ち込めていて、私の頭の中の景色を切り取ってそのまま貼り付けたような、私の頭の中を誰もが見上げ覗き、気味悪がっているような気持ちから逃れることができない、そんな私の心理状態。



叫びそうな声を飲み込んで、叫ばなければどうにかなってしまいそうな心が更に膨れ上がり、あとちょっとでの破裂を待ちわびる。しかし必ずその寸前で現れる何かの存在、そいつに憎しみしか感じず感謝の気持ちなんぞまるで皆無、それでも感謝を忘れずに憎しみを押し殺すことこそ「人の本来」であると痣が消えないくらいに縛り上げるほどに思わせてみたところで、何も変わらず、どこかの誰かの遠い風で、私は空と頭からの絶望で尻もちをつき、また横になっていたのでした。



頭の空が突然の尻餅で、腰のあたりまでドスンと堕ち、横になると同時に手足の先までに瞬間で広がってしまった。「こうなってしまえばアチラのもの」。私は何かアチラのものにはならない、なんぞを、雲間の一光のような、雲中の稲光りのようなものを暗雲や毛細の暗雲が流れるこの身体の中から半開きの目で、それに相応しくはない、か細くあるが強烈な眼力で天井を睨みつけたのはいいが、この膠原病からの乾ききった眼からは涙も出ず、開き続けることも困難で、望みの眼も頭の空に覆われてしまいました。



ずっとこんなだったな…我と身まわりを呪いながら、しかし、まだ暗雲立ち込めず、わずかに残っていた隙間、後頭部の左側、耳たぶの指4本横あたりの耳かきの先ほどの小さな場所から、さっきの涙の出ないことでの、夕暮れの、息絶える直前のウスバカゲロウの微かな羽音ほどの声が聞こえた。「…ビョウインシンサツ…」。ん?私は乾いて開くことが全く辛い眼を半開きの半分ほどに開いて、首をほんの少しだけ、今の自分にできるだけの角度で微かに持ち上げ、時代に灼けて色剥げた扉に貼ってあるカレンダーに目をやった。たまにヒリリとした痛みに閉じつつも、ゆっくりと端から順に眼を凝らしてみました。



今日は膠原病内科の診察日だった…それも夕方の5時からだ。今は何時だ?首をやや振り真横の時計を凝視する…午前11時か…なんとかギリギリ間に合いそうか?私はまず「遅れても、或いは行けなくてもいいだろう」との気持ちを持って暗示をかけまして、暗雲を纏った身体の力を抜き、そのあと指先、足先から黒っぽい何かがじわりゆらりと流れ出ていくのを連想しました。少し濃度が薄くなった?のを見計らい次は心のあたりの胸のへんから、そして真髄である頭からを、鼻から口から頭上から、内部を「まだ残っていたのか」との位のなんぞの炎で焼きつくして、ほとんど知らない人の火葬場の煙突からの煙のように天へと流し登らせました。それでも今どきの家にはあり得ない低い天井のところで留まってしまっている、私はさっきとは違う心意気の叫び声で窓を開けて叫んだ。「出ていけ!」



時間は3時を過ぎていた。現地までは車で約1時間、この流行り病のご時世、人の蜜を避けるための完全予約制、時間丁度に行くほうが色々と都合もいいだろう。「間に合う」。このままだったら「まだ間に合う」。



私はそれでもまだ重怠い身体と空を引き摺って、車に乗り込んだ。朝から何も食べてないが、そんなことはどうでもいい。コンビニに寄れればイン・ゼリーでも買えばいいだけのこと。国道は混んでいる、裏道を選んで走った。見覚えはあるけど見慣れない景色の流れの連続、昔まだ元気だった頃に通っていたカラオケ屋が無くなって、コンビニになっていた。私は後ろから車が来ているのに思わず急停止してしまいました。つん裂くようなクラクション、車を降りておでこが膝に着くくらいに頭を下げた。通過越しに何か毒を吐かれた気がしたけれどもハッキリとは覚えてない。私はフラフラとコンビニ入っていました。



とても綺麗な店内、きっとこのアイスクリームBoxの置いてある場所が、あの部屋なんだな、受付はあの辺か、トイレはあそこか…などと思い耽っていたら、自分の家の周りにも言えることである、「自分の家の取り残され感」そこだけ〈昭和〉、40年程前から時が動いていない。全ての周りが今時の綺麗な二階屋根の駐車スペース数台分の家に変わりつつある。そして輪をかけての「自分の世間からの取り残され感」。まわりと比較する必要なんてない、自分は自分と言われてもそれは、年相応未満であっても「ある程度の物事」は手にしている人達の、こんな現実は想像だにしてない人達の印象であって、こんな現実は特殊な極少数であったしても極少数は存在する、それが今の私。



ドギマギとあたふたとして、トイレに逃げ込み、入店して何も買わないのは、取り残されの上に更に怪しいと思い決死でゼリーを手に取りレジへ持っていったら、バイトの若い外国の女性店員のあまりの手際の良さに、自分の無能さが暴かれてしまったようで、おまけにその人がバックヤードに戻った時に同郷の仲間と知らない言葉で大笑いしているような妄想にも囚われてしまい、何も聞こえなくて、涙の出ない乾いた瞳から何かが溢れそうだった。



〈目的の病院は直ぐそこなんだ〉



どうしよう、どうすれば…こんなことですら心が折られてしまう。とりあえず車を出して、左に曲がった店の裏のその場所に、あのコーヒー屋が残っていた。カラオケ屋のコーヒーとは違う格別とも思ったあの味、歌い終わってからよく寄ったものだった。



店構え、佇まい、確かに経過した年月相当の劣化は見られる。見る人によれば、とても見窄らしく、営業しているのかどうかも怪しい。けれど確かに掲げてある「営業中」の札、あのマスターももしかしたら変わってないのか。寄ってみたかった、でも今の僕は外食が出来ない、経済的な不自由もあるけれど、一人でということが怖くてしかたない、かといって他人といるのもそれ以上に怖くて、いや、それ以前に一緒に店に入ってくれる人など、もはや居ない。



私はその店構えを半開きではなく、症状のひとつである眩しい光を、遮るサングラス越しに全開に焼き付けて、とりあえずはまだ間に合う、今日の予定の、起きられずにずっと横になっていたはずの事から起き上がり動く気力をくれた原因の、病院の診察に一人で行くために、右足のアクセルを踏み直した。







最後まで読んでくださって、ありがとうございました。ご意見、感想など頂けると幸いです。

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