最期の尊厳
ひび割れたコンクリートの道路。明かりの付いていない街灯。身動きを一切しない酒に溺れた男達。打ち捨てられたアンドロイド。所々の雑居ビルの光から聞こえる怒号のような喧騒。そんな街の中。道路の真ん中を一人の青年が歩いていた。
「よう、兄ちゃん。ここじゃ見ない顔だな」
そんな青年に誰かが声を掛けた。青年が声の方に向くとビルに背中を預けた一人の男が座っていた。髭を乱雑に生やした三十代の男だった。
「……」
「何黙ってんだよぉ。別に取って食ったりはしねぇよ。新顔が来る理由なんて大体わかるから警戒すんな」
警戒している青年を気にせず、男は呂律の回らない口で意気揚々と喋り続ける。
「まあ、こっち来いよ。酒ならあるぜ。呑めない歳でもないだろ? なぁ」
「悪い。そんな気分じゃない」
「なんだ。喋れるじゃないか」
青年の面倒くさそうな睨みを無視して男はそう呟くと楽しそうに口笛を吹いた。
「急ぎでもないだろ? ここは世界のアンダーグラウンド。勝ち組の光で生まれた影。スラム……負け組の集まりさ。時間に追われずゆっくりと破滅しようじゃないか」
「で? どうしてここに来たんだ? 俺に話しちまいなよ」
「……」
暗い道路の中を二人は進んでいく。青年は前を真っ直ぐ向いて黙っているが、男は青年の後ろを勝手に付いてきてベラベラと一人で勝手にしゃべり倒している。音のしない廃れた街の中に酔っ払いの声は良く響いていた。
「まあ、大方察しはつくがな。お前さん……今大学生か? 就活に失敗でもしたか? なあに、恥ずかしがらなくていい。そんな奴は幾らでもいる」
「……うるさいな」
男の言葉に青年は苛ついた声を返す。しかし、反応してくれたことに機嫌が良くなったのか男はより饒舌になる。
「図星か。ま、しょうがないよな。今のご時世。アンドロイドだの、完全自動化だので人がいらなくなっちまった。少ない雇用に入れなかった人間はスラムっていう掃きだめに落ちるしかない。俺はずっとスラム生まれ、スラム育ちだから就活の苦労は知らないが、同情するよ」
「放っておいてくれ」
「ここで聞いといた方が良いぜ。スラムはスラムで人間を食い物にするクズ集まりだ……まぁ、俺もだが」
「いらないって言ってるだろ。俺はスラムに……居付く訳じゃない」
「そうか、死に場所を求めてきたのか」
酔っ払いの男の突然飛んできた確信を含んだ言葉に青年は思わず足が止まった。図星だった。青年はゆっくりと恐れを滲ませながら男へと振り向く。視線の先に居た男はその反応を気にせず、缶を一本開ける。
「ま、知ってたよ。スラムで住もうとしている奴は色々な意味で必死だ。今残っている物を決して取られまいとしてる。俺はそんなつまらない奴に話しかけん」
男は酒を飲みながら言葉を吐く。青年は観念したように言葉を漏らした。
「……そうだよ。俺は死に場所を探している」
「おい、隼人。何飲む? ここなら非正規も買える。どれがいい?」
「なれなれしいなおっさん」
「気にすんなよ。俺の事だって『ヨモツ』でも『ナギ』でも何でもいいぜ」
その後男の誘いに半ば巻き込まれてしまい青年はスラムの中を暫く歩き、ビルの一階に入っている商店に来ていた。ここに来るまでの間、互いに簡単な自己紹介していた。
青年の名は「横瀬隼人」。そして男の方は「ヨモツナギ」と名乗った。
「漢字はどう書くんだ?」
「こうだ書きづらいだろ?」
男は隼人にそう言って一枚の紙差し出した。そこには「六銭用意します。ワタシヤ 泉津那岐」と書かれた名刺だった。隼人はそれを見てスラムでも会社はあるのか疑問に思いながら男に付いていく。
「ただあんたは正規品しか飲んだことないのか? 健康に悪いのマシマシで上手いから俺は非正規がオススメだぜ」
「……ヨモツさん。俺は何でもいい」
「そうか、じゃあ、亮平。金色四つ」
そして現在商店に二人はいた。以前はコンビニエンスストアが入って居た場所をそのまま使っているようで空きが多い商品棚には隼人が見るような菓子やジュースも置かれているが、似つかわしくない野菜、更に機械のパーツが適当に並べられたりもしている。
隼人は若干異空間染みている商品を興味深そうに眺めていた。それに対し、ヨモツは何も持たずレジで眠そうに座っている金髪の青年に声を掛けた。
「はいはーい一六〇〇ね」
そう呟くと青年は奥に入っていった。その時、隼人には、腰にかけられた拳銃が目に入ったが、見なかったことにした。青年の傍にはラジオが置かれており、そこから放送が吐き出すように大量の暴言があふれ出ていた。
「このラジオは」
「ああ、スラムの奴らの中に勝手に放送してる奴らがいるんだよ。色々やってて面白いぞ。世の中の鬱憤を吐き出すだけの放送、怪しいバイトのご紹介、スラムで夢見るバンドたちの音楽放送。以前はラジオの放送中に銃撃戦をおっぱじめた時もあった。最高の娯楽だよ。金さえ払えばだれでも放送できるから。お前もやるか?」
「……もう死のうとしている奴に何言ってるんだよ」
楽しそうに笑うヨモツに呆れる隼人。彼としてはとっととこの男に興味を失くしてもらいさっさとこの世を去りたい。だが、ヨモツは酔っているからか、そんな隼人の気持ちを完全無視してずっと突っかかってきている。そしていつの間にかヨモツのペースにはまっている。
そんな二人の元に金髪の青年は戻ってきて、銀の缶を四つ持ってきた。それを見たヨモツはポケットからくしゃくしゃの紙幣を取り出し、レジに置く。
「まいど……にしてもヨモツさん、お仕事っすか?」
「その話はこれから」
「そっすか。なら耳寄りな情報が」
青年はそう言うと近くに置かれたパイプ椅子に腰かけ、暴言を店中にまき散らしているラジオの音量を下げる。
「第三の方で首吊り。身なり的に小さい会社の元社長って所だな。あと第八でも飛び降りがありました。そいつは先月堕ちてきた新入りっすね。ホットニュースだから伝えておきます」
「おお、助かるよ。第三は『山吹銀行』の所だな。そして第八は……」
「『人形の女王』の店の近く。今日はよりにもよってな二件ですよ。丁度いいんじゃないですか」
「ああ、いつもありがとよ。明日も来るわ」
「いつも御贔屓ありがとうございまーす」
そう言うと青年は再びラジオの音を大きくする。ヨモツは缶を持ちその中の二つを隼人に渡し、店を出る。隼人はその缶を素直に受け取るが、先程の会話の意味に疑問をもちながらヨモツに付いていく。
飛び降り、首吊り。最近隼人が一人になると頭の中で考えていた単語。それを情報として受け取った。その事に異常ななにかを隼人は感じた。
「さて、まず第三か……付いてこい隼人」
「……いや、何を言ってるんだ。それは俺に関係あるのか?」
ひび割れが目立つ道路を二人で歩く。ヨモツは缶を開ける。「プシュ」という小気味いい音を響かせた後、缶の中身を勢いよく口に入れる。
「くぅ~、やっぱ良いね金色は。正規のビールじゃ味わえない苦みとアルコールが詰まってる! こりゃあスラムに欠かせないな」
「ヨモツさん」
「まあ待てって……とりあえず一杯いけ」
「……」
隼人はヨモツの勧めを聞き、ゆっくりと缶を開け、ビールに口を付ける。瞬間、その味に思わずむせ返る。
隼人は今まで飲んだことが無い味だった。……いや、隼人は正規品のビールは何度か口にしたことがあった。しかし、このビールはそこにはない強烈な苦みと喉を焼くような感覚は未知の経験であった。
「ゴフッ……グッ、ゲェ」
「……アハハ、やっぱ非正規は初か。だが、良いもんだぞ」
ヨモツは咳き込んでいる隼人を可笑しそうに笑いながら、歩いていく。それに隼人は少し遅れ、気分悪そうにしながら付いていく。その目は最初にあった時よりも不審に満ちていた。
「なあに、これから死ぬお前さんにスラムの事を言っておこうと思ってな」
「スラムを観光したって、俺は死ぬことに変わりが無いぞ」
「そりゃ結構。ただそういう奴に言っておきたいことがあるんだ」
そう言ってヨモツはビールを更に口を付ける。
「お前さんそもそも何でスラムで死のうと思った?」
「何で?」
「まあ、死ねないからだろ? 最近じゃ責任問題が厳しくなったからな。ビルから誰か飛び降りれば『ビルから飛び降りやすいのが問題。ちゃんと安全管理をしろ』なんて言われて裁判になりかねない。だから最近の都市部の建物は徹底的に管理されてるらしいな」
「……そうだ。どの建物も徹底的だ。高層ビルには巡回のアンドロイド。監視カメラが死角も無いほどに設置されてる」
そのために都市部での自殺者数は大きく減少をしている。自殺をしようとする人は様々なカメラに映り、事を起こす前に拘束される。それがこの社会では珍しくなくなった。
だが、自殺を事前に止めたからと言ってその人の苦しみが和らぐ訳では無い。勿論ある程度の支援は社会が約束している。しかし、日本全体の自殺者自体は年々上昇傾向にある。
その殆どはスラムなどの社会の目が届かない場所で行われているのだ。
「目が届かない、というよりは見ないようにしているのさ。自分の土地で死ななければ後はどうぞ勝手に……それが今の社会の方針だ。だから皆流れてスラムで自殺する。責任放棄の成れの果て」
「俺の生まれ育ったのはそんな場所……悲しいなぁ。ま、知ってたけど」
ヨモツは隼人の言葉にケロッと答えながら歩き続ける。隼人はその後を追いながら苦いビールを我慢しながら口に含んだ。
「そのとおりだ。都市部では死ねない。山やら森だって今は政府が『文化自然保護区域』に認定してアンドロイド達が整備したりしている。そういった目が無いのはスラムだけだ」
その後、「とはいっても」と言葉を付け足した。
「スラムには政府やら自治体やらの目は殆ど届かない。けどな、スラムにはスラムなりのルールがある。それを破ればどうなると思う?」
「……」
ヨモツの言葉に隼人は黙る。辺りの景色は依然暗い。ひび割れた雑居ビルの立ち並ぶ街の一角。二人は暫く黙りこくった後、ヨモツは口を開いた。
「スラムにも触っちゃいけないものはあるってことだ。余所者はその辺りを知らずにはた迷惑な死をまき散らす。それをやった成れの果てを今から見せてやる」
「スラムとはいっても色々ある」
二人は廃線となった線路の上を歩く。ヨモツは二本目の缶を直ぐに飲み終え、適当に放り投げ、話を続ける。隼人の方は一本目の缶を未だに手にもっている。
「色々?」
「そう、簡単言えば警察の目があるかないかだな。スラムの中でも水商売が多い場所や、スラムと都市部の境界線みたいなスレスレの場所は警察もよくいる。スラム以外の住人も居たりするからな。ということは警察の目が届かない場所もある。警察が犯罪を見ないふりしてるなら可愛いもんで、最悪スラムの住人が武装してて手が出せない場所もある。勿論警察が行けないような場所は行政も機能してない。完全なスラムの世界さ」
「そうなのか……」
「行政が機能してないとどうお前さんに悪影響があるのか分からないって感じだな」
「……まあ」
ヨモツの言葉に隼人は躊躇しながら肯定する。線路に敷かれた石を踏みしめる音が静寂に響きながら二人は歩く。二人の前に駅が見えてくる。しかし、灯りはない。
二人は駅に着く。駅名は暗くて隼人の目には見えなかった。ヨモツは躊躇なく、線路から駅によじ登る。隼人もそれに倣って登ると駅の座席に寝ころんでいる人が居る事に気付いた。
その男は明らかに栄養が足りてないやせ細っている体をしていて、何日もまともに体を洗っていないであろう独特な臭いがしている。それに思わず隼人は顔を顰めた。
男はゆっくりと起き上がり、前に立つ二人を見渡し、思い口を開いた。
「……なんだぁ、あんたら」
「おう、あんた今日第三で自殺した奴いるんだって? 何処だ?」
「……あ? なんだぁ漁りに来たのかぁ。ロクなの残ってねぇぞ。『山吹』はケチだからな」
「俺らはそっちに興味ないんだ。仏さんは何処に?」
「……なんだ、体目当てか? 物好きだなぁ。その為にわざわざ『山吹』の所まで来たのか」
「俺は『ワタシヤ』だ」
ヨモツのその言葉に男は一瞬動きを止め、隼人の方に目を向ける。そして合点がいったかのように「あぁ」と声を上げた。
「成程な……仏さんならあっちの方さ、まだ残ってたらな」
「おうありがとさん」
男は北の方へ指を向ける。それに対してヨモツは感謝の言葉の後、男の近くにポケットから取り出した紙幣を置いて去っていく。
隼人はそのやり取りを無言で眺め続け、ヨモツの後を付いていく。
「あんな若者がねぇ……ほんと世も末だな」
二人の背中を見ながら男は物憂げに呟いた後、再び体を横にした。
「第三はその殆どが『山吹』の支配下だ」
無人の改札機を飛び越えながらヨモツは説明を続けていく。
「『山吹』?」
「正式名称は『山吹銀行』……まぁ、昔でいうヤクザやらマフィアみたいな反社会的な奴だと思えばいい。そんな奴らはスラムにごまんといるが、『山吹』はその中でも凶悪でな、余りのハチャメチャっぷりに警察でも手が出せない」
「……そんな所に行こうとしてるのか?」
「というかもう『山吹』のおひざ元だな」
ヨモツの言葉に隼人の足が思わず止まる。「山吹銀行」……その存在はここに来て初めて知ったが、ヨモツの言葉を聞くと、そんな所に来るのは危険極まりないのではないか?
「大丈夫だよ。『山吹』は一々俺達みたいな存在を相手にしない。ビルに入って勝手に住み始めたりしなけりゃな」
ヨモツはそういった後、歩き続ける。隼人はそう言われても不安を隠さずに先程より、足音に気を付けながら付いていく。
そして、歩く事五分。二人は目的の「もの」とであった。
「ありゃまあ」
「……これは」
ヨモツは口笛を吹いた。隼人は目を見開いて「それ」を見上げていた。
「それ」は小太りの男だった。歳は六〇程。服は全部脱がされ、ビルの壁に立て掛けられていた……いや、磔にされていた。「それ」の両手首は前で結ばれ両手首ごと腹に一本の杭の様な物が突き刺さっている。その杭で全体重を支えているようで徐々に腹に出来た穴が広がっているのが確認できた。その下には巨大な血だまりが出来ており、辺りに鉄臭いにおいが満ちていた。
「うっ」
暫く黙っていた隼人は吐き気を覚え、腹の中のものを地面にまき散らす。ヨモツはそれを見ずに黙って観察していた。
「首吊りか」
ヨモツは黙って死体の近くに近づき、そう呟いた。男の首元には縄で鬱血した跡があった。
「……なんだこれは」
「見せしめさ。恐らく『山吹』から金を借りてたんだろうよ。それで金を返せなくなって、スラムで首吊り……相手と場所が悪かったな。『山吹銀行』は名前の通り金にがめつい。払えなくなったからって死んだらこうもなる」
「だが、これは『山吹』に借金してるからだろ? 俺だったらここまで酷くは」
隼人は動揺しながらも尋ねる。死んだら終わり……後でどうなろうと死んだ本人には関係ない。そう思って隼人は来た。しかし、これは……余りにも
「そうだな。お前さんならここまでにはならないだろう……けどな『山吹』の所で死んだら、とりあえず臓器を全部残らずすっぽ抜かれて、跡形もなく処理されるだろうな。お前、若いし健康だろ?」
そうさも当然の様に言い切り、ヨモツは隼人に近づく。動揺しきっている隼人に対して彼はどこか諦観してるかのような無表情であった。
「『山吹』だけじゃない。スラムの法が全ての場所では人間の死体は金か邪魔物としか認識されない。そういう場所なのさ、ここは」
「さて、この後、第八にも行こうかと思っていたんだが……隼人、どうする」
第三で、男の死体を見てから数分後、二人はベンチに座っていた。ビルの柱の間にちょこんと出来た。簡単な遊具が置かれた公園。元々余り遊ぶ子供は少なかったであろうその公園は、明らかに整備が不完全で遊具たちの塗装は剥げ、錆びが所々に見える。
ヨモツはベンチの背もたれに腕を乗せている。隼人は下に目を向け、ひび割れた地面を呆然と眺めていた。
「第八には……何があるんだ?」
「第八は『山吹』よりはマシだ。あそこはある意味静かな場所だ……とはいってもその原因は近くに『人形の女王』っていうスラムで一目置かれている女がいるからだけどな。彼女に目を付けられないようビクビクしているのが第八だ。亮平の話じゃあそこでも飛び降りがあったらし」
「俺にそんなに死体を見せて何がしたいんだ」
ヨモツの言葉を遮り隼人は叫んだ。先程の見せしめに弄ばれた死体。あれを見てから隼人は表情を青くして、声が震えている。
「なんだ、自殺しないようにしましょうって言うのか。頑張ってこの腐った世界で生きましょうってお前も言うのか」
「逆だよ……俺の名刺、まだ持ってるよな?」
ヨモツに言われ、隼人はゆっくり自分のポケットを漁る。震える手を必死に抑えながら隼人は名刺を取り出す。そこに書かれている言葉を読み、あることに気付いた。
「ワタシヤ……六銭……」
「そ、三途の川を渡るには六銭必要だ。その手助けをするのが俺の仕事」
「それって」
「お前さんみたいなのを手助けするのが俺の仕事だ。最後の一本飲んでいいか?」
そういうとヨモツは隼人の方に手を伸ばす。どうやら隼人が持っている最後の缶ビールを要求しているようだ。隼人は死体を見た後、飲む気にはなれなかったのでその手に缶を渡す。
ヨモツはその缶を無言で開け、酒を一気に喉に放り込むと、ゲップをする。
「スラムに自殺をしにやって来る奴は本当に多い。リストラされた、会社が倒産した……お前さんみたいに大学まで行けたが、先が無くなったなんて奴はわんさかいる。自殺現場なんて一日一回は見て当たり前だ。そうなればスラムで死者弔うなんて奴は誰も居ない。死体は身ぐるみはがされて当たり前。行政の清掃車が来る場所に放り出されて無縁墓地に運ばれれば良い方だ。さっきのアレみたいに見せしめにされて、死んだ後も恥を晒される。最低限の尊厳すら奪われるのがこの社会だ。それをせめてマシにしてやろうってのが俺の仕事」
「……俺を楽に殺してくれるのか?」
「要求されたら楽に逝かせてやるよ。俺は死ぬための場所を用意して、死んだ後出来る限り弔ってやる。それが俺の仕事だ」
「理解したか?」と隼人に確認を取りながら、缶を彼の目の前でゆらゆら揺らす。中身はまだ半分ほど残っていた。
「つまり、アレを見せたのは自分の所で死んでほしいからか」
「まあな。ハッキリ言って宣伝だよ。例え未来が見えなくても最後位綺麗に終わりませんか?っていうね。ま、俺も死体漁りの一人って訳だ」
はっきりと自分の行動の真意を吐いたヨモツに隼人は目を見開いた、一切包み隠さないある意味清々しいハイエナの姿に逆に気持ちいいものを感じてしまった。
「……なんだそれ。スラムじゃそんなものすら商売にするのか」
「死体をまともな状態で残すのだってスラムじゃ商売になるんだよ。可笑しいだろ?」
「……フツ、そうだな」
隼人の口に笑みが漏れた。ヨモツの手から缶を取り、残っているビールを全て口に含む。その苦さを耐え、全部飲み干す。
酔いが回ってきたのか笑みが深くなり、最後には大きく口を開けて笑い出す。何もかもが馬鹿馬鹿しく感じていた。いままで社会にすら満足に進めぬ自分に絶望した日々、アンドロイドに仕事を奪われたと叫ぶ群衆に同調しては嫌悪を繰り返し、最後に流れ着いた最期の地。そこで出会った自殺を手助けする仕事。
ここまで可笑しな世界に真面目に生きてきたのがなんとあほらしいことか。
「ああ、分かったよ。ヨモツさん。あんたの所で死んでやる」
笑い終わった後、ベンチから立ち上がり隼人はそう言い切った。それを見たヨモツはその表情に少し呆然とした後、真面目な顔になり頷いた。
「はい、ヨモツさん。金だ」
次の日、スラムの一角。何処かの地下室で二人はいた。そこは無機質なコンクリートで囲まれた部屋でパイプ椅子に座ったヨモツと隼人がいた。
「ああ、よし。ちゃんと揃えたな……じゃ、これだ」
隼人から渡された金を確認した後、ヨモツはポケットから一個の鍵を手渡す。その鍵はシンプルなプレートが取り付けられており、そこに「A」とアルファベットが書かれているのみだった。
「それはさっき説明したビルの鍵だ。中には縄、睡眠薬、練炭、拳銃……大体のものはある。好きに使え。けど、良いのか? 安楽死用の機械もあるんだぞ?」
「あんたには死んだ後世話になるんだ。死ぬの位は一人でやるさ」
鍵をポケットにしまいながら隼人は答える。その態度に迷いはない。それを見て、ヨモツは「そうか」と小さく呟いた後、手提げ袋を隼人に渡す。中は大量に缶ビールが入っていた。
「非正規は酔いやすい。怖くなったら飲んでから逝け」
「……ヨモツさん、あんた、意外とお人好しだな」
「仕事のサービスだよ」
そう言うとヨモツは歯を見せて笑う。それにつられて隼人も笑った。昨日の出会ったばかりだというのに何処か長い付き合いだったかのようにも隼人は感じた。サービスとは言ってるが、彼はそういった暖かさを持つ人間……お節介を焼きたがる性格なのだろう。
「じゃあ、そろそろ行って来る。お世話になりました……いや、お世話になりますよ。ヨモツさん」
「サービスの一環として一つ言っといてやる」
「……ん?」
こうやって話しているばいつまでも居てしまいそうだったので、隼人は話を切り、立ち上がり、地下室から出ようとする。その背中にヨモツは声を掛けた。
「都市でもスラムでもな。どこでだろうと勝とうとするには何をしなくちゃいけないと思う? 人を傷つけなくちゃいけなくなるんだ。他人を蹴落とし、騙し、嘲笑う。どっちで生きていくにもそれが必要になってしまう。だが、お前さんはそれをする前にここに来た。他人を傷つけなかった。それは誇る事だ。都市の勝ち組にも、スラムの化け物どもにも出来なかった事なんだからよ」
「……都合が良い解釈だな。それ」
「別に良いだろ? 人を食う人でなしにならずに済んだんだ。お前さんは人として死ぬ。その理屈は負け犬の遠吠えだとしても気分いいだろ」
そう言うとヨモツは笑う。隼人もそれにつられ笑う。
――あぁ、なんて最高の最期なんだろうか――
ヨモツは「A」というプレートの付いた鍵でビルの扉を開け、中に入る。中は必要最低限の調度品が揃っているが、天井から掛けられた縄や、薬瓶しか置かれていないキッチンなど異様な雰囲気に満ちている。そこを当然のように歩んで進む。
そして部屋の一角で立ち止まった。そこにはつい数十分前まで会話していた男の姿があった。しかし呼吸は無い。
「良い奴だったんだがな」
その姿に寂しさのようなよぎった後、直ぐに気持ちを変える。
「……頑張ったな。後は、俺の仕事だ」